編集室より

かこさとし公式ホームページをご覧いただきありがとうございます。

かこさとしは今年3月に90歳を迎えました。直接皆様にお目にかかりお話することは、なかなかできませんが、ホームページで少しでもかこさとしとその作品について知っていただけたらと考えております。

かこさとしは1926年(大正15年)に現在の福井県越前市で生まれ、幼少期を豊かな自然の中で小魚やトンボを追いかけて育ちました。かこはこの頃の遊びの体験がかけがえのない貴重なものだった、と述懐しています。

小学校に上がると文章を書いたり絵を描くことが好きになり、東京の高校に進学すると国語の先生が俳人、中村草田男だったこともあり、俳句や詩にも興味をもつようになりました。里子(さとし)という名前は本名(哲=さとし)から取ったその時の俳号です。

その後、かこは東京大学工学部へ進学しますが、時代は戦争一色となり、授業どころではない状況となります。終戦をむかえた19歳のかこさとしは、食べるものもない焼け野原で物質的な貧窮のみならず、戦前からの価値観の大転換に大きな戸惑いを覚えたといいます。これからどうやって生きてゆけばよいのか、何を信じてゆけばよいのか、大いに悩んだかこは、答えを求めて大学でも工学部以外のいろいろな学部の授業に潜り込んでは授業を受け、その答えを模索する毎日を送っていたといいます。

大学卒業後は、専門である化学のメーカーに就職するもセツルメント活動に積極的に参加するようになりました。セツルメント活動とは大学生らが中心となり労働者地域で医療、法律相談をまた子供たちには教育のボランティア奉仕をするものです。給料の3分の1を使って幻灯、紙芝居、絵の指導、新聞作りなど20年間にわたり続けました。(それ以外の3分の1は仕送り、残りの3分の1で自分の生活をしたといいます)

その間、数多くの子どもたちと接することで、かこは多くのことを子どもたちから教わったといいます。この体験が元になり、47才のとき会社を退職して、未来を生きる子どもたちのために、その後の人生を歩むこととなったのです。

かこが長年にわたる子供と接する活動から得た教育的な持論は、子どもというものは自ら生きようとする生き物である、そのために自分たちで遊ぶ力をもっている、子どもは理解できれば自ら意欲をもってすすんで賢くなれる力がある、というものでした。

専門の応用化学分野で博士号も持ち、科学者の目も持つかこさとしの著書は、絵本や物語にとどまらず、自然科学(かわ、海、宇宙)建築・土木、歴史、さまざまな遊び、食べごと、四季おりおりの文化、地域資源などを融合した独自の視点と世界観を持つもので、子どもたちのいろいろな好奇心を満たすべく幅広いジャンルに及びます。また、内容的にも20年後、すなわち、子どもが大人になったときでも通用する専門性の高い、本格的なものです。

子どもにとっての遊びの意味を見つめ、健やかで賢く心豊かな子どもの成長を願ってやまぬ気持ちを冒頭のメッセージに込め、高齢の現在も、僅かな視力を頼りに19歳の決意を全うする日々を送っています。