編集室より

ご覧いただいているのが、でんがらでんえもん。右手を懐の中に入れ、小太りでこんな目つき。一体どんな人物だと想像されますか。

むらいちばんの金持ちで「じぶんのために かねを ため」るでんえもんの前に現れた、きたなじいさまに不思議な力を授けられます。最初は大喜びのでんえもんでしたが、はたと気づくと青ざめ、「どうしたものかと、じぶんの ひたいに手をあてた とたん」⋯

テンポの良い語り口調の文と表現力豊かな絵によって、瞬く間にでんえもんの世界に引き込まれます。あとがきをご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
この話は、古くから内外に伝わっていて、よく金銭欲を戒める題材として法話や修身の説話に登場してくるものです。

そうした「たてまえ」はあっても、現実の世界では、お金によって、時に幸福さえ買えるというのが、今の社会の実情です。そして、あこぎな金満家は、その富の力で権力や法律や世論さえ操作し、貧しい人々が生活の資を求め、才能をのばす経済的な基盤を得ようとする要求を、こうした「いましめ話」で断念させてきたのが、これまでのこの話の使われ方でした。

私は、それを単に富める人々をやっつける筋に変えたり、裏返しにするだけでは、つまらなく浅薄な事だと思いました。図式的な対立関係を固定的に考え、どちらが善くてどちらが悪いとわりきってしまうのでは、この話の一番大事な点をそこなってしまうのではないかと考えたのです。

どんなにひどい、道ならぬ考えや行動している者でも、それにはそれ相応の理由や立場やそうするに至った経緯があるものです。人間というものは、それによって同一人が、時に「仏」になり、「鬼」にもなるものだし、だから努力しなければならないという ことを前提にするからこそ、私たちは、子どもに良い本を与えたり、教育や指導を重視するのでしょう。自分もそうした一面を持った人間だということを忘れず、自己に対しては、強いおそれとつつしみを抱き、そして、社会の歪みや制度の悪に敢然と立ち向かってほしいというのが、この物語に託した願いです。
かこさとし
(引用おわり)