2018

2018年、だるまちゃんシリーズに『だるまちゃんとはやたちゃん』『だるまちゃんかまどんちゃん』『だるまちゃんとキジムナちゃん』が加わりました。一度に、三作品が単行本として出版されるのは今までのだるまちゃんの絵本からみて異例のことです。

加古が「死んでからでも出して欲しい」と編集の方にお話したのがきっかけで、社をあげて取り組んでいただいたおかげで、加古の存命中に三作品が出版されました。どうしても伝えたかった作品に込めたメッセージについて加古が直接取材のテレビカメラや記者さんに語る事が出来ました。

この三作品の前に出版された『だるまちゃんとにおうちゃん』にも、加古の忘れられない思い出がその底に流れています。ハードカバーになる前に「こどものとも」2014年7月号として刊行された時の付録「絵本のたのしみ」から加古里子の言葉をご紹介します。

作者のことば

「におうちゃん」について 加古里子

(引用はじめ)
1938年(昭和13年)、中学生になった私は、航空機に熱中しているヒコー少年だったが、同時に図書館に入り浸る毎日でもあった。2年生となった早々、担任から「諸君はまもなく元服となるのだから、自らの生存の意義を求め、人生の目標を定め努力すべし」と喝を入れられた。それで数日考えこみ、世の中に貢献するため進学したいが、父の収入では無理なことがうすうす判っていたので、学資不要の軍人の学校に行き航空士官なることを目標とした。

目標の達成のため、必要な学課のみに集中し、図書室など自ら出入を禁じたが、近視の度が進み、同じ目標の級友は次々合格するなか受験の機会も与えられず、空しさのなか工学へ進んだ。

1945年(昭和20年) 4月、戦災に会い、仮小屋を転々としたあげく、やっと宇治の貸家に辿りついた時、敗戦となった。9月に単身上京したが、混乱する社会と食糧難に疲れ、軍人になった同級生の特攻機での死を知り、悔恨と慚愧(ざんき)に包まれ、講義も身に入らず、何のために生きるのか、咆哮(ほうこう)を続けた。

それでも夏冬の休みには、両親へ状況報告に満員鈍行夜汽車で帰り、近くの黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の静かな境内に行くのが唯一の慰めだった。その折、蝉や松果(しょうか)と遊ぶ子どもたちによき未来を託するには何をしたらいいかと迷走していたことを思い返し、今回の作に込めた次第です。したがって、現在は整備されているようですが、寺院の状況は当時の記憶に残っている様子を描きました。
(引用おわり)

こうして、加古はこの迷いへの答えとして92歳まで子どものために絵本を描き続けることになったのでした。

帰らぬ人となりましたが、どうか作品の中で、かこさとしに出会っていただけたらと願っております。年末にあたり、この一年、多くの皆様から頂戴した、たくさんのお心のこもった言葉に改めて感謝御礼申し上げます。どうか佳き新年をお迎えください。

2018/12/15

犬がいる

今年もあと何日ということがいわれるような時期になりました。「あとがきから」コーナーでご紹介してきた「加古里子かがくの世界」(福音館書店)6冊には、今年の干支でもある犬が登場するという共通点があります。気付かれましたか。

お子さんたちが本に親しみやすいように、加古の絵本では、子どもと一緒に犬や猫など小動物を登場させることがしばしばあります。科学の世界、電気や断面図はちょっと難しいと感じられるかもしれませんので、例にもれずワンちゃんが顔を出して興味をつないでいきます。

『でんとうがつくまで』(上) の表紙にいるのは耳が垂れて、白とちゃ色のこのワンちゃん。
『ごむのじっけん』(下)の耳が垂れている白い犬は前扉ではこんな風にゴムに興味シンシン。

ところが最後には、ちょっとかわいそうなことになってしまいます。(下)
これぞゴムの特徴、決して動物ギャクタイのつもりではありません。

『だんめんず』(下)のこの場面では、犬の本領発揮。吠える理由は、断面図で見れば一目瞭然という仕掛けです。

『いろいろおにおそび』(下)には珍しく黒い犬が子どもたちと一緒に、鬼遊びの場にいます。
これは裏表紙で[いろおに]をしているところです。オニが言った色、ここでは黒、を触っていればオニに捕まってもセーフという鬼ごっこです。この場面の子どもたちは、皆黒いものにさわっているので例えオニにタッチされても大丈夫だというわけです。

『ふたりであそぼ みんなであそぼ』(下)の表紙で勢いよく走る様子が印象的なのは、ちゃ色の毛で顔が白い垂れ耳ワンちゃん。元気一杯です。

『たこ』に出てくる白い犬とは随分仲良しのようです。後ろ扉(下)では遊び疲れた男の子と一緒に眠っています。凧揚げが大好きだった著者の幼い頃はきっとこんなだったのでしょうか。

筆者には、たこの「さ」の文字と2018年永眠した、かこさとしがこの絵に重なってしまいます。

残り少なくなってきた戌年、皆さまどうかお健やかにお過ごしください。

(2018年戌年最初の「編集室から」コーナーでも「気になる犬」という表題で加古作品に登場する犬のあれこれについて書きました。ご参考になれば幸いです)

2018/12/07

冬の赤い実

クリスマスといえばヒイラギの緑の葉と赤い実が思い浮かびます。『こどもの行事 しぜんと生活12月のまき』(2012年小峰書店・上)には、クリスマス・リースに「ヒイラギなど、寒さの中でも緑の葉をつける木をつかいます」とあります。永遠の生命とキリストの血を象徴すると言われていますが、正確に言うと赤い実をつけるのは西洋ヒイラギで、日本の柊の実は青紫色だそうです。

冬枯れのこの季節には緑の葉につく赤い実が目立ちます。『あそびずかん ふゆのまき』(2014年小峰書店・上)には〈あかいみをつける しょくぶつ〉として、ヤブコウジ、モチノキ、センリョウ、マンリョウが描かれています。

センリョウにはオレンジ色の実があったり、上の写真のようにマンリョウには白い実もあったりしますが、ヒイラギ同様何れにしてもこれらの花は白くて、あるいは薄緑色で小さく可憐。咲いているときは、さほど目立たないのですが、実ると目にも鮮やかな色となります。一緒に紹介されているナンテンも同じです。

スズランもご存知のように白い愛らしい花をつけますが、この実も真っ赤で花から想像される以上の大きさになります。すべての花が実になるわけではないらしいのですが、スズランは全草毒があり、花瓶にさしておいた水にもその毒が溶け出ているとか、びっくりです。

りんごやイチゴの花も白ですね。あんなに小さな白い花がこんなにも大きな実になるとは、本当に植物の力には驚かされます。雪に覆われない地域なら、木枯らしの中、赤い実探しはちょっと楽しいネイチャーゲームです。そんな冬の過ごし方はいかがですか。

下は、『かこさとしの食べごと大発見5 いろいろ食事 春秋うまい』(1994年 農文協)より

2018年1月から藤沢市役所1階に毎月かけ替えていただいていた『こどもの行事 しぜんと生活』の表紙絵もいよいよ最後となりました。12月のまきは、ご覧のような絵。それぞれ何か持ってうれしそうですが、特に羽子板を持っている人たちの笑顔が印象的です。本文にはこうあります。

(引用はじめ)
「年末に、各地で羽子板をうる市がたちます。はねつき用の羽子板ではなく、はじめての正月を迎える女の子のいる家へのおくりものとされています。羽子板でつく羽子(はね)が害虫を食べるトンボににていることから、わるい虫、わざわいや病気をおいはらうとされました。また、羽子板は正月の飾りにもなっています。」
(引用おわり・全ての漢字にはふりがながあり、本文は縦書きです)

さて、平成最後の師走。この本のあとがきを是非お読み下さい。

12月あとがき

すすむ世の中にふさわしい行事

(引用はじめ)
これまで、1年間の様々な行事を見てきました。日本に住んでいた先祖の人々が、工夫と努力を重ね、神やいのりを心の支えとし、さらに中国などの海外から伝わるならわしをとりいれてきた様子がわかりました。
その中で12月の行事にアエノコト、針供養、なまはげがありますが、同じような行事を他の月にする地域があることから、長い年月をかけてつたわっていく間に、それぞれの地域に合った形になったとかんがえられます。
こうしたことから、私たちの祖先は、いろいろな事柄をとりいれて生活を保ち、その地域と時代に合った行事に仕上げてきたことがわかります。
ですから、いまを生きるわたしたちは、ただ古いからではなく、先人が伝えてきた思いの重点はなにかをかんがえ、現在の生活とこれから来る未来にふさわしい行事を、自分たちの手でまもり、つくり、そしてすすめていかなければいかなくてはならないのではないでしょうか。
(引用おわり・本文は縦書きで漢字には全てふりがながあります)

2018/11/27

かぼちゃ

かぼちゃというと、ハロウィンを連想されるもしれませんが、筆者が子どもの頃は、シンデレラのかぼちゃの馬車を思い浮かべたものです。
(下は『あそびの大惑星 5 こびととおとぎのくにのあそび』1991年農文協)

かぼちゃが大きく描かれているのは、2018年10月に刊行された『だんめんず』(福音館書店)のこの場面。硬そう、そして美味しそうです。

日本では昔から冬至かぼちゃといって、夏に収穫したかぼちゃを冬のこの時期まで保存して風邪の予防に食べてきました。スーパーマーケットの野菜売り場にも冬至になるとそんなことがポップに書かれているのを見かけます。

『かこさとしの食べごと大発見 9 まま人参いもパパだいこん』(1994年農文協・下)には「とうじにはとうなす(かぼちゃ)をたべます。かぼちゃのことを「なんきん」ともいいますが、このように「ん」が2つつく食べものを食べると、病気にならないといわれているからです」とあります。

『こどもの行事 しぜんと生活 12がつのまき』(2012年小峰書店)にも、かぼちゃの煮物が食卓に並んでいる様子が描かれ、説明には「こんにゃくやユズをたべるところもあります」

『食べごと大発見 5 いろいろ食事 春秋うまい』(1994年農文協・下)では「冬至のゆず かぼちゃ」に合わせて「かぜひき はなづまりのくすり」として、ねぎゆ、しょうがゆ、きんかんゆ、みかんゆ、レモネード、だいこんあめ、黒豆汁などが並びます。

この本から引用します。
(引用はじめ)
12月8日は火を使うところは、「ふいごまつり」ぬいものをするところは「はりやすめ」といって仕事をやすむ日となっていました。
(引用おわり)(漢字には全てふりがながあります)

ふいごまつりは、もともとは旧暦の11月8日に行われていたもので現在の12月半ばにあたり、「はりやすめ」は、針供養と言われて2月8日に行う地域もあるそうです。そして12月8日で忘れてはならないのが、太平洋戦争開戦の日であるということです。

前出の『こどもの行事 しぜんと生活12がつのまき』には、この戦争について次のような一節があります。本文を一部ご紹介しましょう。

(引用はじめ)
戦争によって、おおきな犠牲を日本国民だけでなく、ほかの国々の人々にもおよぼしたことをよく考え、戦争のない真に平和な世界をつくるために、まず日本は真剣に平和な世界の実現を追求しなければならないとおもいます。
(引用おわり)(漢字には全てふりがながあります)

戦争中、食料難でお米の代わりに食べたのがサツマイモやカボチャ。「何が何でもカボチャを作れと言われ、狭い土地でも地面があれば耕し種まきをさせられた」と加古は語っていました。「イヤというほど食べた」ので、ずいぶん長い間、すすんでかぼちゃを食べることはありませんでした。

そんな時代のことを綴ったエッセイ「白い秋、青い秋のこと」(『子どもたちへ、今こそ伝える戦争 』2015年講談社)に添えられている挿絵に描かれているのは、お世話になった医師とかぼちゃ。

「何がなんでもの 南瓜も食わで 征くか君 」昭和十九年夏 三斗子(さとし)

今年の冬至、病気にならないことを願い、平和でかぼちゃが食べられる幸せを心して味わいたいと思います。

しばらく品切れ状態が続き重版が待望されていた『すばらしい彫刻』(1989年偕成社)が2018年11月に印刷されました。かこさとし自らが出版を依頼した唯一の絵本『美しい絵』(1974年偕成社)から15年を経て刊行された姉妹編ともいえるのが本作です。著者の言葉は、2016年7月16日に当サイト「あとがきから」でご紹介しましたので是非ご覧下さい。

かこさとしと彫刻との出会いは、いつ頃だったのでしょうか。
生まれ故郷福井県越前市で通っていた幼稚園は引接寺(いんじょうじ)という1488年に建てられたお寺にありました。総ケヤキ造りの山門には彫刻があるほか境内には古い石仏などもあり、幼い頃にこのようなものを目にしていたはずです。

東京に転居し1942年中学生の時、上野で開催されたレオナルド ・ダ・ヴィンチの展示会を見て驚愕したそうです。以来、ダ・ヴィンチに魅了され、興味が深まっていくのですが、その時に上野で見た彫刻のスケッチが残っています。西郷隆盛の像、ロダンの「考える人」や「カレーの市民」の歩む人の足元が、色が変わってしまった古いわら半紙に、せいぜい4-5センチくらいの小さなものですが鉛筆で走るようなタッチで描かれています。これだけ見ると中学生の手によるものとは信じがたい手慣れた線ですが、『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)を小学校卒業時に描いた加古ならば、合点が行く描きっぷりです。

『すばらしい彫刻』でとりあげられているミロのビーナスの思い出は、高校にあったミロのビーナス像に始まり、ゲートルを巻いた加古とのツーショット(『別冊太陽』に大きな写真掲載)が残っています。そして終戦後初めての五月祭、大学2年生だった加古はミロのビーナスの版画を作成(当ウェブサイトのプロフィール1946年に掲載)したほどです。

『すばらしい彫刻』に紹介されているエジプトのアブシンベル神殿・ラムセス2世の像や奈良の大仏なども加古が長年興味を持ち研究していたものです。1985年に『ならの大仏さま』(福音館・現在は復刊ドットコム)、1990年に『ピラミッド』(偕成社)を出版していることからもわかります。

そしてこの本の最後には、あの上野で見たロダンの作品が取り上げられています。『すばらしい彫刻』で古今東西のすばらしい彫刻とそれを作った芸術家、そしてそれを見て感動した加古里子と出会っていただけたらと思います。

福井県越前市のふるさと絵本館2階では展示替えを行い、2018年11月15日から2019年3月17日まで『かこさとし・むかしばなしの本 でんせつでんがらでんえもん』(2014年復刊ドットコム)の全場面を展示しています。この物語の主人公は欲深い、でんえもん。強欲な人というのは昔話でもよく出てきますが、加古の描く欲張りでんえもんの表情の微妙な変化と、どこからやってきたのか不明の謎の老人の鋭い眼光など、だるまちゃんやからすのシリーズ作品とは異なる絵のタッチは必見です。

本の帯には、加古のあとがきの言葉から引用してこうあります。
「自己に対しては、強いおそれとつつしみを抱き、そして、社会の歪みや制度の悪に敢然と立ち向ってほしいというのが、この物語に託した願いです。 かこさとし」
(あとがき全文は、当サイト「あとがきから」コーナーで2017年6月16日に紹介していますのでご参照ください)

加古は20代の頃から全国各地に伝わる民話に興味を持ち研究していました。むかしばなしの本(上)は5冊シリーズで、絵本館での展示は『かいぞくがぼがぼまる』『てんぐとかっぱとかみなりどん』に続き3作目となります。88歳の米寿を記念して全国の図書館に寄贈した絵本『矢村のヤ助』(2014年・非売品・下)も若い頃に創作し、川崎セツルメントで子どもたちに語り聞かせていた作品です。

今回の展示では、絵本館にほど近い、加古の墓所がある引接寺(いんじょうじ)の石仏にまつわる昔話もご紹介しています。冬の炉端で語られることが多かった昔話には、人々がお話を通して子や孫に伝えたかった大切な思いが込められています。今に生きる私たちにとってもそれは貴重なものに違いないはずです。

『たこ』は1975年 福音館書店より「かがくのとも70号」として刊行され、その時の折込付録には、加古による「たこ たこ 上がれ」と題する文章がありました。前半は、幼い日の忘れ得ぬ思い出が綴られ、後半はこの科学絵本に関してのいろいろが書かれています。2回に分けてご紹介します。

「たこ たこ 上がれ」 加古里子

幼い日のソーシキだこ

私の生まれたところは北陸福井の武生と呼ぶ小さな街。うかつなことに、先月若くして逝かれたいわさきちひろさんが、その同郷の先輩だとは知らないまま、その美しい、そして厳しいこまやかな筆跡を私淑しつつ、いつでもご挨拶できると思ってとうとうお目にかかる機会を失ってしまいました。私よりも、娘たちの方が悲しんだりなげいたりして、私の世間知らずを指摘したり、かえすがえすも心残りのことでした。

その奇しくも同じ町に数年後に生まれた私にとって、わずか7年間の短い生活は、後年雪を語り、ほたるを論じ、おちあゆや山鳥の紅をあげつらうことができる唯一の私のよりどころとなりました。もしその7年間が私になかったなら、子ども時代の遊びの良さや重要さを、今ほど強く自信を持って話しかけることができなかったでしょう。その幼い日の私の思い出のひとつに小さなたこの事件(?)がありました。

私はまだお寺の幼稚園児、ひとまわりちがう兄は中学校の最上級生で医学校への受験に追われていました。その兄がある北風の吹く日、それこそどういう風の吹きまわしか、私にたこを作ってくれたのです。からかさの骨を2本使った長崎のハタだこを正方形にしたような簡単なソーシキだこでした。手作りのたこの絵も字もかいていないまっしろなたこのことを子どもたちはそう呼んでいたのです。

(下の絵は表紙にある長崎はただこ)

ところが、兄の作ってくれたソーシキだこは、奇妙に頭を左右に振りながら、すいすいととてもよく上がっていくのです。久方ぶりに兄が相手をしてくれた嬉しさと、たこの上りの良いのとに、私はたいへん大喜びで、どんどん糸をくり出しました。たこは土手を越えてひろい日野川のはるかかなたにふらふらと小さく白く上がってゆきました。ところが、たぐり出していた糸の最後が、糸巻きにしばってなかったので、あっといったときには、もうたこは川向こうにくらげみたいな格好でひらひらとおちてゆきました。涙いっぱいの私をあとに、兄は自転車に飛び乗り、村国橋を大回りして追いかけました。目をさらのようにして向こうの土手をみても、数百メートルの川向こうには兄の姿もたこの影も、いつまでたってもあらわれません。待ちくたびれた私は、ひとりとぼとぼと向こうの土手に行ったものの、やはりたこもなければ兄の自転車も見つかりませんでした。もう悲しさがいっぱいになったとき、見知らぬ若い人が、「坊や、たこをとばしたんだろ?」と私の顔をのぞきこみました。こっくりすると、ほらそこにあるよと示し土手の草に、糸の先が結んであって、白いソーシキだこがさっきと同じようにちいさく冬の田の上を泳いでいたのです。

それからひとりでたこをおろして家へかえると、さがしくたびれた兄が、どうしてあえなかったのかなあと言いつつ、私のこんがらかした糸を文句を言いながらきれいにといてくれました。

たこというとき、私にとってはこの事件がいつも心によみがえってきます。それ以来このたこは私の得意の科目のひとつとなりました。もちろん、トラをかいたりノラクロをかいたりしてソーシキだこにはしませんでしたが、この独特な頭のふり方で上がるこのたこは、私にいつも兄とのぞきこんだ若い人を思い出させてくれたものです。

『たこ』は1975年 福音館書店より「かがくのとも」として刊行され、その時の折込付録には、加古による「たこ たこ 上がれ」と題する文章がありました。前半は、幼い日の忘れ得ぬ思い出が綴られ、後半はこの科学絵本に関してのいろいろが書かれています。後半をご紹介します。

「たこ たこ 上がれ」加古里子

なんでもたこに

こんどたこの本をかかせていただきながら、いつも私の頭のすみにはこのソーシキだこがちらついていました。よっぽどこのソーシキだこをと思ったのですけれど、私は思い切ってこのソーシキだこの亡霊をふりきり、新しいグニャグニャだこを紹介することにしました。その理由はふたつありました。

その第1は、ともかくたこというひとつの形や格式があって、それにのっとっていないと上がらないのではないかとか、みんなが見上げて注目されるのにはずかしいという気がつきまとっていてーーーこれは小さな子供の方がというか、子どもでさえというか、ともかく気をつかっていることを払拭したいと考えたことです。どんな形のものでも、どんな材料のものでも、どんなにまがり、どんなに凹凸があっても、風を受けて浮ぶに足る面積があるなら、すべてのものはたこになりうることを知っていただきたいと思ったからです。

すでに、こうした考え方に立って日本でも外国でも、様々な形態と機能を持ったたこが作られています。私の今考えているのは、「骨なし糸目なしのたこ」と言うものです。それを作ってあげるには、時間の余裕がほしいところですが、残念ながらそれがつくれないまま、きっと今にどなたかがそれを先に発表されることでしょう。

さてもうひとつの理由は小さな読者にも揚力とか後退角とかの説明でなく、しかもごまかしのないたこの上がるわけを知って欲しいと考えたからです。その途中の産物として、前記した「骨なし糸目なしたこ」が出てきたわけですが、目に見えぬ空気の流れと、その濃淡や早い遅いことの差からくる上がるわけを、実現的に知ってもらういろいろな試みをこれからも心がけていきたいと考えているところです。

じっと機をうかがえ

さて最後にこのたこを読んでつくって遊んでいただく際、ひとつふたつの御注意とお願いを記しておきます。

そのひとつは、タコを作るとき、できるだけ丈夫で軽い材料を選んでいただくとよいということです。グニャグニャだこの場合、プラスチックシートは、いわゆるビニール風呂敷やトイレットペーパーの袋や壊れたプラスチックかさなどを使ってみましたが、いちばんてがるでよかったのは、プラスチックごみぶくろでした。それに骨は竹から切り出し小刀でつくっていただくのがいいのですが、もしなければ学校のそばにある文房具店や模型屋で、竹ひごを求めてください。それもないときはどうする、といわれる方がきっとおありだと思いますが、昔の子どもたちが皆そうであったように、カラカサのこわれるのをじっと何年もまちつづけていたように、そしてだれかの家の納屋にこわれたカラカサがあったときくと、子どもたちは手を変え品を変えそれらをもらうべく涙ぐましい努力を傾けたように、そうした熱意と努力が欲しいところだと思います。この熱意と努力を持ってじっと機をまっているならば、必ず竹ひごをうっている店に巡り合われることでしょうし、程良いごみぶくろをゆずってくださる方も出てくることでしょう。

今ひとつ、たこを上げる際、町の中、道路、鉄道や電線のあるところ、飛行場や文化財の建物や大木のあるところはさけて下さい。種々の事故がおこった場合、当人やその家族だけでなく、多くの人の迷惑になるからです。

さてこうして空高くて上がったたこは「飼い犬の顔は、その主人に似る」という西欧の諺のように「上がったたこの顔はその主人に似る」と私は考えています。こせこせしたり、ゆったりと上がったり、おじぎばっかりしたり、ちょっとよろめいたり、ともかくどうぞ、子どもさんといっしょにたこあげをおたのしみください。

たこ たこ 上がれ
心に 上がれ

7人の子どもたちが次々に楽しむおにあそび。本を読んでいるうちに、いつの間にか自分も一緒になって遊んでいる気持ちになるから不思議です。もう、おにごっこするしかない。
一見すると地味な色合いの画面ですが、そこにも仕掛けがあるようです。

この本は1999年に「かがくのとも」として刊行、その後2013年に「かがくのとも特製版」となりましたが、この度は「かがくのとも絵本」として新たに出版されました。1999年の折り込み付録「遊び世界での子どもの力」をご紹介します。

遊び世界での子どもの力 加古里子

鬼遊び鬼ごっこなどと呼ばれる遊びは、世界中の各国各民族で愛好されているので、その魅力の源を知りたくなり、日本での観察と収集を40年ほど続けてきた末、ようやく次のようなことを知りました。

日本の子供たちの鬼遊びは、大きく3つに分類できて、第1のA型は「逃げる/追う/つかまえる」という基本的な形と、その変型の約100型です。走力脚力の競技なら、その優れたものや年長児だけが楽しいだけに終わるので、いかにその能力差、体力差を埋め、鬼にも逃げる側にもうまいハンデにより拮抗(きっこう)させるか、どういう苦心が、こんなに多くの種類を生みだすこととなりました。大人のゲームにも、ときおりこうしたハンデをつけるやり方がありますが、今月号のなかの「タッチおに」や「つながりおに」のぶくちゃんのような"みそっかす"まで一緒に楽しもうというのは、子どもの世界だけの工夫です。

第2のB型は、小石・木片・なわ・ボールなどの道具を用いたり、場所やまわりの状況を利用するもので、約180型あり、今月号にでてくる「いろおに」「はしらおに」「しまおに」などがこのなかに入ります。しかし、場所を使うものでは、高所、階段、コンクリ、手すりや欄干など、子どもたちがいかに狭隘(きょうあい)、劣悪、不敵な遊び場しか与えられていないかを反映していることにも気づかされます。ごく一部の大人の遊びのため、広大な土地を芝生にしたあげく、不良債権で銀行がつぶれる期間、子供たちは文句や座りこみはおろか、ぐちさえいわずわずかな空間を利用していたのが、多数のB型に結実しています。

第3のC型は、数人のグループごとに対抗したり競いあったりする集団のもので、逃げる「どろぼう組」と、追う「警官組」のいわゆる「どろけい」や、他の遊びや遊戯と連結融合したもの約160型です。今月号の「くつとりおに」は、「ひよこまわり」と呼ばれる図形遊びと「くつかくし」が混合したもので、このほか、「花いちもんめ」など歌遊び系も含まれ、多彩です。

以上のように、子どもたちはA、B、Cの3型のなかに自分たちの得た力と意欲をそそぎ、自ら生きる喜びを示しているので、あわせて楽しんでいただければ幸いです。