編集室より

「技術と経済」(1969年12月科学技術と経済の会)より

新聞や雑誌に掲載されたインタビュー、対談や鼎談から加古の言葉を「アーカイブより」としてご紹介します。
今回は1969年10月3日に霞山会館(旧)で開催された鼎談を掲載した雑誌「科学と経済」から、40代の加古のメッセージをお伝えします。

(引用はじめ)
子どもたちの遊びの一例として、グー・チョキ・パーというあそびがあります。このあそびをその昔、グリコ・パイナップル・チョコレートといっておりました。これは今も使われておりますが、グリコは1粒300メートルという有名な菓子の名、パイナップルというのは、台湾の新高山にちなんだ新高ドロップと言う一番うまいドロップの中で、そのまた一番おいしいのはパイナップルであったので、それからとったパイナップルです。チョコレートというのは、当時は私なんぞの記憶では、1年に2〜3べん食べられるかどうかというほどの貴重品だった。すなわち、子どもとってお菓子の三種の神器の名であったわけです。

それが黒兵衛、ベティー、ちょび助となった時代がございます。黒兵衛というのは凸凹黒兵衛であり、田川水泡先生の作品です。ベティはややエロチズムのある漫画映画のヒロイン、それからちょび助は、JOBKから「ちょびすけ漫遊記」という一世を風靡した放送劇がありまして、これも子どものアイドルであったわけです。

それがだんだんと戦雲が激しくなってきたときにどうなったかというと、軍艦・ハワイ・沈没と、こうなったわけです。戦後は、ハロー・ジープ・グッドバイと、いとも鮮やかな転換であるわけです。

今は朝鮮とか、ハワイ、チョコレートとかグリコも復活しています。しかしそのハワイは、軍艦・ハワイのハワイではなくて、フラダンスのハワイだということを子どもは知っているわけです。

ここで私がいいたいのは、子どもたちの遊びというのは強制されたものではない。だれだれ先生ご創案の遊びですといっても、そういう権威であそびが成立しているのではないということです。あそびはおもしろくなければだめです。そのおもしろさがただ一つの標準、基準であって、あとは何ものにも束縛されぬ自由によって貫かれている。そして彼らはこのグー・チョキ・パーの三つにすばらしい時代感覚を示し、同時にクリエイティブな力、創造性を見事に開花させている。軍艦・ハワイ・沈没、これはいけるぞという1人の子どもがたまたま発見したのを、次の子ども大衆が支持し、それが遊びとして成り立っているということ、それから子どもあそびは、なにものよりも子どもたちの生活に密着しているということです。ここに遊びの純粋な真髄みたいなものがあると思うわけです。
(引用おわり)

上の絵は『いろいろおにあそび』(1999年福音館書店)より。
冒頭の絵は、じゃんけんのあいこの時の愉快な言葉がでてくる『はれのひのおはなし』(1997年小峰書店)。
『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)には、小学生だった加古が描いた黒いうさぎの黒兵衛の絵が掲載されています。

今回ご紹介部分は以下の記事で触れていただいています。

1969年 技術と経済 「あそび」

じゃんけんに関しては当サイト2022年6月「こぼれ話」にも記載があります。以下でどうぞ。

じゃんけん