編集室より

1993年に農文協から出版された10冊シリーズ 「かこさとしのたべごと大発見」は全10巻の題名の最初の文字を拾うと「ごちそういただきます」となります。食育という言葉もなかった当時に発表されたこのシリーズは異色づくめです。その第1巻を例にご紹介しましょう。

第1に〈食べごと〉という言葉は、加古の造語です。

第2に、カバーに〈食べごと〉という言葉の説明、前見返しには加古による〈この本のねらい〉そして前扉には加古のメッセージがあり、本文の前にはさらに、この本に登場する皿田家7人と2匹の家族紹介を兼ねた〈食べごと〉の風景が描かれています。

後ろ見返しには、あとがきにあたる〈食事は未来への願い〉と題する文があり、なんと目次は後ろ見返しにある、といった構成です。どれほど加古の思いがこめられ語られている本であるかが、このような珍しい構成からも想像できます。

第3に、本文はというと、お料理の本かと思うほど美味しそうな食べ物と作り方が書かれ、その美味しさを紹介する文章もふるっています。

(表紙には、美味しそうな料理と皿田家のメンバーと思しき人形が写っていますが、この人形は紙粘土を使った加古の手作りです。)

第1巻は、日本人の主食お米についてで、米という漢字は八十八と分解できますが、それはお米をつくるのにそれほどの手数がかかっていることを、上の写真にあるように前見返しで図入りで説明しています。
次にある〈この本のねらい〉をご紹介します。

政治的なおコメを親しい食品に

(引用はじめ)
これまでともすると米食は欧米他国との対比で栄養やビタミンがどうの、低脂肪がダイエットに向くのと論ぜられてきました。また、コメは五穀最高品、貴族上流人の優良食物であったがために、財宝経済の尺度単位となり、次々と権力者により専断利用管理され、時に軍事物資となり、時に貿易摩擦の対象物となってきました。

このようにきわめて社会的政治的食物物資として、真の姿が曲解され続けてきたのがおコメです。この巻は、その米飯を純粋に、素直に見直し、この日本列島の風土にふさわしい食品として身近な親しい人間の食物としてゆったり楽しんでいただこうとしてできた本です。
(引用おわり)

さらに、本文の前には著者の以下のようなメッセージがあります。

この本でのあなたの発見!

(引用はじめ)
もしあなたが学校の先生なら、2-3ページの一升のコメ粒と人の一生の日数を確かめるため、生徒を煽動(?)して数えさせるでしょう。あなたがお母さんなら、14ページの創作どんぶり飯2つや3つをたちどころに思い出すでしょう。あなたが、お父さんなら、6、8ページのみそと、なっとう、30-31ページの甘酒とどぶろくのつくり方の奇妙な関連と誘惑に心引かれることでしょう。
そしてあなたが子どもなら、この本にのっていることぜんぶに、かたずををのみ、よだれをかみころして、きょうみをいだくでしょう。この本は、あなた心と体に役立つそんな、うんまい、おいしい発見があるでしょう。どうぞゆっくり召し上がってください。
(引用おわり)
(下は15ページの親子どん、鉄火どんの絵)

本文の最後には、〈ハレの日にも、ふつうの日にも〉というタイトルのもと、著者がこの本で言いたかったことをまとめ、あとがき〈食事は未来への願い〉へと続きます。

食事は未来への願い

(引用はじめ)
この本には私は次のような願いを込めました。
その1) 米飯時に主食と呼ばれる大きな食品の柱ですから、ただおいしいから食べ、あるから食べるのではなく、食物や食事に対する基本の姿勢、なんのために食べ、ない時はどうするか、なぜそんなにして生きるのかを、お説教や教訓話としてではなく、生活態度として貫いていただきたいということ。

その2) コメやご飯に関することは、教育や科学と同じように毎日の実践実行により、実物が提示され、その結果によって、正しさや良さを認めてゆくということ。

その3) 食事をするという事は、未来への期待、将来への希望を持っているということですから、実生活に起こる様々な悩み、苦しみ、なげき、グチ、苛立ち、怒り、悔しさ、恨みなどは、それ以外の時に解決を図り、食卓は心豊かな楽しい時間で過ごしたいこと。

この本により豊かなあなたの食卓にさらに新しい発見が添えられることを期待しています。
(引用おわり)