編集室より

私たちが知っている元素記号の周期率表はロシアの化学者メンデレーエフが作ったものが元で2019年には150周年が祝われました。

『なかよし いじわる元素の学校』(1982年偕成社)によると、メンデレーフ(1834年〜1907年・下)は「14兄弟の、勉強ぎらいの末っ子。母の死をきっかけに勉学に励み、1865年ペテルスブルク大学教授となった。当時、帝政ロシアが禁じていた女子の講義の出席をゆるすなど、進んだ考えの持ち主でした。」

このメンデレーエフとほぼ同時代、ドイツのマイヤー(1814年〜1878年)は、元素の大きさ(原子容)と重さ(原子量)を比べ表にしてみて「つぎつぎおしよせる波のように、上がり下がりしながら、そのはばが、しだいに大きくなっていること」、つまり「周期をもっていることにきづいた」と同著にあります。

マイヤーの肖像とその「山また山、大波小波のくりかえし」の様子を1869年及び1884年にマイヤーが発表した論文に基づいて加古が作成した図(下)が描かれています。

「とんがった山のところは、軽い金属の元素、谷のところは重い金属の元素、山の登るところは、液体や気体になりやすい元素があり、とけにくい元素や液体になりにくいものは、山からおりるところにある」ということがわかったのです。

そしてそれを印象づけるために、なんと、かこは北斎の富嶽三十六景と広重の東海道五十三次の浮世絵を模写で登場させています。なぜ、この二人なのかといえば、それはこの二人がマイヤーと同時代に生きていたからなのです。

日本人なら一度は目にしたことのあるこの2枚の浮世絵を周期表と組み合わせることにより、マイヤーとその功績がより身近なものに感じられ記憶に残ると言うわけです。いやはや、これは、まいった!