編集室より

1964年の東京オリンピックの頃は、台風は秋にやってきてその後は涼しい空気に入れ替わりすっかり秋が深まる、という感覚でした。しかし、現在は地球温暖化のせいでしょうか、今年は早くも台風が日本列島に上陸し大きな被害をもたらしています。


『たいふう』(1967年福音館書店)は、まだ気象衛星による情報がなく富士山頂のレーダーや定点観測船や飛行機による観測に頼っていた頃の制作です。日本列島に近づく台風とそれに対応する人々の様子を伝えます。被災状況を伝えるカメラマンの姿、そしてそのカメラがとらえた映像がテレビ局のアナウンサーの背景に大きく映し出されています。実はこのようにアナウンサーの後ろに映像を出すことは当時は一般的ではなく、やがて広まっていくのですが、海外ではすでにこのような放映スタイルでしたので、いち早く加古は取り入れたのだと語っておりました。
なぜこのような絵本をつくったのか、あとがきともいうべき著者の言葉をお読み下さい。

小さな台風の絵本 加古里子

(引用はじめ)
私は、今まで台風を主題にして、4度作品を試みました。1度は童話、1度は記録画、1度は詩、そして、紙しばいです。今度の絵本では、全く今までとは異なった、新たな意図をもって作りました。

その第一は、台風のこまやかな現象の絵ときや、知識の断片を提供するのではなく、台風とはどんなもので、どこからどこへ行き、何をするものかといことを、大づかみにでも1本の柱として、えがきたいということです。

そこで、この「たいふう」では、現象としては空気のうずであり、形としては雲と雨のかたまりであり、感覚的には強い風雨の台風が、生まれ、育ち、発達し、最盛を経て、衰え消滅する生涯を、法則ある自然現象の1つのサイクルとしてえがきだすようにつとめました。

そのために第一場面から第13場面に至る流れを、台風の成長過程に伴い、時間の推移、状況配置の変化、それに応ずる機能活動の様々な様相をもってあらわし、1つの始めと終わりを結ぶみちすじとして表現するようにしました。

これらの各場面の地理的配置を表紙に記しておきましたので、どうぞご覧ください。

今1つの意図として、自然現象としてだけの台風ではなく、地球に発生する年間約60と言われる熱帯性低気圧のうち、約半数近くの通り道に当たっている日本と言う国の宿命的な特殊性を、そこに住む人々と生活との関係で描きたいと念じたことです。

台風を軸として、そこに展開される海上、離島、港湾、都市、村落、平地、山間など、各地各様な人々とその生活活動を、感情と現実性を持って展開したいと考えました。

その中では、単におそろしいもの、こわいもの、対抗できないものとしての台風ではなく、むしろ、それに工夫を重ね、協力し、それに雄々しく立ち向かってい前進的な人間のすがたを、できるだけうきぼりにしたつもりです。各場面に登場する児童の姿をかりて、あるいは柿の実の赤味や、にわとり、赤とんぼの姿に親近感と詩情をちりばめながら、あかね色に染む夕やけ空に、健康で幸福なあすの社会、未来の姿を予見したいと思いました。

作者の意図が、どこまで的確に達せられたか、ご批判いただければ、さいわいです。
(引用おわり)


この言葉から半世紀が過ぎた今日では予報や警報の伝達方法は進化しましたが災害がなくならないのが現実です。著者が願ったような「健康で幸福な社会」は、果たしてどれくらい実現しているのでしょうか。

(上の写真は裏表紙。メガネの予報官の左にある雲と雨のマークが台風発生地点、船、飛行機はそれぞれの観測地点を表す。冒頭の表紙絵には、測候所、灯台、堤防が壊れた所が示されている。)