ご挨拶

今年も多くの皆様にお世話になりありがとうございました。十大ニュースではありませんが、たくさんの初めてがあった2019年を振り返ります。

初めての詩集『ありちゃん あいうえお(講談社)出版

大正15年に生まれ昭和、平成を生きたかこにとって、かこさとしの名前で出版する最初の詩集のお話をいただいたのは、亡くなる直前でした。

いつ何時でも言葉を探し、拾い集め、楽しんでいた、かこの「あいうえお」は小さなお子さんが耳で覚えてしまい、わざわざ「あいうえお」を覚えさせなくても大丈夫との反響をいただきました。読み聞かせ、読み語りの第一歩におすすめです。

孫が可愛くて仕方ない「おじいちゃん」の気持ちを書き留めた詩は、あなたの心にどのように響くでしょうか。

初めての全国巡回展・公式図録

かこの存命中から打ち合わせをしていた全国巡回展をいよいよ始めることができました。
3月、生まれ故郷の福井県越前市を皮切りに夏にはひろしま美術館、そして秋、大丸ミュージアム京都を巡り、大勢の皆様がご来場、熱心にご覧くださいました。2020年は、八王子市夢美術館、松坂屋美術館(名古屋)をはじめ各地を巡る予定です。

初めての美術番組 NHK「日曜美術館」

多くの教育番組やニュースに登場させていただいた、かこですが「日曜美術館」に、しかも美術というより科学に関しての生命図譜(上・撮影スタジオにて)に焦点を当てて取り上げていただくという大変ユニークな構成となりました。

ユニークといえば、NHK「サラメシ」で思い出いっぱいのお弁当が紹介されたのも今年でした。

初めてのDVD発売

2018年にNHKで放映された「プロフェッショナル」がDVD化され発売されました。かこ史上初めてのDVD発売です。特典映像として番組の中で登場した『みずとはなんじゃ?』が出版された時のニュース映像も入っています。

初めての、かこのいないお正月

2019年の年頭は、新年の晴れやかさも遠い世界のことのようで加古総合研究所では『かこさとしの世界』のための写真撮影が進んでいました。例年なら、床の間にお正月飾りをしつらえ、お屠蘇で祝い記念写真を撮影するのが元日の慣わしです。それは叶いませんでしたが、こうしてこの一年、初めてのいろいろなことができたのは、かこさとしの作品を愛してくださる多くの皆様のおかげです。この一年を振り返り心より感謝もうしあげます。どうか皆様、佳き新年をお迎えください。

秋のお彼岸が終わりました。

今年の春のお彼岸には関東地方では季節外れの雪が降り、芝生や満開の梅に積もった雪を見て一句捻っていた加古でした。ちょうどその日は、小峰書店の編集者さんが『みずとはなんじゃ?』について打ち合わせに来られ、その編集者さんの担当だった『子どもの行事 しぜんと生活 3がつのまき』(2013年小峰書店)の彼岸のページを開いて雪景色を眺めながら思い出話しをしておりました。

そして2018年秋の彼岸9月23日に、加古は墓所の中に収まりました。生まれ故郷、福井県越前市の引接寺(いんじょうじ・上)です。15世紀に建てられたこのお寺は、京町という風情のある一角にあり、武生(たけふ)駅や「だるまちゃん広場」などがある武生中央公園から歩いて行ける所です。

山門を入って左側の一番奥、本の形をしているのですぐにお判りになります。(上)
山門の右側奥には、加古が通ったこのお寺の幼稚園、丈生(じょうせい)幼稚園(下)があります。

加古は特定の宗教を持っておりませんでしたが、お寺のご好意で、故郷のゆかりあるお寺で眠らせていただくこととなりましたことを謹んでご報告致します。

かこさとし公式ホームページをご覧いただきありがとうございます。

かこさとしは今年3月に90歳を迎えました。直接皆様にお目にかかりお話することは、なかなかできませんが、ホームページで少しでもかこさとしとその作品について知っていただけたらと考えております。

かこさとしは1926年(大正15年)に現在の福井県越前市で生まれ、幼少期を豊かな自然の中で小魚やトンボを追いかけて育ちました。かこはこの頃の遊びの体験がかけがえのない貴重なものだった、と述懐しています。

小学校に上がると文章を書いたり絵を描くことが好きになり、東京の高校に進学すると国語の先生が俳人、中村草田男だったこともあり、俳句や詩にも興味をもつようになりました。里子(さとし)という名前は本名(哲=さとし)から取ったその時の俳号です。

その後、かこは東京大学工学部へ進学しますが、時代は戦争一色となり、授業どころではない状況となります。終戦をむかえた19歳のかこさとしは、食べるものもない焼け野原で物質的な貧窮のみならず、戦前からの価値観の大転換に大きな戸惑いを覚えたといいます。これからどうやって生きてゆけばよいのか、何を信じてゆけばよいのか、大いに悩んだかこは、答えを求めて大学でも工学部以外のいろいろな学部の授業に潜り込んでは授業を受け、その答えを模索する毎日を送っていたといいます。

大学卒業後は、専門である化学のメーカーに就職するもセツルメント活動に積極的に参加するようになりました。セツルメント活動とは大学生らが中心となり労働者地域で医療、法律相談をまた子供たちには教育のボランティア奉仕をするものです。給料の3分の1を使って幻灯、紙芝居、絵の指導、新聞作りなど20年間にわたり続けました。(それ以外の3分の1は仕送り、残りの3分の1で自分の生活をしたといいます)

その間、数多くの子どもたちと接することで、かこは多くのことを子どもたちから教わったといいます。この体験が元になり、47才のとき会社を退職して、未来を生きる子どもたちのために、その後の人生を歩むこととなったのです。

かこが長年にわたる子供と接する活動から得た教育的な持論は、子どもというものは自ら生きようとする生き物である、そのために自分たちで遊ぶ力をもっている、子どもは理解できれば自ら意欲をもってすすんで賢くなれる力がある、というものでした。

専門の応用化学分野で博士号も持ち、科学者の目も持つかこさとしの著書は、絵本や物語にとどまらず、自然科学(かわ、海、宇宙)建築・土木、歴史、さまざまな遊び、食べごと、四季おりおりの文化、地域資源などを融合した独自の視点と世界観を持つもので、子どもたちのいろいろな好奇心を満たすべく幅広いジャンルに及びます。また、内容的にも20年後、すなわち、子どもが大人になったときでも通用する専門性の高い、本格的なものです。

子どもにとっての遊びの意味を見つめ、健やかで賢く心豊かな子どもの成長を願ってやまぬ気持ちを冒頭のメッセージに込め、高齢の現在も、僅かな視力を頼りに19歳の決意を全うする日々を送っています。