作品によせて

2019/12/05

年賀状

いよいよ年賀状の準備をしなければ、という季節になりました。昭和、平成、そして令和と時代はかわってもお正月に年賀状を手にするひと時は嬉しいことにかわりありません。

配達してくださる方々にはご苦労ですが、そんな話題が出る頃にお子さんたちに読んでいただきたいのが『ゆうびんです ポストです』(2017年復刊ドットコム・上・下)

ポストに投函された郵便物が様々な交通手段で遠方に届く仕組みが小さなお子さんにもわかる絵本です。この本の終わりの方で、おとうさん、お母さん、お兄ちゃんに宛てた年賀状が妹のさわこちゃんから届くくだりがあります。加古は年賀状をお出ししていた若い頃、自分への年賀状を出してどのタイミングで到着するのかを調べていました。

『ことばのべんきょう 2くまちゃんのいちねん』(1971年福音館書店)の12月、消防活動の脇に赤いポストがあり(上)、1月くまのおとうさんは掛け軸の前で年賀状を読んで(下)いい表情です。

『こどもの行事 しぜんと生活 1月のまき』(2011年小峰書店・下)には、「年始まわり」にかわって明治時代から年賀状が、そして「きんねんではでんわやメールであいさつをすることもあるようです」とあります。

さてさて新しい時代、どんな年賀状にしましようか。郵便局では昨年に続き、えほん年賀状で今年は「からすのパンやさん」の図柄を販売しているようです。

子どもさんが読む絵本をつくるとき、それが科学絵本であれ、童話であれ、わかりやすく伝えることに、かこは腐心していました。これは、かこに限ったことではなく、言葉で表現する際、多くの人がすることでしょう。

「子どもさんの理解の輪の中で」という表現をかこは好んで使っていました。子どもさんたちに身近なことから始め、理解できる範囲を少しずつ広げ深めながら丁寧に説明していけば一見難しく見える事柄でも理解できるようになるという考えです。したがってその時には、子どもでも知っているやさしい言葉を使うことになります。

ところが、かこの私信では、あるいは大人向けの文章では、全く違う言葉使い、文体となります。一体どんなものかというと『14歳の世渡りシリーズ 世界を平和にするためのささやかな提案』(2015年河出書房新社)をお読みいただければすぐにわかります。

この本には22人の提案が収められているのですが、かこは「10代諸氏への委任状」という題で5つの提案をしています。5ページほどですから分量としては、ささやかかもしれませんが、濃く重い内容です。

「10代は最も清新な、穢れ・汚濁・塵芥に染まぬ人間の有意義な境地なのだから、ひるむ事なく同志としての呼びかけを記述する事にした。」
と述べ、4番目の提案では

「これ迄の戦争戦乱の裏には、資源、交易、市場等の経済情勢が関係しており、資源、エネルギー、食料等の再生循環は限界に拘わらず、今猶各国政府は経済第一に固執し、それがまた前記の飢餓と人口問題を更に悪化させている。」と書いています。

そして5番目の提案のあと、最後にこう結んでいます。

「私が10代の折、未熟独断妄想のまま軍人を志望した後悔贖罪の為、20歳以後密かに求め歩んできた事項で、60年の微力活動も未達となっているもの。次世代の同志への遺言的委任状なのである。健闘を祈るや、切。」


14歳も一人前の人間、という認識があってのかこの提言を受けとめていただければと思います。

本屋さんの棚にクリスマスコーナーができて、『だるまちゃんとうさぎちゃん』が並べられているのを見かけました。

この本や『マトリョーシカちゃん』は雪の場面がありますのでその連想ですね。

2019年秋、装い新たに白泉社から刊行された『サン・サン・サンタ ひみつきち』(上・表紙、下は裏表紙)は、クリスマスの朝にプレゼントが届く訳をお子さんにも納得いくように語る夢あふれる物語です。プレゼントのおもちゃは、実はリサイクルによって作られたものというところが、リサイクルやエコという言葉が使われるずっと前からリサイクルを心がけていた、かこらしい発想でもあります。

この本は「コドモエ」12月号〈ページをひらけば ほら、クリスマス〉コーナーでも紹介されています。

クリスマスツリーを飾るのは場所もとるし手間も大変という方、この一冊を飾ってみてはいかがでしょうか。

越前市のだるまちゃん広場では今年もクリスマスイルミネーションが始まりました。図書館脇にあるもみの木は、『きれいなかざり たのいまつり』(1987年 福音館書店)をイメージして植えられています。

この本はクリスマスツリーの根から木の先端までを飾る様々なものが描き出されていて全場面がつながると高い一本の見事なクリスマスツリーにるようにできています。

『かわ』が横に伸びるのに対してこれは縦に伸びる一冊の絵巻じたてできるのです。来年の今頃には絵本として復刊されていることを願ってやみません。

『きれいなかざり たのしいまつり』の最後をご紹介します。
(引用はじめ)
あなたに しあわせ くるように いのって このひ すごします
こころ ゆたかに やすらかに ほしふる よるを すごします
(引用おわり)

災害の多い今年でしたが、どうか心豊かにやすらかにお過ごしください。

「うみにうまれ いのちをつなぎ」大中恩作曲 かこさとし作詞

『パピプペポーおんがくかい』(2014年偕成社)では、いろいろな動物たちが、次から次へと歌や踊りを披露する楽しい音楽会が繰り広げられます。その最後の演目「うみにうまれ いのちをつなぎ」の言葉に作曲家大中恩(めぐみ)先生が曲をつけて下さり、その楽譜がカワイ出版より刊行されました。

実は、大中先生とかこさとしには不思議なご縁がありました。長くなりますが、お読みいただけたら幸いです。

かこさとしが大学を卒業する直前、大学近くに住む小学生を招待して「夜の小人」という三幕の童話劇を上演しました。演劇研究会のメンバーだったかこが脚本を手がけた最初で最後のこの劇を大学一の大きな教室で演じたのは、もちろん演劇研究会の仲間でした。この劇には踊りあり合唱ありで、演出、踊りの振り付け、舞台装置、衣装デザインなどもかこが担当しました。ただ、劇中歌の作曲は、大中恩先生にお願いしました。

大中恩先生は当時、かこが住んでいた板橋区の高校で音楽を教えていらして、その学校の演劇部の舞台装置や衣装デザインのことで、かこがお手伝いをする機会があったのがご縁で知りあったそうです。恩先生のお父様は島崎藤村の歌詞で有名な「椰子の実」を作曲された大中寅二先生で、恩先生ご自身ものちに「犬のおまわりさん」や「サっちゃん」をはじめ多くの名曲を作られました。

話を「夜の小人」に戻します。大中先生はこの上演にあたり、合唱団を連れて来てくださり前日に大学近くのお寺で練習したそうです。このことは2016年秋、不思議なご縁で大中先生がかこを訪ねて来てくださった時に先生から直接伺いました。

2016年のこの訪問で、大中先生とかこは、70年近い時を経て再会することになったのですが、そのきっかけはこうでした。夏の終わりのある日、かこにNHK特報首都圏の番組スタッフから一本の電話がかかってきました。同世代の作曲家の方に歌詞を提供してもらえないか、という内容でその作曲家は。。。と説明が続きましたが、大中先生の名前が出るや、かこは「存じ上げているので喜んで」と即答。まさか過去にこの二人に接点があったとは、電話をかけてきた方も思いもよらない事でした。

程なくして、腰痛のあるかこのために2歳年上の大中先生が御奥様とともに会いに来てくださいました。かこはいつ用意したのか大中先生への色紙をしたためておりました。そして大中先生は、御奥様が見つけてくださった、かこの公式ウェブサイトの冒頭にあることば「こころとからだ よりたくましくあれ よりすこやかであれ よきみらいのためにー」に曲をつけてきてくださったのです。御奥様の歌声でご披露していただき、尚更大感激で、70年の空白があっという間に埋まり旧交が深まりました。

絵本『パピプペポーおんがくかい』(偕成社)の最後の場面(上)、いろいろな動物たちが次々にステージで歌った後、全員で歌う「うみにうまれ いのちをつなぎ」で始まる詞に大中先生は心ひかれるとおっしゃり、曲を作ってみましょうということになりました。このやりとりの一部が「特報首都圏」で放映され、その番組でこの曲の完成を知りました。番組スタッフは曲が放映直前に出来上がっていたことをサプライズにしようとかこにあえて連絡しなかったと後で聞きました。とにかく、テレビの前で曲を聴きかこは相好をくずしておりました。

『うみにうまれ』の曲はその後2017年9月30日、大中先生の指揮で先生の合唱団「メグめぐコール創設20周年記念演奏会」のフィナーレとして発表してくださいました。思うように動けないかこに代わり筆者がこのコンサートに伺い大中先生にご挨拶したのが、先生にお目にかかれた最後となってしまいました。翌年2018年5月にかこが、そして12月に大中先生がこの世を去りました。

再会を喜んでいた二人の不思議なご縁でうまれた2つの曲が、2019年9月1日に楽譜になって出版されました。歌曲集「アマリリスに寄せて」に「たくましく うつくしく すこやかに」と「うみにうまれ いのちをつなぎ」が収められ、また後者はピースも発売されています。90代の二人の「魂の交流」によって遺された音楽に親しんでいただけたら、と願っております。

八月尽、聞きなれない言葉かもしれません。八月最後の日のことで、かこさとしはこの日に特別な思い出を持っていました。

高校2年生になったかこは寮に入り軍需工場で奉仕労働をする日々で夏休みもなく、ようやく久しぶりに帰宅した夏の終わりに思いもかけないことが次々と起こります。富士登山で危うく遭難一歩手前で難を逃れたものの「夏休みの計画のすべてがむなしくきえたくやしさ」と「ただならぬ戦争状況のいりまじった、あつい夏のおわりの思いは」生涯消えなかったようです。

『こどもの行事 しぜんと生活 8月のまき』(2012年小峰書店)に描いています。(上)また、2013年『中央公論』9月号にも「人生最悪の夏休み1943~2013年」と題したイラスト入りのエッセイで語っていますが、これは『別冊太陽 かこさとし』(2017年 平凡社)に転載されています。(下)

当時の国語の先生は、尊敬していた、俳人中村草田男で、その句に次のようなものがあります。
「八月尽の赤い夕日と白い月」

かこのような強烈な思い出ではなくても、夏休みの最後には、ああすればよかった、こうしておけば、という反省や後悔が誰しも沸き起こってきます。そうならないように過ごせればそれに越したことはないのですが、反省をすることで、改善したり自らを戒めたりしてこれが助走となって前進できるのなら、それはそれで意味があるでしょう。

2019年8月21日、北海道新聞〈異聞風聞〉「後出しの夏、忘れない」では、かこさとしの『遊びの四季』(2018年復刊ドットコム・下)から、じゃんけんの優れた点と有効性を見抜いたこどもの力に触れ、「大人が子ども時代の心情と感覚を思い起こすことは、大人として大人がしなければならない真の道をみいだすことにつながる」と引用して、子どもたちの世界では仲間の尊敬や信頼を得られない、後出しじゃんけんのような夏を忘れない、とありました。

兎にも角にも、8月尽。今年も残すところ4分の1です。

2019/06/10

富士山

加古が富士山を初めて目にしたのは、生まれ故郷福井県越前市から東京へ転居する車中、小学2年生の6月10日、1933(昭和8)年のことでした。「6月10日、時の記念日に東京に引っ越した」とよくその日付を口にしていたように、その日は忘れられないものだったようです。それもそのはず、この日に加古は絵を描くことに目ざめたのでした。

小学校卒業時の絵日記『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社・上)には、上京する車中で父親から絵の手ほどきを受け、窓から見える「富士の雄姿を見ては自らどうかしてあのようなよいものを紙の上へうまくあらわそうと思った。」とあります。

中学校に入って山梨に野営に行った時、板に描いたのも富士山(上)でした。野営というと今風に言えばキャンプですが、自然と親しむのが目的ではなく、戦争の足音が近づいていたこの頃、運動会は張りぼての戦車の脇で訓練の様子を披露していた時代ですから、体力強化の鍛錬が目的だっとと思われます。生徒全員が絵の道具を持って行ったのか、残念ながら今となってはわかりません。

加古が絵本を描くようになってからは『こどものカレンダー4月のまき』(1975年偕成社)で葛飾北斎による富士山の浮世絵多数を模写で紹介しています。これらの絵と前述の板絵は6月15日から、ひろしま美術館で始まる展示会で初公開いたしますので、ぜひ間近でご覧下さい。

富士山といえば、もう一冊忘れてはならないのが『富士山大ばくはつ』(1999年小峰書店)で、この前扉にも歌川広重や北斎の浮世絵の模写が描かれています。富士山を科学的な視点で描きながらその美しさの秘密は火山であることを伝え、その自然の様子を植物、動物、気象など様々な角度から浮かび上がらせています。さらに、人々との関係も伝え、加古のいうように総合的にとらえている科学絵本です。その見方は冷たい客観性ではなく、多くの人々にこよなく愛される富士山の魅力を伝えたいという加古の気持ちがにじみ出ているものです。

2019/04/14

モグラ

日差しが強くなり地上で活発に動く生き物たちに目がひかれる時期ですが、地中で冬眠することもなく暮らしている最大の生き物がモグラです。ミミズや昆虫の幼虫などを食べ、自然環境のバロメーターともいわれるモグラを加古作品の中に探してみます。

『モグラのもんだい モグラのもんく』(2001年 小峰書店)は、モグラの生態、日本の農業とモグラの関係、「とおかんや」や「いのこうち」などの行事の紹介、世界の歴史の中で見る農業の変遷と問題点を、あまり馴染みがないゆえに誤解されているモグラにかかわる様々な点を軸にしながら考える、かこさとしならではのユニークな構成、展開の科学絵本です。

地中に巣やトンネルがあり、同様にトンネルをほるネズミの悪さがモグラのよるものと誤解されていることが多いのだと詳しく説明されています。『地球』(上・1975年 福音館)でも、そのネズミとともに描かれています。

土をほる、といえば『あそびの大星雲 1 ひみつのなぞときあそび』(下・1992年 農文協)の地下鉄工事のシールド掘削機の説明の場面、地上近くの部分に描かれています。

動物好きのかこですから、デビュー作品『ダムのおじさんたち』(1959年福音館/復刊ドットコム)にも、モグラが登場です。ドリルで岩を砕くおじさんたちと一緒に石運びを手伝うウサギやリス、カブト虫やてんとう虫、カニに混じって下の画面右端にいます。

科学絵本『あなたのいえ わたしのいえ』(1969年 福音館)では、家が家たる条件の一つ、床があること、の必要性を説く場面で、モグラが顔を出します。

『にんじんばたけのパピプペポ』(1973年 偕成社)では、よぼよぼもぐらどんが、にんじんを食べたおかげですっかり元気になりーーー

その続編『パピプペポーおんがくかい』(2014年 偕成社)では、ねずみのチマちゃんや、りすのトンちゃんたちと一緒に元気いっぱい大縄跳びをしているモグラに声援を送りたくなります。

皆さんの周りでモグラの痕跡を見かけることはありますか。それは豊かな自然がある証拠なので是非、まずは『モグラのもんだい モグラのもんく』に耳を傾けていただけたらと思います。

2019/02/19

コラージュ

今から60年以上前、かこさとしはセツルメント活動で川崎の子どもたちに毎日曜日、紙芝居を見せたり、行事にまつわる催しを楽しませたりしていました。七夕飾りを作ろうとしたところ、ハサミをうまく使えない子どもたちの様子に、これはいけないと早速ハサミを持たせ色紙を丸く切り抜くことをさせました。その紙は、現在の一般的な折紙よりも厚く上等で表面はツルツルして光沢がある綺麗な色で裏は白でした。どこで手にいれたのかはわかりませんが、筆者は幼心にこんなに素敵な紙があることに感動した覚えがあります。

丸い切り抜きのあと、セツルメントの子ども会では、自分の名前を切り抜いてみたり、切り抜いた紙で作品をつくったりということを楽しんでいたようで、今も残っています。当時わら半紙は一枚2円と高価ですから貼り絵の台紙には、セツルメント診療所で使用したレントゲンを入れる黒い紙袋や古雑誌のページを使っていました。またその雑誌を切り抜いてみたりと自由な発想で子どもたちは色々と作っていきました。

コラージュを活用した絵本には『あおいめ くろいめちゃいろのめ』(1972年)『どろぼうがっこう』(1973年、いずれも偕成社)やその続編があげられます。
下は、『あおいめのめりーちゃんおかいもの』(2014年偕成社)の一場面、背景の薄緑色は越前和紙です。

『どろぼうがっこう』の誕生の経緯は、あとがきにありますが、絵本にする時、かこはこのコラージュの手法を背景に盛り込みました。続編のどろぼうがっこうの生徒たちが刑務所できている服はコラージュに更に手を加えた、かこのオリジナル柄です。

お手元に『だるまちゃんととらのこちゃん』(福音館書店)がありましたら見返しをご覧ください。オレンジ色のみのものは旧版で、2018年6月発行の第36刷以降では、前見返しで、とらのこちゃんが、後ろ見返しではだるまちゃんが大暴れ。忍術使いのようにペンキ、はけやバケツが物凄い勢いで乱れ飛ぶような構図。この場面は、2015年、長年見返しに何も描いていなかったことを気にかけていた加古がコラージュで作成しました。動きを表すため、縞模様やドット柄などの白黒の紙を切り抜き、黒の部分が白く、白い部分がこのオレンジ色になるようにしたものです。たくさんのパーツを切っておいて、ピンセットで一つ一つ貼っていました。随分、骨の折れる作業に見えましたが、むしろ楽しそうに仕上げていた姿が印象的でした。

かこが作成したコラージュ作品の代表的なものは農文協の遊びの本にある切手のコラージュによる「モナリザ」です。印刷ではその出来栄えが伝わりにくいのが残念ですが、朗報があります。2019年3月21日から福井県越前市、武生公会堂で始まる(5月12日まで)特別展「加古里子 ~ただ、こどもたちのために~」でこの作品をご覧いただけます。(下はその一部分です。)また、同時に同市ふるさと絵本館では『あおいめ くろいめ ちゃいろのめ』や『あおいめのめりーちゃんおかいもの』の複製原画を展示、コラージュであることがはっきりご覧いただけます。ご期待下さい。

「日曜大工」なんて聞いたことがないという方があるかもしれません。昭和時代の半ばごろまで本棚など小さな家具や犬小屋を素人が余暇に木材をノコギリで切り、釘を打ち付け大工仕事をしたものです。

加古はこの日曜大工が得意でした。戦後間もない頃は絵の額も自分で作ったそうですし、大学の演劇研究会では舞台衣装と装置を担当、設計から製作をしていました。木造平家を建てたこともあるほどですから部屋の四方にぐるりと本棚を吊ることぐらいは朝飯前で、それこそ晴れた日曜日には糸鋸のゴキゴキする音が聞こえてくることがありました。数十年も前のことですから電動の道具はありませんでした。亡くなるまで愛用していたライトテーブルも自作で半世紀以上使っていたことになります。

そんな様子を彷彿とさせるような場面が絵本にも登場しています。『だるまちゃんとだいこくちゃん』(1991年福音館書店)のこの場面。

『からすのてんぷらやさん』(2013年偕成社)では、火事で焼けた天ぷらやさんの再建をからすの兄弟の友だちであるジロくんの仲間がかって出て、お店の再開を後押しします。

大工仕事の道具がずらりと並ぶのは『まさかりどんが さあたいへん』(1996年小峰書店)。ページをめくると次々、まだまだとばかり大工道具がずらり登場して気持ちの良いほどです。

農文協・あそびの大星雲9『のこぎりとんかちのあそび』では数々の遊びに加え、多種多様な専門的な大工道具も紹介(冒頭の写真)。遊びの本ではありますが、あそびの域を超えた専門的な技術も多く紹介されています。下は「ほぞぐみのつくりかた」と「はねきばしの作り方」を紹介するページです。

現在ではDo it yourself からDIYと呼ばれていますが、出来上がるのが何であれ、世界でたった一つのものを手作りするのは、きっと子どもにも大人にも楽しいはずです。木を切るのが大変でしたら紙を切ったり貼ったりコラージュというのは、どうでしょうか。次回はかこさとしのコラージュについてご紹介します。

ヘブライ語は右から左に書くのだと聞いて驚いことがありました。昭和も前半の頃は、日本でも横書きを右から左に書いていましたので、古い看板でクルミだと思ったらミルクだったり、などということがあったものです。これは縦書きの影響かと推測しますが、それにしても縦、横どちらでも書けるのですから日本語は本当に便利です。

加古が小学校卒業にあたり学校で書いた『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)の元になった絵日記の表題も右から左の横書き、本文は縦書きです。

加古作品の本文は、科学絵本は横書き、お話の絵本は縦書きが基本です。ただし、福音館の「こどものとも」は横書きですので「だるまちゃん」のシリーズは横書きとなっています。

一般の新聞が見出しを縦書きにしたり横書きにしたりと自由に使い分けているように『だるまちゃんしんぶん』(2016年福音館書店)も同様です。「ふゆのごう」にある「もじいれなぞなぞ」は縦書き横書きをを利用してできる言葉遊びです。

タイトルと縦書き、横書きの関係はどうでしょうか。
加古のデビュー作『だむのおじさんたち』(1959年福音館書店・現在は復刊ドットコム)は本文は縦書きですが、タイトルだけは横書き。偕成社かこさとしおはなしの本シリーズもほぼ同様で『からすのパンやさん』『おたまじゃくしの101ちゃん』(いずれも1973年)がその例です。

しかし、書名が横書きでも前扉が本文同様、縦書きというものもあります。同じく1973年に出版された『あかいありとくろいあり』や『サザンちゃんのおともだち』がそうです。当時は、こういった文字を現在のようにデザイナーさんが作るのではなく、著者自らが書いていたからなのかもしれません。

縦書きのあるありがたさは背表紙の読みやすさです。
縦書きの方が集中して読める、ということから縦書きが多いと聞いたことがありますが、読者の皆様はどのように感じていらっしゃるでしょうか。

かこさとしが原稿を書く時はどうしていたかというと、縦書きのものは原稿も縦書き、横書きのものは原稿も横書きで書いていました。

『海』では、本文横書き、図は縦横両方ですが、本文がこんな斜めの部分もあります。

かこさとしのライフワークをまとめた『伝承遊び考 1絵かき遊び考』(2006年小峰書店)には次のような図があります。いわゆる「へのへのもへじ」ですが、右側、図29は安藤広重「新法狂字図句画」の模写で「へへののもへいじ」とあり、つまりこの絵描き遊びの最初は横書き、図30は私たちが見慣れている「へのへのもへじ」で江戸の文字絵にあり縦書きです。縦書き、横書きの自由さを昔の人々もこのように利用して遊んでいたというわけです。

「へへのの」と「へのへの」の出現する地域差など詳細膨大なデータとその考察については是非、『伝承遊び考』をご覧下さい。縦書きの厚い本ですが、絵図が豊富で小学生でも充分楽しめる内容です。