「わたしがねむり ねていたとき」(1998年農文協) 〈この本のねらい 〉かこさとし
[かこさとし からだとこころのえほん]という10冊シリーズが農文協から出版されています。初版は1998年ですから20年近く前のことですが、現在でもお子さんはじめご家族で読んでいただきたいテーマばかりです。体の仕組みや働きだけではなく、脳や神経、心の持ち方や大げさな言い方に聞こえますが、人間としての生き方のヒントになるようなことが、平易な文章ですべてひらがなで書かれています。
このシリーズによせて、次のような著者の言葉がカバーには記されています。
(引用はじめ)
なぜ、人間は歩いたり話したりできるのだろう。なぜ嬉しくなったり悲しくなったりするのだろう。子どもの素朴な疑問と悩みを通して、最も身近な存在である自分自身の体と心について、子供の目で見てみつめていく絵本です。
子どもは大人と同じ身体的機能や感情を持ちながら、伝達能力がつたないばかりに行動や感情表現の真意を大人に理解されないことが多いのではないか。
このシリーズは、子どものための絵本であるとともに、子どもから大人へのメッセージでもあります。
(引用おわり)
このシリーズでは、第2巻「びょうきじまん やまいくらべ」と第5巻「おとうさんのおっぱい なぜあるの」(上の写真)のみ文・画ともにかこさとしが担当していますが、他の巻では文のみ、かこです。巻末には綴じ込み付録がついています。
第1巻「わたしがねむり ねていたとき」(1998年 農文協 文・かこさとし 絵・栗原徹)の冒頭にある〈この本のねらい〉をご紹介します。
この本のねらい かこさとし
(引用はじめ)
誕生から死に至るまでの人間の生活時間を分類すると、睡眠に費やされる部分が大きいことに気づきます。「長い生涯」とか「働き続けた一生」であっても、「酔生夢死」とか「あとの半年位寝て暮らす」とか言われるように、人間の生きている実態上、大きな部分を「ねむり」が占めている訳です。
逆に言えば「ねている時」は「目覚めている時」の附属物ではなく、「生きていること」の重要な要素であり、さめている時間帯と共に「生きていること」を分かち合っている、とても大事な時なのだということを、「睡眠」は生きる上でなくてはならぬ、積極的な大事な意味と効用・役目を持っていることを、知っていただきたいのがこの本の願いです。そのねむりを充分とることによって、私たちの体も心も、生き続けることができることを、子どもたちに伝えたいと願っています。
(引用おわり)