編集室より

『絵本作家のアトリエ』全3巻の第1巻の表紙の写真は加古の書斎机から見える風景です。
残念ながらこの本はもう絶版になってしまいましたが、絵本作家さん達の創作現場を拝見してお話を聴く贅沢な内容で、どんな思いで描いているのか、何を伝えたいのかなど興味深いお話が続きます。

加古の話は自作のライトテーブルのこと、小学生の時あんちゃんと慕った年長の子の絵の見事さに感服して弟子入りしたこと、絵本をかくようになった経緯や創作に込めた思いなどを語っています。

中学生時代の思い出の部分を本文よりご紹介いたします。

(引用はじめ)
小学校でも、熱心に絵を教えてくれる先生に恵まれ、幸せな時間を過ごした加古さんだっが、中学校に進む頃には、時代は戦争へと向かっていた。

「親が造兵廠(兵器・弾薬の工場)に努めていた関係で、軍人が家に来たりして感化された面もあるのですが⋯。僕は次男坊だったので、将来は親に迷惑をかけないで、自分でなんとかしようと。一番手っ取り早いのは、軍学校に行くこと。入ったとたんに給料がもらえて、卒業すれば任官して少尉になって。親にも孝行だし、国にも一番いいだろうと。それに向かって体もきたえ、勉強もする軍国少年でした。飛行機の乗りを目指していたんです。模型飛行機も好きでしたから。

ところが視力が悪くなってしまって。懸命に目を良くしようとしたんだけどダメで、受験もできなくなってしまった。

そしたらそれまでは校長はじめ担任も『がんばれ』なんて言ってたのがね、『軍の学校を受験もできないやつは⋯』とこうなってきた。軍人にならなくたって、別に国につくす方法があるんじゃないか。何をそんなに』と思っていたら、他の教師もみんなそうなんだ。それを見て、これまで尊敬していた先生たちにも、猛烈に反抗して。で、しょうがないから理科の方へ行くことにしたんです。

中学時代、一緒に勉強していた連中は、目が良かったせいで、みんな軍に行って。うらやましかったたけれど、それがちょうど昭和二十(一九四五 )年でしょう。特攻が始まっていたんですね。少尉に任官すると、みんな『希望』をとれてね。『随意なんだよ、断っていいんだよ』と言うんだけれど、断ることなんかできなくて。全部、特攻ですよね。二人ばかり残ってますけど、後は全部死んで。

今の時代を照らし合わせると、その時代とまあよく似ていて。『また繰り返しているんだね、懲りないんだね』とちょっとがっかり、だらしがない。なんとまあ、歴史を勉強しなかったか。勉強と言うのは自分を助けるし、周りの人も、国全体も誤りのないようにする、非常に大事なことなのに。」
(引用おわり)