編集室より

童話といえばアンデルセンを思い出す方も多いのではないでしょうか。筆者は幼い頃「マッチ売りの少女」の絵本を見ていた記憶があります。

かこさとしがセツルメント活動を始めた1950年代には、自作のお話の他にアンデルセンの「5つのエンドウ豆」を手描きの絵で紙芝居にして、こどもたちに見せていました。後に童心社を創立することになった稲庭桂子さんと共同脚色、佐藤忠良さんの絵で教育紙芝居研究会から紙芝居を出版しています。

『こどものカレンダー8月のまき』(1975年偕成社)の8月4日のページには、この日亡くなったアンデルセン(1805年〜1875年)を紹介、以下のような場面となっています。

[おうちのかたへ]として次のような文章があります。

(引用はじめ)
アンデルセンは貧しい靴直しの子に生まれ、その上、父も祖父も精神病で、母は字の読めない、不遇な極貧のうちに育ちました。そうした中で、アンデルセンはたゆまず努力して、勉強を続け、詩人、童話作家として知られるようになりました。死んだ時は国葬になり、葬列に、こどもから老人までがつらなったと言われています。
(引用おわり)

『かこさとし童話集⑩』の「はじめに」でお伝えしているように加古はおもちゃの視察にデンマークを訪れたり、家族を連れて北欧を旅しました。

上の絵にある人形姫の像は思っていたより小ぶりでしたが、コペンハーゲンの市庁舎脇にあるアンデルセン像は立派で、家族揃っての記念写真を撮ったのものでした。

加古が描いたアンデルセンの肖像は『あそびの大事典』(2015年農文協・上)にあります。アネルセンはデンマーク語に近い発音です。

「みにくいアヒルの子」はみんなとは違うことで兄弟から仲間はずれにされたり、最後に母親からも可愛がってもらえなくなります。アンデルセンの場合は、本当はアヒルの子ではなかったということで明るい結末となりますが、かこさとしは、たとえみんなとは違っていてもそれを乗り越えるよう母から励まされる物語を作り出しています。

『ぞうのむらのそんちょうさん』(1985年偕成社)はのちに『しろいやさしいぞうのはなし』(1983年全国心身障害児福祉財団)として紙芝居に、さらには2016年に同名で復刊ドットコムより絵本として出版された物語です。乾信一郎先生による象の実話をもとに、加古が創作したもので、白い子象が母親の犠牲によって火事から生き残り、その優れた感覚が皆に認められ、やがて象の村の村長さんになるお話です。


『かわいいきいろいクジラちゃん』(1985年ポプラ社/1985年復刊ドットコム)も同様に黄色いクジラの子が励ましてくれた母を亡くし、色が違うと笑われ、星に願いながら悲しみと孤独、苦しみに耐えるなか、希望の光が差してきます。童話集では②きいろいくじらの物語として収録されています。

加古は小学校2年生の時に故郷から東京に転居し、言葉が違うと笑われたりいじめられた経験がありました。『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)によると、身体が大きく負けん気が強かったのでケンカが絶えませんでしたが、ガキ大将を介抱してあげたり、教室でみんなに絵話をしたり人形劇を見せたりして次第に仲良くなっていったようです。

いじめられたことがありその痛みを知っているからこそ、そして長い間目の病を患いハンデをもって生きていたからこそ、一層こういった物語を皆様に届けたかったに違いありません。