編集室より

『私の子ども文化論』(1981年あすなろ書房)は、戦後の子どもとそれを取り巻く日本やヨーロッパなどの状況を解説。特に、加古自身の歩みを子ども時代から振り返って語りながら、児童文化や親と子の遊びについての考えを248ページにわたり述べています。

その中にデビュー作『だむのおじさんたち』についての項目がありますので、一部省略しますが、ご紹介いたします。
冒頭の「松居さん」とは当時福音館書店編集長であった松居直氏で「時代にあった絵本を作ってみませんか」と声をかけていただき、加古の絵本への道が始まることになりました。

(引用はじめ)
松居さんは私に本を一つかいてみないかとすすめられた。あれこれ思いまどったあげく、私は「造船」か「ダム」に題材を求めることとした。船の題材は、当時、破竹の勢いで、日本の造船技術が、世界に再進出しだした頃であったし、セツルメントにくる子どもたちの親たちの多くが、日本鋼管や日立造船といった大企業に勤めていたから、その生活を背景に書いてみたいと言う創作意欲を持っていたためであった。

松居編集長はダムの方を選ばれた。私は本屋はもちろん、いろんな図書館を訪れて資料をあさった。ダムを建設する工学的な問題や工作方法は大体知っていたつもりだったが、こうした調査や資料あさりの間に、ダムは単に土木とか建設事業の問題だけでないことを知ることができた。ダムはなぜ作るのか?どうして作らなければいけないのか?ダムというものは、日本の子どもたちとどういう関係を持っているのか?ーなどというさまざまな、大きな問題が次々と出てきた。水主火従から火主水従に変換している電力状況、日本の水資源のひ弱い断面、その裏に潜む、日本のエネルギー問題、それに湖底に沈む村の保証やゆがめられていく農村の実体、その上、最新の科学技術の粋を集めて行われるダム建設の労動が飯場とか「組」とかよばれるきわめて封建的な組織にたよっているようすなどが、どうしても「ダム」という題材の背後にはあることを私ははっきり知らなければならなかった。

たかが十一場面の絵本一つにーと思われることだろう。たしかにあるいは専門の方から見るなら、そんなに資料を集め、調査し、時によると、ダム設計をしている友人と徹夜で討論するなどということをやるのは、ダムの専門書をまとめるならいざ知らず、たかだかダムの絵本を作るには、少々過度で、異常の行為であっただろう。だが、私にとって、それはたかが絵本であったからこそそれだけの調査や資料がどうしても必要となったのである。
(つづく・引用おわり)

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