編集室より

前回に続き『私の子ども文化論』』(1981年あすなろ書房)から「ダムの絵本づくり」後半です。

(引用はじめ)
何百ページの書物なら、あるいは一、二ページ力の抜けたところがあったり、間違った見解が散見しても、読者は全体の流れから真意をくみとってくれるだろう。だが、「たかが」十ページの絵本では、一ページどころか、数行数点の文字によって、読者への呼びかけが変わってしまい、画面の小さな隅の描線や虫の有無によって、大きく意味がかわることとなってくる。

あの紙芝居のように、一場面は、どうしても前と後ろをつなぐのに不可欠であるように、絵本の一場面もそうやって形づくらねばならぬだろう。そのうえ絵本は紙芝居と違って、本来なら読者が手にもち、せいぜい四〇〜五◯センチの距離で、必要なら一つの場面に何十分もかけ、ある場面では、次の場面を早く見たい衝動をおさえ切れずに、さっと見やるーといった大きな差を持っている。この紙芝居との差同を考え、画と文を統一させることに、私は心がとらわれた。

ちょうどその頃、岩波映画で佐久間ダムの記録が公開された。私はその映画を前後三回見に行った。一回目は映画と言う形のなかで、監督が何をえがこうとしているかをつかむため、二回目は画面と画面のつながりや切り替えを読み取るため、最後はうつされたダムのこまかなようすを知るためであった。映画館のくらやみの中で、私はメモの鉛筆を走らせ、まだダムというものは、絵本でえがきうる余地があることを強く感じ、小さな興奮を覚えながら帰ってきた。

こうして今から思い返せば、恥ずかしい限りのはじめての絵本『だむのおじさんたち』が世に出ることになった。
しかしこの時、探し求めた絵本作りや創作方法は、今もほとんど変わらずに私の原型となってしまった。それは要約すると、①徹底して関係する資料を可能な限り集め、そこから全体像を把握すること、②最も本質的な、独創的な、発展的なものを主題となるよう選定すること、③その主題を詩情やユーモアを交えて、的確に表現伝達するため、アイディアや工夫をめぐらすのに、可能な限り時間をかけることーの三点であった。
(引用おわり)

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