1976年の「月刊絵本」[わたしと絵本]より
昭和51(1976)年12月臨時増刊号として出版された「月刊絵本」(すばる書房)は『絵本の本棚200冊』と題し「受け手と作り手が選んだ200冊の絵本」が紹介されています。
加古作品では『かわ』『だるまちゃんとてんぐちゃん』『だるまちゃんとかみなりちゃん』『とこちゃんはどこ』が取り上げられています。また、当時活躍中の16人の絵本作家に対して「わたしと絵本」というアンケートがあり、赤羽末吉、安野光雅、瀬奈恵子、滝平二郎,山脇百合子、長新太、西巻茅子といった現在でも人気の方々が答えています。
かこさとしの答えの一部をご紹介しましょう。
(引用はじめ)
①はじめて描いた絵本は?
「ねこやなぎのケンちゃん」小5〜中1の間に作った長編でした。戦災で失いましたが、これが最初の私の絵本です。印刷になったのは「だむのおじさんたち」松居直さんと内田路子さんのお力の賜物です。
②絵本を発想するときはどんな時ですか?
芥川龍之介の表現をかりれば、机上・車上・厠上につけくわえて、路上・枕上・材上・床上・山上・雲上・波上など、時と所をといません。時や所を定めるような余裕をもちませんし、又そうした計画外の非合理な世界の事であるからです。
③絵本をつくる時、読者(=子ども)をどこまで想定していますか?
質問の意がよくわかりませんが手がきのものであろうと、印刷であろうと、外に発表をしたり、他の人に見てもらったり、特に成長してゆく子どもが見て下さる時、その時の反応はもちろんその反応のゆきつく20年後位を出来るだけ考察してゆきたいと努力しています。
(引用おわり)
上記について少し説明を加えさせていただきます。
皆様に手に取ってご覧いただける加古作品の最古のものは小学校卒業に際してつくった『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)という画文集です。手書き文章の文字、水彩で描いた絵のいずれもが後のかこさとしに通じるものがあります。一人の小学生の記録であるとともに当時の社会を垣間見ることができる作品です。
かこさとしは中学生になった時、その図書館の立派なことに驚き本棚に並ぶ本を片っ端から読んでみたいと意気込んだそうです。そして芥川龍之介の全集を読んだとよく話していました。その中で知ったのが芥川龍之介がどのように創作をしたのかという点でした。天才ですらいつ何時も作品のことを考えているのであれば、自分のような者は尚更、いついかなる時も作品のことを考えていなければならない、というのが持論でした。