2024

2024/02/20

忍者

忍者は日本のみならず海外でも人気ですが、忍者を主人公にした絵本といえば、『ぬればやまのちいさなにんじゃ』(1978年/2014年復刊ドットコム)です。昭和時代に黒い表紙のかこさとし・むかしばなし5冊シリーズの第4巻として出版されたものが復刊され現在に至っています。

ぬれば色というのは、カラスの羽のような黒のことで、題名から察せられるように主人公「あきち」は実はカラスなのです。父、母、妹の仇をうつために「たかのすやま」のてんぐに弟子入りし厳しく苦しい修行に励み、ついには大鬼に立ち向かうのが下の場面です。

鬼と闘う場面はおどろおどろしく、あとがきには次のようにあります。

(引用はじめ)
人であり生きているからには、やさしさと同様,時には強さやたくましさた厳しさが求められることがあり、そのため、黒いこのシリーズに忍者が登場したわけです。
(引用おわり)

童話集第5巻には忍者がテーマの2作品が収められています。そのひとつ「伊賀の黒丸のこと」は次のように始まります。

「伊賀、甲賀は忍者の里である。その伊賀のなかでも黒丸は、なかなかの忍者だった。」

しかし、その「なかなかの黒丸」も他の忍者との静かで熾烈な闘いを通し「忍者世界のきびしさを知っていったのである。」と結ばれています。先のあとがきの言葉がこのお話にも当てはまるようです。

もう一つのお話は「三人のさささ忍者」。父親から勧められてそれぞれ異なる忍術を習得した三兄弟が大活躍するお話で、その後この三人は滋賀、甲賀、伊賀の忍者の「師となって後進を育てたということである」とあります。

ちょと意外なところにも忍者が描かれています。

下の絵は科学絵本『おおきいちょうちん ちいさいちょうちん』(1976年福音館書店)の前扉です。この絵本は副題にあるように、ゆかいな「反対」ことばをユーモラスな絵で知ることができる大変ユニークな絵本で初版から50年近く経た現在でも大人気です。

この絵には御用提灯を持つ人を画面左上から鋭い目つきで見る小さい忍者はがいます。ここだけに登場する不思議な存在です。

かこさとし小学校卒業のときの絵日記『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)には,福井から東京に転校したばかりの二年生の時、二十人ほどの級友にいじめられ、けんかに勝つ方法をあれこれ考え試していたことが書かれ、次のように続きます。

(引用はじめ)
それからよく研究した。一つの術を考えた。
これは忍術をもちいた。(中略)先ず灰を用いた。これはごくこまかいのをとった。
(引用おわり)

この後に灰の作り方や作戦が続き、「二年生の時は、いじめられるのとけんかで終わった。学校の方はあんまり出来なかった。」とあります。

小学生時代のこんな経験を経た加古が作った忍者のお話をどうぞお読みください。

絵本の絵はほとんどが加古自身によりますが、稀に写真で構成されているものがあります。
『わたしのかわいいナミちゃん』(1987年ポプラ社)は、犬のナミちゃんだけでなく、飼い主の加古と一家が写真で登場しています。

個人情報満載(?!)のこの本は、1970年に加古が藤沢に転居したお祝いに同僚の方が持ってきてくださった生まれたばかりの柴犬ナミちゃんの成長物語です。そして長寿犬として最後を迎える時までを描く家族の歴史でもあります。

加古は自分が後に絵本を作ることができるようになるとは夢にもおもっていなかった20代の半ば、セツルメント活動を始めた頃、子どもたちが小学校に通う様子を見てそのような写真と絵を組み合わせた紙芝居を作ろうと考えていたようです。

童話集1巻にある「かえるのがっこう」の第1場面には、写真を使う予定だったということがメモによってわかります。

童話集6巻の「おとうさんのくつは おおきいね」は川崎に住んでいた頃の家族が写真で登場します。加古は30代、当時は大きな加古の足に合う靴が売っていなかったので、近くの靴屋さんであつらえていました。

絵ではなく写真を使った1962年の作品を童話集刊行でようやく皆様にご覧いただけるようになりました。小さなモノクロ写真の中ですが、若かりし頃の加古の笑顔をご覧ください。

2024/02/08

自己紹介

加古の絵本には本人らしき人が描かれているのはみなさんご存知の通りです。

『こどものカレンダー2月のまき』(1976年偕成社)の13日のページには、「なまえ」と題しこの日生まれた19世紀の歌劇作曲家ワーグナーと加古の自己紹介をしています。

「おうちのかたへ」のメッセージにあるように園に通うようになったら、自分の名前と家族の名前が言えるようにという準備を促すものです。

この本が出版された頃は、子どもたちは胸に名札を下げて園や学校に通ったものですが、今はそれが心配される社会になってしまいました。

ところで、この絵を見て気が付かれた方がいらっしゃることでしょう。この顔、どこかで見たような⋯ そうです。『かこさとし童話集』の背表紙、題名の上についている顔はこの絵から取りました。是非お手に取ってご覧ください。


童話集第7巻生活のなかのおはなし〈その2〉の表紙には、すいかやだいこん、かぼちゃなどがニコニコ顔でお祭囃子を演奏しています。
この絵は、この巻に収録している『おどろいた小さな八百屋さん』が最初に演じられた1957(昭和32)年当時に描かれた手描きの紙芝居からです。

当時はスーパーマーケットはほとんどなく、肉は肉屋さん、魚は魚屋さんという具合に小売り店で買うのが普通でした。お米は米屋さん、お酒やビールは酒屋さんが届けてくれました。豆腐は夕方になるとラッパを鳴らしながら豆腐屋さんが自転車で売りにくるので、鍋やボールを持って通りに買いに出たものです。

新聞の4コマ漫画で「八百屋さーん!」と吹き出しに書いてあり、「このハッピャクヤってなあに?」と加古に聞いたのは幼い頃の筆者です。加古は笑いながら「これはやおやと読むんだ。」と教えてくれました。まいったなあ、という気持ちと何やら嬉しさがいりまじった加古の表情でした。

『からすのやおやさん』はひらがなで書かれていますが、この童話集ではあえて漢字で書いているのは、筆者の思いこみかもしれませんが、「ハッピャクヤ」ではなくて「やおや」と読むんだよ、と教えてくれたその時の加古の「こどもが漢字を読む時の読み方」の発見と関係しているように思えてなりません。

そんなことはさておき、思わず笑ってしまう「おどろいた小さな八百屋さん」のお話をぜひお楽しみください。

この本は1985年ポプラ社から「かこさとし こころのほん⑧」として出版されました。心の問題を絵本にするのは、当時は大変まれなことでした。あとがきにもあるように、同年出版された紙芝居を絵本にかきかえたものです。

あとがきをどうぞお読みください。

あとがき

(引用はじめ)
このものがたりは、1985年全国心身障害児福祉財団からの依頼でつくった「ふれあい紙芝居」の作品がもとになっています。

今、いろいろなところで森を大事にしたり、動物を愛護する運動が行われています。とても大切なことと思います。

ところがそうした中で、私たちの近くで、心身にハンデをもつ子に対して、思いやりのないいじめや、冷たい無関心が今なお横行しているのに、じっとしておられず、私の思いを「きいろいクジラ」にたくしたのです。

どうか、みんなの心に朝の光が差してくるよう祈ります。

            1985年12月  かこさとし
(引用おわり)

半世紀暮らした藤沢の図書館へ「地元の方にもぜひ」

2024年1月に加古が晩年の48年間暮らした藤沢市の4図書館に童話集を寄贈したことを詳しく報じていただきました。
1970年に藤沢に転居してから楽しみに富士山の姿を眺めていたこと、2017年年頭の「広報ふじさわ」の表紙(下)に絵を描いたことなど藤沢市にまつわることも紹介する紙面でした。

途中までですが以下でご覧ください。

朝日新聞 童話集寄贈

2024/01/15

こども狂言

能と並んで古い伝統を持つ狂言ですが、面をつけずに演じ笑い話のような内容が多いので
親しみやすいともいえるでしょう。

加古は大学生時代に演劇研究会に属していたこともあり、演劇や舞台芸術に大変興味を持っていました。歌舞伎や文楽についても『子どものカレンダー』で取り上げたりしています。

そして狂言については『あそびの大惑星1 たいこドン ふえピッピのあそび』(1991年農文協)で、「こども きょうげん きつねばやし』を載せています。大名(だいみょう)が六人の冠者(かじゃ)を呼び寄せ、それぞれを白、黄、赤、青、ちゃ、黒のきつねにになって踊るうちに本物のきつねも混じってお囃子が続くという内容です。

繰り返しとにぎやかな歌とおどりが楽しい、子どもでもわかるものです。

そしてこの度刊行された『かこさとし童話集』第5巻にも子ども狂言「はるのおどり はなのまい」があり、言葉遊びのようなセリフが続きます。大きな声で舞台で演じているつもりで読むと楽しいものです。是非、試してみてください。

加古が亡くなるまでの晩年48年間を暮らした藤沢市にある4市民図書館に『かこさとし童話集』が寄贈されました。

今年の干支である龍が表紙にある4巻、江ノ島にまつわる天女と五頭竜の話を収めている5巻など1巻から6巻までをお年玉のこの時期に寄贈、7巻から10巻までは出版され次第寄贈の予定です。

東京新聞 童話集寄贈

なお、2024年1月12日神奈川新聞および読売新聞朝刊にも掲載されました。