2017

天狗(てんぐ)とてんぐちゃん

天狗という名前は、やはりもとは印度に発していて、ヒンズー教において、燃える隕石(いんせき)流星が化した、赤いくちばし・緑顔・腕・脚(あし)・青いつばさ・尾をもつ半人半鳥の姿とされ、それらが中国に渡り有翼長嘴(ゆうよくちょうし)の妖怪獣の名とされました。

しかし日本においては、民間伝承山霊・木霊・山鬼などとよぶ深山の精霊を、動物または人間の形をかりて象徴化したものを「てんぐ」とよび、本来は印度中国のものと同名異体であるとされています。

日本には信濃戸隠、遠江秋葉、上野榛名、出羽羽黒山などをねじろに全国各地に四十八天狗がおり、その代表的なものは山城愛宕山太郎坊、近江比良山次郎坊、信濃飯綱三郎坊、大和大峯善鬼坊、讃岐白峯相模坊、山城鞍馬僧正坊、相模大山伯耆坊、豊前彦山豊前坊の八天狗といわれていました。

しかし、「てんぐ」は日本の農民の杣人(そまびと)たちが、山霊に対する畏敬の念から発し、災厄・山なり・神かくし・神光・妖火など威術を行う者、そして神にたいしては眷属(けんぞく)、正に対しては邪の存在として考えていたにかかわらず、大天狗とよぶ頭目と家来の木葉(このは)天狗に分かれているとか、前者は白髪赤顔長鼻僧服で、後者は鳥頭短翼山伏姿で、白狼とか烏(からす)天狗という俗名があったり、一本歯をはいたり、すもうずきだったりきわめて人間くさい性格風体にしあげています。

このように「天狗」から「てんぐ」となると、充分民族化して、非常にしたしみのある、時にはひょうきんでにくめない妖怪(?)となっていることに気づきます。

私はそうした「てんぐ」の来歴、性格、そしてそこにこめられた民衆の考えをもとにして、群馬県沼田の迦葉山山椒天狗、福島久之浜天狗などを参考にして、いばりん坊でかわいい「てんぐ」ちゃんに登場してもらいました。

(下は「だるまちゃんとてんぐちゃん」後扉)

民話とだるまちゃんたち

さてこうして皆様におめにかかるようになった「だるまちゃんてんぐちゃん」を構成するにあたって私は前にのべたように「民話」に対する心構えを旨としました。

今日、民話に対するすぐれた論がすでにいくつか提出されていますが、それらの論考と実際の再話、あるいは作品との間に、きわめて大きなへだたりがあるようにおもえます。

その詳しい論述は別の機会にゆずることとして、私は次の二点を特に民話に対する態度の中で重要なことと考えます。

① 話が 古人から現代まで、一地方から他の所まで伝承伝播(でんぱ)されていったのは何なのか。話の真髄、主題、根幹は何であるのかを明確単的に把握(はあく)提示すること

② 話を包み、生命をあたえる表現、発想言いまわしのすみずみにまで、基本的態度の肉づけをもって花をさかせ、そうした細かな叙述技術結晶として、主題が貫かれているという相互交絡作用によって、作品を成立させることーーー

説話としての民話が、形として物として結晶したのが伝承郷土玩具ということがいえましょう。私は郷土玩具の主人公たちの活躍の場を求めたとき、基本的にはこの民話に対する基本姿勢をもって対処しました。

かつて私は「マトリョーシカちゃん」と題する絵物語を訳したことがあります。ベクトローワ文、ベロポリスキー画のこの作品は、ソ連というよりロシアに伝わる郷土玩具たちを主人公にしたたのしい美しい絵物語でした。私は作者の郷土玩具に対する愛情と態度、そしてその巧みで一分のすきのない構成を学ぶことができました。私は画面の色彩感覚と画面処理のみごとなこと、そしてたった十二場面の中に緩急の流れと、作品主題とで美しいおりものを仕上げる手法をしることができました。

前述した基本姿勢と、このとき学んだ示唆(しさ)が絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」をささえる力となったこと、そして「だるまちゃん」「てんぐちゃん」のほかにもたくさん皆様と仲よしになりたがっている主人公たちがいることをご報告し、この次「だるまちゃん」たちがどんな活躍をするか、皆様といっしょにたのしくまっていたいとおもいます。
(引用おわり)

1967年、 福音館書店の月刊絵本「こどものとも131号」として誕生した「だるまちゃんてんぐちゃん」は、2017年の今年50周年を迎えました。そして「こどものとも」は創刊60年を迎え、この間多くの名作を輩出しています。

「だるまちゃんとてんぐちゃん」が「こどものとも」として刊行された折には、「絵本のたのしみ」と題するB5サイズ16ページの小冊子(上の写真)が付いており、著者による作品解説が掲載されていました。ここでは2回に分けてご紹介します。

尚、本文は縦書き、著者によるふりがなのみ( )にいれて表記しておきます。また郷土玩具など内容に関わり添えられているモノクロ写真は省きます。

伝承郷土玩具(でんしょうきょうどがんぐ)

(引用はじめ)
日本全国には、その土地にふさわしいいわゆる伝承郷土玩具の数々が散在しています。

それらは、木の実が用いられたり、貝がらが組みあわされたり、石や土や紙や竹、ときにわらやまゆなど、その土地にふさわしい素材でつくられています。

また、朱や黄や墨などの色彩やあやどり、こけし(傍点アリ)や八幡駒にみられる形態の簡潔性と様式化、そして巧みに工夫された機構とカラクリなどの結晶体としての郷土玩具は、幼童の手あそびのみでなく、芸術品として風韻とかおりをそなえています。

その上内容は、祭礼の供物であったり、災厄(さいやく)の守りであったり、ふるい伝説・にぎやかな行事・ひなびた風俗を背景として、家運長寿・子孫繁栄・邪気病疫よけなど、働く農民のかなしいいのりがこめられています。

このような郷土玩具も、ちかごろ都会地ではいながら各地のものが手にはいるようになり物産展が催されて人気を集めているようですが、私はお座敷収集の対象や、観光ブームの変種として郷土玩具に興味をもつことをあまり好んでいません。

民話がそうであるように、私は郷土玩具の中から、民族心を知り、民族のねがいやくるしみをくみとり、民族のよろこびに昇華する道をこそみつけたいと、かれこれ十六年ほど前から郷土玩具や土俗玩具にしたしんできました。

その郷土玩具のなかの代表者たちーーーとら・きつね・きじ・うま・うさぎ・たか・たい・しか・さる・ふぐ・しし・うし・だいこく・でこ・えびす・天神・ぼっこ・あねさま・かっぱ・ねこ・おに・てんぐ・うずら・龍・ねずみ・だるま・くじら・なまず・へび・せみ・くま・ばけもの・ふくろう・入道などーーーの性格と活躍の場を求めて、いろいろな作品を試作し、組み立ててきました。こうしてできたもののひとつが、絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」です。

達磨(だるま)とだるまちゃん

郷土玩具の中で、とくにだるまは、種類と変化にとんでいます。それらは大きくわけて、「起き上がり小法師(こぼし)」系のもの(鳥取倉吉だるま、金沢八幡起き上がり、新潟水原三角だるまなど)、子宝きがんの「ひめだるま」系のもの(福島高野起き姫だるま、愛媛松山女だるまなど、)およびだるま市にみられる「眼(め)なしだるま系(群馬豊岡福だるま、神奈川川崎大師だるまなど)の三つに分類されます。

だるまはもちろん禅宗の始祖として知られていう高僧菩薩達磨に模し、ちなんでつくられたものです。達磨は南印度香至国王の第三子として生まれ、大乗禅宗をおさめ、梁代武帝の頃(520年ごろ)中国に渡りましたが、思うところあって 嵩山岩窟で九年間、座禅をくみ道を求めました。その間洛陽の僧神光が教えを求めて寒風大雪の中で立ちつくし、臂(ひじ)を断ち誠をあらわし、ついに弟子として慧可の名をもらったという有名な故事が残っています。

この面壁解脱の精進と不屈一徹の信念とに海を越えたわが国でも、語りつぎ伝えあう中で、多くの尊崇と敬慕が集められるとともに、民衆の間では、その達磨座禅黙思の様相を、より近い親しみと愛情をもって造形象徴化しできたのが「だるま」です。

ですから「だるま」は印度中国の「達磨」を祖として、日本風土の中で形づくられたといってもよいと考えます。ユーモラスな型や大きな目、ふといまゆ、こいひげ、そして時にはち巻や払子(ほっす)をもたす中に、達磨につぃする民族的敬愛がこめられています。

絵本にでてくる「だるまちゃん」は、こうした民族感情を底にして、本来あって、かくされている手足をあらわし、活躍させるとともに、山梨甲府子持だるま子だるまの顔のように、ちいさくてもひげのあるーーー甘えん坊でがんばりやのーーーいってみれば読者児童の変身をそこ求めました。
(引用おわり)

後編に続きます。上は「だるまちゃんとてんぐちゃん」前扉。

桜が舞い散るには、風がない方がというのは人間の勝手な思いで、私たちに必要な空気は動いて風となります。では、どうして空気が動くのでしょうか。この絵本「ささやくかぜ うずまくかぜ」(2005年 農文協)はそんな疑問にわかりやすく答えながら小さいお子さんにもわかるように説明が進みます。

全部ひらがなで書かれ、台風や竜巻についてや風車、風力発電についてもふれ、小さいお子さんが「自然のしくみ、自然のきまり、自然のつながりをよくしり、かんがえて自然とともにいき、しぜんといっしょに生活できるよう」(前書きより引用、漢字にはふりがながあります)役立ててほしというのがこのシリーズ、「自然のしくみ 地球の力えほん」全10巻に込める著者の希望です。

あくまで平易に科学の入り口へと導いてゆきます。前見返しには、風力、風の強さと説明、英語での名称を、後見返しには動物や乗り物、そして光などが1秒間に進む距離を、いずれも漢字を使わず示しており、子どもが大人の助けがなくても読めるようになっています。小さいお子さんに説明する大人にも大きな味方になってくれる絵本です。

あとがきを記します。
(引用はじめ)
空気は、地球上の大部分の生きものにとても大切なものなのに無色透明で、形も重さも感じられないので、その存在を気にせずくらしています。その姿のない空気を気づかせてくれるのは、風の動きです。
風によって空気というものの存在を知り、その空気の大事なこと、植物が長い年月かけてようやくこの空気をためてきたことなど、地球や自然をよく知り、その空気を汚したりせぬよう、大切に守るようねがって、この巻を作りました。
(引用終わり)
(尚、漢字には全てふりがながあります)
下は「あとがき」に添えられているロビンソン型風速計の絵。

「こどもの行事 しぜんと生活 4月のまき」(2012年小峰書店)によると、清明(せいめい)とは二十四節気のひとつで春分から十五日目にあたることのことです。今年は4月4日だそうです。

「このころは、きよらか(清らか)でさわやか、そしてあかるい(明るい)気候となることから、この名がつきました。」(本文では漢字に全てふりがながあります)

元々は中国の野山に出かけたり先祖のお墓参りにゆく慣わしが、沖縄に伝わったと説明が続きます。

中国・宋代の清明祭を描いた名画「清明上河図(北京故宮博物館蔵)は2012年に日本でも公開されましたのでご記憶にある方もいらっしゃることでしょう。名画故に中国でも多くの模写作品があるそうですが、実は加古もこの絵を模写し本の中で紹介しています。下の写真をご覧ください。

「万里の長城」((2013年福音館書店)[18 五代十国と宋時代の文化と技術]の項で1ページ半の幅で描き、以下のような説明があります。
(引用はじめ)
首都・開封活気あふれる早春の様子をえがいた「清明上河図」(張択端画)は、名画とされ、多くの画家に影響をあたえた。
(引用おわり)
(本文の漢字には全てふりがながあります。また、人名漢字は日本で使われる漢字を使用しました)

往来の騒めきや船をこぐ音が聞こえてくるような絵、加古も影響を受けたに違いありません。「かわ」(1962年福音館書店)制作の下敷きになっているようにさえ思えてくるのは気のせいでしょうか。

「じょうずになげられますか」

この本の最初の小見出しです。本文によれば「にんげんのように じょうずにものをなげることのできる どうぶつは、ほかにはいないのです。」

確かにそうです。そんな当たり前の事も改めて考えてみると、人間が手を自由に使えるようになったことの重大さを知るきっかけにもなります。
この本の小見出しの続きをあげてみます。
「あそびの なかの なげること」
「くらしの なかの なげること」
そして、「なげる どうさの はったつ」「なげることの じょうずへた」が図解され「なげる れんしゅう」「ボールのとりかた」「なげる ちから だめし」では年齢に応じた統計が示され「スポーツの なかの なげること」「なげるときのちゅうい」「おんなのこも なげてみよう」「とおくになげてみよう」という構成です。

下の写真は、「とおくになげてみよう」の挿絵(一部)です。

項目だけ見ただけでも役立ちそうな内容であることがわかりますが、さらに専門家からの興味深いアドバイスも巻末にあります。絵はかこさとしですから分かり易く、ユーモラスな細かい挿絵が豊富で絵を見ているだけでも楽しくなります。

投力が落ちているとの調査結果もあるようですが、人間だけに与えられた手の自在な動きを見直し「じょうずになろう なげること」を実践していただければと思います。

2017/03/16

さくら

梅、桃、桜と花は主役を変えて季節がすすみ、さくら前線が話題になる候になりました。加古作品の中でさくらを巡ることにしましょう。

このサイトのトップページ写真で次々と出てくる絵の最後は、「こどものカレンダー4月のまき」(偕成社1975年・写真上)の表紙に使われたもので、背景の桜色に花びらは見返しです。さくらについては下のように、幸せ溢れる女の子とともに紹介しています。

「こどもの行事 しぜんと生活 4月のまき」(2012年小峰書店・写真上)では、ベニシダレサクラの下、幸せいっぱいの面々。サクラ前線については、この本(写真下)や「だるまちゃんしんぶん (春)」(2016年福音館書店)でもお花見のニュースと合わせて描かれています。

次の表紙のサクラですが、この意味はやや違います。

「ドイツ人に敬愛された医師 肥沼信次」(2003年 瑞雲舎 /文=舘沢貢次、絵=加古里子)は、医学研究のため渡ったドイツで世界大戦が勃発、伝染病医療センターで献身的な活動をし自らも病に倒れ1946年3月8日、35歳で帰らぬ人となりました。彼の最後の言葉は「桜をもう一度見たかった。みんなに桜を見せてあげたかった。」

1993年、肥沼の弟によってドイツの地に植えられた桜の苗木は成長し市庁舎の庭を飾っています。優れた医師であり人格者であり後世も忘れずにいてほしい「肥沼がもう一度見たいと願った日本の桜の花」と裏表紙には書き添えられています。

科学絵本にもサクラは欠かせません。季節の変化、時間の経過を示す格好のモチーフだからです。「地球」( 1975年福音館書店・下の写真)では満開のサクラの下で一休みしながら子どもと話す声が聞こえてくるような穏やかな光景。加古里子の科学絵本には、こういった要素も地中の根とともに描き込めれているのが特徴です。

「地球」では1冊の中で同じ季節が2回つまり2年経過する作りになっています。これは著者による解説の言葉を引用すれば、「地球にすむいきものたちを、仲間としてえがきたかったため、どうしても四季を一回めぐるだけではもり込めな」かったからです。

「出発進行!里山トロッコ列車」(2016年偕成社)では、小湊鉄道といえばここ、というくらい有名な菜の花と桜の共演場面が本にも登場します。(下の写真)

「地下鉄ができるまで」(1987年 福音館書店)では、桜の頃の地下鉄工事の起工式(下の写真)から始まり梅雨や入道雲の青い空、街路が黄色く色づき雪が舞い、やがて再び花咲く開通式と言葉ではなく場面に添えられた風景で時間の流れを示しています。

満開の桜ではなくあえて散りゆく花びらのみを描く場合もあります。

下の写真は「おおきいちょうちんちいさいちょうちん」(1976年福音館書店)の冒頭です。この絵本は、副題に、ゆかいな「反対」言葉とあるように、対比するものを提示することでその概念を子どもたちにわかってもらおうという科学絵本ですが、加古独特のユーモア満載で大人が見ても満足できる絵本です。

見たことがあるような大きい提灯に書かれている文字は科学絵本の科、劇画風の絵が多いのですが、長い・短い、重い・軽い、上・下、多い・少ない、開ける・閉める、中・外、のびる・ちぢむ、暗い・明るい(本文では全てひらがな)に提灯がでてきて、桜吹雪は日本的な味を出す小道具といったところでしょうか。

「ダムのおじさんたち」(1959年福音館書店)の最後の場面、ダムが完成しおじさんの笑顔に舞う桜の花びら。おじさんたちの晴れやかな気持ちが一層伝わってきます。

たくさんの桜を見てきましたが、最後に「まさかりどんがさあたいへん」(1996年小峰書店)の後ろ扉に描かれている絵をご覧下さい。このロボットのドレスの模様は桜の花びら・・・
著者のどんな気持ちが投影されていると皆さんはお考えになられるでしょうか。文と絵が同一人であるからこそできるこのような表現の妙を味わっていただけたらと思います。

かこさとし食べごと大発見の第2巻「ちり麺ラーメン そばうどん」(1994年農文協)をご紹介します。
第1巻「ご飯みそ汁 どんぶりめし」をご案内した際にも述べましたが、このシリーズは前見返しに〈この本のねらい〉と前書きに相当する著者のことば、前扉には逸話の紹介があり、本文に続く最後のページにはあとがきにあたる文、さらに後扉には〈作者からのお願い〉と著者の創作の意図がふんだん語られています。

それは、著者が食べごとという独自の視点からこのシリーズを構成しているからにほかなりません。
カバーにある著者のことばを記します。

心とからだ に役立つ うんまい、おいしい絵本

(引用はじめ)
総合的な人間発見食べごと絵本 ー かこさとし
食事のとき、私たちはたべものとだけ向き合うわけではありません食器や調味料、ナプキン、それに花瓶も食卓に並びます。買い物の失敗談や一日のできごとが、食膳の会話や談笑となります。「いただきます」の言葉から食後の片付けまで、食事とはその人の全生活と関係し、季節社会に呼応しています。この本は、そうした統合的で創造的な「食べごと」の再発見をめざして編集されました。読者がそれぞれ「食べごと」を見直す契機となれば幸いです。
(引用おわり)

この本が書かれたのは、20年以上前ですが、この20年の間に著者がめざしていた「食べごと」どころか満足に食事ができない子どもたちがいるという現実。その解決のための子ども食堂が、空腹だけではなく子どもたちの心も満たしているならば「食べごと」の悲しい実例なのかもしれません。

扉には次のように書かれています。

人生あるいは人世は、めん類

(引用はじめ)
江戸時代の謎に、そば、うどんの如く生くるに、細く長きに如かざるもの何ぞ。というものがあります。堅からず軟弱でなく真っ直ぐであるが、しなやかに曲がり、当たりよく飲み込み、よく生涯をすごすのが、人間の知恵だというので、答えは人生ということになります。しかし、同じ音読の人世すなわち実社会や渡る世間もなんどもこねたり、叩きつけられたあげく、のばしたり、切られたり、熱い煮え湯くぐらせられるものだとの教訓とも考えられます。
それでは、めんが人生であるのか、それとも人世がめんであるのか、その実際をみてみることにしましょう。
(引用おわり)

前書きにあたる上記の文は大人に向けてのメッセージですが、本文はいたって明るく楽しく、皿田家の面々が美味しそうな麺をすすりながら、材料となる小麦粉、そば粉、米粉の違いやつけ汁かけ汁、薬味、中華麺、パスタと「からすのそばやさん」顔負けの多種類の麺が描かれ、見ていると食べたくなることうけあいの本です。

表紙に登場する皿田家メンバーのフィギュアは紙粘土製でかこさとしの手つくりです。冒頭の写真では、はっさくじいさんとふきばあちゃん、小さななめこちゃんがいます。
最後にー作者からのお願いーをご紹介します。

めん類の体験と見学 ー作者からのお願いー

(引用はじめ)
変態といってもエッチなことではありません。卵/幼虫/蛹/成虫と昆虫が体つきを変えるのを変態といいますが、粒/粉/塊/麺と変貌する様子は、魔法の連続です。しかも、その間におこる混合/捏和/粘動/煮沸などの極めて高度の物理化学的操作と変化を、わくわく自分で確かめ、試してみることができるのです。
そして、その結果は、無粋な偏差値やグラフで示されるのではなく、よかったかどうかは、食べてみれば、内臓から全身によってはっきりわかります。この変身発見の機会を、家庭や園や学校でぜひ作っていただくご配慮を、お願いするところです。
(引用おわり)

大奮闘のせいごパパが、ちりめんラーメン作りに挑戦。出来上がったラーメンに大満足のようじくんの笑顔は本でご覧下さい。

次々に登場するこまった状況の動物たちが、自分の出来ることを他のためにしてあげることによって、皆がこまった状況を乗り越えることができるというお話。困難を解決するにはどうしたら良いかを小さいお子さんにもわかるように温かな雰囲気の絵で描いています。

1986年偕成社より刊行された同名の絵本を再編集の上、新たなあとがきを加え復刊したものです。
1986年の発行時のあとがきをご紹介します。

(引用はじめ)
子どもに接する大人の態度で大事なのは、「明るく、はっきり、ゆったり」といういことです。毎日の生活や長い人生は、決して良い時ばかり続くとはかぎりません。こまった問題やむずかしいイザコザにぶつかります。そんな時、身近な信頼しているおとなが、どんな様子であるかが、子どもにとって大きな影響を与えます。
問題を、子どもからかくしておきながら「暗く、不可解で、せっかち」な態度を示すほど、子どもを悲しませ、悩ませるものはありません。
「明るく、はっきり、ゆったり」立ち向かう大人の姿から子どもは生きる力をひとつひとつ学びとってゆくように、このお話のこぐまたちから困難をのりこえる力を読みとってほしいと思います。
(引用おわり)

上の写真は後扉で、このページには2017年版に際しての著者の言葉が加えられています。お読み下さい。

新版について

(引用はじめ)
この絵本を最初に出して頂いたのは、30年前の昭和時代の末で、社会は一応平穏を謳っていましたが、日本海中部地震/つくば科学万博/グリコ事件/日航ジャンボ機墜落など、様々な問題が発生していました。私は三つの大学の講義と、その間全国各地の講演でとびまわっていて、接する学生や教師、家庭の人々がいまひとつ意欲や覇気の乏しいのが気になっていました。せめて子ども達に持っている力や才智に応じた共生助け合いの心と、未来に生きる情熱を持ってもらいたいと念じて 作ったのがこの作品です。その私の願いが今も変わらないのが、少しさみしい気がしている所です。愛読を感謝します。
かこさとし
(引用おわり)

以下から白泉社MOEの絵本ニュースをご覧下さい。

http://www.moe-web.jp/character/kako.html

かこさとしの90年を集約した本書は、初公開のものを含め豊富な写真で作品とその創作にこめたねらいや願い、背景を深く探り時系列で浮き彫りにします。加古作品に流れる人生観、哲学がわかり易く紹介されているのが魅力です。

野村萬斎氏との対談や古くからの友人、作家・加賀乙彦氏や美術史家・辻惟雄氏によるエッセイに加え知人や家族による文章は、かこさとしの知られざる一端を垣間見ることができるでしょう。

写真入り略年譜、完全最新版著作リストは資料としても貴重で、絵本館情報も掲載され、まさに完全保存版というべき1冊です。

かこさとしの生まれ故郷・福井県越前市で生育されている天然記念物コウノトリをモチーフに豊かな環境を守り、コウノトリとともに暮らす子どもたちや人々を情緒豊かに温かな視線で描くフィクション。舞台となった地域にとどまらず人間と生き物の共生、地球規模での環境について考える入り口となります。
見返しには、日本・世界でのコウノトリについても書かれています。
あとがきをご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
コウノトリは、白と黒のつばさをひろげ、赤く長いあしをそろえて飛ぶすがたがとてもきれいです。水辺の魚や虫、カエルなどをえさにする、人なつこい大型の鳥です。それで日本でも海外でも、幸せや赤ちゃんを連れてくる鳥として、親しまれてきました。

しかし、自然がうしなわれ、えさが少なくなったため、住むのにてきさないところが増えて、世界中のでコウノトリの数が少なくなりました。コウノトリが住めるようなよい場所にしようと兵庫県豊岡市、福井県越前市の白山・坂口地区などでは、熱心な努力がおこなわれています。

この絵本は、コウノトリが飛んできて住みたくなるようなところは、人間の生活にもよい自然と環境なので、そうしたよい状況を守り、地球の生物がともに楽しく平和にくらせるようにとのねがいをこめて、つくりました。

もし読者のみなさんに時間がありましたら上記の地区の方々努力されているようすをみていただきたいと思います。
(引用おわり)
尚、全ての漢字にはふりがながありますが、ここでは省いています。

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