かこさとし食べごと大発見 2「ちり麺ラーメン そばうどん」
かこさとし食べごと大発見の第2巻「ちり麺ラーメン そばうどん」(1994年農文協)をご紹介します。
第1巻「ご飯みそ汁 どんぶりめし」をご案内した際にも述べましたが、このシリーズは前見返しに〈この本のねらい〉と前書きに相当する著者のことば、前扉には逸話の紹介があり、本文に続く最後のページにはあとがきにあたる文、さらに後扉には〈作者からのお願い〉と著者の創作の意図がふんだん語られています。
それは、著者が食べごとという独自の視点からこのシリーズを構成しているからにほかなりません。
カバーにある著者のことばを記します。
心とからだ に役立つ うんまい、おいしい絵本
(引用はじめ)
総合的な人間発見食べごと絵本 ー かこさとし
食事のとき、私たちはたべものとだけ向き合うわけではありません食器や調味料、ナプキン、それに花瓶も食卓に並びます。買い物の失敗談や一日のできごとが、食膳の会話や談笑となります。「いただきます」の言葉から食後の片付けまで、食事とはその人の全生活と関係し、季節社会に呼応しています。この本は、そうした統合的で創造的な「食べごと」の再発見をめざして編集されました。読者がそれぞれ「食べごと」を見直す契機となれば幸いです。
(引用おわり)
この本が書かれたのは、20年以上前ですが、この20年の間に著者がめざしていた「食べごと」どころか満足に食事ができない子どもたちがいるという現実。その解決のための子ども食堂が、空腹だけではなく子どもたちの心も満たしているならば「食べごと」の悲しい実例なのかもしれません。
扉には次のように書かれています。
人生あるいは人世は、めん類
(引用はじめ)
江戸時代の謎に、そば、うどんの如く生くるに、細く長きに如かざるもの何ぞ。というものがあります。堅からず軟弱でなく真っ直ぐであるが、しなやかに曲がり、当たりよく飲み込み、よく生涯をすごすのが、人間の知恵だというので、答えは人生ということになります。しかし、同じ音読の人世すなわち実社会や渡る世間もなんどもこねたり、叩きつけられたあげく、のばしたり、切られたり、熱い煮え湯くぐらせられるものだとの教訓とも考えられます。
それでは、めんが人生であるのか、それとも人世がめんであるのか、その実際をみてみることにしましょう。
(引用おわり)
前書きにあたる上記の文は大人に向けてのメッセージですが、本文はいたって明るく楽しく、皿田家の面々が美味しそうな麺をすすりながら、材料となる小麦粉、そば粉、米粉の違いやつけ汁かけ汁、薬味、中華麺、パスタと「からすのそばやさん」顔負けの多種類の麺が描かれ、見ていると食べたくなることうけあいの本です。
表紙に登場する皿田家メンバーのフィギュアは紙粘土製でかこさとしの手つくりです。冒頭の写真では、はっさくじいさんとふきばあちゃん、小さななめこちゃんがいます。
最後にー作者からのお願いーをご紹介します。
めん類の体験と見学 ー作者からのお願いー
(引用はじめ)
変態といってもエッチなことではありません。卵/幼虫/蛹/成虫と昆虫が体つきを変えるのを変態といいますが、粒/粉/塊/麺と変貌する様子は、魔法の連続です。しかも、その間におこる混合/捏和/粘動/煮沸などの極めて高度の物理化学的操作と変化を、わくわく自分で確かめ、試してみることができるのです。
そして、その結果は、無粋な偏差値やグラフで示されるのではなく、よかったかどうかは、食べてみれば、内臓から全身によってはっきりわかります。この変身発見の機会を、家庭や園や学校でぜひ作っていただくご配慮を、お願いするところです。
(引用おわり)
大奮闘のせいごパパが、ちりめんラーメン作りに挑戦。出来上がったラーメンに大満足のようじくんの笑顔は本でご覧下さい。