「絵本 だるまちゃんとてんぐちゃん」ができるまで 加古里子(前編)(1967年掲載)
1967年、 福音館書店の月刊絵本「こどものとも131号」として誕生した「だるまちゃんてんぐちゃん」は、2017年の今年50周年を迎えました。そして「こどものとも」は創刊60年を迎え、この間多くの名作を輩出しています。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」が「こどものとも」として刊行された折には、「絵本のたのしみ」と題するB5サイズ16ページの小冊子(上の写真)が付いており、著者による作品解説が掲載されていました。ここでは2回に分けてご紹介します。
尚、本文は縦書き、著者によるふりがなのみ( )にいれて表記しておきます。また郷土玩具など内容に関わり添えられているモノクロ写真は省きます。
伝承郷土玩具(でんしょうきょうどがんぐ)
(引用はじめ)
日本全国には、その土地にふさわしいいわゆる伝承郷土玩具の数々が散在しています。
それらは、木の実が用いられたり、貝がらが組みあわされたり、石や土や紙や竹、ときにわらやまゆなど、その土地にふさわしい素材でつくられています。
また、朱や黄や墨などの色彩やあやどり、こけし(傍点アリ)や八幡駒にみられる形態の簡潔性と様式化、そして巧みに工夫された機構とカラクリなどの結晶体としての郷土玩具は、幼童の手あそびのみでなく、芸術品として風韻とかおりをそなえています。
その上内容は、祭礼の供物であったり、災厄(さいやく)の守りであったり、ふるい伝説・にぎやかな行事・ひなびた風俗を背景として、家運長寿・子孫繁栄・邪気病疫よけなど、働く農民のかなしいいのりがこめられています。
このような郷土玩具も、ちかごろ都会地ではいながら各地のものが手にはいるようになり物産展が催されて人気を集めているようですが、私はお座敷収集の対象や、観光ブームの変種として郷土玩具に興味をもつことをあまり好んでいません。
民話がそうであるように、私は郷土玩具の中から、民族心を知り、民族のねがいやくるしみをくみとり、民族のよろこびに昇華する道をこそみつけたいと、かれこれ十六年ほど前から郷土玩具や土俗玩具にしたしんできました。
その郷土玩具のなかの代表者たちーーーとら・きつね・きじ・うま・うさぎ・たか・たい・しか・さる・ふぐ・しし・うし・だいこく・でこ・えびす・天神・ぼっこ・あねさま・かっぱ・ねこ・おに・てんぐ・うずら・龍・ねずみ・だるま・くじら・なまず・へび・せみ・くま・ばけもの・ふくろう・入道などーーーの性格と活躍の場を求めて、いろいろな作品を試作し、組み立ててきました。こうしてできたもののひとつが、絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」です。
達磨(だるま)とだるまちゃん
郷土玩具の中で、とくにだるまは、種類と変化にとんでいます。それらは大きくわけて、「起き上がり小法師(こぼし)」系のもの(鳥取倉吉だるま、金沢八幡起き上がり、新潟水原三角だるまなど)、子宝きがんの「ひめだるま」系のもの(福島高野起き姫だるま、愛媛松山女だるまなど、)およびだるま市にみられる「眼(め)なしだるま系(群馬豊岡福だるま、神奈川川崎大師だるまなど)の三つに分類されます。
だるまはもちろん禅宗の始祖として知られていう高僧菩薩達磨に模し、ちなんでつくられたものです。達磨は南印度香至国王の第三子として生まれ、大乗禅宗をおさめ、梁代武帝の頃(520年ごろ)中国に渡りましたが、思うところあって 嵩山岩窟で九年間、座禅をくみ道を求めました。その間洛陽の僧神光が教えを求めて寒風大雪の中で立ちつくし、臂(ひじ)を断ち誠をあらわし、ついに弟子として慧可の名をもらったという有名な故事が残っています。
この面壁解脱の精進と不屈一徹の信念とに海を越えたわが国でも、語りつぎ伝えあう中で、多くの尊崇と敬慕が集められるとともに、民衆の間では、その達磨座禅黙思の様相を、より近い親しみと愛情をもって造形象徴化しできたのが「だるま」です。
ですから「だるま」は印度中国の「達磨」を祖として、日本風土の中で形づくられたといってもよいと考えます。ユーモラスな型や大きな目、ふといまゆ、こいひげ、そして時にはち巻や払子(ほっす)をもたす中に、達磨につぃする民族的敬愛がこめられています。
絵本にでてくる「だるまちゃん」は、こうした民族感情を底にして、本来あって、かくされている手足をあらわし、活躍させるとともに、山梨甲府子持だるま子だるまの顔のように、ちいさくてもひげのあるーーー甘えん坊でがんばりやのーーーいってみれば読者児童の変身をそこ求めました。
(引用おわり)
後編に続きます。上は「だるまちゃんとてんぐちゃん」前扉。