天然痘(ほうそう)
5月14日は種痘記念日。
人類が初めてそして唯一撲滅できた感染症である天然痘の予防接種、種痘にジェンナーが成功したのは1796年5月14日でした。この記念日はその「功績をたたえています。ジェンナーが種痘をし、成功したのは、ジェームズ・フィリップスというみなしごの男の子でしたが、学会で発表したとき、名前を発表しなかったので、ジェンナーのこどもとまちがえられて伝えているものもあります。」と、『こどものカレンダー 5がつのまき』(1975年 偕成社)5月14日の〔おうちのかたへ〕コーナーに書かれています。
かこの描いたジェンナーとこどもの絵(上)とともに本文最後にはこうあります。
「あなたの おとうさんも おかあさんも あなたも、うでに ほうそうの あとが あるでしょう。
それは、ジェンナーさんのおかげで、てんねんとうに かからないように したあとなのです。」
天然痘撲滅宣言が出されたのはこの本が出版された5年後1980年5月8日のことでした。
人類と天然痘との戦いは大変長い歴史があるようです。
日本の歴史をさかのぼると、奈良の大仏として知られる国宝、東大寺盧舎那仏は、天然痘の流行などもあり社会が不安定になったことがきっかけで聖武天皇が天平15年(743年)大仏建立の詔書を出したことに始まります。
大仏が出来上がるまでには本当に様々な出来事があり、現在にいたるのですが、その詳細は是非『ならの大仏さま』(初版1985年福音館書店、2006年以降復刊ドットコム)をお読みください。この本のあとがきは当サイト2019年5月の[あとがき]コーナーに3回にわけて連載してありますのでそちらをどうぞ。
『ならの大仏さま』には、天然痘の事も書かれています。
【藤原兄弟の病死】
上記の小見出しの場面では次のようです。
(引用はじめ)
「。。。大陸から天然痘が伝染してきました。
多くの人がつぎつぎと倒れ、死骸の山が積まれるありさまでした。当時都にいた貴族の三分の一がたちまち死に、そして天平9年(737年)には、藤原四兄弟と呼ばれていた光明皇后の兄たちも、あいついで死んでしまいました。」
(引用おわり)
上の絵は【疫病流行の図】をかこが模写したもので、「からだをあたため、敷物の上でねて、水をのまずにすごすとともに、神仏への祈り邪気をはらうまじないにたよりました」という説明があります。
この図の左側には「貴族の家」が描かれ、屋敷のまわりには赤い糸のようなものが巡らされています。門扉の外には、助けを乞うような人、右側(上)には「地方の庶民の家、や「都の庶民の家」が描かれ街頭では祈る人々、おりかなさる遺体も見られます。
この77ページにも及ぶ本の結びにかこさとしが書いた文章をご紹介します。
(引用はじめ)
ならの大仏の歴史は、利害や欲望に誤りやすい人間が、迷いや悩みをすこしずつのりこえてきたことを示す貴重な跡と言えるでしょう。正しい人とはどのようなことにはげむ人のことであり、美しいとはどんなことにいそしむ人の行いをさすのかを、この1300年の大仏の歴史から学ぶことができると思います。
ですからこの本「ならの大仏さま」を、過去の事件の記録として見るのではなく、これからさまざまな分野で活躍するあなたの道しるべにしていただきたいと思います。それが青銅の大仏を「ならの大仏さま」とよんで親しんできた人びとの、切なる願いであったと私は思うからです。
(引用おわり)
上は『ならの大仏さま』裏表紙。この本の複製原画は5月12日から開催予定の愛媛県歴史文化博物館「かこさとし絵本展」で展示いたします。ご期待ください。