編集室より

天狗(てんぐ)とてんぐちゃん

天狗という名前は、やはりもとは印度に発していて、ヒンズー教において、燃える隕石(いんせき)流星が化した、赤いくちばし・緑顔・腕・脚(あし)・青いつばさ・尾をもつ半人半鳥の姿とされ、それらが中国に渡り有翼長嘴(ゆうよくちょうし)の妖怪獣の名とされました。

しかし日本においては、民間伝承山霊・木霊・山鬼などとよぶ深山の精霊を、動物または人間の形をかりて象徴化したものを「てんぐ」とよび、本来は印度中国のものと同名異体であるとされています。

日本には信濃戸隠、遠江秋葉、上野榛名、出羽羽黒山などをねじろに全国各地に四十八天狗がおり、その代表的なものは山城愛宕山太郎坊、近江比良山次郎坊、信濃飯綱三郎坊、大和大峯善鬼坊、讃岐白峯相模坊、山城鞍馬僧正坊、相模大山伯耆坊、豊前彦山豊前坊の八天狗といわれていました。

しかし、「てんぐ」は日本の農民の杣人(そまびと)たちが、山霊に対する畏敬の念から発し、災厄・山なり・神かくし・神光・妖火など威術を行う者、そして神にたいしては眷属(けんぞく)、正に対しては邪の存在として考えていたにかかわらず、大天狗とよぶ頭目と家来の木葉(このは)天狗に分かれているとか、前者は白髪赤顔長鼻僧服で、後者は鳥頭短翼山伏姿で、白狼とか烏(からす)天狗という俗名があったり、一本歯をはいたり、すもうずきだったりきわめて人間くさい性格風体にしあげています。

このように「天狗」から「てんぐ」となると、充分民族化して、非常にしたしみのある、時にはひょうきんでにくめない妖怪(?)となっていることに気づきます。

私はそうした「てんぐ」の来歴、性格、そしてそこにこめられた民衆の考えをもとにして、群馬県沼田の迦葉山山椒天狗、福島久之浜天狗などを参考にして、いばりん坊でかわいい「てんぐ」ちゃんに登場してもらいました。

(下は「だるまちゃんとてんぐちゃん」後扉)

民話とだるまちゃんたち

さてこうして皆様におめにかかるようになった「だるまちゃんてんぐちゃん」を構成するにあたって私は前にのべたように「民話」に対する心構えを旨としました。

今日、民話に対するすぐれた論がすでにいくつか提出されていますが、それらの論考と実際の再話、あるいは作品との間に、きわめて大きなへだたりがあるようにおもえます。

その詳しい論述は別の機会にゆずることとして、私は次の二点を特に民話に対する態度の中で重要なことと考えます。

① 話が 古人から現代まで、一地方から他の所まで伝承伝播(でんぱ)されていったのは何なのか。話の真髄、主題、根幹は何であるのかを明確単的に把握(はあく)提示すること

② 話を包み、生命をあたえる表現、発想言いまわしのすみずみにまで、基本的態度の肉づけをもって花をさかせ、そうした細かな叙述技術結晶として、主題が貫かれているという相互交絡作用によって、作品を成立させることーーー

説話としての民話が、形として物として結晶したのが伝承郷土玩具ということがいえましょう。私は郷土玩具の主人公たちの活躍の場を求めたとき、基本的にはこの民話に対する基本姿勢をもって対処しました。

かつて私は「マトリョーシカちゃん」と題する絵物語を訳したことがあります。ベクトローワ文、ベロポリスキー画のこの作品は、ソ連というよりロシアに伝わる郷土玩具たちを主人公にしたたのしい美しい絵物語でした。私は作者の郷土玩具に対する愛情と態度、そしてその巧みで一分のすきのない構成を学ぶことができました。私は画面の色彩感覚と画面処理のみごとなこと、そしてたった十二場面の中に緩急の流れと、作品主題とで美しいおりものを仕上げる手法をしることができました。

前述した基本姿勢と、このとき学んだ示唆(しさ)が絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」をささえる力となったこと、そして「だるまちゃん」「てんぐちゃん」のほかにもたくさん皆様と仲よしになりたがっている主人公たちがいることをご報告し、この次「だるまちゃん」たちがどんな活躍をするか、皆様といっしょにたのしくまっていたいとおもいます。
(引用おわり)

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  • 「絵本 だるまちゃんとてんぐちゃん」ができるまで 加古里子(後編)(1967年掲載)