かこさとしと七夕
七夕は加古にとって特別なものでした。
『だるまちゃんの思い出 ー遊びの四季ー』に書かれているように、ふるさと武生(たけふ)で過ごした幼年時代の七夕が「民族的な「棚機(たなばた)」即ち織物を織る神や川の神に、はたおりの技術や習字や学問を上達することを祈願する色彩が色濃く流れていた」ことと関係しているようです。
長い歴史を持つ武生(たけふ)では、昭和のはじめの頃、墨で書いた短冊を笹につけるコヨリを一家総出で作って「6日につるし、7日の夕方にはその竹を持って大川の土手に行」き、土手の中ほどの焚き火に短冊をいれ「竹の頂上に1つだけ残した小さな提灯に、そのたき火から灯をもらってともす」⋯七夕の夕べの様子が克明に記されています。
こんな思い出深いこども時代を過ごしたためか、加古はこどもたちに飾りの作り方を教えたり出来上がったものを一緒に飾ったりしていました。七夕前は梅雨の時期ということもあり、筆者も家の中で延々と折り紙で飾りを作り、大きな柔らかい紙で「網」をこしらえたものです。
加古が亡くなる前の年の、つまり結果としては最後の七夕の飾りが出来上がり記念撮影をしようと思っていたところ帯状疱疹の痛みがでて、それができなかったのですが、加古にとっては七夕を迎えるのは新年を迎えるのと同じような気持ちだったように見受けられました。孫と最初に迎えた七夕、2回目の七夕⋯といった記録も残してあるほどです。
ですから七夕についてはあそびの本、星の本、そして行事の本でも取り上げています。『あそびずかん なつのまき』(2014年小峰書店)では七夕が現在のようになるまでには、日本の古来の「たなばたつめ」のならわし、中国のおりひめ、ひこぼしのお話や、「きっこうでん」のまつり、そして日本のお盆のお供えなどの「いくつものおはなしやいいつたえがまじっ」て現在に至ることが絵でわかりやすく示しています。
さらに、『なつのほし』(1985年偕成社)では上の絵に加え、下のあるように織姫星(ベガ)と彦星(アルタイル)の実際の距離などについても解説があります。
七夕の日に晴れを願う地域、逆に雨を願うところがあるのは上記のような様々な要素のどの部分に重きを置いているかによって異なるようです。皆様のお住まいのところではいかがでしょうか。
当サイト2018年「七夕」もどうぞお読みください。