『ピラミッド』(1990年偕成社)
ある日夕食が終わろうという時に、かこが突然「エジプトに行きたいのだが」と話し始めました。その理由を聞かないうちに即座に家族全員が「是非行ったらいい!」その理由は「ピラミッドを自分の目で確認しておきたい」とのことで、それなら尚更急ぐべしと、あっというまに機上の人となりました。
こうして向かったギザのピラミッドの前で撮影した写真が「あとがき」に掲載されています。
かこの本の作り方は、インターネットを個人が現在のように日常に使う前の時代でもありますし、先ず徹底的に書物で調べ、疑問点は専門家に問い、長い時間をかけて推敲して、近い場所ならその途中で取材をしていました。『ピラミッド』の場合は最後に確認として現地を訪れるということだったと思います。
それでは、「あとがき」をどうぞ。
あとがき
(引用はじめ)
すでに多くの類書がある中で、私はこの本に込めた願いは次の3つです。
1 )総合的に真実を描きたい。
同じものは存在しないといわれる複雑なピラミッドの解説に、従来簡潔のためと称して、重要な点を無視したり、巧みな想像物で代用した書が横行していました。しかし、いかに困難でも、その錯綜変貌の中に秘められた真実を、何よりも尊重したいと考えました。そのため土木・建築・地理・気象などを含めた総合的な、真正面からの接近と描写に努力したということです。
2)謎ではなく生きた歴史としてとらえたい。
例えば大ピラミッドのばあい、その記述は、外見や規模、配置等に終始して、完成までの記録や資料がないため、建造の目的や方法が「謎」とされているのが常でしたが、これは、とても残念でまずいことだと思います。
以前の資料が欠如しているなら、その後その地の人々は、どう考え、どう対処してきたか、保存や伝承や後輩の状況を検証すること、すなわち沈黙の考古学だけではなく、民族風習や閨閥関係、大衆心理など、生きた人間の視点を含めた歴史によって、五千年前の人たちがしっかり持っていた考えに、私たちが同じように、はっきりと思いいたるよう試みたいということです。
3)固い考えを排し、意味あるものとしたい。
ピラミッドというと今なお、世界最古とか七不思議、古代人がこんなこともしたとか、あるいは人民を苦役かりたてた暴虐の帝王の代表とか、逆に卓越した統一国家組織の模範というような、偏った浅薄な立脚点で論じられていました。
しかし、そうした読者に何の関係も持たない「教科書」ではなくて、日本では縄文時代のはるかな昔、私たちの人類の祖先が、ナイル川の流域で築き上げた文化と文明の中に、現在の私たちが汲みとり、未来に受けつぎ発展する要素を明示して、現在のわたしたち自身に意義のある本とするよう努めました。
おもえば1949年の夏、「ピラミッド建設譜」という影絵脚本を書いて以来、ひそかに遅々と重ねてきた古代エジプトへの思いが、今回東海大学鈴木八司、宮城女学院女子大学矢島文夫先生の監修と、早稲田大学吉村作治先生のご指導によって、皆様にお目にかけられるようになったことを御報告し、御礼といたします。
(引用おわり)
本文の漢字には全てふりがながあります。
上は、ピラミッドの歴史とナイル川流域の地図で、この本のまとめをしている場面です。
その最後には「求める人には、生きてきた先人の姿を見つけだし、これからすすみ人間の道しるべとなるすばらしい歴史だということです。」とあります。