編集室より

2016

かこさとしの複製原画をご覧になられたことがありますか。
実は古い原画は紙質も悪く、保存状態が良好だったとはいえず、随分いたんで額にいれて展示するの難しいものが多々あり「かわ」(1962年福音館書店)などはこの50年間展示したことはありませんでした。

最近は複製する技術が格段に進歩し国宝の絵画を複製にするような技術を使っての再現が可能となったことで額装してご覧いただけるようになりました。紙は特殊なものを使用するため触れば違いがわかる場合もありますが、元の紙質を写し取ることにより非常に正確に複製されますので、本の印刷では出せない原画の色鮮やかな画面を楽しんでいただけます。

複製原画をご覧いただける場所ですが、福井県福井市ふるさと文学館、福井県ゆかりの文学者のコーナーに2-3点が常設展示となっています。また、同県越前市かこさとし ふるさと絵本館石石(らく)の2階には常時40点以上の複製原画が展示されています。ここでは年に4回展示画の入れ替えをしていますが、毎回、加古作品の中から選んだ一冊の全ページ分の(作品の一部だけではなく)複製原画を見ることができます。

額装マットには、白ではなくやや薄い明るいベージュ系の色を使うことが多く、本ホームページ背景色もその色を基調としています。上述の越前市絵本館では下絵を展示することもあるのが特色ですが、下絵にはもっと茶色の濃い色合いのマットを使用し区別しています。

「からすのパンやさん(偕成社)裏表紙。本ホームページもこの色あいを基調にしています。

小さいお子さん向け、例えば「ことばべんきょう」には元気のでるレモンイエロー系、科学絵本の場合はより白に近い色やグレー系。「どろぼうがっこう」(偕成社)は真っ黒に金属的な額で牢屋のイメージ。

「ことばのべんきょう 4 -くまちゃんのかいもの」(福音館書店)

「うみはおおきい うみはすごい」(農文協) 表紙

展示会ではアクセントをつけるためにほんの少しニュアンスの違う額やマットの色を使う絵があります。多くは開催地にちなんだものなので、機会がありましたらそんな額装の絵を探されてはいかがでしょうか。

「むしばミュータンスのぼうけん」(童心社)
この原画は白地のため、絵本の背景色にあわせたマットの色です。目立つ、珍しい色あいの一例です。

登場人物の顔形は描く人そっくり、ということはよくありますが、丸めがねの男性とくれば、かこさとし本人を連想させます。描いた年代により少しずつ変化するものの、メガネときたら要チェック。今日はメガネの人物を追いましょう。

1967年、「だるまちゃんとてんぐちゃん」(福音館書店)が出版されたその年、こどものとも(138号)9月号として同じく福音館書店から出された「たいふう」。南の海上で発生した台風が日本に近づき去るまでを人々の暮らしを織り交ぜ語り、台風一過の静かな夕焼け空で終わる最終ページ。幼い子にもわかるよう災害のことにも触れる科学絵本です。いますね、裏表紙に。


翌1968年「よわいかみ つよいかたち」(童心社)は子供を物理の世界にいざなう科学絵本として世界でも稀であると専門家をうならせた作品なのですが、内容は本当にわかりやすくイラストも柔らか〜く。「たいふう」の気象予報士さんとは違うイメージですが、お子さんと一緒のときはこんな表情。だるまちゃんも貯金箱で登場しているこの本、メガネ探しだけではもったいない是非ぜひ読んでいただきたい内容も「かこさとし」な科学絵本なのです。

さあ、これでコツはお分かりですね。「はははのはなし」(1970年福音館書店)のメガネのおじさん、「わっしょいわっしょいぶんぶんぶん」(1973年偕成社)のメガネは腰手ぬぐいで、ハイ、当時のままです。「うつくしい絵」(1974年偕成社)裏表紙のメガネはゴッホの絵を嬉しそうに見ています。本文中では後ろ向きですがゲルニカを見つめています。人間だけではありません。「ことばのべんきょう」(1970年福音館書店)シリーズのくまちゃんお父さんもメガネ。「あさですよ よるですよ」(1986年福音館書店)では、お豆の父さん、メガネです。

「うつくしい絵」裏表紙

「ことばのべんきょう 4 くまちゃんのかいもの」

「あさですよ よるですよ」えんどう豆のおとうさんはメガネ。黒カバンをもって仕事にいきます。

偕成社のほしのほんシリーズのマークはご覧のとおり。「なつのほし」(1985年)の最後のページで星空を眺める丸めがね。当時、家ではこんな姿でした。

あそびの大惑星10「びっくりしゃっくりのあそび」(農文協1992年)は本当にびっくりしゃっくりの内容ばかりが連続するのですが、こんな登場の仕方です。

「あそびの大惑星 10 びっくりしゃっくりのあそび」

最近のものはどうでしょうか。「こどもの行事 しぜんと生活」(小峰書店2012年)は各月ごとの12巻に3世代9人プラスいぬ、ねこ、カナリアの大家族が登場。執筆当時の2012年で86歳のご当人、これはもうアオイじいさんに間違いありません。もう一人の眼鏡、セイワとうさんにも面影が、、、トンボ取りが大好きという共通点も見逃せません。

そう言えば、「カラスのおかしやさん」(2013年偕成社)で「ようかんやおまんじゅうなんかがほしいのう」というヒゲの老カラス、メガネがないけれどなんだか気になります。ご当人の雰囲気十分。からすなんだからメガネはない、なんてことはなくて、いるんですよ、メガネからす。パン屋さんに向かう大集団の中にも、てんぷらやさんにも。

さて、正真正銘の自画像は「太陽と光しょくばいものがたり」(2010年偕成社)最終ページに、藤嶋昭先生のお顔と並んで描いてあります。

「太陽と光しょくばいものがたり」

作品に自身を思わせる登場人物が現れるのはなぜでしょう? 加古は学生時代、演劇研究会にはいっており芝居や映画で才能を開花させたオーソンウェルズが自身の監督作品に変装してチョイ役として現れるのを見て大変喜んでいたことを筆者は思い出します。

そんな感覚で著作に登場させているのかもしれないのですが、兎にも角にも「未来のだるまちゃんへ」(2014年文藝春秋社)の冒頭にある写真をご覧いただければ、百聞は一見に如かず。同表紙では、生み出した沢山のキャラクターに囲まれて満面の笑みの丸メガネ。かこさとし自画像のお話でした。(本ホームページのトップに掲載中です)

ただいま越前市絵本館で全場面を展示中の「だるまちゃんとてんじんちゃん」(福音館書店)には、あとがきがありませんが、月刊「こどものとも」654号として刊行された2003年3月号折り込みふろくには「てんじんちゃんと天神について」と題し、加古里子の文がありますので以下にご紹介します。

(引用はじめ)
今度のだるまちゃんのお相手は、てんじんちゃんです。 天神とは天満宮の祭神菅原道真のことです。 右大臣に任ぜられてすぐ、九州に左遷されたといいますが、道中は従者1名のみで馬も食も給せられず、着いたところは床はぬけ雨漏りの廃屋で、実際は流罪だったわけです。

その天神をまつる社は、稲荷神社と首位を争うほど全国に広がり、千年の月日を超えて敬愛を集めているのは何故なのかを知りたく、20年位前たずね回った事があります。

無実の罪に対する同情や、上層政治権力者に対する反感、沈黙敗者に対する憐びんなどにより、1. 信義を重んじ礼節を守った人格 2. 簡素清廉な気質と温厚な態度 3. 逆境にあっても学問や文化、書や詩歌を失わぬ信念と意欲 4. 幼児、梅菊、鳥獣を愛した高い品性---の4点が人々の共感をよび、心をとらえ、全国150をこす素朴な土人形や木彫の郷土玩具にもなっているのを知り、たちまち「天神ちゃん」のファンになりました。

実際の道真は幼い二人の子供だけを伴った単身生活でしたが、この絵本では天神一家にだるまちゃんをまじえ、前記の4点を生かし自然と詩心と労働に包まれた新しい生活を描こうと務めました。 出てくる小鳥は天神ゆかりのウソ鳥です。

日本の児童文化が品位を失ったといわれる昨今なので、自らの低俗な育ちを省みず特に4項に力を入れたつもりなのですが、結果はどうだったか、ただもう天神様に祈るばかりです。
(引用おわり)

実は越前市、武生(たけふ)には男の子が生まれると天神人形をお嫁さんの実家から贈る習わしがあるそうです。

絵本館での「だるまちゃんとてんじんちゃん」の展示は6月27日までです。期間中は、てんじんちゃん工作や本物そっくりの動きをする黒牛を触ることもできます。

絵本館にて展示中の武生の天神像

「だるまちゃんとてんじんちゃん」(福音館書店)表紙
だるまちゃんが手にしているのはホタルブクロ

絵本館3周年記念のイベント、「だるまちゃんとてんじんちゃん」のオリエンテーリングが2016年4月30日、福井県越前市のかこさとし ふるさと絵本館にて開催されました。

心地よい好天に恵まれ、沢山の鯉のぼりの下、絵本のままに烏帽子と黒、青、黄の越前和紙でできた裃を身につけ、かこさとしの卒業した丈生(じょうせい)幼稚園と姉妹園の丈生神山幼稚園の園児さんを中心に2歳から12歳までのてんじんちゃんとご家族が参加。カエルの鳴き声やかわいい草花が咲く紫式部公園までの道のりをウソ鳥に導かれながら往復。

ひとついけで、大きな魚を釣り上げ、クサノオウやホタルブクロなどを手に手に松の木沿いに歩いて、てんじんちゃんのお家(紫式部公園)につくと、、、

今から1000年以上前のてんじんちゃん時代に使っていたのと同じようなわらじや、背負子、農具やお釜、せいろの他に、荷物を運ぶ大切な仕事をしていた牛もいてビックリ!

薪をつんだり、おにぎりを作りました。

大切なおにぎりを風呂敷に包んで、てんじんちゃんのお父さん、お母さんのところまで竿に下げ、大事に担いで全行程2、5キロ歩きました。

ゴールではおにぎり型のクッキーをもらって記念撮影。その後はお花の種をまいたり、てんじんちゃん工作をしたり、外でいろいろたっぷり遊びましたとさ。

(黒牛の制作や工作指導の早未恵理先生と)

本ホームページ開設にあたり

投稿日時 2016/04/25

かこさとし公式ホームページをご覧いただきありがとうございます。

かこさとしは今年3月に90歳を迎えました。直接皆様にお目にかかりお話することは、なかなかできませんが、ホームページで少しでもかこさとしとその作品について知っていただけたらと考えております。

かこさとしは1926年(大正15年)に現在の福井県越前市で生まれ、幼少期を豊かな自然の中で小魚やトンボを追いかけて育ちました。かこはこの頃の遊びの体験がかけがえのない貴重なものだった、と述懐しています。

小学校に上がると文章を書いたり絵を描くことが好きになり、東京の高校に進学すると国語の先生が俳人、中村草田男だったこともあり、俳句や詩にも興味をもつようになりました。里子(さとし)という名前は本名(哲=さとし)から取ったその時の俳号です。

その後、かこは東京大学工学部へ進学しますが、時代は戦争一色となり、授業どころではない状況となります。終戦をむかえた19歳のかこさとしは、食べるものもない焼け野原で物質的な貧窮のみならず、戦前からの価値観の大転換に大きな戸惑いを覚えたといいます。これからどうやって生きてゆけばよいのか、何を信じてゆけばよいのか、大いに悩んだかこは、答えを求めて大学でも工学部以外のいろいろな学部の授業に潜り込んでは授業を受け、その答えを模索する毎日を送っていたといいます。

大学卒業後は、専門である化学のメーカーに就職するもセツルメント活動に積極的に参加するようになりました。セツルメント活動とは大学生らが中心となり労働者地域で医療、法律相談をまた子供たちには教育のボランティア奉仕をするものです。給料の3分の1を使って幻灯、紙芝居、絵の指導、新聞作りなど20年間にわたり続けました。(それ以外の3分の1は仕送り、残りの3分の1で自分の生活をしたといいます)

その間、数多くの子どもたちと接することで、かこは多くのことを子どもたちから教わったといいます。この体験が元になり、47才のとき会社を退職して、未来を生きる子どもたちのために、その後の人生を歩むこととなったのです。

かこが長年にわたる子供と接する活動から得た教育的な持論は、子どもというものは自ら生きようとする生き物である、そのために自分たちで遊ぶ力をもっている、子どもは理解できれば自ら意欲をもってすすんで賢くなれる力がある、というものでした。

専門の応用化学分野で博士号も持ち、科学者の目も持つかこさとしの著書は、絵本や物語にとどまらず、自然科学(かわ、海、宇宙)建築・土木、歴史、さまざまな遊び、食べごと、四季おりおりの文化、地域資源などを融合した独自の視点と世界観を持つもので、子どもたちのいろいろな好奇心を満たすべく幅広いジャンルに及びます。また、内容的にも20年後、すなわち、子どもが大人になったときでも通用する専門性の高い、本格的なものです。

子どもにとっての遊びの意味を見つめ、健やかで賢く心豊かな子どもの成長を願ってやまぬ気持ちを冒頭のメッセージに込め、高齢の現在も、僅かな視力を頼りに19歳の決意を全うする日々を送っています。


かこさとしの絵本には、あとがきが多く書かれ「おうちの方や先生方に」著者からのお願いが語られています。お子さんの時に読んだ絵本に、こんなあとがきがあったとは大人になって初めて気付いた、と驚きを込めた感想を言ってくださる方が間々あります。

今では絶版になってしまいましたが、1975年に出版された「 行事とあそび こどものカレンダー 」(偕成社)という12巻のシリーズがありました。1巻が1ヶ月分になっていて毎日、2ページごとに季節にちなんだ遊びや自然現象の解説、行事等が紹介されているほか、のコラムがありました。その4月のまきのあとがきをご紹介します。(かな使いは本のままです)

(引用はじめ)
この本にこめた私のねがいは2つあります。

一つは、こどもにカレンダーとして、この本から、きょうやあしたという日のできごとを知っていただきたいということです。その日におこった事件や生まれたり、死亡した偉人たちを知り、なぜそんなことが起り、偉人たちがえらいと称せられたのかを、将来考えるこどもになってほしいとねがっているのです。もしその日が、そのこどもやまわりの人の誕生日にあたっているなら、できごとや偉人によせて、心からのはなむけの言葉とはげましを、ケーキよりも何より、あたえていただきたいのです。どうぞコラム欄をこどもたちに読んであげてください。

もう一つは、私が約25年ほどのあいだにこどもたちと遊びの中で試してきた、さまざまな形式と方法を使って、たのしさの中で考え、自らすすんでちえをみがいてゆくよう工夫と効果を、このほんのねらいとも、ねがいともしてあります。おとなの考えで判断せず、もしおとなも、こどもの世界にとびこんでゆかれるなら、失礼ですが、あなたも1つか2つかは、かしこくなられることだろうとおもいます。

みなさま方のよきお力ぞえををえて、このささやかなねがいが達せられるなら、作者の幸いとするしだいです。(引用終り)

サインは「さ」

投稿日時 2016/04/25

サインは、「さ」
画にサインを入れるかどうか、画家さんにより個性やこだわりがあるようですが、加古の場合スケッチなどは、完成とおもったら、入れたようです。これ以上は加筆しないという自分への確認とでもいうのでしょうか、自分の描きたいものができたという満ちたりた瞬間の印。才能のない私は、そんな気持ちになれたらどんなにか幸せなんだろうと想像します。

デビュー作品「ダムのおじさんたち」(1959年 福音館書店)は、精魂込めて描いた一場面一場面や前・後扉にサインが入れられ、時には画面中の様々な物に大きく「さ」。初期の頃の作品に特にサインが多く、「かわ」(福音館書店)裏表紙には「1962さ」と制作年も入れてあります。ちなみにこの地図は全て加古の手描き、等高線、記号、文字も。「はははのはなし」「とこちゃんはどこ」(いずれも1970年福音館書店)では本文最終ページにあります「さ」。

サインではなく、さりげなく名前を書き込んでいる場合もあって、「あかいありとくろいあり」(1973年偕成社)のビスケットメーカーは、、、

海外版(アジア圏)にするとき、このサインは取ってほしいとのことでやむなく了承したこともありますが、サインがアルファベットだったら、そういうことはなかったかもしれません。「あなたの家わたしのいえ」(1969年 福音館書店)の大きな「さ」はフランス語版でもしっかりそのままです。字に見えなかったのかもしませんけれど。

このサイン、いつ頃から始まったのかというと絵本作家としてデビューする以前からサインは、さとしの「さ」。最近はサインをいれることも少なくなってしまいましたが、「この本読んで!」2014年春号表紙に。円形の画面指定があったのでこの位置です。お持ちの本にあるサインの「さ」、大きな「さ」、一つと言わず、たくさん見つけてください。「カラスのパンやさん」(1973年偕成社)、パンやさんに向かうからすたちの中にも、ほら!
「あそびの大宇宙」(農文協)147ページの重箱にも!

左:「だむのおじさんたち」10ページ、右「からすのパンやさん」より

「この本読んで!」2014年春号、真ん中の犬の足下に小さな「さ」

「あそびの大宇宙」(農文協)より