作品によせて

折り込み付録(1962年より)

1962年福音館書店「こどものとも」7月号として刊行された「かわ」には折り込み付録があり、著者の詳細な解説がありました。長いものですので3回に分けてご紹介いたします。
今回は2回目、第5場面から第9場面までの解説を掲載します。

表紙・第1場面から第4場面に関しては、絵本「かわ」について-1-をご覧ください。

第5場面は

山地から平野に出た川が、運んできた土砂を堆積(たいせき)してできた扇状地(せんじょうち)*。ひらかれた耕地の上に、ちいさいけれど平和な村がつくられています。川はここらあたりから、はげしい上流ではなく、ゆるやかな中流となります。
軌道と筏で運ばれた木材は集材所に集められ、ここから消費地に運ばれてゆきます。

*扇状地:川が山地から平地に流れでるとき、流れが急にゆるやかになって、土砂をつみかさねてつくった扇状の緩傾斜地のこと。

第5場面。川のながれのようなゆったりとした暮らしが見られる。

第6場面は

川がゆっくりと流れながら、ゆたかな水田地帯と沼沢地(しょうたくち)を形づくっているところです。
水稲の生育には水が必要です。そのため水路や水門などの施設と人力・機械による灌漑(かんがい)が、農家の協力や工夫によりおこなわれています。

また川がうねりながら流れると、流れのあたる岸はしだいにけずりとられ、反対岸にはそれらの土砂がつもってゆくため、そのうねりはますますひどくなります。そして洪水などで川筋が変わると、もとの湾曲(わんきょく)部は三日月(みかづき)湖や沼となって残され、水鳥や魚や水草の多い湿地帯をつくります。

第7場面は

ひろい川原をともなって川幅がさらにひろくなって流れている所です。こういう所はいたって浅く、そのため一度大水になると氾濫することが多いものです。ですから水勢を弱めるための防護林や、長いかごに石をつめた蛇籠(じゃかご)やコンクリートの堤防による水制護岸工事が施され、一方では堆積した川底をふかくし、ほり出した砂礫を建設材として利用する砂利取場が見うけられます。

対岸の広漠地は 牧草地と温室栽培地として利用され、そこに働く人たちと遠足のこどもたちがみえています。

第8場面は

川沿いの緑地帯です。都会の騒音やよごれた空気をさけて、新鮮な外光と緑気を浴びることは、健康な心身のために、この上ないレクレーションとなるでしょう。俗悪な施設や過当な競争によって、このような貴重な地域を次々と失わせることなく、大切に保存活用してゆきたいものです。

第9場面は

川がいよいよ大きな都市の周辺に近づいてきた所です。コンクリート住宅の団地群と、そこと都心部を結ぶ郊外電車、そして第4場面の取入口から暗渠*の水路で送られた水が、浄水場で飲用水となり、都会地の各家庭に送られます。

また第3場面のダムで発電された電気が、送電線を通って変電所に送られてきました。ここで電圧をさげ、工場や家庭へ送られてゆきます。

都市を水害からまもるためと工業用水路として、堰(せき)*とそれに対応する放水路が、大きな湾曲部に設けられ、おおきくのびた川洲はゴルフ場となって利用されています。

*暗渠: 道路・運河・鉄道・軌道の下を水をとすためのおおいをした水路や、排水などのために地下に設けた溝。

*堰: 水をせきとめたり水のながれを調節するために、水路中または流出口につくった建造物で、水はこの上を越して流れる。


折り込み付録(1962年)より

1962年福音館書店「こどものとも」7月号として刊行された「かわ」には折り込み付録があり、編集部の以下のような解説(最後の段落)につづき著者の詳細な解説がありました。長いものですので3回に分けてご紹介いたします。

今回は3回め、第10場面から最後の第13場面までの解説とこの絵本製作にこめた著者の意図、そして2016年7月1日の第83刷より変更となった文章についての著者のよる言葉を掲載します。

表紙・第1場面から第4場面に関しては、絵本「かわ」について-1-を、第5場面から第9場面については、絵本「かわ」について-2-をお読みください。

第10場面は

都市外辺部です。測候所、美術館、水泳場、野球場、遊園地、学校、図書館、病院などの文化的社会的設備機関の間を、川はゆったりとながれています。上流で美しかった水も長い行路の間に次第ににごり、特に都会地では排水汚水が流れこむため、急激に汚れ、泥がたまります。そうした川底をさらう浚渫船(しゅんせつせん)が動いています。

手前にあるのは水といっしょに泥をポンプでくみ上げるもので、海浜の埋立などによくつかわれる方法です。今、潜水夫が川底の様子を調べています。向こう側のは、バケットで泥をすくいあげる方式のもので、すくいあげた泥は他の船につんで運びます。

第11場面は

この川の下流に発達した都市の中心地区です。川はふるくから輸送運搬路として利用されてきました。そのため大きな川の下流附近は、それら物資の集散地として栄え、近代の都市の礎となりました。

中央駅を中心に、放射線状にのびた道路と、官公署・会社・事務所商業地のビルがならぶ街、それらの間を流れるかわには、いろんな材質・形状・機能をもったはしがかかっています。この絵本でも、この場面にいたるまで、どんな橋がこの川にかかっていたか、また皆さん方の近くにはどんな橋がかかっているのかをしらべてみてください。

川に通ずる運河をへだてて、手前は卸売市場や問屋・倉庫のならぶ地域となっています。

第12場面は

河口一帯にひろがった臨港埋立地です。大きな船が横づけ出来ることや、種々の立地条件から、大小の工場がたちならぶ大工業地域として発展する場合が多いところです。

遠くにみえる商業港と飛行場をひかえた対岸は、左手から球形タンクや精溜塔(せいりゅうとう)*が林立する石油精製工場、高圧管や反応装置のみえる化学工場、高い鎔鉱炉がそびえる製鉄工場、そして石炭と重油による火力発電所がならび、それぞれ製品や副産物を供給試合、関連を保ちながら活気ある生産をおこなっています。これらの工場へ原料をはこび製品を積出す船や貨車が、忙しく往来しています。

こちら側は、大きな乾ドックのある造船所です。いくつものクレーンで、器材がはこばれ、大きな船がつくられてゆきます。その左手に立っているのは、積荷の保管と処理に当る大きな倉庫です。

*精溜塔:特に高い純度蒸留物つくるための設備。

第13場面は

さまざまなものをとかし、ながして長い旅をおえた川が、ひろびろとした海原へ連っている所で、この絵本もそこで終わっています。

以上のように、私たちの生活に身近な川のさまざま形状・機能・生態といったものを、観察絵本にまとめてみたわけですが、製作にあたっては、

① 単なる個々断片の羅列や集合ではなく、その事象のもつ目的や意義と、それがもたらす効果と影響を充分認識した上で、地形の連続性と社会の有機性と、それに絵巻物がもつ流動性のおりなすあやとして結品させたいーーー

② その内容や表現は、今おかれている日本の現実や庶民の生活実体から遊離したものではなく、そこに立脚し、そこに基盤をおく態度をくずさずに、だからこそ未来への確信と希望に裏づけられる夢と理想像を兼備した描写をしたいーーー

③しかも、あの「科学もの」とよばれる出版物の有する乾燥したあじけなさを排し、健康な笑いや喜び、豊かな自然のもつ詩情とともに、人間味をもって働きかけてくるようなうるおいのある展開をしたいーーー
ーーーそんな意図と抱負をこの絵本に託したつもりです。しかし私自身の非力のため充分えがききれていない諸点は、ご両親や先生方の適切な指導助言によって、補っていただけるならたいへん幸いです。

[文章変更にあたって]

この本は1962年月刊絵本として出版、その後単行本として、現在まで83刷を重ねてまいりました。一重に読者にご支援の賜物と感謝いたしておる所です。原稿製作当時、敗戦戦災の余燼(よじん)の中の復興活動の為、公害環境悪化 河川汚濁状況であった為、24頁にその点を文章として記載しましたが、半世紀後の現在、官公機関、生産企業の努力、市民公共環境意識等の結果、日本の「かわ」は本来の姿となったので除去して頂きました。どうぞ従来通りのご愛読をお願いしてご挨拶といたします。

2016年7月 加古里子

上は2016年7月83刷の24頁。
「まちの ごみや きたない みずが ながれこんで、
かわは すっかり よごれてしまいました」の一文をとりました。

この事に関しては2016年8月16日、日本経済新聞ウェブニュースの記事「帰ってきた清流 現実が絵本に追いつく」で加古が語っております。以下をご覧ください。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05985770S6A810C1000000/

折り込み付録(1962年)より

1962年福音館書店「こどものとも」7月号として刊行された「かわ」には折り込み付録があり、編集部の以下のような解説(最後の段落)につづき著者の詳細な解説がありました。長いものですので3回に分けてご紹介いたします。

この絵本では、できるだけくわしく"かわ"の生態が画面にかきこまれています。しかし文章のほうは、絵の細部までを、1つ1つ説明してはいません。それを詳細に説明することは、幼い人たちをかえって混乱させ、わずらわしくさせるだろうと考えました。しかし半面、知的な好奇心にみちている彼らは、あるいは本文の説明だけでは満足しないでしょう。そんなとき、もうすこしくわしく説明してあげられるように、画面の詳細な解説を作者にしていただきました。(編集部)

絵本"かわ"について -1- 加古里子

この絵本を読まれる際の手引きとして、各場面の補足的な説明をのべさせていただきます。

表紙には

この絵本の総まとめの意味で、全場面を一連の地図として示しました。第1場面から第6場面にいたる地域が裏表紙に、第7場面以下第13場面を表の方に配置しました。

絵本の中で、13に分けられたそれぞれの場面が、どんなふうに連続し、関連し合っているか、首軸である川がどのような流れと曲折をへているか、また同時に地図ではどんな記号がどれをあらわしているかを絵さがしのように、各場面と対照しながら、おとなの方も子どもさんといっしょにみていただけたらとおもいます。

「かわ」裏表紙。この地図の等高線も加古が描いた。

第1場面は

河川のはじまり、水源の様子です。所によっては、湧水とか涸谷(かれだに)*が水源地となっている所がありますが、ここでは、3000m級の高山地帯にしました。雲や霧がもたらした氷雪や雨露が、集まって小さな流れとなる過程に気をつけてください。はい松*やらいちょう*、高山植物といった風物、登山者の服装備品なども、かきこんでみました。

*涸谷:乾燥気候の地方にあり水の流れていない谷。急雨のあるときにだけ流れる。(著者による簡単な説明。以下同様)

*はいまつ:地をはっているような形のまつ。本州の中北部の高山や北海道北部・千島などの風雨の激しい所にはえている。

*らいちょう:日本アルプスや立山(たてやま)などの高山帯にすむ鳥。夏は茶色、冬は白色になる。天然記念物に指定されている。

第1場面、左端。登山者たち。

第2場面は

高山からの流れと、湖から滝となって流れ出た水流とが合して、深い山と山との間、いわゆるV字谷を走るありさまです。

左手遠く噴煙をあげる活火山、火山のすりばち形のくぼみにできたカルデラ湖、そしてロープウェイなどのある温泉観光施設など、火山地帯の状況が見られます。

右手前の尾根には、地形測量に従事している人がいます。航空写真による測量法が発達した今日でも、最終的な決定のためには、こうした地味な苦労が続けられているのです。

中央の樹林におおわれた山頂には、無線の中継塔が立っています。送られた電波が距離や地形で弱まったり阻害されるのを、こうした施設装置によって防ぎ、全国へのテレビ網や通信が確保されているのです。

第3場面には

ダムとそれにつづく森林地帯があらわれています。
地形をえらんで設置されたダム(この絵ではアーチダム)*は、単に発電ばかりではなく、洪水・渇水(かっすい)防止や灌漑(かんがい)、養魚など多くの目的につかわれますが、ここでは水力による発電を目的にしたダムです。その電力を遠い消費地に送る高圧送電線が、発電所から出ています。ダム開発のときにつくられた輸送路を、遊覧バスが走っています。

右手は、山の傾斜面を利用した植林・造林地帯で、杉を主とした国有林を示しました。斧や、手引鋸・機械鋸によって伐採された木材は、索道*やそりや、軌道、所によっては筏(いかだ)にくまれて集材所へ運ばれてゆきます。

*アーチダム:貯水による水圧を堤体のアーチによってささえる形式のダム。材料はコンクリート。

*索道:空中ケーブル式に、材木やときには人を運搬する設備。

第4場面には

川が山地を脱する前に両岸がきりたった岸壁となっています。集まった水はしだいに量をまし、かたい岩を侵食(しんしょく)*し、できた砂礫(されき)は水の勢いとともに押し流されます。

流れの下手に都市の飲料水用の取入口がみえ、水門のそばの管理所では、常に水質・水量を監視して、上水の確保につとめています。

*侵食:川や海の水が地盤を掘り削って溝や谷をつくり、山をくずしたりする作用。

オリンピックで様々な競技を目にする機会が多くありますが、運動の基本である、はしることについての絵本をご紹介いたします。

1986年評論社より刊行された「じょうずになろうシリーズ」は全部で5巻。およぐこと、とぶこと、なげること、はしること、けることについて、その分野の専門家の解説を補うように、かこさとしの絵図がふんだんに盛り込まれ、小さなおこさんから高校生・大人まで、段階にわけて練習方法や注意点が細かく説明されています。

上の場面は、走ることの発達について、走り始める頃から中学生の頃まで、を図解しています。その前のページでは、サルの歩き方が人間とはどう異なるのか、また後ろのページでは動物の走る速さと足跡を示しています。

遊びと走ることの密接な関係は、以下の場面にある通りです。

巻末には監修者でオリンピックコーチである専門家による解説ページもあり、基本のきを学び、即、役に立てられる絵本です。

監修 宮下充正
え 加古里子
ぶん 武藤芳照
八田秀雄


2016/08/29

帽子

だるまちゃんがてんぐちゃんに出会って気になったものの一つがてんぐちゃんの帽子。
だるまちゃんがてんじんちゃんや、やまんめちゃんに出会ったときには、野球帽をかぶっていました。

帽子は大切な頭を守るのでかこさとしは小さい時から愛用しています。雪国育ちですから、当ウェブサイト・プロフィール写真にある、2歳にならない頃、かぶっているのは母親手編みの毛糸帽です。

夏は日射病(と昭和時代は言っていました)予防に帽子をかぶりましょうと、学校でも勧めたものです。夏休みは麦わら帽子にランニングシャツ、半ズボンが男の子の虫取りスタイルでした。

上は「こどもの行事 しぜんと生活 7月の巻」(小峰書店)の第1ページ。この本の23ページには「ぼうしをかぶりましょう」という項目があり、下のイラストにあるような新聞紙を折って作る帽子の製作手順を図解して説明しています。

加古の帽子は、趣味ではなく、理にかなった安全策と思っていただいて間違いありません。若い頃に働いていた化学工場ではもちろん作業服に作業帽子が毎日の服装でした。

「未来のだるまちゃんへ」(2014年文芸春秋社)の冒頭には、加古は目が悪く家の中でもあちらこちらにぶつかるので帽子をかぶっている、とありますが、朝箒の時はピケ帽。当然外出にも帽子が欠かせず、もっぱらハンチング。長身、がっちり体型だった若い頃は刑事さんに間違えられそうになったこともあったそうです。

そんな著者ですから登場人物も帽子をかぶって出かけることが多くなります。加古ファンの中には、そのことをお見通しでご紹介くださっている方がいらっしゃるほどです。

「いっちく だっちく あひるのさんぽ」(偕成社 1984年 かこさとし七色のおはなしえほん①)は、あひるのお母さんがたくさんのヒヨコをつれてお散歩に行くのですが、ヒヨコたちはみーんな帽子をかぶっています。

途中で出会った風船売りのおじさんも帽子をかぶっています。この風船で事件が起こるのですが・・・
あとがきには次のようにあります。

(引用始め)
はじめこの<おはなし>を口演童話として発表したところ「勇気と知恵があるのがいい」とか「感謝の心が大切なことを教えている」とか、いろいろ批評をいただきました。

しかし、作者のひそかな意図は「戸外にゆく時、子どもは帽子をかぶりましょう、帽子を忘れないように」ということでした。

帽子なんかをなぜ? といえば大事な頭を守るためで、なぜ頭が?と考えれば、自分の体は自分で気をつけるのが一番で、自分だけで?となれば当然ほかの人にも同じようにと、親も子も思いを及ぼしていただけると思ったからです。

よくばりの私は、もうひとつ、帽子はかぶったままなのか、どんな時脱いだりとったりするのか、しなければならないのかを、子ども自身が考えれるようになってほしいと願いました。

そんな思いと願いをあひるちゃんに託したのです。
(引用終わり)

上の絵は、「とこちゃんはどこ」(1970年福音館書店)の一場面です。とこちゃんは赤い帽子が目印ですね。絵本の中の登場人物がどんな帽子をかぶっているのか注目して見るのも楽しいのではないでしょうか。

最後に蛇足で、帽子にまつわる加古流のあそびをご覧下さい。農文協あそびの大惑星5「いっすんぼうしのぼうしたち」というコーナー、13ページからです。

かこさとしは、カラスが大好きと言われていますが、絵本の中ではスズメも大切な役回りをしています。

スズメに田んぼの大切な稲を食べられてしまったら大変なので、カカシや鳴子が必要だったわけです。京都・伏見稲荷の門前にスズメ焼きが空高くズラリと並べられ売られていたのを目にしたのは筆者が10歳になろうかという時でした。ちょうどその頃に「だるまちゃんとてんぐちゃん」(1967年福音館書店)が世に出ました。

10歳ともなればそろそろ絵本は卒業、もっと字がいっぱいある本だって読めるんだと挑戦したくなる年頃です。そんなこともあってか、残念ながら、だるまちゃんの世界にどっぷり入り込んだ覚えがありません。だるまどんが作るお餅の鼻が、うまくつくのかは心配でしたが、スズメのお米好きは伏見稲荷での生々しい光景のおかげですっかり承知していましたので、スズメがお餅の鼻にとまるのも当然と納得していました。

数々のうちわの場面では、「このうちわ、うちにもある!」「あれも描いたのー?」などと自宅にあるものが絵本に登場するのを楽しんでいましたし、ヤツデの木も植わっていましたから、なるほどなるほどと現実と絵本の世界を行き来していました。それが、ごく最近、加古が言った半世紀前の言葉が突然、唐突に蘇ってきたのです。窓から外を見ていた子どもの私に向かって「スズメのほっぺには黒いヒゲみたいなのがあるでしょ」

今一度絵本を見て愕然。全く見過ごしていました。スズメにはだるまちゃんと同じようなヒゲがある!

そうか!!
このヒゲがあるからだるまちゃんの鼻にとまるのは、ちょうちょではなくスズメ。お米が好きだからスズメと思っていたけれど、きっと加古は幼い時の観察でヒゲのようなスズメの黒いほっぺが面白くて、大人になってからも、いつか、どこかで使おうと思っていたに違いありません。

スズメ起用に二重の意味が込められていたことを発見するのに50年近くもかかってしまった私。もしあと2-3年早くだるまちゃんに出会っていたらその時に見つけていたかもしれない、スズメのヒゲ。見たつもりになっていたけれど、見落とし、気にもとめなかったこんな小さなことを大人になって発見するとは・・・失ってしまった感受性を今更嘆くのはなんと情けないことか。ああ、それにしてもスズメのほっぺ。

2016年6月に復刊された「世界の化学者12か月」(偕成社)は、絵でみる化学の世界シリーズの最終第6巻として1982年に刊行された「かがやく年月 化学のこよみ ー化学の偉人と科学の歴史ー」を復刊したものです。

ご参考までにそのシリーズ6巻の題名を記しておきます。
1原子の探検 たのしい実験ー原子・分子と実験の話ー
2 なかよし いじわる元素の学校ー元素の性質と周期表の話ー
3 ふしぎな化学の大サーカスー最新の化学と技術の話ー
4みんなの生命 くらしの化学ー自然と生命化学ー
5 ひろがる世界 化学の未来ー資源とエネルギー話ー
6 かがやく年月 化学のこよみ ー化学の偉人と科学の歴史ー

これらの本を小学生の時に読んで、現在は化学者として活躍されている方もいらっしゃいますし、最近は、中国や韓国でも翻訳されて読まれています。

左が1982年版、右が2016年復刊の「世界の化学者12ケ月」

著者は工学博士(応用化学)で技術士(化学)ですから、このシリーズの企画を40年近く前に日本化学会からいただいた時には、お役に立てることに大きな喜びを持って執筆していました。

「世界の化学者 12か月」では月ごとに、化学の歴史上重大なできごととそれにまつわる化学者が紹介され、この部分が本の核となっています。他には、その月に関係する「化学 花ごよみ・味めぐり」という楽しく、ちょっと物知りになれるコーナーとその月その日生まれの科学者の欄もあります。閏日もあって366日が科学者の誕生日。自分と同じ誕生日にうまれた科学者が誰なのかがわかります。

「世界の化学者12ケ月」6月のページには、スズランのにおいやアジサイ、バラの花の色素について記載。本の下部、黄色く見える部分が年表。

さらに、全ページ通しで科学年表・化学の歴史があり、その最初の事項は「紀元前150億年 宇宙で大爆発(ビックバン)おこる 宇宙に、物質とエネルギーがひろがった」とあります。1982年版の最後は、「1981年 福井謙一博士、ノーベル化学賞受賞(日本)」で、「✳︎このあとは、みなさんが書きくわえてください」となっていました。

復刊までの34年の月日が流れる間には様々な出来事があり、十数項目を新たに追加しました。復刊本の年表の最新事項は「2016年 米大学など国際研究チームが、重力波初観測に成功」です。この次にはどんなことが記されることになるのでしょうか。

理科が苦手という方にも親しみ易い内容になっていますので、是非、日々の生活の中にある化学の世界の楽しさに親しんでいただけたらというのが著者の願いです。

2016/06/08

断面図

「だいこんだんめん れんこんざんねん」は、ユニークな書名です。
このタイトルだけですと一体なんの本なのか見当がつきません。野菜の本?それとも残念無念な結果に終わるお話?いいえ、これは断面についての科学絵本です。実はこの「だいこんだんめん れんこんざんねん」 (1984年福音館書店)の出版より10年以上前の1973年に断面についての科学絵本、その名も「だんめんず」が同じく福音館書店より刊行されています。

小さなお子さんが断面を知るにはみじかな果物や野菜を切って見るのが一番ですが、「だんめんず」では、 食器や花瓶、楽器や車、郵便ポストの断面図も登場します。方眼紙には家の平面断面図つまり地面に水平に切ったものを上から見た断面図と、垂直に切った断面図が描かれ、断面図が設計において大切な役割であることをやさしい文で説明しています。

「だんめんず 」最終場面。裏表紙の絵の断面図になっています。

「だんめんず」より。画面右下は方位磁針と水平を測る水準器。

そういえば、「あなたのいえ わたしのいえ」も家の断面を見ながらその機能についてページが進んでいきます。科学絵本「かわ」は鳥瞰図ですが、「海」や「地球」は断面図により場面が展開していきます。これらの本では、自然や人、人間が作り出してきた様々な物が描きこまれていますので断面図といっても親しみやすく詩情もある場面が繰り広げられます。圧巻は地球の断面図です。

「地下鉄のできるまで」より

「地球」より

現在はMRIで人体の輪切りの断面図を見ることができるようになり、ソナーで海底の地形を知ることができるようになりましたが、見えない物の内部を理解するのに大切な断面という方法を小さいお子さんに示し理解し納得していただく絵本には、科学的に見、考える手助けの第一歩となればとの著者の思いが込められているのです。

あそびの大星雲「くしゃみやおへそのあそび」にはMRI自体の断面図とMRIで撮れる画像を紹介しています。


残念なことに「だんめんず」は絶版ですが、6月14日から千葉県稲毛駅前・こみなと稲毛ギャラリーで開催される展示会「90&99ミライへのコトバ展 かこさとしと小湊鉄道」で展示致します。エスカレーターはこんな仕組みなんだ、ということが一目瞭然の断面図を是非、会場でご覧下さい。

2016/06/23

本の見返し

ご覧いただいているのは、「あめのひのおはなし」(小峰書店)の前見返しです。
絵本の表紙は日本ではほとんどが硬い紙、ハードカバーですが、その硬い表紙の裏側に当たる部分、前見返しは、題名から想像してどんなお話なのかワクワクしながら目に入る最初の部分、本文が始まる前の大切なアプローチですから、ここが真っ白な紙だったり、ただの色紙だったりすると「なんだ、ガッカリ」と小さい頃の加古は思ったそうです。

加古が本を書き始めた頃は、印刷の状況もわからず、見返し部分は白のままや色紙のものもありましたが、実はここも白い紙を印刷して色紙にしていることを知り、それならばと本文同様に作品の大事な一部として、本の構成を考えるときからこの見返しのデザインも計画にいれるようになったのだとか。物語の場合は内容にちなんだ単色のデザインに、科学や知識の本には資料となるべき図版や年表をいれたりと工夫がされていて、いずれも見逃せません。時には本文に入りきらないものは全部この見返しにいれるため本文同様の濃い内容ということもあります。

だるまちゃんシリーズの見返しも最初は白い紙でしたが、2014年に「だるまちゃんととらのこちゃん」(福音館書店)の見返しが完成し、シリーズ全冊の見返しが揃いました。とらのこちゃんの場合はこまかく紙を切り抜いてのコラージュというなかなか手間のいる作業を加古は楽しそうにしていました。「かわ」(1962年福音館書店)には日本古来の文様を思わせる粋なデザインの見返しがついています。これは表紙にある地図という科学的な捉え方とは全く違う方法で川を表現しており、こんなところからも、著者の見返しに込める思いが並大抵でないことがわかります。

「かわ」の見返し。笹舟やとんぼ、画面にはないが左には魚も泳ぐ。

「こどもの行事 しぜんと生活」(2012年小峰書店)には前・後見返しでその月その日にゆかりの有名人物がずらりと並び、本を差し上げる相手の誕生日を尋ねては、その月の本を選んで加古の見返し談義が始まることがしばしばです。

みなさんのお気に入りの見返しは、おかしが沢山の「からすのおかしやさん」(2013年偕成社)でしょうか。それとも「どろぼうがっこう」(1973年偕成社)の足跡?日本中、世界中の富士山が90以上紹介されている「富士山大ばくはつ」(1999年小峰書店)でしょうか。トンボの翅脈(しみゃく)が拡大されている「かいぶつトンボのおどろきばなし」(2002年小峰書店)は表紙、見返し、扉、あとがきの写真に至るまで内容と共に驚きの連続です。

「富士山大ばくはつ」と「かいぶつトンボのおどろきばなし」(いずれも小峰書店)の前見返し

裏表紙の裏、つまり本文が終わって本を閉じる前に見るのが後ろの見返し。「おたまじゃくしのしょうがっこう」(2014年偕成社)は、後ろの見返しの静けさがなんとも言えないとおっしゃるあなた、同感です。お休み前に読んだら心地よく眠れそう。

「おたまじゃくしの小学校」後ろ見返し、静けさのいちべえぬま。前見返しはおたまじゃくしが泳ぐ姿。

後ろ見返しは前見返しと同一のものもあれば時間の経過を反映して変化させているものもあります。前者は、一件落着、また元のように静かになりましたというような物語に多く、後者は「どろぼうがっこうだいうんどうかい」(2013年偕成社)のプログラムに象徴されるように物語の前と後を凝縮させて変化をほのめかしています。どちらにしろ、後ろ見返しは余韻を生み出す大切な部分、どうぞじっくりご覧ください。

それでは最後にクイズです。これは何の本の見返しでしょう? 左から、野球帽、野菜、たい焼き、ペンギン、、、すいか、、、キツネのお面、、、アイスクリーム

答えは「とこちゃんはどこ」でした。

上は「だるまちゃんととらのこちゃん」後ろ見返し、下は同、前見返し。青っぽい色に見えますが、白とオレンジ色のコントラストです。

「だむのおじさんたち」が1959年1月に『母の友』絵本34号として発行された際、著者自身による作品解説「ダムはどうして建設されるか」が折り込み付録としてついていました。

今となっては、目にする機会もない珍しい資料ですので、少々長い文章ですが、掲載いたします。(原文は縦書きです。)

(引用はじめ)

工事がはじまると

ダムの敷地の調査は、着工の数年前から、人里はなれた山奥の谷間で、幾多の苦難と危険を冒して綿密におこなわれます。(第一場面)

 こうした地味な人知れぬ努力は、各種の測量・記録・検査に、十数年の月日を費すことも決してめずらしくはありません。(第二場面)

 調査と種々検討の結果、建設が本決りになると、工事に必要な資材や機械が続々と集債されます。(第三場面)

 えがかれている機械の性能をご紹介しますと、パワーショベルは、その大きな爪で、土や岩をほったりけずったりします。ブルドーザーは、岩や土砂を押しのけたり、掘削・けん引する機械です。トラクターショベルは、そうした土砂の山をすくい上げ、積み込む作業をし、大型ダンプトラックは、がんじょうにできているので、重い岩や土を積み込んで運び、一ぺんにあけておろしていきます。クレーントラックは、重い荷物の上げおろしに、コンクリートミキサートラックは、砂礫とセメントをまぜながら運び、現場についたときコンクリートとして流しだす仕事をします。この種々な土木機械がその用途と必要に応じて準備されるのです。

工事にかかるまで

さて、これらの準備ができると、工事中、河の流れを別にながす仮排水路と、施行地点上下に締切りをして、現場の河底の土砂や風化した岩を取り諦く掘削工事がはじまります。(第四場面)

 前記の諸機械はもちろん、つるはしから大小の削岩機、ときには火薬によるハッパで、しっかりした岩盤に達するまで、根気よくほり続けられます。
 ダム工事には何千人という人手がいります。大きな会社でも、現場の末端では、今なお組頭・小頭といった組織がのこっています。その人達が、工事の完成するまでの数年間をすごす生活の場は、飯場と呼ばれています。(第五場面)

 飯場は工事が終ればまたとりこわされるため、あまり上等でないバラック建てが普通です。そこに住む人の大半は、遠く家を離れてきた人々で、幾人かの悲しい工事犠牲者も、この人達の間からでることがあります。
 工事は普通、昼夜兼行で続けられるのが常です。(第六場面)

 右端にみえるバッチャー・プラントという四階建ての大きな装置に、自動的に砂・砂利・セメントが次々と運ばれ、正確にはかりではかられ、混合されてコンクリートがつくられると、引込線のディーゼル車にのせてすばやくはこばれていきます。
 運ばれたコンクリートは、建設地点の両岸にある可動クレーンにつりあげられ、クモの巣のようにはられた索道で空中輸送され、工事場へひっきりなしにつり下げられます。(第七場面)

 一つのバケットには4~5トンのコンクリートがはいっています。こうして、ときによると台風や大水のため、工事がこわれたり、流されたりする苦難とたたかいながら、丸ビルの何倍という高さにまでコンクリートが打ちかためられていきます。
 ダム堤体の上端は溢流部といって、水の流し口が設けられ、開閉する鉄扉の柱がたてられます。(第八場面)この柱だけでも、普通のビルよりずっと高いものが多いのです。
 この頃になると、別に進められていた取水口工事、発電所工事も終りに近づいてきます。

ダムができあがると

いよいよ工事が完成すると、地元の人々や工事関係者の感慨の中に、静かに水がためられ、やがて青々とした人造湖が山々の間にできるころ、発電所への通水試騒がおこなわれます。二条の導水管を通って流れおちる水から、出力何万KWかの電気がうみ出され、その山々をこえて、遠くにのびる高圧線をつたって町や村にはこばれるとき、発電用のダム建設の工事は終りをつげるのです。(第九場面)

 たとえば天竜川上流の有名な佐久間ダムは、セメント九五八万袋・労働力延三五〇万人・総工費二六〇億円を費し、高さ一五〇米(丸ビルの約5倍)、長さ二九五米・堤体一一二万立方米・出力三五万KWという巨大なダムをつくりあげました。
 この絵本では混乱をふせぐため、四季が順をおってえがかれていますが、(表紙は第七場面と第八場面の間にはいる場面と考えてください)、佐久間ダムは、工事だけでも一九五三年(昭和28年)よりまる四年かかっています。またこの絵本にでてくるダムは、重力型というものですが、この池、アーチダムとか石塊ダムなど、いろいろの型が地形や条件に応じてつくられています。 
(引用終わり)