作品によせて

「だむのおじさんたち」が1959年1月に『母の友』絵本34号として発行された際、著者自身による作品解説「ダムはどうして建設されるか」が折り込み付録としてついていました。

今となっては、目にする機会もない珍しい資料ですので、少々長い文章ですが、掲載いたします。(原文は縦書きです。)

(引用はじめ)

工事がはじまると

ダムの敷地の調査は、着工の数年前から、人里はなれた山奥の谷間で、幾多の苦難と危険を冒して綿密におこなわれます。(第一場面)

 こうした地味な人知れぬ努力は、各種の測量・記録・検査に、十数年の月日を費すことも決してめずらしくはありません。(第二場面)

 調査と種々検討の結果、建設が本決りになると、工事に必要な資材や機械が続々と集債されます。(第三場面)

 えがかれている機械の性能をご紹介しますと、パワーショベルは、その大きな爪で、土や岩をほったりけずったりします。ブルドーザーは、岩や土砂を押しのけたり、掘削・けん引する機械です。トラクターショベルは、そうした土砂の山をすくい上げ、積み込む作業をし、大型ダンプトラックは、がんじょうにできているので、重い岩や土を積み込んで運び、一ぺんにあけておろしていきます。クレーントラックは、重い荷物の上げおろしに、コンクリートミキサートラックは、砂礫とセメントをまぜながら運び、現場についたときコンクリートとして流しだす仕事をします。この種々な土木機械がその用途と必要に応じて準備されるのです。

工事にかかるまで

さて、これらの準備ができると、工事中、河の流れを別にながす仮排水路と、施行地点上下に締切りをして、現場の河底の土砂や風化した岩を取り諦く掘削工事がはじまります。(第四場面)

 前記の諸機械はもちろん、つるはしから大小の削岩機、ときには火薬によるハッパで、しっかりした岩盤に達するまで、根気よくほり続けられます。
 ダム工事には何千人という人手がいります。大きな会社でも、現場の末端では、今なお組頭・小頭といった組織がのこっています。その人達が、工事の完成するまでの数年間をすごす生活の場は、飯場と呼ばれています。(第五場面)

 飯場は工事が終ればまたとりこわされるため、あまり上等でないバラック建てが普通です。そこに住む人の大半は、遠く家を離れてきた人々で、幾人かの悲しい工事犠牲者も、この人達の間からでることがあります。
 工事は普通、昼夜兼行で続けられるのが常です。(第六場面)

 右端にみえるバッチャー・プラントという四階建ての大きな装置に、自動的に砂・砂利・セメントが次々と運ばれ、正確にはかりではかられ、混合されてコンクリートがつくられると、引込線のディーゼル車にのせてすばやくはこばれていきます。
 運ばれたコンクリートは、建設地点の両岸にある可動クレーンにつりあげられ、クモの巣のようにはられた索道で空中輸送され、工事場へひっきりなしにつり下げられます。(第七場面)

 一つのバケットには4~5トンのコンクリートがはいっています。こうして、ときによると台風や大水のため、工事がこわれたり、流されたりする苦難とたたかいながら、丸ビルの何倍という高さにまでコンクリートが打ちかためられていきます。
 ダム堤体の上端は溢流部といって、水の流し口が設けられ、開閉する鉄扉の柱がたてられます。(第八場面)この柱だけでも、普通のビルよりずっと高いものが多いのです。
 この頃になると、別に進められていた取水口工事、発電所工事も終りに近づいてきます。

ダムができあがると

いよいよ工事が完成すると、地元の人々や工事関係者の感慨の中に、静かに水がためられ、やがて青々とした人造湖が山々の間にできるころ、発電所への通水試騒がおこなわれます。二条の導水管を通って流れおちる水から、出力何万KWかの電気がうみ出され、その山々をこえて、遠くにのびる高圧線をつたって町や村にはこばれるとき、発電用のダム建設の工事は終りをつげるのです。(第九場面)

 たとえば天竜川上流の有名な佐久間ダムは、セメント九五八万袋・労働力延三五〇万人・総工費二六〇億円を費し、高さ一五〇米(丸ビルの約5倍)、長さ二九五米・堤体一一二万立方米・出力三五万KWという巨大なダムをつくりあげました。
 この絵本では混乱をふせぐため、四季が順をおってえがかれていますが、(表紙は第七場面と第八場面の間にはいる場面と考えてください)、佐久間ダムは、工事だけでも一九五三年(昭和28年)よりまる四年かかっています。またこの絵本にでてくるダムは、重力型というものですが、この池、アーチダムとか石塊ダムなど、いろいろの型が地形や条件に応じてつくられています。 
(引用終わり)

登場人物の顔形は描く人そっくり、ということはよくありますが、丸めがねの男性とくれば、かこさとし本人を連想させます。描いた年代により少しずつ変化するものの、メガネときたら要チェック。今日はメガネの人物を追いましょう。

1967年、「だるまちゃんとてんぐちゃん」(福音館書店)が出版されたその年、こどものとも(138号)9月号として同じく福音館書店から出された「たいふう」。南の海上で発生した台風が日本に近づき去るまでを人々の暮らしを織り交ぜ語り、台風一過の静かな夕焼け空で終わる最終ページ。幼い子にもわかるよう災害のことにも触れる科学絵本です。いますね、裏表紙に。


翌1968年「よわいかみ つよいかたち」(童心社)は子供を物理の世界にいざなう科学絵本として世界でも稀であると専門家をうならせた作品なのですが、内容は本当にわかりやすくイラストも柔らか〜く。「たいふう」の気象予報士さんとは違うイメージですが、お子さんと一緒のときはこんな表情。だるまちゃんも貯金箱で登場しているこの本、メガネ探しだけではもったいない是非ぜひ読んでいただきたい内容も「かこさとし」な科学絵本なのです。

さあ、これでコツはお分かりですね。「はははのはなし」(1970年福音館書店)のメガネのおじさん、「わっしょいわっしょいぶんぶんぶん」(1973年偕成社)のメガネは腰手ぬぐいで、ハイ、当時のままです。「うつくしい絵」(1974年偕成社)裏表紙のメガネはゴッホの絵を嬉しそうに見ています。本文中では後ろ向きですがゲルニカを見つめています。人間だけではありません。「ことばのべんきょう」(1970年福音館書店)シリーズのくまちゃんお父さんもメガネ。「あさですよ よるですよ」(1986年福音館書店)では、お豆の父さん、メガネです。

「うつくしい絵」裏表紙

「ことばのべんきょう 4 くまちゃんのかいもの」

「あさですよ よるですよ」えんどう豆のおとうさんはメガネ。黒カバンをもって仕事にいきます。

偕成社のほしのほんシリーズのマークはご覧のとおり。「なつのほし」(1985年)の最後のページで星空を眺める丸めがね。当時、家ではこんな姿でした。

あそびの大惑星10「びっくりしゃっくりのあそび」(農文協1992年)は本当にびっくりしゃっくりの内容ばかりが連続するのですが、こんな登場の仕方です。

「あそびの大惑星 10 びっくりしゃっくりのあそび」

最近のものはどうでしょうか。「こどもの行事 しぜんと生活」(小峰書店2012年)は各月ごとの12巻に3世代9人プラスいぬ、ねこ、カナリアの大家族が登場。執筆当時の2012年で86歳のご当人、これはもうアオイじいさんに間違いありません。もう一人の眼鏡、セイワとうさんにも面影が、、、トンボ取りが大好きという共通点も見逃せません。

そう言えば、「カラスのおかしやさん」(2013年偕成社)で「ようかんやおまんじゅうなんかがほしいのう」というヒゲの老カラス、メガネがないけれどなんだか気になります。ご当人の雰囲気十分。からすなんだからメガネはない、なんてことはなくて、いるんですよ、メガネからす。パン屋さんに向かう大集団の中にも、てんぷらやさんにも。

さて、正真正銘の自画像は「太陽と光しょくばいものがたり」(2010年偕成社)最終ページに、藤嶋昭先生のお顔と並んで描いてあります。

「太陽と光しょくばいものがたり」

作品に自身を思わせる登場人物が現れるのはなぜでしょう? 加古は学生時代、演劇研究会にはいっており芝居や映画で才能を開花させたオーソンウェルズが自身の監督作品に変装してチョイ役として現れるのを見て大変喜んでいたことを筆者は思い出します。

そんな感覚で著作に登場させているのかもしれないのですが、兎にも角にも「未来のだるまちゃんへ」(2014年文藝春秋社)の冒頭にある写真をご覧いただければ、百聞は一見に如かず。同表紙では、生み出した沢山のキャラクターに囲まれて満面の笑みの丸メガネ。かこさとし自画像のお話でした。(本ホームページのトップに掲載中です)

サインは、「さ」
画にサインを入れるかどうか、画家さんにより個性やこだわりがあるようですが、加古の場合スケッチなどは、完成とおもったら、入れたようです。これ以上は加筆しないという自分への確認とでもいうのでしょうか、自分の描きたいものができたという満ちたりた瞬間の印。才能のない私は、そんな気持ちになれたらどんなにか幸せなんだろうと想像します。

デビュー作品「ダムのおじさんたち」(1959年 福音館書店)は、精魂込めて描いた一場面一場面や前・後扉にサインが入れられ、時には画面中の様々な物に大きく「さ」。初期の頃の作品に特にサインが多く、「かわ」(福音館書店)裏表紙には「1962さ」と制作年も入れてあります。ちなみにこの地図は全て加古の手描き、等高線、記号、文字も。「はははのはなし」「とこちゃんはどこ」(いずれも1970年福音館書店)では本文最終ページにあります「さ」。

サインではなく、さりげなく名前を書き込んでいる場合もあって、「あかいありとくろいあり」(1973年偕成社)のビスケットメーカーは、、、

海外版(アジア圏)にするとき、このサインは取ってほしいとのことでやむなく了承したこともありますが、サインがアルファベットだったら、そういうことはなかったかもしれません。「あなたの家わたしのいえ」(1969年 福音館書店)の大きな「さ」はフランス語版でもしっかりそのままです。字に見えなかったのかもしませんけれど。

このサイン、いつ頃から始まったのかというと絵本作家としてデビューする以前からサインは、さとしの「さ」。最近はサインをいれることも少なくなってしまいましたが、「この本読んで!」2014年春号表紙に。円形の画面指定があったのでこの位置です。お持ちの本にあるサインの「さ」、大きな「さ」、一つと言わず、たくさん見つけてください。「カラスのパンやさん」(1973年偕成社)、パンやさんに向かうからすたちの中にも、ほら!
「あそびの大宇宙」(農文協)147ページの重箱にも!

左:「だむのおじさんたち」10ページ、右「からすのパンやさん」より

「この本読んで!」2014年春号、真ん中の犬の足下に小さな「さ」

「あそびの大宇宙」(農文協)より