編集室より

2016年7月3日、愛知県刈谷産業振興センター小ホールで開催された講演会には他県からご参加の方もあり150人以上の皆様が集まられ熱心に耳を傾けてくださいました。

講師は、加古総合研究所の鈴木万里。100枚以上の写真・画像をご覧いただきながら、加古のデビューまでの三十数年間を振り返りました。

自然の中で鋭い観察眼を養った幼年時代。絵を描くことに目覚めた小学生時代。文学に興味をもった高校時代。演劇研究会に入っていた大学時代、そして社会人となりセツルメント活動で子どもたちと過ごした試行錯誤の日々で生まれた物語や紙芝居の数々。

皆さん、興味津々でご質問からも加古作品をこよなく愛読してくださっていることがわかりました。お答えする中で、加古が唯一自ら企画した「美しい絵」出版のいきさつもご披露しました。

講演会場とは別の部屋いっぱいに、加古の著作が並べられていました。中には、本年復刊された「しろいやさしいぞうのはなし」の元になった「ぞうのむらのそんちょうさん」や「わたしのかわいいナミちゃん」「ゆきこんこん あめこんこん」(いずれも偕成社)など、今となっては大変貴重な本もあり、皆さん手にとってご覧になっていました。

中心話題であるセツルメント活動のご紹介パネルも掲示しました。

残念ながら全員は写っていません。。。列の端の方、せっかく並んでいただいたのに失礼いたしました。。。

「ゆきこんこん あめこんこん」(1987年)
この作品は2部からなり、第1部は、なかじままりがコンクールに応募し入選した紙芝居で、画面は第2場面。第2部は、かこさとし「ひが さんさん あめ ざんざん」。

あとがきの最後の部分を引用します。
(引用はじめ)
子どもたちが知っている、親しい主人公たちが、野山や風雪や太陽の光のなかで、自然につつまれ、のびやかに生活する喜びを、この二部作で伝えられたらと考えています。
(引用おわり)

2016年6月に復刊された「世界の化学者12か月」(偕成社)は、絵でみる化学の世界シリーズの最終第6巻として1982年に刊行された「かがやく年月 化学のこよみ ー化学の偉人と科学の歴史ー」を復刊したものです。

ご参考までにそのシリーズ6巻の題名を記しておきます。
1原子の探検 たのしい実験ー原子・分子と実験の話ー
2 なかよし いじわる元素の学校ー元素の性質と周期表の話ー
3 ふしぎな化学の大サーカスー最新の化学と技術の話ー
4みんなの生命 くらしの化学ー自然と生命化学ー
5 ひろがる世界 化学の未来ー資源とエネルギー話ー
6 かがやく年月 化学のこよみ ー化学の偉人と科学の歴史ー

これらの本を小学生の時に読んで、現在は化学者として活躍されている方もいらっしゃいますし、最近は、中国や韓国でも翻訳されて読まれています。

左が1982年版、右が2016年復刊の「世界の化学者12ケ月」

著者は工学博士(応用化学)で技術士(化学)ですから、このシリーズの企画を40年近く前に日本化学会からいただいた時には、お役に立てることに大きな喜びを持って執筆していました。

「世界の化学者 12か月」では月ごとに、化学の歴史上重大なできごととそれにまつわる化学者が紹介され、この部分が本の核となっています。他には、その月に関係する「化学 花ごよみ・味めぐり」という楽しく、ちょっと物知りになれるコーナーとその月その日生まれの科学者の欄もあります。閏日もあって366日が科学者の誕生日。自分と同じ誕生日にうまれた科学者が誰なのかがわかります。

「世界の化学者12ケ月」6月のページには、スズランのにおいやアジサイ、バラの花の色素について記載。本の下部、黄色く見える部分が年表。

さらに、全ページ通しで科学年表・化学の歴史があり、その最初の事項は「紀元前150億年 宇宙で大爆発(ビックバン)おこる 宇宙に、物質とエネルギーがひろがった」とあります。1982年版の最後は、「1981年 福井謙一博士、ノーベル化学賞受賞(日本)」で、「✳︎このあとは、みなさんが書きくわえてください」となっていました。

復刊までの34年の月日が流れる間には様々な出来事があり、十数項目を新たに追加しました。復刊本の年表の最新事項は「2016年 米大学など国際研究チームが、重力波初観測に成功」です。この次にはどんなことが記されることになるのでしょうか。

理科が苦手という方にも親しみ易い内容になっていますので、是非、日々の生活の中にある化学の世界の楽しさに親しんでいただけたらというのが著者の願いです。

「ぼくのいまいるところ」(童心社)は1968年に出版されました。作は、かこさとしですが、この時の画は北田卓史さん、後に改定され現在に至るものの画は太田大輔さんです。

加古による画は、ほぼ同じ内容の紙芝居「ぼくがいるとこどーこだ」(童心社、1971年)でご覧いただけます。

かこ・さとし かがくの本1「ぼくのいまいるところ」のあとがきをご紹介します。

大きな世界と小さい自分の存在の尊さ

(引用はじめ)
「きりなし絵」というのをご存知ですか?子どもが絵本をみている絵があります。よく見ると、その本の絵は子どもが絵本をみているところで、そのまた絵本の絵が本を見ている子どもで・・・と、どこまでもつづく絵のことです。

わたしは小さいとき、こういう絵が大すきでした、そしてふと気がつくと、その絵本をみている自分がその絵の当人じゃないかと思いつき、おもしろさと、ふしぎな気分にいつまでもひたったものです。

この本はそうしたことをめざしています。

わたしたちは、無限という宇宙空間と時間の流れの中に生きているといいます。

そうした大きな、広い、長い中での存在というもの、それを認識するということは、とてもむずかしいことですし、大切なことであると考えます。

「きりなし絵」で気づいたようなことを、小さな子どもたちが、「存在」とか「認識」といったむずかしい熟語は使わないでも、感じとってくれたらというのが、作者のねがいです。 かこ・さとし
(引用終わり)

紙芝居「ぼくがいるとこどーこだ」(全12場面)の表紙絵

「ぼくのいるとこどーこだ」第4・9場面

2016/06/08

断面図

「だいこんだんめん れんこんざんねん」は、ユニークな書名です。
このタイトルだけですと一体なんの本なのか見当がつきません。野菜の本?それとも残念無念な結果に終わるお話?いいえ、これは断面についての科学絵本です。実はこの「だいこんだんめん れんこんざんねん」 (1984年福音館書店)の出版より10年以上前の1973年に断面についての科学絵本、その名も「だんめんず」が同じく福音館書店より刊行されています。

小さなお子さんが断面を知るにはみじかな果物や野菜を切って見るのが一番ですが、「だんめんず」では、 食器や花瓶、楽器や車、郵便ポストの断面図も登場します。方眼紙には家の平面断面図つまり地面に水平に切ったものを上から見た断面図と、垂直に切った断面図が描かれ、断面図が設計において大切な役割であることをやさしい文で説明しています。

「だんめんず 」最終場面。裏表紙の絵の断面図になっています。

「だんめんず」より。画面右下は方位磁針と水平を測る水準器。

そういえば、「あなたのいえ わたしのいえ」も家の断面を見ながらその機能についてページが進んでいきます。科学絵本「かわ」は鳥瞰図ですが、「海」や「地球」は断面図により場面が展開していきます。これらの本では、自然や人、人間が作り出してきた様々な物が描きこまれていますので断面図といっても親しみやすく詩情もある場面が繰り広げられます。圧巻は地球の断面図です。

「地下鉄のできるまで」より

「地球」より

現在はMRIで人体の輪切りの断面図を見ることができるようになり、ソナーで海底の地形を知ることができるようになりましたが、見えない物の内部を理解するのに大切な断面という方法を小さいお子さんに示し理解し納得していただく絵本には、科学的に見、考える手助けの第一歩となればとの著者の思いが込められているのです。

あそびの大星雲「くしゃみやおへそのあそび」にはMRI自体の断面図とMRIで撮れる画像を紹介しています。


『だんめんず』は6月14日から千葉県稲毛駅前・こみなと稲毛ギャラリーで開催される展示会「90&99ミライへのコトバ展 かこさとしと小湊鉄道」で展示致します。エスカレーターはこんな仕組みなんだ、ということが一目瞭然の断面図を是非、会場でご覧下さい。

2016/06/23

本の見返し

ご覧いただいているのは、「あめのひのおはなし」(小峰書店)の前見返しです。
絵本の表紙は日本ではほとんどが硬い紙、ハードカバーですが、その硬い表紙の裏側に当たる部分、前見返しは、題名から想像してどんなお話なのかワクワクしながら目に入る最初の部分、本文が始まる前の大切なアプローチですから、ここが真っ白な紙だったり、ただの色紙だったりすると「なんだ、ガッカリ」と小さい頃の加古は思ったそうです。

加古が本を書き始めた頃は、印刷の状況もわからず、見返し部分は白のままや色紙のものもありましたが、実はここも白い紙を印刷して色紙にしていることを知り、それならばと本文同様に作品の大事な一部として、本の構成を考えるときからこの見返しのデザインも計画にいれるようになったのだとか。物語の場合は内容にちなんだ単色のデザインに、科学や知識の本には資料となるべき図版や年表をいれたりと工夫がされていて、いずれも見逃せません。時には本文に入りきらないものは全部この見返しにいれるため本文同様の濃い内容ということもあります。

だるまちゃんシリーズの見返しも最初は白い紙でしたが、2014年に「だるまちゃんととらのこちゃん」(福音館書店)の見返しが完成し、シリーズ全冊の見返しが揃いました。とらのこちゃんの場合はこまかく紙を切り抜いてのコラージュというなかなか手間のいる作業を加古は楽しそうにしていました。「かわ」(1962年福音館書店)には日本古来の文様を思わせる粋なデザインの見返しがついています。これは表紙にある地図という科学的な捉え方とは全く違う方法で川を表現しており、こんなところからも、著者の見返しに込める思いが並大抵でないことがわかります。

「かわ」の見返し。笹舟やとんぼ、画面にはないが左には魚も泳ぐ。

「こどもの行事 しぜんと生活」(2012年小峰書店)には前・後見返しでその月その日にゆかりの有名人物がずらりと並び、本を差し上げる相手の誕生日を尋ねては、その月の本を選んで加古の見返し談義が始まることがしばしばです。

みなさんのお気に入りの見返しは、おかしが沢山の「からすのおかしやさん」(2013年偕成社)でしょうか。それとも「どろぼうがっこう」(1973年偕成社)の足跡?日本中、世界中の富士山が90以上紹介されている「富士山大ばくはつ」(1999年小峰書店)でしょうか。トンボの翅脈(しみゃく)が拡大されている「かいぶつトンボのおどろきばなし」(2002年小峰書店)は表紙、見返し、扉、あとがきの写真に至るまで内容と共に驚きの連続です。

「富士山大ばくはつ」と「かいぶつトンボのおどろきばなし」(いずれも小峰書店)の前見返し

裏表紙の裏、つまり本文が終わって本を閉じる前に見るのが後ろの見返し。「おたまじゃくしのしょうがっこう」(2014年偕成社)は、後ろの見返しの静けさがなんとも言えないとおっしゃるあなた、同感です。お休み前に読んだら心地よく眠れそう。

「おたまじゃくしの小学校」後ろ見返し、静けさのいちべえぬま。前見返しはおたまじゃくしが泳ぐ姿。

後ろ見返しは前見返しと同一のものもあれば時間の経過を反映して変化させているものもあります。前者は、一件落着、また元のように静かになりましたというような物語に多く、後者は「どろぼうがっこうだいうんどうかい」(2013年偕成社)のプログラムに象徴されるように物語の前と後を凝縮させて変化をほのめかしています。どちらにしろ、後ろ見返しは余韻を生み出す大切な部分、どうぞじっくりご覧ください。

それでは最後にクイズです。これは何の本の見返しでしょう? 左から、野球帽、野菜、たい焼き、ペンギン、、、すいか、、、キツネのお面、、、アイスクリーム

答えは「とこちゃんはどこ」でした。

上は「だるまちゃんととらのこちゃん」後ろ見返し、下は同、前見返し。青っぽい色に見えますが、白とオレンジ色のコントラストです。

「だむのおじさんたち」が1959年1月に『母の友』絵本34号として発行された際、著者自身による作品解説「ダムはどうして建設されるか」が折り込み付録としてついていました。

今となっては、目にする機会もない珍しい資料ですので、少々長い文章ですが、掲載いたします。(原文は縦書きです。)

(引用はじめ)

工事がはじまると

ダムの敷地の調査は、着工の数年前から、人里はなれた山奥の谷間で、幾多の苦難と危険を冒して綿密におこなわれます。(第一場面)

 こうした地味な人知れぬ努力は、各種の測量・記録・検査に、十数年の月日を費すことも決してめずらしくはありません。(第二場面)

 調査と種々検討の結果、建設が本決りになると、工事に必要な資材や機械が続々と集債されます。(第三場面)

 えがかれている機械の性能をご紹介しますと、パワーショベルは、その大きな爪で、土や岩をほったりけずったりします。ブルドーザーは、岩や土砂を押しのけたり、掘削・けん引する機械です。トラクターショベルは、そうした土砂の山をすくい上げ、積み込む作業をし、大型ダンプトラックは、がんじょうにできているので、重い岩や土を積み込んで運び、一ぺんにあけておろしていきます。クレーントラックは、重い荷物の上げおろしに、コンクリートミキサートラックは、砂礫とセメントをまぜながら運び、現場についたときコンクリートとして流しだす仕事をします。この種々な土木機械がその用途と必要に応じて準備されるのです。

工事にかかるまで

さて、これらの準備ができると、工事中、河の流れを別にながす仮排水路と、施行地点上下に締切りをして、現場の河底の土砂や風化した岩を取り諦く掘削工事がはじまります。(第四場面)

 前記の諸機械はもちろん、つるはしから大小の削岩機、ときには火薬によるハッパで、しっかりした岩盤に達するまで、根気よくほり続けられます。
 ダム工事には何千人という人手がいります。大きな会社でも、現場の末端では、今なお組頭・小頭といった組織がのこっています。その人達が、工事の完成するまでの数年間をすごす生活の場は、飯場と呼ばれています。(第五場面)

 飯場は工事が終ればまたとりこわされるため、あまり上等でないバラック建てが普通です。そこに住む人の大半は、遠く家を離れてきた人々で、幾人かの悲しい工事犠牲者も、この人達の間からでることがあります。
 工事は普通、昼夜兼行で続けられるのが常です。(第六場面)

 右端にみえるバッチャー・プラントという四階建ての大きな装置に、自動的に砂・砂利・セメントが次々と運ばれ、正確にはかりではかられ、混合されてコンクリートがつくられると、引込線のディーゼル車にのせてすばやくはこばれていきます。
 運ばれたコンクリートは、建設地点の両岸にある可動クレーンにつりあげられ、クモの巣のようにはられた索道で空中輸送され、工事場へひっきりなしにつり下げられます。(第七場面)

 一つのバケットには4~5トンのコンクリートがはいっています。こうして、ときによると台風や大水のため、工事がこわれたり、流されたりする苦難とたたかいながら、丸ビルの何倍という高さにまでコンクリートが打ちかためられていきます。
 ダム堤体の上端は溢流部といって、水の流し口が設けられ、開閉する鉄扉の柱がたてられます。(第八場面)この柱だけでも、普通のビルよりずっと高いものが多いのです。
 この頃になると、別に進められていた取水口工事、発電所工事も終りに近づいてきます。

ダムができあがると

いよいよ工事が完成すると、地元の人々や工事関係者の感慨の中に、静かに水がためられ、やがて青々とした人造湖が山々の間にできるころ、発電所への通水試騒がおこなわれます。二条の導水管を通って流れおちる水から、出力何万KWかの電気がうみ出され、その山々をこえて、遠くにのびる高圧線をつたって町や村にはこばれるとき、発電用のダム建設の工事は終りをつげるのです。(第九場面)

 たとえば天竜川上流の有名な佐久間ダムは、セメント九五八万袋・労働力延三五〇万人・総工費二六〇億円を費し、高さ一五〇米(丸ビルの約5倍)、長さ二九五米・堤体一一二万立方米・出力三五万KWという巨大なダムをつくりあげました。
 この絵本では混乱をふせぐため、四季が順をおってえがかれていますが、(表紙は第七場面と第八場面の間にはいる場面と考えてください)、佐久間ダムは、工事だけでも一九五三年(昭和28年)よりまる四年かかっています。またこの絵本にでてくるダムは、重力型というものですが、この池、アーチダムとか石塊ダムなど、いろいろの型が地形や条件に応じてつくられています。 
(引用終わり)

加古里子のデビュー作。1959年福音館書店より『こどものとも34号』として刊行された本の裏表紙には以下のような出版社の思いと加古の言葉が記されています。

力強い絵本を

のりもの絵本、動物絵本、物語絵本、数の絵本から観察絵本まで、絵本の種類はなかなか豊富ですが、それらをみているうちに、なんだかものたりないような気がしてきました。もちろん『こどものとも』を第一巻から通してみても、同様の不満がのこります。何かが欠けている、何だろう、と考えたすえできあがったのがこの絵本です。

作者の加古里子さんは、それについて次のようにいっています。

"私が、この絵本であらわしたい、知っていただきたいとおもう点は、

①大きなダムのことより、それをつくったひとびとのことーーその人々の苦労や、よろこびや、悲しみやーー人間労働というもののすばらしさ、

②西洋風な、あるいは夢幻的なおもしろさより、日本的な現実的な美しさ、

③科学的な真実さと、人間味のある詩情を共存させたいということ、

④社会と歴史の大きな流れを前向きにすすめようとしている人々、それをささえている人々にこそ、人類の智恵や技術は役立ってほしいこと、

⑤子どもとおとなの世界を隔絶させないで、おとうさんおかあさんたちの今の生活を、考えを、子どもたちにしってもらいたい、知らせたいということ、
以上のような点です"

こうした意図を、科学者であり、労働者であり、芸術家であり、その上に、子どもの会のすぐれたリーダーでもある作者は、みごと絵本に結晶させています。表紙に象徴されるヒューマニズム、はじめ動物達の世界からはいって、しだいに人間の生活へと導いていく組み立てかた、建設工事と労働を一体として、しかも働く人達の感情をとおして生き生きとえがいていく方法、その底を流れる力強い人間性。未来をせおう子ども達が、この絵本をとおして、労働と建設の世界を子どもなりに感じとってくれればと願っています。

かこさとしの複製原画をご覧になられたことがありますか。
実は古い原画は紙質も悪く、保存状態が良好だったとはいえず、随分いたんで額にいれて展示するの難しいものが多々あり「かわ」(1962年福音館書店)などはこの50年間展示したことはありませんでした。

最近は複製する技術が格段に進歩し国宝の絵画を複製にするような技術を使っての再現が可能となったことで額装してご覧いただけるようになりました。紙は特殊なものを使用するため触れば違いがわかる場合もありますが、元の紙質を写し取ることにより非常に正確に複製されますので、本の印刷では出せない原画の色鮮やかな画面を楽しんでいただけます。

複製原画をご覧いただける場所ですが、福井県福井市ふるさと文学館、福井県ゆかりの文学者のコーナーに2-3点が常設展示となっています。また、同県越前市かこさとし ふるさと絵本館石石(らく)の2階には常時40点以上の複製原画が展示されています。ここでは年に4回展示画の入れ替えをしていますが、毎回、加古作品の中から選んだ一冊の全ページ分の(作品の一部だけではなく)複製原画を見ることができます。

額装マットには、白ではなくやや薄い明るいベージュ系の色を使うことが多く、本ホームページ背景色もその色を基調としています。上述の越前市絵本館では下絵を展示することもあるのが特色ですが、下絵にはもっと茶色の濃い色合いのマットを使用し区別しています。

「からすのパンやさん(偕成社)裏表紙。本ホームページもこの色あいを基調にしています。

小さいお子さん向け、例えば「ことばべんきょう」には元気のでるレモンイエロー系、科学絵本の場合はより白に近い色やグレー系。「どろぼうがっこう」(偕成社)は真っ黒に金属的な額で牢屋のイメージ。

「ことばのべんきょう 4 -くまちゃんのかいもの」(福音館書店)

「うみはおおきい うみはすごい」(農文協) 表紙

展示会ではアクセントをつけるためにほんの少しニュアンスの違う額やマットの色を使う絵があります。多くは開催地にちなんだものなので、機会がありましたらそんな額装の絵を探されてはいかがでしょうか。

「むしばミュータンスのぼうけん」(童心社)
この原画は白地のため、絵本の背景色にあわせたマットの色です。目立つ、珍しい色あいの一例です。

登場人物の顔形は描く人そっくり、ということはよくありますが、丸めがねの男性とくれば、かこさとし本人を連想させます。描いた年代により少しずつ変化するものの、メガネときたら要チェック。今日はメガネの人物を追いましょう。

1967年、「だるまちゃんとてんぐちゃん」(福音館書店)が出版されたその年、こどものとも(138号)9月号として同じく福音館書店から出された「たいふう」。南の海上で発生した台風が日本に近づき去るまでを人々の暮らしを織り交ぜ語り、台風一過の静かな夕焼け空で終わる最終ページ。幼い子にもわかるよう災害のことにも触れる科学絵本です。いますね、裏表紙に。


翌1968年「よわいかみ つよいかたち」(童心社)は子供を物理の世界にいざなう科学絵本として世界でも稀であると専門家をうならせた作品なのですが、内容は本当にわかりやすくイラストも柔らか〜く。「たいふう」の気象予報士さんとは違うイメージですが、お子さんと一緒のときはこんな表情。だるまちゃんも貯金箱で登場しているこの本、メガネ探しだけではもったいない是非ぜひ読んでいただきたい内容も「かこさとし」な科学絵本なのです。

さあ、これでコツはお分かりですね。「はははのはなし」(1970年福音館書店)のメガネのおじさん、「わっしょいわっしょいぶんぶんぶん」(1973年偕成社)のメガネは腰手ぬぐいで、ハイ、当時のままです。「うつくしい絵」(1974年偕成社)裏表紙のメガネはゴッホの絵を嬉しそうに見ています。本文中では後ろ向きですがゲルニカを見つめています。人間だけではありません。「ことばのべんきょう」(1970年福音館書店)シリーズのくまちゃんお父さんもメガネ。「あさですよ よるですよ」(1986年福音館書店)では、お豆の父さん、メガネです。

「うつくしい絵」裏表紙

「ことばのべんきょう 4 くまちゃんのかいもの」

「あさですよ よるですよ」えんどう豆のおとうさんはメガネ。黒カバンをもって仕事にいきます。

偕成社のほしのほんシリーズのマークはご覧のとおり。「なつのほし」(1985年)の最後のページで星空を眺める丸めがね。当時、家ではこんな姿でした。

あそびの大惑星10「びっくりしゃっくりのあそび」(農文協1992年)は本当にびっくりしゃっくりの内容ばかりが連続するのですが、こんな登場の仕方です。

「あそびの大惑星 10 びっくりしゃっくりのあそび」

最近のものはどうでしょうか。「こどもの行事 しぜんと生活」(小峰書店2012年)は各月ごとの12巻に3世代9人プラスいぬ、ねこ、カナリアの大家族が登場。執筆当時の2012年で86歳のご当人、これはもうアオイじいさんに間違いありません。もう一人の眼鏡、セイワとうさんにも面影が、、、トンボ取りが大好きという共通点も見逃せません。

そう言えば、「カラスのおかしやさん」(2013年偕成社)で「ようかんやおまんじゅうなんかがほしいのう」というヒゲの老カラス、メガネがないけれどなんだか気になります。ご当人の雰囲気十分。からすなんだからメガネはない、なんてことはなくて、いるんですよ、メガネからす。パン屋さんに向かう大集団の中にも、てんぷらやさんにも。

さて、正真正銘の自画像は「太陽と光しょくばいものがたり」(2010年偕成社)最終ページに、藤嶋昭先生のお顔と並んで描いてあります。

「太陽と光しょくばいものがたり」

作品に自身を思わせる登場人物が現れるのはなぜでしょう? 加古は学生時代、演劇研究会にはいっており芝居や映画で才能を開花させたオーソンウェルズが自身の監督作品に変装してチョイ役として現れるのを見て大変喜んでいたことを筆者は思い出します。

そんな感覚で著作に登場させているのかもしれないのですが、兎にも角にも「未来のだるまちゃんへ」(2014年文藝春秋社)の冒頭にある写真をご覧いただければ、百聞は一見に如かず。同表紙では、生み出した沢山のキャラクターに囲まれて満面の笑みの丸メガネ。かこさとし自画像のお話でした。(本ホームページのトップに掲載中です)

ただいま越前市絵本館で全場面を展示中の「だるまちゃんとてんじんちゃん」(福音館書店)には、あとがきがありませんが、月刊「こどものとも」654号として刊行された2003年3月号折り込みふろくには「てんじんちゃんと天神について」と題し、加古里子の文がありますので以下にご紹介します。

(引用はじめ)
今度のだるまちゃんのお相手は、てんじんちゃんです。 天神とは天満宮の祭神菅原道真のことです。 右大臣に任ぜられてすぐ、九州に左遷されたといいますが、道中は従者1名のみで馬も食も給せられず、着いたところは床はぬけ雨漏りの廃屋で、実際は流罪だったわけです。

その天神をまつる社は、稲荷神社と首位を争うほど全国に広がり、千年の月日を超えて敬愛を集めているのは何故なのかを知りたく、20年位前たずね回った事があります。

無実の罪に対する同情や、上層政治権力者に対する反感、沈黙敗者に対する憐びんなどにより、1. 信義を重んじ礼節を守った人格 2. 簡素清廉な気質と温厚な態度 3. 逆境にあっても学問や文化、書や詩歌を失わぬ信念と意欲 4. 幼児、梅菊、鳥獣を愛した高い品性---の4点が人々の共感をよび、心をとらえ、全国150をこす素朴な土人形や木彫の郷土玩具にもなっているのを知り、たちまち「天神ちゃん」のファンになりました。

実際の道真は幼い二人の子供だけを伴った単身生活でしたが、この絵本では天神一家にだるまちゃんをまじえ、前記の4点を生かし自然と詩心と労働に包まれた新しい生活を描こうと務めました。 出てくる小鳥は天神ゆかりのウソ鳥です。

日本の児童文化が品位を失ったといわれる昨今なので、自らの低俗な育ちを省みず特に4項に力を入れたつもりなのですが、結果はどうだったか、ただもう天神様に祈るばかりです。
(引用おわり)

実は越前市、武生(たけふ)には男の子が生まれると天神人形をお嫁さんの実家から贈る習わしがあるそうです。

絵本館での「だるまちゃんとてんじんちゃん」の展示は6月27日までです。期間中は、てんじんちゃん工作や本物そっくりの動きをする黒牛を触ることもできます。

絵本館にて展示中の武生の天神像

「だるまちゃんとてんじんちゃん」(福音館書店)表紙
だるまちゃんが手にしているのはホタルブクロ