編集室より

上の写真は「あなたのおへそ」(1976年童心社)の前扉です。

発行以来長い間皆様に愛読いただいている「かこさとし からだの本」(童心社) 10冊シリーズの第1巻である本作は、現在でも、小さなお子さんたちの体への興味にお答えし、からだの大切さについて知っていただくきっかけとなっていればと著者は願っています。

あとがきをご紹介します。

(引用はじめ)
私は毎日、たくさんのお便りをいただきますが、その中に、どういう風のふきまわしか、私に性教育の本をかくようにという要望があります。

すでに、その種の本が多くだされているのですが、それらは、良い意図や努力にもかかわらず、何かぴったりしない、使う気にならないというらしいのです。私は、とても気が進みませんでした。

しかし、改めてこうした本を読んでみて、「よくまあ」と感心したり、「これほどまで」と感じ入り、ますます気が重くなったのですが、たった一つ、勇気がわいてきました。それは、作る側ががんばりすぎて、かんじんの読む子どもの心理や興味や立場が、ほとんど考えられていないことをみつけたからです。

この本は、その勇気に支えられて、生物の中で哺乳類の一員である人間の姿をえがきつつ、私の考えている「生と性」を知ってほしいと思ってかいたものです。

上は、〈あとがき〉のある後扉のイラストです。

1971年童心社より出版され2013年に復刊ドットコムより復刊されたこの本は、お正月のお供えや門松のいろいろ、羽根つきのわらべうたや初夢、かるた遊びに竹馬といった具合に、各月の行事や自然を楽しむヒントが満載です。

12月の最後には、年賀状作りのこんなページもあり、〈年越し〉でおしまいとなります。ご活用ください。

あとがきをご紹介します。

(引用はじめ)
私たちの住む日本は、たいへん幸福なことに春夏秋冬のちがいが、ひじょうにはっきりとしています。しかも地図をみるまでもなく、北太平洋のなかに、東北から南西に細長くのびた島国ですので、四季のうつりかわりのほかに、地理的な多くの変化と様相を同時にもっていることとなります。

こうした地理・気象などの条件のなかで生活してきた私たちの祖先は多様な風習や文化をうみだしてきました。

子どもたちのあそびは、当然、これら日本の風土の影響をつよくうけ色こくいろどられ、たくみにいかしあい、とけあって伝えられてきました。日本の子どものあそびを考えるとき、こうした日本の季節や地理、風俗習慣をぬきにすることはできません。

しかも子どもたちは、決して一部の学者のようにそれを静的な死んだ文献として固定してしまうのではなく、おもしろい、たのしい、よいものをのばす、つまらぬものをどんどんすてさる創造と選択を、たえずいきいきと流動的におこなっているのです。

この本はそうした、たくましい日本の子どもたちとともに、うたい、生活し、さわやかな未来にむかって進んでいく「あそび」」の歳時記にしたいーーーというのが、ささやかなわたしのねがいです。
(引用おわり)

かこさとし あそびの大星雲1 「ひみつのなぞときあそび 生活機器の内部の秘密」(1992年農文協)の前見開きには、下にあるような絵と著者から大人の方に向けたメッセージが記されています。

かこさとしから、おとなのひとへ 「くらしの機器のひみつと なぞなぞ遊び」

(引用はじめ)
子ども時代ふしぎなわけを知ろうとつとめ、なぞをとこうと問いつづける時があります。大勢の中には、めんどうな手数や工夫に挑み、時間を忘れてとりくも子がいます。その時その子にとってそれが楽しく、面白く、うれしいからでした。

疲れた大人は、そうした行動をイヤな仕事や労働や勉強の類だと言いますが、その時その子にはとてもすてきな、ぴったりと合った最高の遊びだったのです。

この巻には私たちの生活や身近な暮らしに関係のある器具、用具、機械の見えない内部の様子や、知らない秘密のからくりを「なぞなぞ遊び」「なぜなぜごっこ」をおりまぜておさめました。

それは科学技術や発明考案で大きな功績を残した先人の、真の英知や苦心の重点を知ってもらうと共に、その先人たちも幼少の頃、なぞに迫り、なぜと追及していたように、たとえ少数でも未知への挑戦をよろこびとする、未来のアルキメデスやエジソンたちに、仲間としての声援を贈りたかったからです。どうぞ楽しんで下さい。
(引用おわり)

この本は、鍵、ピアノ、電池、鉛筆削り、ボール、テレビなど身近にあるものから地下鉄工事、電波望遠鏡、人工衛星などの仕組みやその内部にある秘密を絵とわかりやすい文で紹介しています。中には大人が読んでも「そうだったのか!」と思うものもあります。

そして加古のメッセージにあるように本を開けるとすぐに、なぞなぞあそび①がでてきて、このなぞなぞは合計20問もあります。次から次からへと明らかにされる秘密にきっと夢中になってしまうことでしょう。

あとがきを記します。

知的よろこびは遊びの最高

(引用はじめ)
少々品の悪い表現で子どもを「ガキ」といいます。その飢えた鬼の如き食欲の塊が、食事も忘れて遊びに熱中するのは、決して珍しいことではありません。そして意外にもそれは自動警報つき鉱石ラジオカーの配線のハンダづけだったり、全天星雲星団早見表の下図作成だったりで、大人を驚かせます。

このことは、その子どもがもっている全エネルギーを傾注する対象にめぐり会う時、すばらしい集中力を示すということ、知識獲得や、思考といった知的自発自立行動が次元の高い遊びとなって魅惑歓迎されていることを示します。そうした知るよろこびと考える楽しみの遊びの本として見て頂ければ幸いです。
(引用おわり)

2016/11/19

2016年 ー1ー

今年の10大ニュースとか、◯◯大賞とかが話題になる時期になりました。

2016年は加古里子が90歳を迎え、福井県越前市にある、かこさとし ふるさと絵本館 石石(らく)の開館記念日4月26日にあわせこの公式ウェブサイトを開設いたしました。このことがなんといっても大きな出来事でした。

東京のスタジオで「だるまちゃん音頭」の収録をしたのは、お正月のことでした。

お子さんたちの歌、篠笛、そしてミネハハさんの歌と各々を収録していきます。作曲の飯田俊明さんがOKをだしても納得ゆくまで「もう一度」とくりかえし演奏される篠笛の山崎泰之さんをガラス越し拝見し、プロフェッショナルの心意気を教えられたようで、新年早々にこのような場に立ち会えたことは大きな刺激と一年に向けての意気込みを固めることとなりました。

京都では茂山逸平さんとお弟子さんによる振り付けを録画して、ついに、だるまちゃん音頭のCD・DVDが完成しました。

桜が満開の4月3日、東京・にしすがも創造舎での福音館こどものとも創刊60周年のイベント「だるまちゃんデー」では体育館いっぱいにだるまちゃん音頭と太鼓の音が響きわたりました。

(にしすがも創造舎でのだるまちゃんデーに行われた巨大だるま落としは、力を入れるタイミングがなかなか難しそうでした。)

テレビ局の取材クルーも到着。体育館にはやぐらも組まれ万国旗よろしく、だるまちゃんの表紙の絵が会場を飾り準備も整いました。

地元のお子さんたちによる見事なバチさばきで音頭は一層盛り上がり、大人も子どもも輪になって何回も踊りました。
ノリの良いミネハハさんの歌声は一度聞いたら忘れられません。実はミネハハさんは筆者の中学・高校時代の上級生で生徒の頃から、その歌唱力は学校中に知られていました。11月22日(火)夜8:57~「マツコの知らない世界」(TBS)に出演されるそうです。

「だるまちゃん音頭」は以下の福音館書店さんのホームページにあります。
寒くなってきますが、音頭を踊って寒さを吹き飛ばしてください。

http://www.fukuinkan.co.jp/ninkimono/daruma/ondo.html

「にんじんばたけのパピプペポ」(1973年偕成社)は出版以来、熱烈な支持をいただいている絵本の1つです。

なまけものの20匹のこぶたが、仲良しになって、にんじん畑を耕すまでになる物語で、教訓めいていないけれど見習わなければと思う物語です。この20匹のこぶたの名前が、すこぶる変わっていて、全てパ行、バ行の音で始まるのです。パタ、ピタ、プタ、ベコ、ポポコ・・・

どのような意図で作られた物語なのかを、著者があとがきで語っています。

あとがき かこさとし

(引用はじめ)

病気から身体をまもるには、病気にかかってからさわぐより、日頃から病気にかからないよう注意したり、身体をきたえたりするほうが大切だといわれています。いわゆる『予防医学』が大事なわけですが、そうはいっても、いったん病気にかかってしまったら、病気の苦しみをやわらげたり、熱をさげたりする『対処療法』も必要となってきます。

私が20年ほど、子ども会で遊びころげまわっていたころの目的は、十年、二十年後の子どもたちや、その時の世の中が少しでも楽しく、豊かにと念じた『予防医学』のようなものでしたが、そうした子どもたちにも日日いろいろな悩みや困ったことがあって、毎日、わたしたちにその相談がもちこまれました。

たとえば、女の子とみればすぐいじめたがる子だとか、六年生にもなっておねしょがなおらない子だとか、校長先生からふだつきの不良だきめつけられた子だとか、何かというと、すぐおぶさったり、ぶらさがりたがる子や、いつも三時間くらい家出(?)するくせのある子だとかのために、わたしたちはいろいろの『対処療法』を紙芝居やお話しや絵物語で試みました。それは、正式の童話や児童文学からみればおかしなものでしたでしょうが、わたしたちには、それがそのとき必要であったのです。

こんど本にするにあたって、すっかり書きなおしたのですが、その当の子はもう立派なおとうさんになっていて、今ではにんじんぎらいかもしれない子のために、いろいろ『対処療法』を工夫したり、子ぶたのおとうさんのように、せっせとはたらいているのではないかと思っています。
(引用おわり)

尚、本文は縦書きでで漢字にはすべてふりがながありますが、ここでは省略しました。

物語の最後のぺージには、出来上がった大きな劇場とこぶたたちの新しいレンガの家が見えます。この大劇場が続編「パピプペポーおんがくかい」」(2014年偕成社)の舞台となるのです。

"道具"というと何を思いうかべられますか。
調理器具、文房具、勉強道具、玩具、遊具、大工道具でしょうか。

「あなたのいえ わたしのいえ」(1969年福音館書店)の最終ページには次のような言葉があります。

「・・・いえは ひとが かんがえ くふうしてつくった おおきな くらしの どうぐです。くらすのに べんりな どうぐのあつまりです。・・・」

科学絵本「どうぐ」

科学絵本「どうぐ」は、その翌年1970年に福音館書店から「かがくのとも」11月号として発行され、2001年から現在にいたっては瑞雲舎で出版されています。「どうぐ」の書き出しはこうです。

「あなたの うちには どうぐが たくさん ありますね。」

朝起きて歯磨き、歯ブラシは立派などうぐです。スプーン(著書ではおさじという言い方)はすくうどうぐで、すくうどうぐの大きなものには・・・というようにページが進んでいきます。

上は「どうぐ」。福音館書店1970年版の折り込み付録(全8ページ)の3ページには、この本に寄せる著者の言葉がありますのでご紹介します。

道具を、かしこく使おう 加古里子

私たちは、毎日、道具をつかってせいかつしています。道具はあんまり身近で使いなれているため、その効用や便利さを忘れがちです。しかし、ひとたびゆっくり私たちの生活のすみずみをみなおしてみるとじつにさまざまな道具を、かず多く使っていることに気づきます。

家庭の主婦はもちろん、ちいさな子どもたちも決して例外ではありません。しかも、道具を使っていることを忘れがちなくらい、すでに道具は私たちの手足の一部、生活とはきっても切れぬものとなっています。それが、この「かがくのとも」の「どうぐ」第1章で、わたしがのべたいと思ったことです。

第2章は、そういう子どもたちや家庭内の身近な道具類の働き、機能がそのまま拡大され、強力化され、まちや工場で使われるということをかきました。これは機器設備とよばれるものです。巨大な工場の設備や大きなうなりをたてる機械が、なんのことはない、私たちの身近にあるものの、単に大きくなったものだということがわかれば、機械に対するつまらない恐れやおののきは無用のものとなります。はさみやおしゃもじを使う優越感をもって、そうした、なりだけが大きい機械に親しみ、対処するようにしたいものです。

(上は「どうぐ」10-11ページ)

以上、のべた2点は、あるいは、従来のほかの本でもかかれた点であったと思います。しかし、この「どうぐ」の本では、そのうえに、第3章をつけくわえました。

それは、小さな道具の集合集積、組み合わせによって、まったくちがう、新しい機能をもつどうぐがつくられるという点を、ぜひつけくわえたかったからです。近ごろのことばでいえば、システム化とか複合化とかいうことになりましょう。または、道具の質的変貌というようにいえるかもしれません。

以上の3つの章は、ある意味では、別々のものでありながら、たがいに関連し、補足しあって、現在の道具を物語ってくれる大事な点だと考えます。

ところで、マッチのじくというりっぱな道具を、時には、つまようじや耳かきに使うことがあります。この時、マッチ棒は、「火をつける道具」ではなく「耳をそうじする道具」となっています。つまり、道具というものは、その外見やかたちではなくて使う人の立場、条件によって、どんなにも変わってしまいまいます。道具が人びとの生活に役立ったり、目的を変えたり、逆に人びとを不幸にするかどうかは、それを使う人間の条件、立場が大事になってくることをしめしています。このことこそ、今日の道具のいちばん大事で忘れてはならない点だと思います。原子力などは、そのよい例でしょう。

なんだか、むずかしいことをかきましたが、以上が私の作品にはめずらしく(?)3つの部分からなっている理由ですし、やはり主題はなんとかの1つおぼえで、「みんなで、道具を、かしこく使おう」ということです。

2016/11/04

火災予防

上の絵は「ことばのべんきょう②くまちゃんのいちねん」(1971年福音館)の一場面です。
11月9日から15日までは「秋の全国火災予防運動期間」で、小学生や中学生による火災予防を呼びかけるポスターが掲げられているのを目にします。

80年ほど前、加古が小学生時代には火災予防のポスターを描いては賞をいただいていたそうです。なんとも皮肉なことですが、その賞状やメダルは空襲で全部燃えてしまいました。

「だるまちゃんととらのこちゃん」(1984年福音館)のとらのこちゃんのお家はペンキ屋さんで店内には[火気厳禁]の張り紙があります。大学時代は工学部、その後化学会社の研究所にいた加古にとっては火気厳禁は基本のき。そんな日々の染み付いた感覚が何気ない場面にも反映されています。

(「だるまちゃんととらのこちゃん」より)

小さなお子さん向けの平仮名だけの絵本ですから漢字のこの張り紙は難しそうですが、(火、気は小学校1年、禁は5年、厳は6年で習うそうです) シンナーを扱う塗装(これも看板に書いてあります)では、火気厳禁は必須です。お子さんと一緒に絵本を読んで下さる時にこういうところから防火の知識と合わせて漢字を読んだり覚えたりするきっかけを見つけていただけたら何よりです。

「ことばのべんきょう①くまちゃんのいちにち」(1970年福音館)の[だいどころ](p35)には消火器が備わっていて、絵には漢字で消火器とあります。

さらに「ことばのべんきょう②くまちゃんのいちねん」(1971年福音館)では、最初にあるように消防自動車が登場し、大晦日の場面では、薪をくべながら、せいろでもち米を蒸しているおじいさんの向かいに[火の用心]の張り紙がみえます。

空気が乾燥してくるこの時期、火の用心をいま一度気をつけたいと思います。

(トップページ見出しの消防車の絵は「からすのパンやさん」(1973年偕成社)の一部分です)

11月になりました

11月を迎え来年のことが話題になる季節になりました。

ご覧いただいているのは「かこさとし おはなしのほんカレンダー」11月(ケイエス販売)です。このカレンダーは、偕成社から刊行されているおはなしのほんシリーズ20冊の中から季節や行事にちなんだ絵を月ごとのカレンダーにしたもので、今月の絵は「からすのてんぷらやさん」から、紅葉が色づく会場での賑やかなおめでたい場面です。

「からすのてんぷらやさん」(偕成社2013年)の表紙と裏表紙。

この絵本は「からすのパンやさん」の4わのこどものうち3番目に生まれたレモンちゃんが、大きくなって思いもかけない事件に遭遇し仲間とともに奮闘する物語です。

あとがきの一部をご紹介します。
(引用はじめ)

私は戦災や震災の時、レモンさんのような方がたに何人も接して、平時では得られぬ貴重な教えをいただいてきました。そして人間の社会は、ただ大勢いるのではなく、たがいに助けあい、補いあって、「社会」がなりたつことを知りました。

それが、このお話しをかこうとおもったきっかけです。
(引用おわり)
尚、本文は縦書きで漢字には全てふりがながふってありますが、ここでは省略しました。

上は、来年2017年のおはなしのほんカレンダーです。2018年1月までの13場面と20枚のメモリアルシールが付いています。

絵本とは違い文字がありませんので絵をじっくり楽しんでいただけます。お忙しい日々、ふと見るカレンダーの絵に和んでいただけたら何よりです。

10月27日から読書週間が始まるのにちなみ、世界各国で愛されている名作童話の登場人物が勢ぞろいする、あそびの大惑星 5 「こびととおとぎのくにのあそび ー遊びの宮殿かんらん車ー」(農文協1991年)をご紹介します。

ピノキオ、ガリバー、シンデレラ、ヘンゼルとグレーテル、ドンキ・ホーテ、ふしぎのくにのアリスや赤ずきんちゃん、長ぐつをはいたねこ、日本のさんたろう、はなさかじいさんもでてきます。あそびの本なのにどうして?と思われるかもしれません。

例えばピノキオでは、あやつり人形の作り方、ガリバーの絵の中に隠れている人を探す絵探し、ふしぎのくにのアリスのトランプ手品 、ジャックと豆のきのことば探しなど、頭をひねる数字遊びや迷路あそび、一筆書き、四コマ漫画まで、まさに副題にかんらん車とある通り、あそび、遊びの連続です。

〈アトムやスーパーマンもピーターパンもとんでゆく〉の項目では、それぞれの飛んでいる姿とともに勢いよく飛ぶ工作遊びが紹介されています。

上は前とびらの一部です。
「あなたはほんをよみますか?」と題するまえがき、正確にいうと前歌、が書かれています。このページ左上ではミミズクが「暗夜行路」を、右上ではカラスが「からすのパンやさん」を読んでいます。

ここに描かれている本の題名は左から「ロミオとジュリエット」「奇妙な果実」「ロボット工学入門」「唐詩銘撰」「わが輩は猫である」(本が逆さ向きなので夏目漱石の肖像画もひっくり返っています。)

読みにくいと思いますので、あらためて前がきを記します。

あなたは ほんを よみますか?

(引用はじめ)

〽︎ほんは すばらしい のりものだ
すぐに どこへでも ゆけるんだ
ほんは すてきな せんせいだ
なんでも たのしく おしえてくれる
ほんは ふしぎな レントゲン
こころの おくまで はっきり うつす
そのうえ ほんの せかいは
やさしい ゆりかごだ
いつのまにか しずかに
ねむらせて くれるもの
(引用おわり)

上の写真にあるように、この本の最後の見開き(47ー48ページ)には「おとぎのくににあさがきた」という言葉とともに朝日をあびるたくさんのおもちゃや子どもに慕われている物語の登場人物が大集合します。(写真は一部です)

実は、この絵には長い歴史があります。加古が社会人になって間もない頃、セツルメント活動をはじめていた1952年に制作した大きな水彩画「おもちゃの国にあさがきた」をもとにしているのです。

当時、加古のまわりの子どもたちはおもちゃらしいものは何一つもっていませんでした。この絵を見ながら、かこさとしが語る物語に想像の翼を広げたり、動物の数を数えたり、ある色を探すゲームをしたりしてみんなで楽しんだそうです。役目をはたし終えたその絵は、今ではすっかり色あせてしまいましたが、本著を描くにあたり、時代に合わせた絵にして残しておきたいと願った著者のおもいが伝わってきます。どうぞ本を開けて隅々までご覧ください。

そして、最後には「お伽の世界は想像と創造の星雲」と題するあとがきがあり、以下にご紹介します。

お伽の世界は想像と創造の星雲

(引用はじめ)

光速のロケットができてもとなりの星雲にゆくには何千年とかかるそうですし、事件がおこるとそこにいたかどういかという、いわゆるアリバイが問題となります。このように時間や距離や生物の耐えられない条件などを超えるには、最新の技術や経済力を動員しても出来難いことなのに、なんと本の世界では「話はかわって」「むかしとおいくにで」「さて一方こちらでは」とたった数字数行で、とびこえてきました。特にお伽話や童話の世界にはこのふしぎさすばらしさが渦巻いています。
読書で知識を覚え、文字や物事を知り、かしこくなるとすすめますが、本によってこのふしぎですばらしい世界をとびまわり、まよったりあそんだり楽しんでほしいというのがこの巻のもうひとつの願いです。ではどうぞこの本も、もう1冊。

(引用おわり)

10月25日に開館30周年を迎える藤沢市総合図書館。1階中央にガラスケースが設置され、寄贈されたイラストとともに「だるまちゃんとてんぐちゃん」の複製原画が展示されています。

地下には児童図書が並び、壁面にはかこさとしコーナーが設けられています。「絵巻じたて かわ」も展示されています。