編集室より

「じょうずになげられますか」

この本の最初の小見出しです。本文によれば「にんげんのように じょうずにものをなげることのできる どうぶつは、ほかにはいないのです。」

確かにそうです。そんな当たり前の事も改めて考えてみると、人間が手を自由に使えるようになったことの重大さを知るきっかけにもなります。
この本の小見出しの続きをあげてみます。
「あそびの なかの なげること」
「くらしの なかの なげること」
そして、「なげる どうさの はったつ」「なげることの じょうずへた」が図解され「なげる れんしゅう」「ボールのとりかた」「なげる ちから だめし」では年齢に応じた統計が示され「スポーツの なかの なげること」「なげるときのちゅうい」「おんなのこも なげてみよう」「とおくになげてみよう」という構成です。

下の写真は、「とおくになげてみよう」の挿絵(一部)です。

項目だけ見ただけでも役立ちそうな内容であることがわかりますが、さらに専門家からの興味深いアドバイスも巻末にあります。絵はかこさとしですから分かり易く、ユーモラスな細かい挿絵が豊富で絵を見ているだけでも楽しくなります。

投力が落ちているとの調査結果もあるようですが、人間だけに与えられた手の自在な動きを見直し「じょうずになろう なげること」を実践していただければと思います。

「こどもの行事 しぜんと生活 4月のまき」(2012年小峰書店)によると、清明(せいめい)とは二十四節気のひとつで春分から十五日目にあたることのことです。今年は4月4日だそうです。

「このころは、きよらか(清らか)でさわやか、そしてあかるい(明るい)気候となることから、この名がつきました。」(本文では漢字に全てふりがながあります)

元々は中国の野山に出かけたり先祖のお墓参りにゆく慣わしが、沖縄に伝わったと説明が続きます。

中国・宋代の清明祭を描いた名画「清明上河図(北京故宮博物館蔵)は2012年に日本でも公開されましたのでご記憶にある方もいらっしゃることでしょう。名画故に中国でも多くの模写作品があるそうですが、実は加古もこの絵を模写し本の中で紹介しています。下の写真をご覧ください。

「万里の長城」((2013年福音館書店)[18 五代十国と宋時代の文化と技術]の項で1ページ半の幅で描き、以下のような説明があります。
(引用はじめ)
首都・開封活気あふれる早春の様子をえがいた「清明上河図」(張択端画)は、名画とされ、多くの画家に影響をあたえた。
(引用おわり)
(本文の漢字には全てふりがながあります。また、人名漢字は日本で使われる漢字を使用しました)

往来の騒めきや船をこぐ音が聞こえてくるような絵、加古も影響を受けたに違いありません。「かわ」(1962年福音館書店)制作の下敷きになっているようにさえ思えてくるのは気のせいでしょうか。

2017/03/16

さくら

梅、桃、桜と花は主役を変えて季節がすすみ、さくら前線が話題になる候になりました。加古作品の中でさくらを巡ることにしましょう。

このサイトのトップページ写真で次々と出てくる絵の最後は、「こどものカレンダー4月のまき」(偕成社1975年・写真上)の表紙に使われたもので、背景の桜色に花びらは見返しです。さくらについては下のように、幸せ溢れる女の子とともに紹介しています。

「こどもの行事 しぜんと生活 4月のまき」(2012年小峰書店・写真上)では、ベニシダレサクラの下、幸せいっぱいの面々。サクラ前線については、この本(写真下)や「だるまちゃんしんぶん (春)」(2016年福音館書店)でもお花見のニュースと合わせて描かれています。

次の表紙のサクラですが、この意味はやや違います。

「ドイツ人に敬愛された医師 肥沼信次」(2003年 瑞雲舎 /文=舘沢貢次、絵=加古里子)は、医学研究のため渡ったドイツで世界大戦が勃発、伝染病医療センターで献身的な活動をし自らも病に倒れ1946年3月8日、35歳で帰らぬ人となりました。彼の最後の言葉は「桜をもう一度見たかった。みんなに桜を見せてあげたかった。」

1993年、肥沼の弟によってドイツの地に植えられた桜の苗木は成長し市庁舎の庭を飾っています。優れた医師であり人格者であり後世も忘れずにいてほしい「肥沼がもう一度見たいと願った日本の桜の花」と裏表紙には書き添えられています。

科学絵本にもサクラは欠かせません。季節の変化、時間の経過を示す格好のモチーフだからです。「地球」( 1975年福音館書店・下の写真)では満開のサクラの下で一休みしながら子どもと話す声が聞こえてくるような穏やかな光景。加古里子の科学絵本には、こういった要素も地中の根とともに描き込めれているのが特徴です。

「地球」では1冊の中で同じ季節が2回つまり2年経過する作りになっています。これは著者による解説の言葉を引用すれば、「地球にすむいきものたちを、仲間としてえがきたかったため、どうしても四季を一回めぐるだけではもり込めな」かったからです。

「出発進行!里山トロッコ列車」(2016年偕成社)では、小湊鉄道といえばここ、というくらい有名な菜の花と桜の共演場面が本にも登場します。(下の写真)

「地下鉄ができるまで」(1987年 福音館書店)では、桜の頃の地下鉄工事の起工式(下の写真)から始まり梅雨や入道雲の青い空、街路が黄色く色づき雪が舞い、やがて再び花咲く開通式と言葉ではなく場面に添えられた風景で時間の流れを示しています。

満開の桜ではなくあえて散りゆく花びらのみを描く場合もあります。

下の写真は「おおきいちょうちんちいさいちょうちん」(1976年福音館書店)の冒頭です。この絵本は、副題に、ゆかいな「反対」言葉とあるように、対比するものを提示することでその概念を子どもたちにわかってもらおうという科学絵本ですが、加古独特のユーモア満載で大人が見ても満足できる絵本です。

見たことがあるような大きい提灯に書かれている文字は科学絵本の科、劇画風の絵が多いのですが、長い・短い、重い・軽い、上・下、多い・少ない、開ける・閉める、中・外、のびる・ちぢむ、暗い・明るい(本文では全てひらがな)に提灯がでてきて、桜吹雪は日本的な味を出す小道具といったところでしょうか。

「ダムのおじさんたち」(1959年福音館書店)の最後の場面、ダムが完成しおじさんの笑顔に舞う桜の花びら。おじさんたちの晴れやかな気持ちが一層伝わってきます。

たくさんの桜を見てきましたが、最後に「まさかりどんがさあたいへん」(1996年小峰書店)の後ろ扉に描かれている絵をご覧下さい。このロボットのドレスの模様は桜の花びら・・・
著者のどんな気持ちが投影されていると皆さんはお考えになられるでしょうか。文と絵が同一人であるからこそできるこのような表現の妙を味わっていただけたらと思います。

次々に登場するこまった状況の動物たちが、自分の出来ることを他のためにしてあげることによって、皆がこまった状況を乗り越えることができるというお話。困難を解決するにはどうしたら良いかを小さいお子さんにもわかるように温かな雰囲気の絵で描いています。

1986年偕成社より刊行された同名の絵本を再編集の上、新たなあとがきを加え復刊したものです。
1986年の発行時のあとがきをご紹介します。

(引用はじめ)
子どもに接する大人の態度で大事なのは、「明るく、はっきり、ゆったり」といういことです。毎日の生活や長い人生は、決して良い時ばかり続くとはかぎりません。こまった問題やむずかしいイザコザにぶつかります。そんな時、身近な信頼しているおとなが、どんな様子であるかが、子どもにとって大きな影響を与えます。
問題を、子どもからかくしておきながら「暗く、不可解で、せっかち」な態度を示すほど、子どもを悲しませ、悩ませるものはありません。
「明るく、はっきり、ゆったり」立ち向かう大人の姿から子どもは生きる力をひとつひとつ学びとってゆくように、このお話のこぐまたちから困難をのりこえる力を読みとってほしいと思います。
(引用おわり)

上の写真は後扉で、このページには2017年版に際しての著者の言葉が加えられています。お読み下さい。

新版について

(引用はじめ)
この絵本を最初に出して頂いたのは、30年前の昭和時代の末で、社会は一応平穏を謳っていましたが、日本海中部地震/つくば科学万博/グリコ事件/日航ジャンボ機墜落など、様々な問題が発生していました。私は三つの大学の講義と、その間全国各地の講演でとびまわっていて、接する学生や教師、家庭の人々がいまひとつ意欲や覇気の乏しいのが気になっていました。せめて子ども達に持っている力や才智に応じた共生助け合いの心と、未来に生きる情熱を持ってもらいたいと念じて 作ったのがこの作品です。その私の願いが今も変わらないのが、少しさみしい気がしている所です。愛読を感謝します。
かこさとし
(引用おわり)

以下から白泉社MOEの絵本ニュースをご覧下さい。

http://www.moe-web.jp/character/kako.html

かこさとし食べごと大発見の第2巻「ちり麺ラーメン そばうどん」(1994年農文協)をご紹介します。
第1巻「ご飯みそ汁 どんぶりめし」をご案内した際にも述べましたが、このシリーズは前見返しに〈この本のねらい〉と前書きに相当する著者のことば、前扉には逸話の紹介があり、本文に続く最後のページにはあとがきにあたる文、さらに後扉には〈作者からのお願い〉と著者の創作の意図がふんだん語られています。

それは、著者が食べごとという独自の視点からこのシリーズを構成しているからにほかなりません。
カバーにある著者のことばを記します。

心とからだ に役立つ うんまい、おいしい絵本

(引用はじめ)
総合的な人間発見食べごと絵本 ー かこさとし
食事のとき、私たちはたべものとだけ向き合うわけではありません食器や調味料、ナプキン、それに花瓶も食卓に並びます。買い物の失敗談や一日のできごとが、食膳の会話や談笑となります。「いただきます」の言葉から食後の片付けまで、食事とはその人の全生活と関係し、季節社会に呼応しています。この本は、そうした統合的で創造的な「食べごと」の再発見をめざして編集されました。読者がそれぞれ「食べごと」を見直す契機となれば幸いです。
(引用おわり)

この本が書かれたのは、20年以上前ですが、この20年の間に著者がめざしていた「食べごと」どころか満足に食事ができない子どもたちがいるという現実。その解決のための子ども食堂が、空腹だけではなく子どもたちの心も満たしているならば「食べごと」の悲しい実例なのかもしれません。

扉には次のように書かれています。

人生あるいは人世は、めん類

(引用はじめ)
江戸時代の謎に、そば、うどんの如く生くるに、細く長きに如かざるもの何ぞ。というものがあります。堅からず軟弱でなく真っ直ぐであるが、しなやかに曲がり、当たりよく飲み込み、よく生涯をすごすのが、人間の知恵だというので、答えは人生ということになります。しかし、同じ音読の人世すなわち実社会や渡る世間もなんどもこねたり、叩きつけられたあげく、のばしたり、切られたり、熱い煮え湯くぐらせられるものだとの教訓とも考えられます。
それでは、めんが人生であるのか、それとも人世がめんであるのか、その実際をみてみることにしましょう。
(引用おわり)

前書きにあたる上記の文は大人に向けてのメッセージですが、本文はいたって明るく楽しく、皿田家の面々が美味しそうな麺をすすりながら、材料となる小麦粉、そば粉、米粉の違いやつけ汁かけ汁、薬味、中華麺、パスタと「からすのそばやさん」顔負けの多種類の麺が描かれ、見ていると食べたくなることうけあいの本です。

表紙に登場する皿田家メンバーのフィギュアは紙粘土製でかこさとしの手つくりです。冒頭の写真では、はっさくじいさんとふきばあちゃん、小さななめこちゃんがいます。
最後にー作者からのお願いーをご紹介します。

めん類の体験と見学 ー作者からのお願いー

(引用はじめ)
変態といってもエッチなことではありません。卵/幼虫/蛹/成虫と昆虫が体つきを変えるのを変態といいますが、粒/粉/塊/麺と変貌する様子は、魔法の連続です。しかも、その間におこる混合/捏和/粘動/煮沸などの極めて高度の物理化学的操作と変化を、わくわく自分で確かめ、試してみることができるのです。
そして、その結果は、無粋な偏差値やグラフで示されるのではなく、よかったかどうかは、食べてみれば、内臓から全身によってはっきりわかります。この変身発見の機会を、家庭や園や学校でぜひ作っていただくご配慮を、お願いするところです。
(引用おわり)

大奮闘のせいごパパが、ちりめんラーメン作りに挑戦。出来上がったラーメンに大満足のようじくんの笑顔は本でご覧下さい。

かこさとしの90年を集約した本書は、初公開のものを含め豊富な写真で作品とその創作にこめたねらいや願い、背景を深く探り時系列で浮き彫りにします。加古作品に流れる人生観、哲学がわかり易く紹介されているのが魅力です。

野村萬斎氏との対談や古くからの友人、作家・加賀乙彦氏や美術史家・辻惟雄氏によるエッセイに加え知人や家族による文章は、かこさとしの知られざる一端を垣間見ることができるでしょう。

写真入り略年譜、完全最新版著作リストは資料としても貴重で、絵本館情報も掲載され、まさに完全保存版というべき1冊です。

2017/02/25

ねこ

上の写真は、「だいこんだんめん れんこんざんねん」(1984年福音館書店)の後扉です。

大根やレンコンなど身近なものの断面図からこうして最後には地球まで見せてしまう科学絵本ですが、たくさんいるのは猫の親子。どうしてここで猫が登場するかというと、お子さんにとっては難しい断面という見方の大切さを伝える楽しくわかりやすい一例として本文中にでてくる出来事に関係しているのです。

同じく福音館発行の「かがくのとも でんとうがつくまで」(1970年)では表紙に犬、裏表紙に黒猫がいます。(下の写真)

かこさとしの動物好きは読者の皆さんがお見通しですが、絵本に登場する猫をもっと探してみましょう。

デビュー作「ダムのおじさんたち」(1959年福音館書店)にいます。おじさんたちが飯場で昼休みのひと時を過ごす場面に白い可愛い仔猫。この一匹がいることでおじさんたちが休憩時間にねこをかわいがる様子が目に浮かんできます。科学絵本でありながら、このような場面に一匹のねこを描くことでさらに人間味が感じられ物語性の厚みが増すように思います。

「あそびずかん」(2015年小峰書店)でも黒猫が子どもたちのあそびの場面に一緒にいます。写真は「あそびずかん はるのまき」の表紙(一部)です。

家族が登場して絵本が展開する場合、家族の一員として名前のある猫が出てきます。「こどもの行事しぜんと生活」(2012年小峰書店)では家族全員が節句や季節などに関係ある名前で、2月生まれのねこはアル。(下の写真・4月のまき)2月22日はねこの日だそうですが、加古は中国語の数字の2の発音からこう名付けたようです。アルも黒くて赤いリボンで、元気いっぱいです。

「かぜのひのおはなし」(1998年小峰書店)で子供達と仲良しなのはトラ猫(下の写真)です。

この猫とそっくりなのが当サイト[作品によせて]で第1巻「ご飯 みそ汁 どんぶりめし」をご紹介した「かこさとしの食べごと大発見」10冊シリーズに登場する皿田家のねこで、その名はラムです。

上の写真は、「かこさとし 食べごと大発見4 うれしいフライ 天ぷら天下」で活躍するラムねこ。この「食べごと発見」シリーズの表紙は、食べ物と絵本に登場する皿田家のひとびとがミニフィギュアで写っているのですが、このフィギュアは紙粘土を着色したかこさとしによる制作です。ラムねこちゃん(下の写真)は高さ5センチほどの小さなものです。

まだまだたくさんのページに登場するねこ探し、一度にたくさん見つけたい方に耳よりな情報を一つ。動物が465匹描かれているとあとがきにある「わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん」(1973年 偕成社)をお忘れなく。

かこさとしの生まれ故郷・福井県越前市で生育されている天然記念物コウノトリをモチーフに豊かな環境を守り、コウノトリとともに暮らす子どもたちや人々を情緒豊かに温かな視線で描くフィクション。舞台となった地域にとどまらず人間と生き物の共生、地球規模での環境について考える入り口となります。
見返しには、日本・世界でのコウノトリについても書かれています。
あとがきをご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
コウノトリは、白と黒のつばさをひろげ、赤く長いあしをそろえて飛ぶすがたがとてもきれいです。水辺の魚や虫、カエルなどをえさにする、人なつこい大型の鳥です。それで日本でも海外でも、幸せや赤ちゃんを連れてくる鳥として、親しまれてきました。

しかし、自然がうしなわれ、えさが少なくなったため、住むのにてきさないところが増えて、世界中のでコウノトリの数が少なくなりました。コウノトリが住めるようなよい場所にしようと兵庫県豊岡市、福井県越前市の白山・坂口地区などでは、熱心な努力がおこなわれています。

この絵本は、コウノトリが飛んできて住みたくなるようなところは、人間の生活にもよい自然と環境なので、そうしたよい状況を守り、地球の生物がともに楽しく平和にくらせるようにとのねがいをこめて、つくりました。

もし読者のみなさんに時間がありましたら上記の地区の方々努力されているようすをみていただきたいと思います。
(引用おわり)
尚、全ての漢字にはふりがながありますが、ここでは省いています。

2017年2月14日より開催している「かこさとし展」に行ってきました。
4階の静かな空間に「出発進行! 里山トロッコ列車」(2016年偕成社)の全原画と絵本用ではなく小湊鉄道広告用に描かれたデイーゼル機関車の絵や、おなじみ「だるまちゃんとてんぐちゃん」「宇宙」「かわ」(福音館書店)「からすのパンやさん」(偕成社)の複製原画が並びます。

かこさとしのインタビューや小湊鉄道の映像も見ることができます。

だるまちゃんやてんぐちゃん、絵本に登場するうちわ(越前和紙)の他に、かこさとしが使っていた筆記用具、「出発進行!里山トロッコ列車」5ページに描かれているタブレットや硬券切符、かこさとし特集MOE3月号なども陳列しています。
2017年3月20日まで。休廊は月曜日で詳しくは本サイトお知らせ・展示会情報をご覧下さい。

かこさとしあそびの本シリーズ5冊のご紹介も本作「しらない ふしぎな あそび」(2013年復刊ドットコム)で最後です。
2000年前からあるギリシャの石けりからはじまり、この本には、ペルーのじんとり、世界中にある竹うまやけんだまあそびなど、しらないあそびやふしぎな錯覚あそびなどが満載です。何百年も前にインドで考えられたというあそびやヒンズーのすごろくは、きっと大人でも見たこと、聞いたことがないことでしょう。

前扉(下の写真)には次のように書かれています。
(引用はじめ)
がいこくには めずらしい しらないあそびがたくさんあります。にっぽんにも ふるくからつたわる ふしぎなあそびがいろいろあります。 これはそうした せかいとにっぽんをつなぐ、あそびの本です。
(引用おわり)

あとがき

あとがきを記します。
(引用はじめ)
この遊びの本も、ようやく最終巻を見ていただけるようになりました。おさめられたあそびの数は、数え魔の下の娘の計算によると、第1巻 89 第2巻99 第3巻102 第4巻127となっていますので、この最終巻156を加えると総計573種ということになります。今まで子どもの遊戯やあそびをまとめた本は、けっして少ないわけではありませんでした。しかし私はこの5冊の本で
1)主人公である子どもの心と考え
2)まわりをとりかこむ条件やふいんき
3)健康で進歩的で発展的な内容
を、特に大事な軸としました。私の知っている限り、上の3つの点を全部配慮してある本は見当たらなかったように考えたからです。

子どもたちは遊ぶことが大すきですが、けっしてあそんでだけいるものではありません。しかも、正常であればあるほど、あそびは子どもたちの生活と色濃く結びついています。

ですからまったく子どもたちの生活の他の部分をぬきにしたり、無視して、あそびだけをきり離して論じたり、解説する「静的」な取り扱い方をわたしはしませんでした。よくお正月などに放送されるわらべうたや手まりうたが、声はきれいだが、ちっとも面白くないーーーすっかり生き生きした子どもらしさが消えさってしまっているーーーのをおそれたためであります。

したがって、このほんの内容をできるだけ生きた形でつかまえ「動的」に応用しながら、家庭や校庭でいかしていただきたいというのがわたしの願いです。

さいごまでよんでいただいた皆様と、わたしのこの5冊をまとめるのに、生きた資料をわたしに教え、考え、はげましてくれた全国の子どもたちにつきぬお礼をおくらせていただきます。では、お元気で さようなら。
(引用おわり)