編集室より

ヒガンバナのひみつ

投稿日時 2016/09/19

今回ご紹介するのは〈かこさとし大自然のふしぎえほん3〉「ヒガンバナのひみつ」(1999年小峰書店 )です。

秋のお彼岸の頃に突然現れるかのように花が咲くヒガンバナには、本書によると日本各地に600以上の別の名前があります。曼珠沙華(マンジュシャゲ)、ボンバナ、ジゴクバナなどお聞きになったことがある方もいらっしゃることでしょう。

(上は、前扉。左からキツネノカミソリ、ヒガンバナ、シロバナマンジュシャゲ)

なぜこんなに多くの名前をこの植物はもっているのでしょうか。花色や形からつけられた名前、咲く場所やこの植物が持つ薬効から名づけられれたものの他に、「ヒガンバナのひみつ」に関わる大切な役割が関係しています。

本書を読みながら、そのすごいひみつを解き明かしてください。先人たちが名前にこめた深い知恵に驚かれることでしょう。

科学絵本ですが、お茶の間で3世代の家族が会話をするような温かな雰囲気が魅力の親しみやすい構成です。

最後に、この本のあとがきを挿絵とともにご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
1934(昭和9)年、東北地方の冷害と飢饉が伝わり、全国に新聞社の義援金募られた。福井から東京に転校して間もない、小学3年生の私は、級友3人と語らい何をおもったか横丁の納豆問屋にとびこみ、売らせてくれと頼んだ。理由を聞かれ、売ったお金を東北に送りたいといったら、太ったおばさんが急に涙ぐみ、一銭ももっていないのに、商品の山とカゴまで貸してくれ、売り方をこまかに教えてくれた。こうして家々を訪ね、たどたどしく話をすると、どこの家でも快く買ってくれ、たちまち売り切れて、それから4人で入金を算術して、夕方おばさんから差額をもらった。

こうして一週間、総額は忘れたが、物を売るとこんなにもうかるのかという印象の4人の労賃を、なんと新聞販売店にもっていった。果たしてきちんと担当部署に届いたかわからないが、大人も子どもも、疑うことを知らぬ、貧しいが人情あふれる時代であった。このときあるおかみさんがしてくれた、ヒガンバナを掘って、飢えをしのぐ話が、私の心につきささった。

本書を書きながら、私の脳裏を、このときの納豆とおかみさんの話が何度も去来した。
(引用おわり)

パピプペポーおんがくかい

投稿日時 2016/09/23

「パピプペポーおんがくかい」(2014年偕成社)をご紹介します。上にご覧いただいているのは、その最後の場面です。

2016年9月23日NHK総合テレビ特報首都圏「92歳現役作曲家・大中恩の挑戦」でも紹介されたこの絵本「パピプペポーおんがくかい」は、「にんじんばたけのパピプペポ」(1973年偕成社)の続編として誕生しました。

「にんじんばたけのパピプペポ」のお話はこうです。
草ぼうぼうのはらっぱにすんでいたなまけものの20匹のこぶたが、ある日、大根のようなみかん色の野菜を食べると、すっかり働きものになり、みんなで力を合わせ、はらっぱを耕し立派なにんじん畑をつくるまでになりました。

その上、レンガ造りの劇場まで建てることができ、その劇場で開かれた大きな音楽会が、「パピプペポーおんがくかい」というわけです。

下は「パピプペポーおんがくかい」の前扉。グランドピアノ型の劇場が建っています。

「パピプペポーおんがくかい」あとがき かこさとし

(引用はじめ)

私は柄にもなく若年の頃、演劇など舞台芸術に関心をもっていました。特に各国民族が独自の舞踊や歌劇をもっていることから、それは人間という生物の、性質の一つではないのかと思っていました。そうだとすると、同じ地球のなかまである他の生物にも、そのような性質や力があるのではないかと、ひそかに思い、その発表の機会を待望していました。果して専門家によって鳥類をはじめ、各種生物の「春の踊り」や「足ぶみ行動」や「歌合戦」」などが、次々と報ぜられるようになったので、パパコちゃんたちがつくった〈にんじん劇場〉をかりて、長年の夢を上演したというわけです。

今回はまにあいませんでしたが、次回上演のときは御招待しますので、ぜひおこしください。

あわせて、この本に登場した生物たちの総数は、のべ1408となりましたことをご報告しておきます。ごきげんよう。

(引用おわり)
尚、本文は縦書きで数字も漢数字、全ての漢字にふりがながふってありますが、省略いたしました。

2001年に小峰書店より発行された〈かこさとし大自然のふしぎえほん7〉「台風のついせき 竜巻のついきゅう」をご紹介します。

この本の表紙に描かれている猛威をふるう台風・竜巻の迫力に圧倒される方も多いことでしょう。

台風による被害がでるのはどうしてなのか。そもそも台風とはどのようにして発生、発達するのか、それを防ぐことができるのかを探ってゆきます。

台風同様に渦巻く風、竜巻は、台風と何が違うのでしょうか。

台風、竜巻に共通する要素をあげ、むやみに恐れるのではなく正しく知り、研究することの大切さも伝えています。

本書をつくるにあたり著者は、当時は現在ほど日本で多発していなかった竜巻にも注目し、竜巻研究が盛んなアメリカの資料などから竜巻に対する注意点などもあげています。

上は、前扉。グラフは台風の気圧の記録です。この下には、横軸に同じ時間軸をとり、台風の風の速さの記録グラフを提示し、これら2つのグラフから台風は中心の気圧が一番低く、中心では風が一時穏やかであることをデータで表しています。

前見返しには、台風の断面図、世界中の台風の動きとともに俵屋宗達、尾形光琳ら有名な日本画家の描いた風神の絵が著者により模写されています。科学絵本なのになぜ?と思われる方があるかもしれません。

台風という言葉が使われるはるか昔、源氏物語には野分という言葉があるそうですが、自然現象を科学的に捉えることがかなわなかった時代、私たちの祖先は風が風神によもたらされていると考えていたことを伝えています。

後見返しには、世界で起きた竜巻のようすや、竜巻の大きさを表す藤田スケールの図に加え、ギリシャ神話に出てくる風の神々の絵もあるといった具合で、本の端から端まで古今東西の風に関しての情報が満載です。

あとがきが書かれている後扉(下の絵)には、前扉と呼応するように中世のヨーロッパの人たちが想像した風の原因と、竜巻の気圧と風速の珍しい記録がグラフで示されています。

あとがき

あとがきを記します。
(引用はじめ)

北陸生まれの私が、小学校2年の時関東に住むようになって、はじめて台風の恐ろしさを知りました。特に太平洋戦争後、たびたび来襲する台風と、その水害の救援のお手伝いをするようになってから、気象や天気の変化に関心を持つようになりました。しかし、その知識も考え方もいたっておそまつで、台風を悪魔の化身とか、竜巻を台風の同類ぐらいにしか思っていませんでした。その後、多くのすぐれた研究や科学者の記録を知るようになり、誤りを正していただいたうえ、ものすごい力を持った大自然そのものから、いったい人間は何をしたいのか、どうしようというのか、その扱いや対応が問題なのだと教えられてきたように思います。

本書をまとめる際、特に専門的なお立場から、東京大学海洋研究所の木村龍治、新野宏両先生より、ご懇篤のお教えとあたたかいご指導をいただいたことをみなさまにお知らせして感謝といたします。ありがとうございました。

(引用おわり)

折り込み付録(1962年)より

1962年福音館書店「こどものとも」7月号として刊行された「かわ」には折り込み付録があり、編集部の以下のような解説(最後の段落)につづき著者の詳細な解説がありました。長いものですので3回に分けてご紹介いたします。

今回は3回め、第10場面から最後の第13場面までの解説とこの絵本製作にこめた著者の意図、そして2016年7月1日の第83刷より変更となった文章についての著者のよる言葉を掲載します。

表紙・第1場面から第4場面に関しては、絵本「かわ」について-1-を、第5場面から第9場面については、絵本「かわ」について-2-をお読みください。

第10場面は

都市外辺部です。測候所、美術館、水泳場、野球場、遊園地、学校、図書館、病院などの文化的社会的設備機関の間を、川はゆったりとながれています。上流で美しかった水も長い行路の間に次第ににごり、特に都会地では排水汚水が流れこむため、急激に汚れ、泥がたまります。そうした川底をさらう浚渫船(しゅんせつせん)が動いています。

手前にあるのは水といっしょに泥をポンプでくみ上げるもので、海浜の埋立などによくつかわれる方法です。今、潜水夫が川底の様子を調べています。向こう側のは、バケットで泥をすくいあげる方式のもので、すくいあげた泥は他の船につんで運びます。

第11場面は

この川の下流に発達した都市の中心地区です。川はふるくから輸送運搬路として利用されてきました。そのため大きな川の下流附近は、それら物資の集散地として栄え、近代の都市の礎となりました。

中央駅を中心に、放射線状にのびた道路と、官公署・会社・事務所商業地のビルがならぶ街、それらの間を流れるかわには、いろんな材質・形状・機能をもったはしがかかっています。この絵本でも、この場面にいたるまで、どんな橋がこの川にかかっていたか、また皆さん方の近くにはどんな橋がかかっているのかをしらべてみてください。

川に通ずる運河をへだてて、手前は卸売市場や問屋・倉庫のならぶ地域となっています。

第12場面は

河口一帯にひろがった臨港埋立地です。大きな船が横づけ出来ることや、種々の立地条件から、大小の工場がたちならぶ大工業地域として発展する場合が多いところです。

遠くにみえる商業港と飛行場をひかえた対岸は、左手から球形タンクや精溜塔(せいりゅうとう)*が林立する石油精製工場、高圧管や反応装置のみえる化学工場、高い鎔鉱炉がそびえる製鉄工場、そして石炭と重油による火力発電所がならび、それぞれ製品や副産物を供給試合、関連を保ちながら活気ある生産をおこなっています。これらの工場へ原料をはこび製品を積出す船や貨車が、忙しく往来しています。

こちら側は、大きな乾ドックのある造船所です。いくつものクレーンで、器材がはこばれ、大きな船がつくられてゆきます。その左手に立っているのは、積荷の保管と処理に当る大きな倉庫です。

*精溜塔:特に高い純度蒸留物つくるための設備。

第13場面は

さまざまなものをとかし、ながして長い旅をおえた川が、ひろびろとした海原へ連っている所で、この絵本もそこで終わっています。

以上のように、私たちの生活に身近な川のさまざま形状・機能・生態といったものを、観察絵本にまとめてみたわけですが、製作にあたっては、

① 単なる個々断片の羅列や集合ではなく、その事象のもつ目的や意義と、それがもたらす効果と影響を充分認識した上で、地形の連続性と社会の有機性と、それに絵巻物がもつ流動性のおりなすあやとして結品させたいーーー

② その内容や表現は、今おかれている日本の現実や庶民の生活実体から遊離したものではなく、そこに立脚し、そこに基盤をおく態度をくずさずに、だからこそ未来への確信と希望に裏づけられる夢と理想像を兼備した描写をしたいーーー

③しかも、あの「科学もの」とよばれる出版物の有する乾燥したあじけなさを排し、健康な笑いや喜び、豊かな自然のもつ詩情とともに、人間味をもって働きかけてくるようなうるおいのある展開をしたいーーー
ーーーそんな意図と抱負をこの絵本に託したつもりです。しかし私自身の非力のため充分えがききれていない諸点は、ご両親や先生方の適切な指導助言によって、補っていただけるならたいへん幸いです。

[文章変更にあたって]

この本は1962年月刊絵本として出版、その後単行本として、現在まで83刷を重ねてまいりました。一重に読者にご支援の賜物と感謝いたしておる所です。原稿製作当時、敗戦戦災の余燼(よじん)の中の復興活動の為、公害環境悪化 河川汚濁状況であった為、24頁にその点を文章として記載しましたが、半世紀後の現在、官公機関、生産企業の努力、市民公共環境意識等の結果、日本の「かわ」は本来の姿となったので除去して頂きました。どうぞ従来通りのご愛読をお願いしてご挨拶といたします。

2016年7月 加古里子

上は2016年7月83刷の24頁。
「まちの ごみや きたない みずが ながれこんで、
かわは すっかり よごれてしまいました」の一文をとりました。

この事に関しては2016年8月16日、日本経済新聞ウェブニュースの記事「帰ってきた清流 現実が絵本に追いつく」で加古が語っております。以下をご覧ください。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05985770S6A810C1000000/

折り込み付録(1962年)より

1962年福音館書店「こどものとも」7月号として刊行された「かわ」には折り込み付録があり、編集部の以下のような解説(最後の段落)につづき著者の詳細な解説がありました。長いものですので3回に分けてご紹介いたします。

この絵本では、できるだけくわしく"かわ"の生態が画面にかきこまれています。しかし文章のほうは、絵の細部までを、1つ1つ説明してはいません。それを詳細に説明することは、幼い人たちをかえって混乱させ、わずらわしくさせるだろうと考えました。しかし半面、知的な好奇心にみちている彼らは、あるいは本文の説明だけでは満足しないでしょう。そんなとき、もうすこしくわしく説明してあげられるように、画面の詳細な解説を作者にしていただきました。(編集部)

絵本"かわ"について -1- 加古里子

この絵本を読まれる際の手引きとして、各場面の補足的な説明をのべさせていただきます。

表紙には

この絵本の総まとめの意味で、全場面を一連の地図として示しました。第1場面から第6場面にいたる地域が裏表紙に、第7場面以下第13場面を表の方に配置しました。

絵本の中で、13に分けられたそれぞれの場面が、どんなふうに連続し、関連し合っているか、首軸である川がどのような流れと曲折をへているか、また同時に地図ではどんな記号がどれをあらわしているかを絵さがしのように、各場面と対照しながら、おとなの方も子どもさんといっしょにみていただけたらとおもいます。

「かわ」裏表紙。この地図の等高線も加古が描いた。

第1場面は

河川のはじまり、水源の様子です。所によっては、湧水とか涸谷(かれだに)*が水源地となっている所がありますが、ここでは、3000m級の高山地帯にしました。雲や霧がもたらした氷雪や雨露が、集まって小さな流れとなる過程に気をつけてください。はい松*やらいちょう*、高山植物といった風物、登山者の服装備品なども、かきこんでみました。

*涸谷:乾燥気候の地方にあり水の流れていない谷。急雨のあるときにだけ流れる。(著者による簡単な説明。以下同様)

*はいまつ:地をはっているような形のまつ。本州の中北部の高山や北海道北部・千島などの風雨の激しい所にはえている。

*らいちょう:日本アルプスや立山(たてやま)などの高山帯にすむ鳥。夏は茶色、冬は白色になる。天然記念物に指定されている。

第1場面、左端。登山者たち。

第2場面は

高山からの流れと、湖から滝となって流れ出た水流とが合して、深い山と山との間、いわゆるV字谷を走るありさまです。

左手遠く噴煙をあげる活火山、火山のすりばち形のくぼみにできたカルデラ湖、そしてロープウェイなどのある温泉観光施設など、火山地帯の状況が見られます。

右手前の尾根には、地形測量に従事している人がいます。航空写真による測量法が発達した今日でも、最終的な決定のためには、こうした地味な苦労が続けられているのです。

中央の樹林におおわれた山頂には、無線の中継塔が立っています。送られた電波が距離や地形で弱まったり阻害されるのを、こうした施設装置によって防ぎ、全国へのテレビ網や通信が確保されているのです。

第3場面には

ダムとそれにつづく森林地帯があらわれています。
地形をえらんで設置されたダム(この絵ではアーチダム)*は、単に発電ばかりではなく、洪水・渇水(かっすい)防止や灌漑(かんがい)、養魚など多くの目的につかわれますが、ここでは水力による発電を目的にしたダムです。その電力を遠い消費地に送る高圧送電線が、発電所から出ています。ダム開発のときにつくられた輸送路を、遊覧バスが走っています。

右手は、山の傾斜面を利用した植林・造林地帯で、杉を主とした国有林を示しました。斧や、手引鋸・機械鋸によって伐採された木材は、索道*やそりや、軌道、所によっては筏(いかだ)にくまれて集材所へ運ばれてゆきます。

*アーチダム:貯水による水圧を堤体のアーチによってささえる形式のダム。材料はコンクリート。

*索道:空中ケーブル式に、材木やときには人を運搬する設備。

第4場面には

川が山地を脱する前に両岸がきりたった岸壁となっています。集まった水はしだいに量をまし、かたい岩を侵食(しんしょく)*し、できた砂礫(されき)は水の勢いとともに押し流されます。

流れの下手に都市の飲料水用の取入口がみえ、水門のそばの管理所では、常に水質・水量を監視して、上水の確保につとめています。

*侵食:川や海の水が地盤を掘り削って溝や谷をつくり、山をくずしたりする作用。

折り込み付録(1962年より)

1962年福音館書店「こどものとも」7月号として刊行された「かわ」には折り込み付録があり、著者の詳細な解説がありました。長いものですので3回に分けてご紹介いたします。
今回は2回目、第5場面から第9場面までの解説を掲載します。

表紙・第1場面から第4場面に関しては、絵本「かわ」について-1-をご覧ください。

第5場面は

山地から平野に出た川が、運んできた土砂を堆積(たいせき)してできた扇状地(せんじょうち)*。ひらかれた耕地の上に、ちいさいけれど平和な村がつくられています。川はここらあたりから、はげしい上流ではなく、ゆるやかな中流となります。
軌道と筏で運ばれた木材は集材所に集められ、ここから消費地に運ばれてゆきます。

*扇状地:川が山地から平地に流れでるとき、流れが急にゆるやかになって、土砂をつみかさねてつくった扇状の緩傾斜地のこと。

第5場面。川のながれのようなゆったりとした暮らしが見られる。

第6場面は

川がゆっくりと流れながら、ゆたかな水田地帯と沼沢地(しょうたくち)を形づくっているところです。
水稲の生育には水が必要です。そのため水路や水門などの施設と人力・機械による灌漑(かんがい)が、農家の協力や工夫によりおこなわれています。

また川がうねりながら流れると、流れのあたる岸はしだいにけずりとられ、反対岸にはそれらの土砂がつもってゆくため、そのうねりはますますひどくなります。そして洪水などで川筋が変わると、もとの湾曲(わんきょく)部は三日月(みかづき)湖や沼となって残され、水鳥や魚や水草の多い湿地帯をつくります。

第7場面は

ひろい川原をともなって川幅がさらにひろくなって流れている所です。こういう所はいたって浅く、そのため一度大水になると氾濫することが多いものです。ですから水勢を弱めるための防護林や、長いかごに石をつめた蛇籠(じゃかご)やコンクリートの堤防による水制護岸工事が施され、一方では堆積した川底をふかくし、ほり出した砂礫を建設材として利用する砂利取場が見うけられます。

対岸の広漠地は 牧草地と温室栽培地として利用され、そこに働く人たちと遠足のこどもたちがみえています。

第8場面は

川沿いの緑地帯です。都会の騒音やよごれた空気をさけて、新鮮な外光と緑気を浴びることは、健康な心身のために、この上ないレクレーションとなるでしょう。俗悪な施設や過当な競争によって、このような貴重な地域を次々と失わせることなく、大切に保存活用してゆきたいものです。

第9場面は

川がいよいよ大きな都市の周辺に近づいてきた所です。コンクリート住宅の団地群と、そこと都心部を結ぶ郊外電車、そして第4場面の取入口から暗渠*の水路で送られた水が、浄水場で飲用水となり、都会地の各家庭に送られます。

また第3場面のダムで発電された電気が、送電線を通って変電所に送られてきました。ここで電圧をさげ、工場や家庭へ送られてゆきます。

都市を水害からまもるためと工業用水路として、堰(せき)*とそれに対応する放水路が、大きな湾曲部に設けられ、おおきくのびた川洲はゴルフ場となって利用されています。

*暗渠: 道路・運河・鉄道・軌道の下を水をとすためのおおいをした水路や、排水などのために地下に設けた溝。

*堰: 水をせきとめたり水のながれを調節するために、水路中または流出口につくった建造物で、水はこの上を越して流れる。


2013年復刊ドットコムから発行された、かこさとしあそびの本①「かわいいみんなのあそび」は1970年に童心社より刊行された5冊シリーズの第1巻を底本に復刊されたものです。

1970年当時は、カラー印刷が高価だったため2色刷りですが、収められている数々のあそびは今でも色褪せることはありません。リオオリンピックの余韻に浸りながら、こんな室内遊びはいかがでしょうか。

このシリーズにこめた著者の思いは、あとがきに綴られています。童心社版のあとがきと復刊に際してのあとがきの両方をご紹介いたします。

1970年刊行「かわいい みんなのあそび」あとがき

(引用はじめ)
その頃、私は若く、希望にもえていました。勤務のない土曜日から日曜日にかけての日々は、子どもたちや、それに関連した時間にあてられました。

子ども会の指導や、リーダーの研修会や、紙芝居の練習や、絵ばなしの創作などーーー10年ひと昔、10年1人前といいますが、そんなことをしながら、いつのまにか20年以上の年月だけがたっていきました。もし私に、少しはましなところがあったとしたら、それはその間、子どもたちに教えられたことを記録、整理してきたことかもしれません。間違わないください。"子どもたちを教えた"のではなくて"子どもたちに教えられた"のです。子どもたちとすごす中で、子どもたちのはなす言葉、行う動作、やっている遊び、語りかけ問いかけている目や頬やおでこーーそこから得たものは、いつのまにか私のノートの丘となり、資料の山となっていきました。

私は、そうした日本の子どもたちが生みだし、考えだし、伝えてきたちえや力の結晶を、もっとよい形で、もっともっと健康に花さかせ、また子どもたちに返したいと考えつづけてきました。この本は、そういう日本の子どもが生みだし、そういう私のねがいがこめられて、できあがったものです。

もし、皆さん方がこの本をみて面白いと思うものがあったら、それは日本の子どもたちの力のおかげです。もし、つまらないところや、ぴったりこない点があったら、ぜひ皆さんの力で、もっとよいものになおし、そして、そっと私にご注意いただければ幸いです。
(引用おわり)

『かこさとし あそびの本 全5巻』復刊に際してー

(引用はじめ)

今度出していただいた『かこさとし あそびの本 全5巻』は1970〜71年(昭和45 〜46年)に、童心社から出版されたものです。
当時会社員だった私は、休日を川崎地区の子ども会で、子どもの行動を観察したり、遊びを教えてもらい、それらを比較したり、相違を考える毎に、時代と生活、社会と成長の関係と、それをのりこえようとする子どもの姿に感激していました。

そうした一部を『日本伝承のあそび読本』という小冊子に昭和42年発表したところ、各方面から思わぬ反響をいただきましたが、私の得ていたあそびの総体、特に自然や季節、地勢や状況に応じ柔軟に変化させて、身体の各機能や知恵や人間関係をのばし、蓄えてゆく成長発達の様子を、広い視野と読者である子どもの興味に則り、実りが得られるよう、当時の制約ある色別印刷の下、私の全力を注いでまとめました。

こうした経緯から、その後の私の児童問題研究と教育学部の講師を受けるに至った、忘れがたい5冊です。
2013年 かこ さとし
(引用おわり)

2016年8月18日 銀座教文館 ナルニア国にて

たくさんの絵本が並ぶナルニア国、いつもは静かな一角に大勢のお母さま方がカメラを向ける、その先では、だるまちゃんおんどをを踊るお子さんたち。

うちわを持って、お面をつけたり、お椀をのせて、踊るおこさんも。ただいまチョット休憩中。窓の外では、かみなりちゃんの音も聞こえたこの日、みんなで仲良く楽しみましたとさ。

おんどを踊ろう会は終わってしまいましたが、だるまちゃん絵本や限定グッズもいろいろ揃っています。ぜひお出かけください。

かこさとしさんに、お手紙かこう!

絵手紙を募集。お子さん、おとな、どなたでも、官製はがきにメッセージをかいてナルニア国におくってください。抽選5名の方に複製ミニ色紙をプレゼント。

送り先:104-0061
東京都中央区銀座4-5-1
教文館 ナルニア国
締め切り:2016年8月末日
お問い合わせ: 03-3563-0730

オリンピックで様々な競技を目にする機会が多くありますが、運動の基本である、はしることについての絵本をご紹介いたします。

1986年評論社より刊行された「じょうずになろうシリーズ」は全部で5巻。およぐこと、とぶこと、なげること、はしること、けることについて、その分野の専門家の解説を補うように、かこさとしの絵図がふんだんに盛り込まれ、小さなおこさんから高校生・大人まで、段階にわけて練習方法や注意点が細かく説明されています。

上の場面は、走ることの発達について、走り始める頃から中学生の頃まで、を図解しています。その前のページでは、サルの歩き方が人間とはどう異なるのか、また後ろのページでは動物の走る速さと足跡を示しています。

遊びと走ることの密接な関係は、以下の場面にある通りです。

巻末には監修者でオリンピックコーチである専門家による解説ページもあり、基本のきを学び、即、役に立てられる絵本です。

監修 宮下充正
え 加古里子
ぶん 武藤芳照
八田秀雄


帽子

投稿日時 2016/08/29

だるまちゃんがてんぐちゃんに出会って気になったものの一つがてんぐちゃんの帽子。
だるまちゃんがてんじんちゃんや、やまんめちゃんに出会ったときには、野球帽をかぶっていました。

帽子は大切な頭を守るのでかこさとしは小さい時から愛用しています。雪国育ちですから、当ウェブサイト・プロフィール写真にある、2歳にならない頃、かぶっているのは母親手編みの毛糸帽です。

夏は日射病(と昭和時代は言っていました)予防に帽子をかぶりましょうと、学校でも勧めたものです。夏休みは麦わら帽子にランニングシャツ、半ズボンが男の子の虫取りスタイルでした。

上は「こどもの行事 しぜんと生活 7月の巻」(小峰書店)の第1ページ。この本の23ページには「ぼうしをかぶりましょう」という項目があり、下のイラストにあるような新聞紙を折って作る帽子の製作手順を図解して説明しています。

加古の帽子は、趣味ではなく、理にかなった安全策と思っていただいて間違いありません。若い頃に働いていた化学工場ではもちろん作業服に作業帽子が毎日の服装でした。

「未来のだるまちゃんへ」(2014年文芸春秋社)の冒頭には、加古は目が悪く家の中でもあちらこちらにぶつかるので帽子をかぶっている、とありますが、朝箒の時はピケ帽。当然外出にも帽子が欠かせず、もっぱらハンチング。長身、がっちり体型だった若い頃は刑事さんに間違えられそうになったこともあったそうです。

そんな著者ですから登場人物も帽子をかぶって出かけることが多くなります。加古ファンの中には、そのことをお見通しでご紹介くださっている方がいらっしゃるほどです。

「いっちく だっちく あひるのさんぽ」(偕成社 1984年 かこさとし七色のおはなしえほん①)は、あひるのお母さんがたくさんのヒヨコをつれてお散歩に行くのですが、ヒヨコたちはみーんな帽子をかぶっています。

途中で出会った風船売りのおじさんも帽子をかぶっています。この風船で事件が起こるのですが・・・
あとがきには次のようにあります。

(引用始め)
はじめこのを口演童話として発表したところ「勇気と知恵があるのがいい」とか「感謝の心が大切なことを教えている」とか、いろいろ批評をいただきました。

しかし、作者のひそかな意図は「戸外にゆく時、子どもは帽子をかぶりましょう、帽子を忘れないように」ということでした。

帽子なんかをなぜ? といえば大事な頭を守るためで、なぜ頭が?と考えれば、自分の体は自分で気をつけるのが一番で、自分だけで?となれば当然ほかの人にも同じようにと、親も子も思いを及ぼしていただけると思ったからです。

よくばりの私は、もうひとつ、帽子はかぶったままなのか、どんな時脱いだりとったりするのか、しなければならないのかを、子ども自身が考えれるようになってほしいと願いました。

そんな思いと願いをあひるちゃんに託したのです。
(引用終わり)

上の絵は、「とこちゃんはどこ」(1970年福音館書店)の一場面です。とこちゃんは赤い帽子が目印ですね。絵本の中の登場人物がどんな帽子をかぶっているのか注目して見るのも楽しいのではないでしょうか。

最後に蛇足で、帽子にまつわる加古流のあそびをご覧下さい。農文協あそびの大惑星5「いっすんぼうしのぼうしたち」というコーナー、13ページからです。