あとがきから

かこさとし こころのほん2『ねんねした おばあちゃん』のあとがきをご紹介します。もとは、1980年ポプラ社より刊行されていた本ですから、40年前の状況を語っています。はたして40年経った現在の状況をかこさとしはどのように見るでしょうか。

(引用はじめ)
子どもを育てる上で、必要な事項はよい育児書を開 けばくまなく述べられています。しかし、理論や原則だけでは、「生きた人間」への成長は完うされません。 どうしても「生きた人間」の世話や応対が必要となります。うまいことに、それらは超能力コンピュータやスーパーロボットではかえられない、人間の経験 や実践の成果が大きく作用する部分です。教育や医療で実技や臨床が理論とともに大事にされる点からもその重要さがおわかりいただけるでしょう。

こうした面から見ると、経験者であり人生の辛苦をのりこえてこられたお年寄、 特に祖父母は、子育ての貴重な家庭の先達者ということがいえます。高度成長の時代には、文化生活を謳歌していみじくも「家つきカーつきババぬき」 と明言され、現代の家庭には年寄なぞ無用不必要だという風潮がはびこってきました。体力や動作の劣る老人を排斥し、思い出したように「敬老の日」や シルバーシートで、お茶をにごす社会や家庭は、子どもの成長の為の貴重な人類の知恵や財産をみすみすすて、ハウス栽培かインスタント食品なみで子どもを育てられるとしている行為ではないのかーーこれが『ねんねしたおばあちゃん』の訴えです。
(引用おわり)
尚、本文は縦書きで、漢字には全てふりがながあります。

「刹那・六徳・虚・空・清・浄」この一連の言葉はお経ではありません。10のマイナス乗を表す関数詞で、刹那は10のマイナス18乗、浄は10のマイナス23乗だそうです。

『小さな小さなせかい』(1996年 偕成社)は、子どもの背丈から始まってその10分の1、そのまた10分の1という具合に小さな世界へ旅する絵本です。それによると

「病気をおこすばい菌のなかで、ウイルスとよぶ種類は、生物のなかでいちばん小さいため、からだにはいってこないようふせぐのは、たいへんです。ウイルスをしらべるためには、ふつうの顕微鏡ではなく、電子顕微鏡をつかいます。」

とあり、10のマイナス6乗から10のマイナス7乗ミリの枠に、はしかやインフルエンザウイルスの大きさや形が図で示されています。その次の場面にはDNAやRNAが描かれ、最後には量子宇宙、宇宙の始まりのところでおしまいとなります。是非、大人の方もお読みください。あとがきをご紹介しましょう。

あとがき

(引用はじめ)
つぎつぎに10倍ずつ大きな世界をえがいたり、ぎゃくに10分の1 ずつ小さな世界をえがく方法は、1957年オランダのキース・ボーク氏の『宇宙的視点』という書があり、このアイデアをもとにアメリ力のイームズ夫婁が、『パワーズ・オブ・テン((10のべき)』 という映画や本を1982年につくっています。

『大きな大きなせかい』のあとがきにかいたようないきさつで、1970年この本の製作にとりかかった私は、そうしたすぐ れた作品を不勉強でしりませんでした。製作をすすめている途中で、前記の作品を見る機会がありましたが、地上の人から視点が遠ざかって大宇宙にいたり、ぎゃくに近づいて原子、素粒子にいたる方法は、「連続の面白さJと「科学的な確かさ」で、とてもすぐれた作品でしたが、視焦が固定しているため 「自由さがない」ように感じました。

そこで、「連続性」と「科学性」に加えて、もっと自由な楽しさや多様性を同時にもちこむことが、それからの私の目標となりました。その方法をさがしているうち、幸いにも微小世界の姿がつぎつぎに科学者の英知と努力によってあきらかとなってゆき、 その成果にもとづいてこの小さな本を作ることができました。

お手本を示してくださった先輩や、未知の世界をあきらかに示してくださった科挙者の方に態謝しつつ、この朱を読著のみなさまにおくります。 
(引用おわり)

尚、この本の姉妹編『大きな大きなせかい』(1996年偕成社)のあとがきは当サイト「あとがきから」コーナー(2017年5月20日掲載)にあります。

下は裏表紙、中央にあるのが10のマイナス7乗の世界・インフルエンザウイルス、右は10のマイナス10乗のせかい・水の分子。

『人間』のあとがきの後半を掲載いたします。

3部23場面による構成

前述した柱によって、実際の本づくりをつぎのよう な手段と方法で進めました。
まず、
(1)生物の発生とその子孫としての人間の出現 (第1 一9場面)
(2)人間の成長と身体各部の機能 (第10一17場面)
(3)人間の個人と集団の活動とその集積 (第18一23場面)
という3部の組み立てと、23場面の展開としました。

したがって、前述した多くの学間の成果や資料から得た「人間のすべて」を、ことこまかく網羅列記する分厚い図鑑集の形ではなく、複雑で多岐にわたるならば、それを簡潔明快に示しながら、最も重要な点をゆ っくり、画像と文章でくり返し読者に伝える絵本形式とするため、いってみればそのための選択と圧縮に10 年以上を費やしたことになります。

描画の表現と工夫

この「絵とことば」による絵本の形態を最大限に活 用するため、各場面に新しい展示や錯視を利用した工 夫をほどこし、前後の場面とのつながりと流れを保ちながら、隔絶や断層を生じない範囲での飛躍を心がけ ました。

挿画はかならずその近傍の文と対応して色・形・情 感をつたえ、ことばは画像が表現できぬ所を描出して、理解の輪をひろげること、とくに画面は、幼少の読者 にもわかる平易さと、合理的な具象性、そして明快な健康さをめざしました。

たとえば科学絵本であっても、内臓表示に当っては 解剖書のようなリアルな表現ではなく、ここちよく接しうるような整理を行い、一方裸体や技術知識の集積といった表示に対しては往々マンガ化や抽象化しがちな所を、本書では真正面から美の力をかりての表現に 努めたということです。

きわめて個人的な思い

こうして描き進めたこの本に、ーカ所、筆者の個人 的な感慨がこめられていることをお断りしなくてはな りません。それはもう10年(?)にもなると思われる昔、 仕事中に耳にしたラジオの子ども向け電話相談番組のひとこまです。小学2年(?)のその女の子は、はじめ から涙声で、切々と「ゆうべお風呂に入った時みたら、 母には腹に傷あとがなかった。だから私は母の子では ない、悲しい」というのです。高名な先生方がいろいろなだめ、説明しましたが、その子の疑念と悲しみは解けず、最後に「バカだなあ、あんたは」の声で終わりとなりました。この問答が、以来筆者の脳裏を去来し続けました。当意即妙な答えなどできぬ筆者ですから、回答の先生方を批難するのではなく、どうしたらこの子の悲しみを解明できるかと、内外のいわゆる性教育の本をあさりましたが、不充分の思いしか残りま せんでした。第12場面冒頭の文は、長いことかかった筆者のお詫びをこめてあるつもりなのですが、もう立派な娘さんになられたであろうそのご本人は、きっと 「あまりにおそい答」に苦笑されることでしょう。

ご支援へのお礼

おそいといえば最初の発意起案の時から17年もの長い間、辛抱づよく待っていただき、遅筆な筆者を温か く励まして、脱稿までつれてきて下さったのは福音館書店松居直会長、編集担当者のお力です。 さらに本書の完成は、私の微弱な能力では不充分で、私の尊敬するそれぞれの専門分野の方々の校閲・教示・助言を得て達成することができました。ここにお名前を記し感謝をこめてご報告といたします。

杉本大一郎(宇宙物理学)
中村桂子(生命誌)
米田満樹(発生生物学)
下出久雄(内科呼吸器病理学)
亀津優(神経内科) 成瀬浩(精神科神経生化学)
北川隆吉(社会学)

こうした状況と経過により、本書を読者にお届けできるようになったものの、筆者の浅学頑迷のため、せ っかくのご指導の主意を把握できず、ご迷惑をかけた のではと恐れているところですが、責任はすべて筆者 にあり、読者のご叱正をお待ち申し上げます。そうし た読者の強いご支援によって「川」をお目にかけてか ら30余年間、科学絵本を描きつづけて来られた幸いを最後にお礼申し上げ、あとがきといたします。ありがとうございました。

(引用おわり)

*尚、本文中で「川」とあるのは『かわ』(1962年福音館書店)のことです。
下は後ろ見返しにあるヒトの染色体の図

このウイルス禍の中にいて、ずいぶん前のことですが複数の大人の方から伺った「不安でいっぱいだった入院中に読んで心が落ち着きました」という感想をいただいた科学絵本『人間』(福音館書店)のあとがきご紹介致します。

人間を生命発生から、生物学、歴史、医学そして文化面まで扱ったこの大型絵本は『海』『地球』『宇宙』に続く作品で、かこが『宇宙』のあとがきの最後に「つぎのこのシリーズにとりかからなければ」と記した、まさにその作品です。『宇宙』を刊行したとき、「ついに大きな宇宙の本ができこれでシリーズが終わりですね」と言われたかこは即座に「宇宙よりもっと大きなものがある」と言って周囲を驚かせたました。その時すでにこの『人間』の構想があったわけです。

長いあとがきになりますが、2回に分けてご紹介致します。

人間の総合形を

(引用はじめ)
この本は、これまで読んでいただいた「川」(1962年)、「海」(1969年)、「地球_I (1975年)、「宇宙」(1978年) につづく科学絵本シリーズのーつとして「より大きな 対象を、より広い視野とより深い総合形で」と意図し、 前作の原稿を脱したころ、具体的には1977年後半から 描き始めたものです。

従来、生物としてのヒトや人類/生理医学面の人 体/社会的見地からの民族/産業技術上の人工や人 智/民族風習上の人跡や人生/歴史政治的な国民や人 民/制度法律上の人事や人権/文明文化からみた人文 や人世などの書が出版されていましたが、筆者はそうした部分(傍点あり)ではなく、そのいずれをも包含した、生きた 総合体としての「人間」を、前向きの姿勢で描きたい と志しました。

幸いなことに、この間、関連する学間諸分野のめざ ましい進展があり、その余恵に励まされ、ようやくた どりついたのが本書です。

科学という知の力

上述の望みを達成するため、3 つの柱をこの本のささえとすることにしました。

第1 の柱は、科学絵本としては当然のことながら、 最近の、そして確かな科学の知見と立場を拠り所とし たことです。

人間は地球に現れた生物のーつであり、その地球は 宇宙の誕生によってもたらされたのですから、人間を 科学的に追及してゆくと、どうしても宇宙の問題に結 びついてゆきます。こうして科学を柱とすることは、 この宇宙の出発から人間の諸問題すべてを、科学とい う「知」の力にゆだねることとなります。したがって、 天地創造のさまざまな神話や伝説は、民衆や部族の知 的産物として尊重されなければなりませんが、本書では安易な想像や寓話に託すことを許さず、同様に、核 兵器や公害・環境問題の源を科学のゆえとする反科学や、主因である経済政治機構を無視した非科学の立場をもとらないこととしたわけです。

人間の発生・成長・活動の基本

第2 の柱は、人間にかかわる基本事項の理解と判断 を、「生命の設計書」という表記とその内容によって行ったということです。 人間をふくむ生物の基本は、細胞内にあるDNA(デオキシリボ核酸)に依存しています。「大腸菌の真実はゾウの真実である」と同時に、「ネズミはネズはネズミであり、ヒトはヒトである」ちがいは、その構成する塩基対の差によることが明らかとなったので、よくDNA は「設計図」とたとえて呼ばれます。

さらに、変化する部分や時間にかかわる性質をふくめ「情報テープ/番組プログラム/工程図/スケジュ ール表/楽譜」などともたとえられますが、「一覧でき る図形」より「記述された集録」という面から本書で は「設計書」という名称を用いました。

そして本文中では、そこにふくめる意味をDNA、 遺伝子、染色体、ゲノムと、しだいに広義に拡大しているため、4ヶ所にわたって註を附し、理解していた だくようにしました。

生物の一種のとしての存在

第3の柱は、人間は地球生物の一種にすぎず、したがって人間至上主義を排したということです。

万物の霊長とか、他と基本的に 異なる高等動物といいう意識はもちろん、「進化」という概念にも、人間を最終ゴールとし、最もよく発達した生物の存在とみなす 価値や傾向が、今なおつきまとっているので、本書で は「進化」という語を極力使わず、「進化」(Evolution) 本来の意味である「展開・変化・多様化・顕在化・発 展」を、それぞれに応じて用いることにしました。

この柱によって、生物の歴史は、弱者必滅・強者生 存の競争殺りくの連続であるより、たがいに影響しあ いながら、共生し、たがいに補う歩みをしてきた足跡という面がはっきり浮かび上がってくるということです。

パラリンピックの年で、多様性のあり方が様々に報道されています。まだまだそういった事が世の中で多く語られていなかった時代、かこはいち早く1980年刊行の絵本で問いかけています。『かこさとし こころのほん』シリーズ(1980年〜ポプラ社)は当初9冊のシリーズとして刊行され、のち2005年に5巻が改めて刊行されました。順を追って、そのあとがきをご紹介いたします。

やや長い文になりますがお読みください。

あとがき かこさとし

(引用はじめ)
わたしたちの子どもは、父母の細胞核のなかにある染色体の組みあわせによって、形づくられます。お父さん似だとか、口もとがお母さんそっくりになるのは、そうした父母から受けた、体の設計図(書)の組み合わせによるからです。

この設計図(書)である染色体の数は、23対ありますから、その同一父母からの組合わせだけでも、2の23乗x2の23乗、すなわち70兆以上となります。ですから兄弟姉妹でも、よく似ているときも、ちがうときもあることとなります。

この染色体の数が23対、すなわち46個でなくて、過不足となって、子どもに伝えられるときがまれにおこります。ダウン症と呼ばれる子どもは、こうした染色体の、異常によっておこりますが、その原因は、まだあきらかとなっていません。

本人は、もちろんのこと、父母などになんら問題はないのに、こうした障害をもつ子どもにたいし、日本では、まだまだ真の理解が社会一般に、不足しているように思います。

ところが、健康な一般の子と、こうした障害をもつ子がいっしょにいる場合、とくにいじめられたり仲間はずれになることは、ふつうの場合ほとんどおこりません。ぎゃくにいたわりやかばいあうという、他ではみられぬ行動がわいてくるのです。

たまに、わるい状態になるのは、親やまわりの大人たちが、かげ口をいったり、忌避する態度をとっていることが、原因となっているのが大部分です。

欧米に行かれたなら、障害をもつひとや老人に子どもたちがすすんで席を立ってゆずる風景を、あたりまえのようにみうけられるでしょう。どうしてしたの?という余計な質問には、人間は必ずだれでも、健康であり金持ちであっても、年をとれば体が不自由となり、身障者となるのだから、とくべつな恩恵をするのではなく、自分たち自身をいたわり守ることなんだという答えがかえってくることでしょう。

この本は福祉というものを、一部の篤志家に任せたり、募金に応ずるだけでなく人間の意識や生きる姿勢なのだということを、子どもとともに大人の方が、考え直してほしいと念じてかいたものです。
(引用おわり)
本文は縦書き、漢字には全てふりがながあります。

北海道にこの4月ウポポイというアイヌの人々の文化を紹介する国立博物館が開館するそうです。

2020年年2月25日に復刊された絵本『青いヌプキナの沼』(2020年復刊ドットコム)はアイヌの兄妹とを主人公にした物語です。あとがきをご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
同じ人間でありながら、肌の色や風習が違うと言うだけで、地球上では、いまだに争いや憎しみが絶えません。しかもそれは、中近東やアフリカの例に見るように、人間の心を救うはずの宗教がさらに対立を激しくさせていたり、インディアンや黒人問題に見るように、文明や開発の名のもとに非道なことが行われてきました。そしてそれらの事は、何も遠い国の古い事件ではなく、この日本でも起こっていたし、今なお形を変えて行われていることに気づきます。

強大な武器や圧倒的な経済力、あくどい策略によって、勝者は輝かしい歴史を書き上げます。しかし、反対にそれによって奪い取られ、追いはらわれ、閉じ込められた側には、わずかな口伝えしか残りません。そうした小さな伝説や名残の中から、ふと耳にした白いヌプキナ(すずらん)の花の物語は、涙の連なりのように私には思えました。汚れた栄光で見失ってはならないものを、埋もれてはならないものを、この国の中で、この国の子どもたちに知ってほしいと思ってまとめたのが、このお話です。 かこさとし
(引用おわり)

本文は縦書きで、全ての漢字にふりがながあります。
2020年3月28日から7月5日までニセコにある有島記念館で開催される展示会では、この作品の絵も展示する予定です。

二月は逃げる、と言われます。1月や3月など31日ある月もあるのに何故2月だけが28日なのか、子どもならずとも不思議に思いますが、なかなかきちんとした説明ができないものです。

しかも、今年はうるう年。2月29日に生まれたら誕生日は4年に1回なの?そんな疑問にも、やさしく答えてくれるのが『こどもの行事 しぜんと生活 2月のまき』です。

「令和」命名とも関係する令月(れいげつ)・麗月、梅見月(うめみづき)、如月・衣更着(きさらぎ)などに加え、この本の冒頭の「2月の別のいいかた」(日本)には、短月(日数がすくなく、はやくすぎる月)も紹介されています。

「ふるいこよみ、あたらしい暦」「うるう年、うるうの日(2月29日)」「2月がみじかいのはなぜ?」「一週間が七日のわけ」という項目で、図をふんだんに使い順を追って説明してあるので、お子さんにもわかりやすい内容です。

「2月あとがき 新旧の暦と天体のうごき」

(引用はじめ)

カレンダーや学校の行事など、みな太陽暦(新暦)なのに、各地の行事の中には、旧暦やひと月おくれで行われているものがあります。すべて新暦にすればいいのにと言う意見もあります。

むかしの人たちは、月のみちかけを用いて昼と夜の時間や四季の変化をたくみにはかり、まちがいのないよう工夫をして、農耕や生活を実行していました。

この旧暦と新暦の関係と違いを知ることは、太陽・地球・月のうごきをただしく知る機会となります。むかしの暦などとおもわずに、宇宙と人間の生活をかんがえるきっかけにしましょう。
(引用おわり)
(縦書きで漢字には全てふりがながあります。)

上は、雪消月(ゆきげづき)言い方もある2月、あとがきに添えられた絵です。

「あとがき」コーナーではありますが、前書きとしてのかこさとしの言葉「はじめに」をご紹介します。

はじめに

このたび出版となった『あそびの大事典 大宇宙編』は『あそびの大宇宙 全10巻』(1990〜1991年)を時代に対応するように再構成編集したものです。

私は戦後、川崎の戦災跡の工場労働者住宅街で、会社に勤めながら子ども会を25年していて、遊びの持つ野性的な楽しさと生きる意欲を、子供たちから教わりました。その後、会社を退職し、六つの大学で10年間、児童文化と行動論の講義を担当しました。

その折、「遊びの本」出版の依頼を受けたので、子どもたちから受けたあそびの多彩な楽しさと、大学講義の基軸である子どもの成長発達の推進力を込めて記述したのが『あそびの大宇宙』で思い出深い著書です。

今回、新装出版にあたり、嬉しい懐かしさとともに、新しい読者の方々に、当時の子どもたちのいきいきとした行動と生き抜こうとする力が伝わるなら、最高の幸いです。

かこさとし

上は、表紙カバー内側で、この下には【この本の特徴】として、以下のような著者による解説が続きます。

【この本の特徴】

○ 子供の遊びの主人公である子供の立場、総合的な成長と発達と、個性孤独の心理環境を主軸とし、大人の遊びへの介入、関与、干渉を排しました。

○ 子供の遊びは森羅万象にわたり、その素材は従来の類書のように狭い一方に偏したものではなく、多元、多様、総合の形を目指しました。

○ クイズ、なぞなぞ、笑い話、絵さがし、さては頁の一部を切ったり、折ったりし、楽しくなるよう工夫しました。

子供の遊びでは、森羅万象全てが題材対象となります。しかも「トンボのハネの迷路探し」や「三輪車による町内見回り」のようにその楽しさは当人にしか味わえぬ個人個別なのが本筋です。一部の教育者や親のすすめる「よい遊び」や集団行動による成果期待の「大人の立場」ではなく、失敗・錯誤・忘却・偶然といった不安定非効率の集積をのりこえる魅力の源泉を、「本での遊び」の中に集約した、40余年実践と調査の結晶ですので、お楽しみ下さい。著者

「水菓子」、果物の事をこう呼びますが、今のようにお菓子が簡単に手に入らなかった昔、果物の甘さとみずみずしさは格別だったに違いありません。そんな時代の水菓子の代表は桃でしょうか。梨、それとも柿?

こういった果物が登場する昔話が『こわやおとろし おにやかた』(1986年偕成社)です。
桃から生まれた桃太郎だけではなく、梨、柿から生まれた三人が大きくなり鬼退治をする展開は昔話を元にした加古の創作です。物語の筋とともにその語り口調が味わい深く、漢数字以外は全てひらがなの分かち書きで、こう始まります。

(引用はじめ)
「むかしむかしの そのむかし、ちいさな さみしい むらに 一けんやが あってな、としよったばあさまが さびしく ひとりで くらしていたそうな。」
(引用おわり)

あとがき かこさとし

あとがきをご紹介します。
(引用はじめ)
今から30年ほど前、私は日本の昔話を調べたことがあります。その中に、いろいろな果実やなりものから子どもが生まれてくる話がありました。不思議な面白い話が、なぜたくさんあるのだろうかと考えました。果物・木の実を大切にしたこと、貧しいけれど努力して生活していたこと、不意に来る災害や悪者に怯えていたこと、老人はしっかりした子どもや身寄りをほしいと思っていたことなどを知って、若かった私がまとめたのが、この「おとろしばなし」です。
(引用おわり)

ラグビーの熱戦が繰りひろげられていますが、『遊びの大宇宙 1おにごっこ じんとりのあそび』(1990年農文協)には、数多くのおにごっこや球技、綱引き、石蹴りなどが紹介されていて、その1つが上の「ラグビーごっこ」です。「ごっこ」ですから本物のボールではなく、ドッジボールや身近にある軽い素材で簡易に作ったボールを使って遊びます。

側で見ている猫のセリフがふるっています。子猫に向かって「いいかい そばへいくと まちがえられて あぶないヨ」

かこさとし考案「ラグビーあそび」も登場しますが、ルールの最後に「すこしくらいのことで、ないたり おこったり するようでは、ラグビーを たのしむことはできませんよ。」とあり、以下のようなメッセージもあります。(漢字にはふりがながあります)

(引用はじめ)
「おしくらまんじゅう」や、「ラグビーごっこ」の楽しさは、こども同士、からだを動かし、はだををたがいにくっつけあって、全身で遊ぶところです。仲のよいなかまであれば、たおされたり、さわられることで、ますますしたしみが増し、おもしろさがふえてくるものです。
(引用おわり)

現在ではこのシリーズ全10巻を合本にした『あそびの大事典 大宇宙編』の第1パートの最後に『おにごっこ じんとりのあそび』の「あとがき」が収められています。

外あそびの すばらしさ かこ さとし

(引用はじめ)
子どもは、大人とちがって成長するものです。細胞がふえ、体は大きく、骨は強く、筋肉がしなやかになっていきます。その伸びてゆくものを、適切につかい、きたえ、活動させることが、次の成長の力となります。だから子どもは、ほうびや無理なすすめがなくても、かけまわり、動きまわるものです。そのため戸外で体を大きく動かす子どもの遊びは、特に大事です。この伸びゆく者の、全身の楽しい遊びを集めたのがこのパートです。
(引用おわり)

「おしくらまんじゅう」を見かけることは、ほとんどなくなってしまいましたが、「ラグビーごっこ」に名をかえた「全身の楽しい遊び」が盛んになればと思う今日この頃です。