梅、桃、桜と花は主役を変えて季節がすすみ、さくら前線が話題になる候になりました。加古作品の中でさくらを巡ることにしましょう。
このサイトのトップページ写真で次々と出てくる絵の最後は、「こどものカレンダー4月のまき」(偕成社1975年・写真上)の表紙に使われたもので、背景の桜色に花びらは見返しです。さくらについては下のように、幸せ溢れる女の子とともに紹介しています。
「こどもの行事 しぜんと生活 4月のまき」(2012年小峰書店・写真上)では、ベニシダレサクラの下、幸せいっぱいの面々。サクラ前線については、この本(写真下)や「だるまちゃんしんぶん (春)」(2016年福音館書店)でもお花見のニュースと合わせて描かれています。
次の表紙のサクラですが、この意味はやや違います。
「ドイツ人に敬愛された医師 肥沼信次」(2003年 瑞雲舎 /文=舘沢貢次、絵=加古里子)は、医学研究のため渡ったドイツで世界大戦が勃発、伝染病医療センターで献身的な活動をし自らも病に倒れ1946年3月8日、35歳で帰らぬ人となりました。彼の最後の言葉は「桜をもう一度見たかった。みんなに桜を見せてあげたかった。」
1993年、肥沼の弟によってドイツの地に植えられた桜の苗木は成長し市庁舎の庭を飾っています。優れた医師であり人格者であり後世も忘れずにいてほしい「肥沼がもう一度見たいと願った日本の桜の花」と裏表紙には書き添えられています。
科学絵本にもサクラは欠かせません。季節の変化、時間の経過を示す格好のモチーフだからです。「地球」( 1975年福音館書店・下の写真)では満開のサクラの下で一休みしながら子どもと話す声が聞こえてくるような穏やかな光景。加古里子の科学絵本には、こういった要素も地中の根とともに描き込めれているのが特徴です。
「地球」では1冊の中で同じ季節が2回つまり2年経過する作りになっています。これは著者による解説の言葉を引用すれば、「地球にすむいきものたちを、仲間としてえがきたかったため、どうしても四季を一回めぐるだけではもり込めな」かったからです。
「出発進行!里山トロッコ列車」(2016年偕成社)では、小湊鉄道といえばここ、というくらい有名な菜の花と桜の共演場面が本にも登場します。(下の写真)
「地下鉄ができるまで」(1987年 福音館書店)では、桜の頃の地下鉄工事の起工式(下の写真)から始まり梅雨や入道雲の青い空、街路が黄色く色づき雪が舞い、やがて再び花咲く開通式と言葉ではなく場面に添えられた風景で時間の流れを示しています。
満開の桜ではなくあえて散りゆく花びらのみを描く場合もあります。
下の写真は「おおきいちょうちんちいさいちょうちん」(1976年福音館書店)の冒頭です。この絵本は、副題に、ゆかいな「反対」言葉とあるように、対比するものを提示することでその概念を子どもたちにわかってもらおうという科学絵本ですが、加古独特のユーモア満載で大人が見ても満足できる絵本です。
見たことがあるような大きい提灯に書かれている文字は科学絵本の科、劇画風の絵が多いのですが、長い・短い、重い・軽い、上・下、多い・少ない、開ける・閉める、中・外、のびる・ちぢむ、暗い・明るい(本文では全てひらがな)に提灯がでてきて、桜吹雪は日本的な味を出す小道具といったところでしょうか。
「ダムのおじさんたち」(1959年福音館書店)の最後の場面、ダムが完成しおじさんの笑顔に舞う桜の花びら。おじさんたちの晴れやかな気持ちが一層伝わってきます。
たくさんの桜を見てきましたが、最後に「まさかりどんがさあたいへん」(1996年小峰書店)の後ろ扉に描かれている絵をご覧下さい。このロボットのドレスの模様は桜の花びら・・・
著者のどんな気持ちが投影されていると皆さんはお考えになられるでしょうか。文と絵が同一人であるからこそできるこのような表現の妙を味わっていただけたらと思います。