昭和時代にはチャンバラがテレビ番組に必ずありました。スポーツのチャンバラではなく、サムライが刀でチャンチャンバラバラと戦う場面から、こう言われる剣劇です。
幼い私には、主人公らしき人はわかっても、次々に現れる刀を持ったやからを見て、あれは「いいもん?悪いもん?」と確かめるので、加古は笑っていました。
子どもが見聞きする話ならば悪いのは鬼や意地悪な人だと決まっていましたから、すぐに幼い子でもわかるのですが、テレビのチャンバラで見極めるのは難しかったようです。
加古作品の中で登場する悪者は『かいぞくがぼがぼまる』(2014年復刊ドットコム・上)のような極悪非道の海賊だったり、『でんせつ でんがらでんえもん』(2014年 復刊ドットコム・下)のような強欲な人間だったり、『あわびとりのおさとちゃん』や『青いヌプキナの沼』にでてくる、権力を振りかざす人など色々な人間ですが、鬼も登場します。
『こわやおとろしおにやかた』(1986年偕成社)は、昔ながらの鬼退治の話で、退治するのは三人の若者、鬼もゾロゾロ出てきますから大立ち回りとなります。
『ぬればやまのちいさなにんじゃ』(2014年復刊ドットコム・下)では、鬼に殺された親の仇を討つために小さな男の子がテングの元で修行を重ね、ついには命をかけて鬼を倒します。
冒頭の絵は、加古が米寿の記念として全国の図書館に寄贈した『矢村のヤ助』(下)の一場面です。
ヤ助は鬼から村人を救うため、大きな犠牲を払うのですが、この絵のような壮絶な場面の裏にある、あまりにも辛い秘密に胸が締めつけられます。是非図書館でご覧ください。
紙芝居『長者やしきのおとろしばなし』(1984年全国心身障害児福祉財団)は、かつて長者屋敷だったものの今は廃屋になっている家に鬼が出るという噂が村中に広まっている中、何も知らない旅の僧が一夜の宿にとやって来ます。すると現れたのは鬼。しかしそれは本物の鬼ではなく、鬼に化けた長者屋敷に住んでいた、こどもだったのです。そこには悲しい身の上がありました。
『わっしょいわっしょいぶんぶんぶん』は加古自身が記念碑的作品というものですが、平和な世界で楽しく踊り音楽を楽しむ人々を羨んだアクマが、人々の楽器や動物を取り上げてしまいます。そのアクマをやっつけたのはこどもの柔軟な発想と人々の協力でした。
こどもの知恵で悪者を懲らしめるといえば、ドイツのお話から創作した『まほうのもりのブチブルベンベ』(1986年偕成社・下)です。大変可愛らしい、加古の絵にしては珍しいタッチで描かれています。子どもの機転で魔女をまんまとやっつけ、万事解決する結末は『わっしょいわっしょい ぶんぶんぶん』に共通する点です。
はてさて、現実の私たちの身の回りには、まだまだ悪鬼のようなもこわいものがあるのです。
『遊びの大星雲 10 ちえとちからわきでるあそび ー人のいきがい 子の願いー』(1993年農文協)には、こわいものがいろいろ紹介されています。
「ふえる にんげんのおそろしさ」では2050年に世界の人口が100億人となるという予想も示され、「おそろしい こわいものが ちきゅうをねらっている」では、「むかしのひとがおそれていたものではなく あたらしいこわいものがあらわれてきています」として、排気ガス、酸性雨、地球温暖化、放射性物質、ゴミなどの問題がおそろしげな絵で、表現され「こんなことが つづけばーーひとも せいぶつも しにたえおそろしい ちきゅうとなって しまいます。」とあります。
この本が出版されて30年近くになりますが、その時より状況は悪化していることは誰の目にもあきらかでしょう。
この本のこの場面の下には、次のような諺が合わせて紹介されています。その引用で、こわいものまつわる作品のご紹介を終わります。
(引用はじめ)
せんりの みちも いっぽより
どんなに むずかしいことでも みじかなことから すこしずつ かいけつしてゆけば ゆきつくことができる
(引用おわり)