2020
木枯らしが吹く頃、誰ともなくあやとりを始めるのが筆者が小学校の頃の女の子たちでした。毛糸の輪を首から下げたりポケットに入れておき、お休み時間に遊ぶのです。
その指の感覚が今でも記憶にあって、いざ始めてみると。。。おやおや、思っていたほど指の動きがなめらかではありません。こんなはずじゃなかったのに、これが現実です。
指を動かすことは脳にも良いと聞きますので、気を取り直して再挑戦。そんな時に役立つのが『かわいいみんなのあそび』(2013年復刊ドットコム・上)です。それぞれの形に名前があって、橋や鼓、川、はしごもありました。
同じシリーズの『しらないふしぎなあそび』(2013年復刊ドットコム・下)ではニューギニアのあやとりも描かれています。
一人あやとりも紹介しているのが『日本の子どもの遊び読本』(2016年福音館書店)です。この本では7つの章に分け、草や木の実のあそび、紙をつかうあそび、工作、絵や形をかくあそび、野はらや広場でのあそびの他に手やゆびのあそび、そしてあやとりが登場。
だるまちゃんもやまんめちゃんと遊んでいます。
そこには次のような、かこの言葉があります。
(引用はじめ)
すべりのよいひもか、太めの毛糸をむすんで、両手を広げた長さのひもを輪にしたものを、指で取り合ったり、からげたりする「あやとり」は手から手へ伝えられてきた、すばらしいあそびの宝です。
図や文字で伝えようとすると、ふくざつでむずかしそうですが、いちど覚えてしまうと、3歳くらいの子でも1人でできるものもありますから、どうぞゆっくり楽しんでください。
(引用おわり)
冒頭の絵は『日本伝承遊び読本』(1967年福音館書店)の表紙です。こんな風に昔は手から手へ、人から人へ伝えて覚えたものです。
『てとてとゆびと』(1977年童心社・上)にも子どもがあやとりをする絵があります。この本は遊びを紹介するのではなく、体ついて小さなお子さんの理解を助ける科学絵本です。
その一場面には下のように、全部手偏のつく漢字が並んでいます。これだけ手でする動作がたくさんあるとは驚きです。人間にとって手指を動かすことは大脳の働きと対応し大切なものであることを知って欲しいというのが著者の意図するところです。
昭和時代の雪国の生活を描いた『ゆきのひ』(1966年福音館書店)に、あやとりをする子供、発見!
ゆきおろしのかたわらで、女の子があやとりをしています。皆さんもいかがですか?
あとがき かこさとし
10月最後の週となりました。2ヶ月後には、今年最後の週となりました、ということになりますが、今月は皆さんにとってどんな月だったでしょうか。
今から80年前の10月にかこが、感じたことを『こどものカレンダー10月のまき』(1975年偕成社)あとがきに書いていますのでご紹介します。
(引用はじめ)
秋は私のいちばん好きな季節です。空が澄みさわやかです。トンボのはねに白い光がきらめきます。おいしい果物がどっさりできます。その秋の最も秋らしい時期は10月と言えるでしょう。ですから、私は10月がとても好きです。
ところが、この素晴らしい秋が、10月が、とてもいやで、きらいになった時がありました。
昭和19年の秋、10月。そのころ私は高等学校の生徒でした。戦争が激しくなり、文科の生徒たちの中には、次つぎと戦場へ行くものがあらわれました。理科の生徒であった私たちは、その友人たちを、万歳と言って送りだしたのです。食べ物がなくなりました。食べられる野草はみんな利用しました。学校の授業は打ち切りになり、戦車工場へ行って、部品を作ることをしました。そして、毎日のように空襲があり真っ青に澄んだ空を、B29の編隊が銀色に光って通っていきました。秋は美しく、さわやかでも何の希望も持てない、いやな暗い毎日でした。
秋が来るたび、10月になるたび、そうしたいやな秋ではなく、素晴らしい10月であるように、二度とそんな秋が来ないよう願う私です。
(引用終わり)
本文は縦書き、漢字には全てふりがながあります。
どうぐ、と言うと特別なものを連想しますが、『どうぐ』(1970年福音館書店/2001年瑞雲舎)によれば、スプーンも歯ブラシも定規も立派な道具です。
この場面にある道具には、見慣れないものもあるかもしれません。ざるや物差しは竹、カナヅチの柄は木でできているようですが、今ではすっかりステンレスやプラスチックなどにかわってしまいました。
かこの書斎に今でも置いてある道具です。木製の三角定規は珍しいかもしれませんが、これはかこの兄が使っていたものです。折尺も木製。
下は『ことばのべんきょう くまちゃんのいちにち』(1970年 福音館書店)の台所風景です。この本も今から50年前にかかれた本ですから、昭和時代そのものです。石がのった樽は、もう都会では見かけることがなくなりました。かこのサイン「さ」が入っています。
昭和時代には、物差しも、洗濯ばさみも、お風呂のおけも木でした。下は同じ本の掃除の場面。見えませんが掃除機に加えて、このようなものの名前が紹介されています。ちりとりに右にあるのはシュロのホウキ。ホウキといえば、今は観賞用として人気のコキアは、昔はほうき草と言われて乾燥してホウキを作ったそうです。
日本の伝統的な手仕事にはそれにふさわしい道具が数々必要で、かつては自分で作ったり、専門の作り手がいたのですが、伝統産業を担う人が減り、道具を作る技や人がいなくなったことで、伝統文化そのものが継承されなくなってしまったときいたことがあります。
せめて自分の身の回りの道具を大切に、なるべく天然素材を利用したいと思います。
秋の夜長、文学作品にまつわる話題です。
一つは夏目漱石。
漱石の小説は各社から文庫でも発行されていますが、金園社という出版社から1969年に刊行された『坊ちゃん・虞美人草』の挿絵をかこが描いています。絵本をかくようになる以前に、文学や美術雑誌などの挿絵を時折、描いていたことがありました。どのような経緯で、漱石の小説の挿絵をかくことになったか、分かりませんが、ご依頼をいただき、漱石を「もう一度読まなくちゃ」といっていた加古の言葉が私の記憶に残っています。
文庫ですから、線画で着色はありません。かこの「坊ちゃん」はこんなイメージです。右下にサインがあります。
もう一つは、ヒュー・ロフティング作、ドリトル先生シリーズ。その中の7番目『ドリトル先生と月からの使い』(井伏鱒二訳・岩波少年文庫)の2000年の新版以降に、かこさとしの解説が巻末にあります。
そこで述懐しているように加古自身もこの物語シリーズのとりこになった一人で、解説のタイトル「引力・魔力・四つの魅力」とあるように、ドリトル先生の物語が興味深く感じられる理由を分かりやすく分析しています。どうぞ、合わせてお読みください。
《「海」にこめたもの》
さてこうして何度かおぼれそうになった未熟熟脆弱な私が、これだけは描きたい、日本の子どもたちに伝えたいとこの絵本にたくしたものは、次の3点です。
(1) 海という身近ではあるがあまり大きすぎてつかみ難いものを、部分でなく全体像として提示したかったこと、言いかえれば、海の片々たる個々の現象でなく、 大きな基盤と柱をつかまえたかったこと。
(2) 海が持ち、包含し、関係している有機的な様相、動的な関連性を総合しつつ整理し、一段進んだ理解を得たいと試みたこと。(海の生物の食物連鎖やサイクル、 地理的条件による物理や化学上の変移、 また光や波浪や水圧の影響等をちりばめたほか、時間的な推移を映画のこまおと しのように示したのもそのためです。宝庫としての海をたたえる反面、狂暴非情な海を描いたのもそのためです)
(3) 海とそれをとりまく自然に対し、勇敢に働きかけ、知恵と努力によって開拓してきた先人の業績と精神を学びとり、人類が発生したはるか昔と、未来社会との間におかれている海洋の今日的意義を感じとるよすがにしてほしかったこと。(南北極探険や海洋研究の業績をできるだけ多くもり込んだり、ときに時間や空間をとびこえて海賊やコンチキ号や海底都市 を同居させているのもこのためです。それらは正しい人間的な立場にたつ国際性と、何よりも日本の子どもたちを中心として考えることを基準に選ぶよう心がけました)
こうした意図を絵本という形の中におり込むため、この本では次のような表示と処理がしてあることを何とぞご了承ください。
A. 小さい読者も絵と見くらべながらひとりででも読めるよう、普通かたかなで書く生物名をひらがなで表示しました。
B.全部ひらがなにしたり、解説をつけるとかえって混乱するものは漢字のままで 表示しました。
C.船長名と船名などまぎらわしくなるところは、一部かたかなとひらがなとで区別しました。
D.だいたいの相互の比較はくずさぬよう 配慮しましたが、一つのめやすとして概略の長さを添記しました。場所によって大 きさがちがうものや、調査が不充分なものについては、長さを書いてありません。
E. 季節、昼夜、緯度などにより変動する生物を、ある時点で固定し、一致性を貫くことは、かえって障害ともなるので、 許せる範囲で処理しました。
F. この本だけではどうしてももり込めなかった点が多々ありますので、もし子どもさんから積極的な質問や疑問があったらご家族の方々の経験や後述の各場面の解説や、お手元の図鑑や書籍を参考にしてどうかその欠をおぎなってください。
31ページより。海底に設置した地震計回収でも活躍の白鳳丸や垂直になって観測ができるフリップなどがえがかれている。
『海』(1969年福音館書店)には巻末に11ページにわたる、各場面ごとの解説がついて、その最初に部分には、あとがきにあたる2章があります。長いので1章づつご紹介します。
《「海」ができるまで》
(引用はじめ)
私が海を絵本にしたいと思ったのは、もう7年も前の夏のことです。 それはちょうど「かわ」という絵本を書き終えたときでした。本を書き終えたときの私のくせとして、それまではりつめていた反動で1か月ばかりごろごろ寝ころびながら、壁に張りめぐらせた下絵群をながめ、淡い悔悟と反省に浸っていたとき、その最後の海の場面をスタートとして、海を舞台に取り上げてみたいという最初の衝動にとりつかれ、あれこれ思いをめぐらせ気持よくうたたねしたことを覚えています。
そのとき以来、折にふれては本を買い込 み、時をみては海岸に行ってできるだけ構想をまとめるように心がけましたが、いっこうに考えはまとまらず、いたずらに走り書きのメモは山積するばかりで数年がすぎていきました。 幸か不幸か南極観測と、その次に続いた宇宙開発のかげになって、はなばなしくはありませんでしたが、その数年間海洋に関 する多くの事柄が続々と明らかにされ、私のたくわえとなっていきました。
それらをもとにしてようやく具体的な作業にとりかかったのが2年ほど前になりま す。しかし専門の先生方のお話を聞き、個々の事実を調べると、まだまだ海は大きく果てしなく、知っている事のあまりに少ないのに気がつきました。私がというのではなく人類が海洋で知っている量は、あたかも海の表層部と海全体の比のごとく微小であることを知って、無知なのは私ばかりでなかったとほっとした反面、ひどい不安におそわれました。
その不安や迷いをほぐそうと、文献を読んだり図書館通いをしても、一つの解明は一つの疑問を生みだし、あふれる資料の波浪にもまれ、何度か計画は座礁しそうになりました。そうした折「海は、未知で未開拓な分野だからこそ、海の本が必要だし、子どもたちに与える大きな意義が出てくるのではないか」というはげましや、「海という巨大で複雑多岐にわたる対象を、盲蛇におじず、手をつけられるのはあなたのような専門外の人がいいんだ」というあたた かい(?)おだてにのって、ようやく形あるものにたどりついたのがこの本です。
(引用おわり)
13ページより。この丸メガネは構想をねっている、かこの姿でしょうか?
暖かいお茶がおいしい季節です。世界各地に様々なお茶がありますが、緑茶も紅茶もウーロン茶も同じお茶の木から作られるのはご存知の通り。茶畑は暖かい地域というイメージがありますが、雪の降る福井県越前市にも古くからあったそうです。
摘んだ茶葉を手で揉む作業の際に歌われた茶揉み歌がのこっている越前市味真野(あじまの)地区の茶畑には、その歌詞を刻んだ石碑がありますが、その歴史や茶畑について説明する看板が新たに出来上がりました。
その看板には『こどもの行事 しぜんと生活5月のまき』(2012年小峰書店)の冒頭にある茶畑と茶摘みの場面が出ています。この本は12巻シリーズで各月にまつわる行事や自然、そして遊びについて歴史を紐解きながら紹介し、楽しみながら知識が得られる本で、各月生まれのキャラクターが案内役となっています。この看板にいるのは9月生まれのキクばあさん、10月生まれのカンナさんと2月生まれのねこアルです。
お近くにいらっしゃる機会がありましたら、ぜひご覧ください。
かこのデビュー作は『だむのおじさんたち』(1959年福音館書店・上)です。当時、日本は電力不足で佐久間ダムの建設が進められている最中でした。取材に行くことはできず何回も記録映画を見て、建設の様子を探ったとかこは語っていました。それから約30年経ったある日、読者からのお手紙でインドネシアで大きなダム建設が始まっていることを知りました。
『絵本への道』(1999年福音館書店)によると
(引用はじめ)
『だむのおじさんたち』のテーマは、建設と生活、科学技術と自然とを、対立するものでなく、渾然として調和させて描くことでした。昭和30年代はそれがまだ可能の時代だったのだけれど、その後の社会情勢は矛盾と問題を生み出すようになり、今の日本では限界となりました『ダムを作ったお父さんたち』の出版に際しては、向こうの人々のダムに対する対処の雰囲気を確かめたかったのです。
(引用おわり)
そこで、現地に赴き、当時のインドネシアは30年前の日本同様であることがわかり、執筆に取り掛かりました。
この現地取材でお世話になった方々が、かこの訃報に接し、福井県越前市のふるさと絵本館を訪ねてくださり、その思い出を色々と語ってくださったそうです。そういったことが2020年9月26日、日刊福井新聞に連載されている「絵本のまほう かこさんから子供たちへ⑥科学絵本の凄さ」で谷出千代子絵本館館長により紹介されました。
前扉のカバーには次のような説明があります。
(引用はじめ)
この本の舞台となったチラタ水力発電所は、1983年12月に着工され、約5年後の1988年9月に完成しました。貯水量約22億立方メートル(22億トン)、十和田湖より20%も大きい、64キロメートルの湖が出現する巨大なダムです。最盛時には、5000人もの人々が働いた、現在のピラミッド建設とも言える、スケールの大きな工事です。技術的にも、世界じゅうの関係者から注目されました。
総予算6億ドル、世界銀行の融資による国際的なプロジェクトで、日本からは約300人の技術者が参加しました。この本は、ダムと、発電所となる巨大な地下空洞を担当した大成建設の多大な協力を得て作成されました。
(引用おわり)
それでは、あとがきをお読みください。
あとがき
(引用はじめ)
この絵本は、インドネシア・チラタに建設された、水力発電用のダムとトンネルのようすを描いたものです。
わたしはかつて1959年、当時の日本のダム建設をテーマにした絵本を作ったことがあります。その本は残念ながら、経済・社会の変化により絶版となりましたが、アメリカのTVA(テネシー川流域開発公社)などに見るように、国の発展や地域の復興上、水力による発電は人類の基幹技術・基本事業として、今後も消えることがないというのが筆者の考えでした。そのような場と機会を求めていたところ、読者の方から、地球規模の大きな計画が、国際協力と言う新しい理想的な姿で実施されているのを教えていただき、勇躍したわたしに、関係部所の誠実で温かい理解と、取材のためのあらゆる便宜が与えられ、30年ぶりに取り組んだと言うわけです。
ようやくまとめることができた今、それらの方がたと、現地で奮闘された各国の人々に、この絵本を捧げたいと思います。それらの人の労働の大きさ、協力の美しさ、信頼の尊さを子どもたちに伝えたいと願います。
(引用おわり)
漢字にはすべてふりがながあります。
このダム竣工30周年の2018年7月、建設に当たった日本の方々が現地を訪れたそうです。この時、かこはすでに他界していましたが、イドネシアの電力を支えるこのダムの現在を知ったら、どんなにか喜んだことでしょう。
画像や映像が手がるにいつで見られるようになって、クレイム対策もあるのでしょうが、【閲覧注意】を目にする機会も増えたように感じています。
筆者が小さかった頃、絵本の中に出てくる怖い鬼の場面は、目に入れないように細心の注意をはらってページをめくっていました。もう少し大きくなってからは、よせばいいのに、怖いもの見たさで昆虫図鑑を開いて鳥肌になったことがありました。昆虫大好きさんなら、目をらんらんと輝かせるところでしょう。好き嫌いは、人それぞれですので何が閲覧注意なのかは、判断が難しいかもしれません。
かこの作品でも、それに近い注意をいれてあるものがあります。『あかいありとくろいあり』(1973年偕成社)の続編、『あかいありのぼうけんえんそく』(2014年偕成社)です。
『あかいありとくろいあり』では春の草花の中、ありたちの大事件がおこるのですが、『あかいありのぼうけんえんそく』は、秋の遠足、しかも「ぼうけんえんそく」ですので秋の草花だけでなく想定外のものに遭遇します。引率する先生や父兄はそれに対しての備えも万端(下・裏表紙)なのですが、あかあり小学校の全校生徒たちにしてみれば冒険級の出来事というわけです。
山登りを始めた一行ですが、
(引用はじめ)
「そのうち だんだん みちが けわしくなって あせが
でて あしが いたくなったときーーー」
* どくしゃへ ごちゅうい!! きをつけて ページを ひらいてください!
(引用おわり)
9ページの最後に、*の一行が赤字でいれられています。
そして、次のページをあけると「あかい おおきな かいぶつ」がおそいかかってきます。
多数のかこ作品の中でも、このような注意書があるのはこの作品のみです。
一体どんな怪物?と思われた方は、どうか十分「きをつけて ページをひらいてください!」
ラジオ深夜便 人生のみちしるべ “生きる力”は子どもたちから かこさとし
2016年5月11日に放送された「ラジオ深夜便」のインタビュー2回分が、放送ライブラリーで公開されました。横浜新情報センター8階視聴ホールで無料で聴くことができます。詳しくは以下でどうぞ。
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