ギリシャ神話で知恵の象徴とされるフクロウは加古作品に早くから登場しています。探してみましょう。
手描き紙芝居『うさぎのターちゃん』(1953年)では、お友達がいなくて寂しいターちゃんが野原で見つけた卵を鶏のおばさんに頼んで孵してもらうと生まれてきたのはフクロウのブクちゃんでした。一緒に遊ぼうと約束したのですが、夜行性のブクちゃんは夜にならないと遊びに出てこないのでターちゃんはガッカリ、それでもお互いのことがわかってお友達になります。
紙芝居といえば、『ばんちゃんねずみとミミンガー』(1986年全国心身障害児福祉財団)のミミンガーというのはミミズクからの命名です。からだの小さい子ねずみばんちゃんにしてみれば、ミミンガーは天敵でもあり非常に大きくて怖く見えるのですが、年老いて目が悪くて困っていることを知り、ばんちゃんが助けてあげる物語です。
1995年には同じセリフで絵を描きかえ『バンちゃんの大ぼうけん』(上)と改題して前作同様、福祉関係の施設に寄贈されました。晩年、緑内障で視野が欠けていた加古自身の目が良くなったらという希望が託されているように思えてなりません。
生き物としてのフクロウの紹介は『地球』(1975年福音館書店)、秋の森、木のウロにいますし、『あそびずかん あきのまき』(上)にも。そしてコノハズク、アオバズクは『あそびずかんなつのまき』(下・いずれも2014年小峰書店)に掲載されています。
物語絵本では『パピプペポーおんがくかい』(2014年偕成社・下)の舞台上、トリノからの鳥のグループ合唱団にフクロウたちが並んでいます。
加古のデビュー作『だむのおじさんたち』(1959年、福音館/復刊ドットコム、下)にもフクロウの姿があります。
動物たちも寝ている秋の夜、飯場にはあかりがともりおじさんたちは交代で働きますが、それを見ているフクロウが木の枝にいます。働く人間の姿と自然を詩情豊かに描き出すこの場面は、秋が大好きだった加古が気に入っていた場面です。
なんと言っても忘られないのは『どろぼうがっこう』(1973年)とその続きのお話『どろぼうがっこう ぜんいんだつごく』『どろぼうがっこうだいうんどうかい』(いずれも2014年偕成社)に登場する金と銀の目を持つへんなミミズクです。世にも不思議などろぼうの物語は、この変わった風貌のミミズクが語ったという設定で、山また山の奥深く、遠い地の幻のお話の雰囲気が一層高まります。
実は、このフクロウは元になった紙芝居には登場しないのですが、どろぼうのお話、どろぼうの仕方を学ぶ学校ということで、教育上よろしくない、というお叱りの声を危惧して絵本にするときに、語部として登場させたのです。
それぞれのお話の冒頭と最後に姿がありますが、『どろぼうがっこうぜんいんだつごく』では校長先生の風邪がうつってしまったり、『だいうんどうかい』では年老いたミミズクが咳き込んで終わるあたり、なんだか現実味を帯びています。
もう一作、『きんいろきつねのきんたちゃん』(下)をご覧ください。金と銀の目に見えるようなこのフクロウ、本文のどこにも登場しないのにここにいます。加古が強い思いを込めた物語ですが、残念ながらこの絵のついた絵本は絶版になっています。
森林開発と毛皮取りのため母を奪われたコギツネが、人間に飼われその世界で暮らすことになりますが、ある日、ひょんなことで変わり果てた姿の母キツネに再会し無我夢中で森に逃げ帰ります。
「つきの きれいな よる、あおい山の ふもと」で泣いているちいさなきつねが「つきのひかりに きらりと きんいろに ひかる」のを見守っていたのは、フクロウでした。