編集室より

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石段のおばあさん

投稿日時 2023/09/13

いったい何のこと?といぶかしく思われるかもしれません。加古作品に描かれている風景の中に「石段を登るおばあさん」の姿があるのです。2023年9月13日TBSテレビ「ひるおび」でも紹介された『かわ』(福音館書店)の第4場面9ページの右下です。

かつて加古はインタビューに答えて、このおばあさんのことを「なぜか描きたかった」と申しておりました。加古が実際に見た光景なのか、想像なのかは明言はしませんでしたが、きっとどこかで似たような情景を見かけたのではないかと思われます。

というのは加古は人を見かけると、その人の姿勢、風貌や表情、持ち物などを観察して、その人がどんな人でどんな気持ちでどこへゆくのだろうと想像することがよくありました。

腰のまがった身体で石段を登るおばあさんの心中を想いながら描いたに違いありません。家族のお墓まいり、それとも家族の無事をご先祖に願いにゆくのでしょうか。加古自身の母の姿を重ねたのかもしれません。

おばあさんが登る石段の先、境内には箒を持ったお坊さんがいて、おばあさんが来るのを待ちながら掃除をしているのでしょうか。おばあさんに声をかけてどんなお話をするのか⋯

絵本のこの場面には他にもこのおばあさんと同じくらいのおおきさで木を切る人、炭焼き小屋からしょいこで運ぶ人、ヤギと遊ぶこどもや畑仕事をする人、切り出した木をトロッコで運ぶ人、水門を見守る人などが描かれています。

いずれも小さな絵ですが、木を切る人やこの石段のおばあさんを『水とはなんじゃ?』の中で鈴木まもるさんが再現してくださっています。ご存知のように『水とはなんじゃ?』は加古が絵を描く予定でしたが、体調がすぐれず、まもるさんにお願いをしたものです。加古の下絵といくつかのリクエストをお伝えしていたものの、ほとんどはまもるさんにお任せしたのですが、筆者が出来上がった絵を初めて拝見した時、この「石段のおばあさん」が描かれていたので本当にびっくりして「石段のおばあさん!」と叫んでしまいました。

まもるさんは、その意味をもちろんすぐにおわかりになり笑っていらっしゃいました。「どうして描いてくださったのですか?!」という問いに、自然に描いてしまったというお答えでした。加古の絵本を幼い頃から読まれその世界に入り込んで空想し遊んでいらしたからこそ描けた「石段のおばあさん」だったのだと思います。

皆さんは、「石段のおばあさん」をご覧になって、どんな物語を想像されるのでしょうか。

【1970年代の課題 あそび】

投稿日時 2023/01/23

「技術と経済」(1969年12月科学技術と経済の会)より

新聞や雑誌に掲載されたインタビュー、対談や鼎談から加古の言葉を「アーカイブより」としてご紹介します。
今回は1969年10月3日に霞山会館(旧)で開催された鼎談を掲載した雑誌「科学と経済」から、40代の加古のメッセージをお伝えします。

(引用はじめ)
子どもたちの遊びの一例として、グー・チョキ・パーというあそびがあります。このあそびをその昔、グリコ・パイナップル・チョコレートといっておりました。これは今も使われておりますが、グリコは1粒300メートルという有名な菓子の名、パイナップルというのは、台湾の新高山にちなんだ新高ドロップと言う一番うまいドロップの中で、そのまた一番おいしいのはパイナップルであったので、それからとったパイナップルです。チョコレートというのは、当時は私なんぞの記憶では、1年に2〜3べん食べられるかどうかというほどの貴重品だった。すなわち、子どもとってお菓子の三種の神器の名であったわけです。

それが黒兵衛、ベティー、ちょび助となった時代がございます。黒兵衛というのは凸凹黒兵衛であり、田川水泡先生の作品です。ベティはややエロチズムのある漫画映画のヒロイン、それからちょび助は、JOBKから「ちょびすけ漫遊記」という一世を風靡した放送劇がありまして、これも子どものアイドルであったわけです。

それがだんだんと戦雲が激しくなってきたときにどうなったかというと、軍艦・ハワイ・沈没と、こうなったわけです。戦後は、ハロー・ジープ・グッドバイと、いとも鮮やかな転換であるわけです。

今は朝鮮とか、ハワイ、チョコレートとかグリコも復活しています。しかしそのハワイは、軍艦・ハワイのハワイではなくて、フラダンスのハワイだということを子どもは知っているわけです。

ここで私がいいたいのは、子どもたちの遊びというのは強制されたものではない。だれだれ先生ご創案の遊びですといっても、そういう権威であそびが成立しているのではないということです。あそびはおもしろくなければだめです。そのおもしろさがただ一つの標準、基準であって、あとは何ものにも束縛されぬ自由によって貫かれている。そして彼らはこのグー・チョキ・パーの三つにすばらしい時代感覚を示し、同時にクリエイティブな力、創造性を見事に開花させている。軍艦・ハワイ・沈没、これはいけるぞという1人の子どもがたまたま発見したのを、次の子ども大衆が支持し、それが遊びとして成り立っているということ、それから子どもあそびは、なにものよりも子どもたちの生活に密着しているということです。ここに遊びの純粋な真髄みたいなものがあると思うわけです。
(引用おわり)

上の絵は『いろいろおにあそび』(1999年福音館書店)より。
冒頭の絵は、じゃんけんのあいこの時の愉快な言葉がでてくる『はれのひのおはなし』(1997年小峰書店)。
『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)には、小学生だった加古が描いた黒いうさぎの黒兵衛の絵が掲載されています。

今回ご紹介部分は以下の記事で触れていただいています。

1969年 技術と経済 「あそび」

じゃんけんに関しては当サイト2022年6月「こぼれ話」にも記載があります。以下でどうぞ。

じゃんけん

Kodomoe 「キャラクター大図鑑」

2023年1月7日発売のKodomoe 「キャラクター大図鑑」特集で、出版50周年を迎えた『からすのパンやさん』と刊行10周年の続きのお話、「だるまちゃん」シリーズに登場するお友だちの面々が紹介されています。
賑やかな誌面をお楽しみください。

2022年逝去された福音館書店相談役、名編集長であった松居直氏の言葉をかつての紙面から再録紹介する記事が掲載されました。

その中で加古の『万里の長城』(2011年福音館書店)を例に、出版を通じてアジア、中国との交流を大切にしてきたのは「戦争責任からです。過去を学ぶことなしに未来は見えてきません。」「十年、二十年、さらには百年先を考えて」本書を出版した意図について語る言葉には大変重いものがあります。

上は中国で出版されている版。

『万里の長城』出版までの長い道のりについては松居氏の長女、小風さちさんとの対談をまとめた『父の話をしましょうか〜加古さんと松居さん〜』(NPOブックスタート・下)に詳しい記述があります。

『からすのそばやさん』(2013年偕成社)

「おそばがご馳走?」と思った方もいらしゃるかもしれませんが、もりそばやかけそばだけでなく、次々にアイデアあふれる「そば」が誕生。「うさぎそば」はこのお正月にピッタリですね。

そばだけでなく、うどん、ラーメン、スパゲッティにパスタとお客さんのリクエストに応えるうちにそのメニューは無限に広がって、もはやそばやさんとは思えない品揃えで、これをご馳走と呼ばないわけにはいきません。

ちなみに『からすのそばやさん』は今年で開店10周年です。
紹介記事は以下でどうぞ。

お正月何食べる? 『からすのそばやさん』

2022年11月18日、福井県越前市にて講演会を開催しました。駅前の植栽にも雪吊りが施され冬支度の整った武生でしたが、好天に恵まれ、晩秋の紅葉に彩られた村国山(写真中央、手前は〈コウノトリの大空散歩〉の遊具)を望む、かこの墓所がある引接寺のお堂が会場でした。

コロナ禍で全国紙芝居大会の2021年プレ大会と2022年夏の本大会が中止となり、関係者一同は大変落胆されましたが、それを振り払うかのように当日は紙芝居に関わる大勢の方々がご参加くださいました。

前半は紙芝居『ゆきこんこん かぜこんこん』の上演とかこの手描き紙芝居のご紹介。紙芝居をもとに作成された幻灯「ぼくのかあちゃん」と「自転車にのってったおとうちゃん」も上映し、当時の様子に思いを馳せました。

熱心なご質問が相次ぎ、和やかに楽しく紙芝居やこどもを話題に全体で1時間半ほどの会でした。

久しぶりにかこのふるさとの皆様とゆっくりお話しすることができ温かな気持ちに包まれたひとときに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

翌2022年11月18日、福井新聞朝刊に写真入りでご紹介いただきました。一部ですが以下に記事があります。

福井新聞「紙芝居遊びを創る一歩」

2022年11月2日に亡くなられた松居直さんに哀悼の意を表します。

かこさとしを絵本の世界に招き入れたのは、福音館書店編集長(当時)の松居直氏でした。もし、氏との出会いがなかったら、私たちが知っているようなかこさとしは存在しなかった、と言っても過言でなく、かこ自身もそのように思い晩年もその出会いと60年にわたる交流に深謝する言葉を繰り返していました。

かこのデビュー作品『だむのおじさんたち』(1959年福音館、2007年復刊ドットコム)が復刊された際にかこは次のような言葉を残しています。
(引用はじめ)
この絵本は、工場の研究所勤務の昭和30年代、休日は工員住宅の中の子供舎の世話をしていた私が、福音館書店編集長の松居さんの依頼で初めて描いた作品。時代にふさわしいものと言う大きなテーマなので、停電が頻発する当時ゆえ、水力発電のダム建設を題材とした。半世紀を経て絶版だった本書が再刊されるに当たり、種々の感慨とともに、この安定完成された水力発電の建設技術が、再び政治とカネに乱されぬよう希求しているところである。
(引用おわり)

『リレートーク 言葉の力 人間の力』(2012年佼成出版社)は舘野泉、中村桂子、松居直、加古里子という四人が対談をし、つないでいく形式で5つの対談が収められていますが、その最後が、松居氏と加古との対談でした。

2011年の311の震災から5ヶ月ほど経た夏の暑い日、腰の悪い加古のために同い年の松居氏が加古を訪ねてくださり、それぞれの生い立ち、出会い、出版に関わる思いや決意、未来に寄せての指針を語りあいました。

「対談を終えて」で、加古は次のように書いています。一部ご紹介します。
(引用はじめ)
敗戦の混乱で人生の目標を失い、心身咆哮の折、絵本という具体的な場を与えてくださった松居さんからは、改めて言葉と絵の持つ重要さと、中国やアジアの人々の態度、ユーラシア大陸としての発想把握など、現代と未来を見透かした啓発を頂戴した。
(引用おわり)

幸いなことに、松居さんの長年の叱咤激励のおかげで途中何度も頓挫しかけた『万里の長城』(福音館書店)がついに2011年、刊行に至りました。記念に松居さんご一家、この本の編集者で、後に中国語版の翻訳をしてくださった唐亜明さんご夫妻とご一緒に加古も家族同伴で北京に出かけ、万里の長城で喜びの記念撮影をする事ができました。

その経緯などを松居さんのお嬢様で絵本作家の小風さちさんと鈴木万里が2019年に語った講演会の内容が「父の話をしましょうか〜加古さんと松居さん〜」(2020年NPOブックスタート)として出版されました。

この2冊は現在では電子書籍として購読できますし、後者は書籍としても販売しています。名編集松居直さんが残されたご功績にどんな強い思いが込められていたのかがお分かりいただける内容です。

2022年11月6日東京新聞朝刊「筆洗」は加古との出会いから松居さんの絵本出版文化への大いなる貢献を紹介しています。記事は以下でどうぞ。

東京新聞コラム 筆洗

尚、松居直氏のご功績を知る事ができる展示が福音館書店ゆかりの地、石川県で開催されます。詳しくは以下でどうぞ。

特別展示 はじめに松居直がいた

また、いかのメディアでも報じられています。

朝日新聞 デジタル 松居氏

中日新聞 松居氏

かこさとしの食べごと大発見 1

「収穫と食欲の秋に覚えておきたいこと」として『ご飯 みそ汁 どんぶりめし』(1993年農文協)を取り上げ、まえがきにあたる〈この本のねらい〉を紹介。(下の写真、前見返し右ページ)

前見返し左側では米作りの日数180は漢字で「日の本」とか「白米」という字になることや、イネを作る手数88は「米」という字になる、といったことが説明されています。

尚、表紙の絵に使われている紙粘土による人形はかこが作ったものです。

記事は以下で。

ご飯 みそ汁 どんぶりめし

悲しい秋

投稿日時 2022/09/19

秋といえば、『秋』(2021年講談社)について触れないわけにはいきません。

かこが大好きだった秋が、18歳の秋に遭遇した衝撃的な出来事によって、その季節さえうとましく感じられるものとなってしまいました。

戦争はあまりに大きく難しいテーマですが、この絵本を通じ、食料が配給になりカボチャをつくってしのいだこと、空襲警報で防空壕に身を隠したことなどから、戦争中の暮らしの様子を知り話題にして戦争というものを考えるきっかけにしてはいかがでしょうか。

落下傘が開かず亡くなった日本の飛行士のことを除き、ほぼ本書と同じ内容を伝えているのが『子どもたちへ、今こそ伝える戦争―子どもの本の作家たち19人の真実―』(2015年講談社)に収録されている「白い秋 青い秋のこと」という題名の文章です。

「白い秋」とは五行思想に基づく青春、朱夏、白秋、玄冬から来ているものに違いありません。「青い秋」とはかこの青春時代の秋という意味だと思っていましたが、絵本『秋』で伝える悲惨な事件が起きた青い秋空の思い出を重ねたタイトルではないのか、とさえ思ったりしている昨今です。

秋の季節に、読まれてはいかがでしょうか。
2022年9月18日、福島民友新聞社みんゆうNetで紹介されました。以下でどうぞ。

福島民友ネット 『秋』

2022年9月12日の交通新聞「墨滴」で紹介されたのは、9月4日までBunkamuraで開催された展示会「かこさとし展 子どもたちに伝えたかったこと」のこと。「作品世界と信念に触れられる充実の展示だった」と振り返る。

かこの絵心が芽生えたのは東京へ転居のため乗っていた東海道線の車窓から見た富士山を上手に描きたいと思った時。

戦争という時代が過ぎ、会社員として働きながら描いた絵画、子ども会のために作った紙芝居、だるまちゃんやからすだけでなく多くの科学絵本も手がけた。

『地下鉄のできるまで』(1987年福音館書店)の緻密な画に注目するのは交通新聞だからという理由だけではなく、かこの「研究者としての素質が存分に発揮されている」とし、「ゆるがせにしてはいけない普遍的な価値を伝えたいとの情熱」に言及した。

冒頭の写真は『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)の元になった手描きの同名画文集より。