編集室より

作品によせて

マスク

投稿日時 2020/11/07

今年ほど「マスク」という言葉がニュースに登場したことは過去になかったのではないでしょうか。

この絵は『ゆきこんこん あめこんこん』(1987年偕成社)の最終場面です。うさぎさん、ゆきだるまさん、さんたのおじいさんもみんな風邪をひいてしまったというオチで、みんなマスクです。

これは筆者が5歳の時に描いたもので、かこ作・絵の「ひがさんさん あめざんざん」という作品と合わせて一冊の絵本『ゆきこんこん あめこんこん』(1987年偕成社・下)になっています。

かこ作品の中にマスクの絵はないのですが、「マスク」という言葉を思いがけないところに見つけました。『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)は、かこが小学校卒業時にかいた絵いりの文集で、その四年生(1935年・昭和10年)の最後に次のような文があります。

(引用はじめ)
「入学だ受験だ試験だ勉強だ。」(空襲だ水だマスクだスイッチだ)僕の机にこう書かれた紙がはってある。五年になると本式に勉強しなくては中学へ入れない。
(引用おわり)

この(空襲だ水だマスクだ。。。)というのは空襲予防の標語だそうです。

小学4年生の時からこういった標語とともに生活して1936年に二・二六事件、翌年に日中戦争、39年には第二次世界大戦となり41年太平洋戦争、45年の終戦まで約10年間を過ごしたのかと思うと、想像するだけで辛くなってきます。

しかも、かこは1945年春に兄が亡くなり空襲で家を失い、戦後は食料難の日々だったと語っていました。
コロナ禍だからこそ気にかかった「マスク」が、日本が戦争に向かっていた時代を振り返るきっかけとなったことに複雑な思いがしています。

あやとり

投稿日時 2020/10/31

木枯らしが吹く頃、誰ともなくあやとりを始めるのが筆者が小学校の頃の女の子たちでした。毛糸の輪を首から下げたりポケットに入れておき、お休み時間に遊ぶのです。

その指の感覚が今でも記憶にあって、いざ始めてみると。。。おやおや、思っていたほど指の動きがなめらかではありません。こんなはずじゃなかったのに、これが現実です。

指を動かすことは脳にも良いと聞きますので、気を取り直して再挑戦。そんな時に役立つのが『かわいいみんなのあそび』(2013年復刊ドットコム・上)です。それぞれの形に名前があって、橋や鼓、川、はしごもありました。

同じシリーズの『しらないふしぎなあそび』(2013年復刊ドットコム・下)ではニューギニアのあやとりも描かれています。

一人あやとりも紹介しているのが『日本の子どもの遊び読本』(2016年福音館書店)です。この本では7つの章に分け、草や木の実のあそび、紙をつかうあそび、工作、絵や形をかくあそび、野はらや広場でのあそびの他に手やゆびのあそび、そしてあやとりが登場。
だるまちゃんもやまんめちゃんと遊んでいます。

そこには次のような、かこの言葉があります。

(引用はじめ)
すべりのよいひもか、太めの毛糸をむすんで、両手を広げた長さのひもを輪にしたものを、指で取り合ったり、からげたりする「あやとり」は手から手へ伝えられてきた、すばらしいあそびの宝です。

図や文字で伝えようとすると、ふくざつでむずかしそうですが、いちど覚えてしまうと、3歳くらいの子でも1人でできるものもありますから、どうぞゆっくり楽しんでください。
(引用おわり)

冒頭の絵は『日本伝承遊び読本』(1967年福音館書店)の表紙です。こんな風に昔は手から手へ、人から人へ伝えて覚えたものです。

『てとてとゆびと』(1977年童心社・上)にも子どもがあやとりをする絵があります。この本は遊びを紹介するのではなく、体ついて小さなお子さんの理解を助ける科学絵本です。

その一場面には下のように、全部手偏のつく漢字が並んでいます。これだけ手でする動作がたくさんあるとは驚きです。人間にとって手指を動かすことは大脳の働きと対応し大切なものであることを知って欲しいというのが著者の意図するところです。

昭和時代の雪国の生活を描いた『ゆきのひ』(1966年福音館書店)に、あやとりをする子供、発見!
ゆきおろしのかたわらで、女の子があやとりをしています。皆さんもいかがですか?

『どうぐ』

投稿日時 2020/10/21

どうぐ、と言うと特別なものを連想しますが、『どうぐ』(1970年福音館書店/2001年瑞雲舎)によれば、スプーンも歯ブラシも定規も立派な道具です。

この場面にある道具には、見慣れないものもあるかもしれません。ざるや物差しは竹、カナヅチの柄は木でできているようですが、今ではすっかりステンレスやプラスチックなどにかわってしまいました。

かこの書斎に今でも置いてある道具です。木製の三角定規は珍しいかもしれませんが、これはかこの兄が使っていたものです。折尺も木製。

下は『ことばのべんきょう くまちゃんのいちにち』(1970年 福音館書店)の台所風景です。この本も今から50年前にかかれた本ですから、昭和時代そのものです。石がのった樽は、もう都会では見かけることがなくなりました。かこのサイン「さ」が入っています。

昭和時代には、物差しも、洗濯ばさみも、お風呂のおけも木でした。下は同じ本の掃除の場面。見えませんが掃除機に加えて、このようなものの名前が紹介されています。ちりとりに右にあるのはシュロのホウキ。ホウキといえば、今は観賞用として人気のコキアは、昔はほうき草と言われて乾燥してホウキを作ったそうです。

日本の伝統的な手仕事にはそれにふさわしい道具が数々必要で、かつては自分で作ったり、専門の作り手がいたのですが、伝統産業を担う人が減り、道具を作る技や人がいなくなったことで、伝統文化そのものが継承されなくなってしまったときいたことがあります。

せめて自分の身の回りの道具を大切に、なるべく天然素材を利用したいと思います。

コロナ

投稿日時 2020/09/04

コロナといえば新型ウイルスのことと思うようになってしまった私たちですが、そもそもはラテン語で冠を意味し、太陽の外側にあるガスの層が冠にように見えることからコロナと名付けられたそうです。

『大きな大きなせかい』(1996年偕成社・下)には、コロナについて注があり次のように説明しています。

(引用はじめ)
太陽表面の外がわに、高温の大気が彩層となり、さらにその上に、もっとかがやくうすい大気。
(引用おわり・漢字にはふりがなあり)

この本によると、太陽表面は温度が6000K、外側の彩層は10000K、紅炎は7000Kそしてコロナ流線は100万K以上とあります。そして次の場面ではそんなコロナ流線をまとった太陽よりも巨大な恒星(自らかがやいて光をだす天体)が描かれ、さらにその次ページにはそれらの星よりもはるかに大きな巨星が描かれてています。

さらに驚くことに、私たちが知っている太陽が生まれたばかりの原始太陽と言われる時には、途方もなく大きく「現在の100倍も明るくかがやいていた」というのです。さぞかし大きなコロナであったことでしょう。

太陽の一生については『宇宙』(1978年福音館書店・下)にも描かれています。
宇宙にはさらに大きな超巨星と呼ばれるアンタレスやさらに大きな恒星があることが『大きな大きなせかい』や『宇宙』を見ると一目瞭然です。

目に見えない新型コロナウイルスに気を使う毎日ですが、本を開いて大きな大きな世界に目を向ける時間はいかがでしょうか。

浦島太郎

投稿日時 2020/08/29

昭和時代の日本では、おそらく浦島太郎を知らない子どもはいなかったのではないでしょうか。絵本を読んだことがなくても、聞いたことがある昔話です。

かこが川崎でセツルメント活動をしていた時のことを綴った中に、この浦島太郎のくだりがありますので、ご紹介します。

(引用はじめ)
。。。子どもたちが「学芸会」をやり出すのをみていると、お天気なのに長ぐつをもって来て、女の子のスカートをはくから妙だなと思ったら、それが浦島太郎の役だったのである。おかしくって脇腹がいたいほど笑ったあと、私は涙が出てきた。この子らは、学校なんかじゃ絶対に学芸会の役なんかまわってこないガキなんだ。それが自分たちで劇をやろうとなったら、たどたどしいけれどセリフを覚え、長靴をきれいに洗い、そのドタくつをはいて、それらしき仕草や演技をし、世にもうれしそうにおじぎをした顔や、そしてまたドタ靴をかかえて満足にかえるーーーその力はどこからでてくるのか。
(引用おわり)

『おもちゃの旅』(ほるぷ新書)の一部ですが『かこさとしの世界』(2019年平凡社)に該当部分は再録されています。

子どもたちの隠れた力の凄さを知ることになった、こどもたち演ずる浦島太郎の物語は、かこにとって特別なものになったに違いありません。

『あそびの大惑星5 こびとおとぎのくにのあそびー遊び宮殿かんらん車ー』(1991年農文協)には表紙(上)にも描かれ、絵探し(下)まであります。

『あそびの大惑星6 どじょっこ ふなっこのあそび ー遊びの水中実験船ー』(1991年農文協)は海の生き物にまつわる遊びが満載されています。その中に、【えにもかけない りゅうぐうじょう】の絵と玉手箱がひっくり返る不思議な紙おり遊びがでてきます。さらに、浦島太郎の3人の弟を絵入りで紹介するという、ユーモアあふれるものまであるのです。

下は【えにもかけない りゅうぐうじょう】の絵。画面左上にいる魚の名はリュウグウノツカイ(龍宮の遣い)。

さて、令和の子どもたちは、浦島太郎のお話を知っているのでしょうか。今一度、昔話を思い出してから、かこさとし作『だるまちゃんととうらしまちゃん』をお聞きください。残念ながら下絵の段階のままで出版されることはありませんでしたが、『母の友』(2018年福音館書店)10月号【ありがとう 加古里子さん!】に掲載されました。YouTubeでご覧いただけますので、以下でどうぞ。

だるまちゃんとうらしまちゃん

金魚

投稿日時 2020/07/28

昭和時代、暑中お見舞の図柄によく登場したのは、朝顔、うちわ、風鈴、そして金魚と、目にも涼やかなものばかりでした。

金魚といえば、お祭りの金魚すくいで持ち帰ったり、それこそ金魚売りがきていた地域もあったことでしょう。

かこ作品で金魚をめぐる面白い絵が『おおきいちょうちん ちいさいちょうちん』(1976年福音館書店)にあります。この本は反対言葉の意味を絵で見てわかるように構成されています。

例えば、上は「なか・そと」。「ふえる・へる」では、小さな子がストローで花瓶の水をのむ「へる」に対して「ふえる」は下の絵です。金魚がユーモアを添えています。

クイズあそびもあります。
『かこさとし あそびの本1 かわいいみんなのあそび』(2013年復刊ドットコム)にある【さかなはなんびき】は、魚といっても金魚のようです。この本はもともとは1970年に刊行されたものですが、金魚鉢というと真ん中にあるこの形を思いおこします。

『世界の化学者12か月』(2016年偕成社)の8月にも下のような絵がそえられています。

お子さん向けの科学絵本『すって はいて よいくうき』(1977年童心社)の表紙にも立派な金魚がいます。
本文で、金魚も水にとけた空気を取り入れようとして、口をパクパクするのだと説明があります。

昭和50年にかかれた『こどものカレンダー8月のまき』(1975年偕成社)には金魚すくいに、金魚の4コマ漫画4連作、折り紙で金魚のつくり方(下)が紹介されています。
「いろいろな かおや うろこのきんぎょを」自分で描きいれつるして「モビールにするととても涼しく、きれいです」と【おうちのかたへ】アドバイスしています。

下は同じく『こどものカレンダー』の絵ですが、金魚すくいの様子は『とこちゃんはどこ』(1970年福音館書店)の秋の「おみやさんのおまつり」の場面にもあります。

かこにとって絵かき遊びの「金魚」との出会いは衝撃的だったようです。
『絵本への道』(1999年福音館書店)では以下のような図とともに子どもたちが描くキンギョの多様性を紹介しています。


『伝承遊び考』4巻の第1巻『絵かき遊び考』(2006年小峰書店)第1章で「ことのはじまり」として語っているのがこの「キンギョのとりこ」になった顛末です。

セツルメント活動をしていた、川崎の子どもが口ずさみながら線や図形を描いてキンギョの絵が出来上がる一連の絵かき遊び。それには対句をなした言葉、韻をふみユーモアがあふれていることに、かこは喜び感嘆し「奥知れぬ遊びの世界を彷徨させる端緒となった。」と書いています。

残念ながら1970年頃から急にこの「キンギョ」の絵かき遊びは収集できない状況、つまり、子どもたちに描かれなくなったのでした。今残っている絵かき遊びは、てるてる坊主にもかかれる「へのへのもへじ」くらいでしょうか。

『かこさとし あそびずかん なつのまき』(2014年小峰書店)にも「きんぎょちゃん」としてこのえかきあそびをのせています。

たかがキンギョ、されどキンギョ。筆者はかこが迷調子で歌いながらこのキンギョをテレビや講演で紹介していたの思い出しますが、皆さんはキンギョの絵かき遊びをされた記憶がおありですか。

最後にクイズです。金魚や鯉を飼う池が描かれているこの絵はどの本にあるでしょうか。

富士山

投稿日時 2020/06/27

7月1日は、例年なら富士山の山開きですが、今年は登山道が閉鎖されるそうなので、登らずに眺めて楽しむ夏になります。残念ですが、だからこそ富士山の絵や本をご覧いただきましょう。

かこと富士山の出会いは小学校2年生(1933年)の6月10日、生まれ故郷の武生(現在の福井県越前市)から東京に転居する道中、東海道線の車窓から見たのが最初でした。小学校を卒業するにあたり作った絵いりの文集『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社・上)には、下のような挿絵があって次のように書いています。

(引用はじめ)
「僕が絵をうまくまったのはこのときからである。景色のよい中部の山々、太平洋や富士の勇姿を見ては、自らどうかしてあのようなよいものを紙の上へうまくあらわそうと思った。」
(引用おわり)

その後中学生の時、野営、今風に言えばキャンプですが、戦争の足音が近づく時世で鍛錬のために学校で出かけた山梨で板に描いた富士山の油絵があり、全国巡回展(次回は2020年12月12日から盛岡市民文化センターで開催予定)でご覧いただいています。

富士山といえば世界的に有名な葛飾北斎の「神奈川沖波裏」が思い浮かびますが、かこは『こどものカレンダー4月』(1975年偕成社・上)の中で北斎の描いた富士山を模写して掲載しています。ご覧いただいているのがその場面で「山下白雨」の模写(下)なども全国巡回展で展示しています。

富士山の美しさを独自の分析でご紹介する『富士山大ばくはつ』(1999年小峰書店)は富士山の美しさを愛した、かこさとしらしさが溢れる科学絵本です。

地質、生物、気象、文学、芸術などの要素を含み総合的に富士山誕生の過去から未来を見通す視点、登れない今年にこそおすすめ致します。

空海(弘法大師)

投稿日時 2020/06/06

いろは歌の作者ともいわれる空海が生まれたのは6月15日、三筆の一人でもあります。
『こどものカレンダー6月のまき』(1967年偕成社)には「空海は、真言宗をひらいた僧であるとともに、学問・教育・文芸・美術にすぐれた人でした。かな文字やいろは歌の作者とつたえられているのは、その偉大さをたたえたあらわれといわれています。」とあります。

次のように続きます。
(引用はじめ)
空海は、日本でいちばんはやく、ふつうの子どものための学校を開きました。その名まえを「しゅげいしゅちいん(綜芸種智院)」といいます。
(引用おわり)

『人をたすけ国をつくったお坊さんたちー日本の土木工事をひらいた人びとー』(2004年瑞雲舎)にも空海が登場します。

道登(どうとう)、重源(ちょうげん)に続き空海は土木や建設工事によっても人々をすくいました。仏教でいうところの「利他行」(自分のことより他の人を助ける行い)です。

「また828年空海は大輪田造の別当(責任者)に任命され」行基がつくり、重源が修理した「港をさらによく整え」たのでした。

835年に亡くなり、「その功績により延喜21年(921)に弘法大師という称号がおくられました。」

この本のあとがきにあたる部分を引用します。
(引用はじめ)
お坊さんが、土木や建設の工事をしたのは、お金や地位を得るためではありませんでした。

農民や下づみの人々の苦しみをのぞこうと願い、その人の立場になって考え、計画をつくり、一緒に苦労して役に立つ土木の仕事を進めていったのです。

このお坊さんたちは、日本の土木工事の技術や知恵を切り開いただけでなく、土木や建設にたずさわるものに、誠実な考えや深い思いを失ってはならぬことを、身をもって教えてくださったことをお伝えして、この巻をおわります。
(引用おわり)
本文や横書きで漢字にはふりがながあります。

カビ

投稿日時 2020/06/01

梅雨時、気になるのがカビです。エアコンが普及した昨今はまだしも、先人たちはどんなにか悩まされていたことでしょう。かこも『こどものカレンダー6月のまき』(1975年偕成社・上・下)では、小さなこどもにもわかるように絵を入れて説明しています。

(引用はじめ)
「ばいきんは①じめめした②あたたかい③うすぐらいところに ある おいしいたべものが だいすきで、かずを どんどん ふやします。
たべものに、たくさん ばいきんが ふえると、かびがはえたり、くさったりします。

⚫︎よごれた てや かおには、たくさんのばいきんが ついています。きれいに てを あらいましょう。」
(引用おわり)

そして[おうちのかたへ]次のようにお願いしています。
(引用はじめ)
「物を腐らせたり、有用な薬を作りだしたりする力があるバイキンは、目に見えないくらい、小さな生物です。そのバイキンがいることをカビや、くさった物をみたとき、教えてあげてください。」
(引用おわり)

この言葉にあるように、悪者扱いされるカビですが人間にとって役立つものもあります。発酵食品が好例ですが、薬として大きな役割をはたしているのがペニシリンです。『世界の化学者12か月』(2016年偕成社)では6月の化学者として【アオカビを守りそだてた3人の学者】を紹介しています。

1906年6月19日、ドイツに生まれたチェーンは、父がユダヤ人であったためイギリス、オックスフォード大学にわたり、オーストリア出身のフローリー教授の元で研究を始めます。

フローリーは「第二次世界大戦できずついた兵士をすくうため、細菌をとかす物質をしらべているうち」「イギリスの細菌学者フレミングが、アオカビからみつけた、細菌をとかすペニシリンの論文」を見つけます。

チェーンとフローリーが工夫を重ねてフレミングが得たより「100倍も強いペニシリンをつくることに成功」したのは1940年のことでした。「空襲のつづくロンドン」で命がけでペニシリンを守り育てた方法は壮絶なものでした。

アオカビを守り育てた化学者たちの苦心と努力については是非、本文をお読みいただければと思います。大戦中につくりだされたペニシリンは、戦争で傷ついた人々を感染症から救っただけでなく、今日に至るまでこの薬のおかげで多くの人々が助けられています。

もし、戦争が起きず負傷者もいなかったら、この薬は開発されなかったのかもしれない。。。と考えると何が災いで何が幸いであるのか、人間の歴史の複雑な経緯を思わざるを得ません。

『こどものカレンダー6月のまき』(下)のあとがきの一部を引用して終わります。
(引用はじめ)
じめじめして、カビが生えたりする嫌な時ですが、このころ降る雨のおかげで、わたしたちは、だいじな水の資源が得られるのですし、米や作物のみのるもとがつくられるのです。

ですから6月は、特に体に気をつけ、飲み物や食べ物に注意して、丈夫で健康で、暑い夏を迎えるよう心がけてください。
(引用おわり)
本文は縦書きで漢字にはふりがながあります。

かこさとしのペンネームの「かこ」はあいうえお順の前の方の音で選んだとーその1ーでお伝えしました。この絵はその「かこ」がひらがな、かたかなで書いてある本の前扉です。何の本だかおわかりですか。左ページの紙、右ページの図形がヒントで、答えは『よわいかみ つよいかたち』(1968年 童心社)です。一見弱いように見える紙もなかなかどうして強いのだ、ということが自分で確かめられる科学の入り口にぴったりの絵本で、少しのかたかな以外は全部ひらがなで書かれています。

さて、前回ご紹介した『ありちゃんあいうえお』(2016年講談社)の後半は、かこが孫である二人の男の子を間近に見ながら創作した詩です。孫の名前にちなんだ言葉を選んだり、小さな子どもの様子を再現してほとんどひらがなで書かれていますので、お子さんから読めるやさしいリズム感ある言葉の連なりです。

『こどものカレンダー12月のまき』(1975年偕成社)には、「わがはいは、ねこであるぞよ。それでは おもしろい おいうえお ものがたりを おしえよう。」と前置きがあり、猫が語るあいうえお物語が始まります。それでは、お楽しみ下さい。

あいうえお ものがたり

(引用はじめ)
むかし、
あいうえお王という わるい おうさまが いました。
かきくけ公という わるい だいじんと、
さしすせ僧という 悪いぼうさんと、
たちつて島(とう)という しまに いって、
なにぬね野という のはらにある
はひふへ法という きそくで、とっては いけない
まみむめ藻というもを、とっていました。
やいゆえ世という よのなかに なって、 わるい 人は
らりるれ牢という ろうやに いれられて、
わいうえ王という よい おうさまにかわりました とさ。
ばんざい ばんざい。
(引用おわり)

この小さな物語の後には[おうちのかたへ]として「あいうえおを棒暗記させるのでは、子どもにとって苦痛になります。楽しみながら覚えるように」とかこのメッセージです。

いろはを覚えるには、『だるまちゃんすごろく』(2016年福音館書店・下)がぴったりです。このすごろくは両面遊べて赤い縁の「おくにおもちゃのいろはすごろく」は、いろは順にすごろくのますを進みます。いぬはりこ(とうきょう)→ろっかくだこ(にいがた)→はとぐるま(ながの)といった具合でそれぞれに郷土玩具の絵がついています。

青い縁の「にっぽんぜんこく おくにおもちゃめぐり」にも1つ1つのますに郷土玩具が描かれていて「ふりだし」の次はほっかいどう→あおもり→いわてと日本列島の北から沖縄まで巡り「あがり」となります。ちなみに北海道は【きぼりぐま】青森は【やわたごま】岩手は【しかおどり】の絵です。

かこの作品があいうえおやいろはを覚えるお役に立てたら幸いです。

尚、このすごろくの複製原画は現在開催中の愛媛県歴史文化博物館「かこさとしの絵本展」でご覧頂けます。出版されているものとは違う彩色で見比べていただくと面白いでしょう。