あとがきから
(1999年福音館書店)
第三の過ちは、戦争で死ぬべかりし生命を残してもらい、親や妻子に人としてなすべき最小事をした残余の時間をおよそ四万時間と算定したことです。早い話が第一の誤りに二十年を使い、第二の間違った計画準備に二五年で、合計四五年間を費やしたものの、以後二十年生きることができれば一日八時間年二千時間だから四万と言う時間がこれまで受けた社会や人々への恩返しに使えるだろうと考えたのです。四万時間は相当雑な余裕のある計算であるし、私自身人並みに遊び、騒ぎ、楽しむのが好きなタチで、催しをやるとなれば徹夜してお手伝いしたり、美人に誘われれば喜んでお茶のお相手をするのが、前記四万時間に食いこんだ時は、必ずどこかで取り戻すようにしてきたはずなのに、とうに四万時間を使い果たし、しかもさらに10年近く延長して長生きさせてもらっているのに、微々たる事しかできていない体たらくです。これではこの先、何万時間生かしてもらっても到底ダメではないか。優れた才を惜しまれながら死んでいった友人や先人に比しベンベンと長らえ時間を空費している重大な誤りであるのは明白です。
(本文は縦書き、その3に続きます)
(1999年福音館書店)
この本は福音館書店の編集部のご質問にお答えする形で、かこが語ったものを基に構成されています。
月に1回か2回の頻度で編集部の方々が時に三人、ある時はもっと大勢で聞き役として、かこを訪ねてくださりその回数は、とても十回では収まらないものだったと記憶しています。
次回の質問はこんな内容でということをあらかじめ聞いて、かこは説明のための絵や図などを用意して熱く語っていたようです。1997年かこが70歳を迎える前後ではなかったかと思います。私が夕方帰宅するとそのインタビューが終わったばかりで声をからしたかこが、熱弁の余韻が残る雰囲気で話していたことを覚えています。
「大きな誤りと感謝」と題する長いあとがきには、かこ自らの言葉でその人生を振り返り本作りに込めた強い気持ちが語られていますので、4回にわけてご紹介致します。尚、本文は縦書きです。
作者あとがき「大きな誤りと感謝」
思い違い判断ミスは、それこそ日常数え切れないけれど、恥ずかしいことに私はこれまで重大な過誤を、三つしてきました。
その第一は少年時代、軍人を志し一途に心身を鍛え、勉学にはげんだと言う誤りです。家庭の状況や時代の流れに託するのは、卑怯暗愚の至りで、幸か不幸か近視が進み、受験もできず、軍人の学校に入学できず敗戦となったため、禍根を拡大しないですんだものの、世界を見る力のなさと勉強不足は、痛烈な反省と慚愧となって残りました。時折訪れるアジア各国でのご挨拶は、まず私のこのお詫びと反省で始まるのを常としています。
第二の誤りは、この第一の過ちを取り戻す滅罪の計画を探り、その実現には周囲への依存はもちろん、家族に困惑をかけぬこと、換言すれば個人的秘事として処理しようとしたことです。はじめ漠としていた悔悟の計画は、やはり自分の性格に合う、自分の力の及ぶものでなければと気づき、親をすてる勇気もないので、生存中は親孝行のまねをし、優良社員でなかったものの進んで楽しく勤務しながら、密かに計画の具体案をねり、やがて文化・教育・科学・社会の分野にまたがる約二百項目の目標にしぼってゆきました。そして対処するのに必要な基礎知識と総合判断力を身につける修行として、演劇をはじめとする実技実践と学習補強ができるよう生活姿勢を変え、集めた情報文献と実施装備の倉庫兼工場として自宅建設を目指し、資料分析と実験処理の工作企画場として床下から天井裏に至る改造改修を、前述した方針でゆっくり無理せず実行してきたと思っていたのに、幼少の子供たちからは「これまで一度も遊んでもらった事ないもん」と家事にうとかった点をまんまと見抜かれていた上、数年前に点検したら、目標項目の半分もまだ実現しない有り様でした。達成できぬ計画を立てた無知無謀無為の過ちとなって、再び悔悟に追いたてられている所です。
(その2に続きます)
ある日夕食が終わろうという時に、かこが突然「エジプトに行きたいのだが」と話し始めました。その理由を聞かないうちに即座に家族全員が「是非行ったらいい!」その理由は「ピラミッドを自分の目で確認しておきたい」とのことで、それなら尚更急ぐべしと、あっというまに機上の人となりました。
こうして向かったギザのピラミッドの前で撮影した写真が「あとがき」に掲載されています。
かこの本の作り方は、インターネットを個人が現在のように日常に使う前の時代でもありますし、先ず徹底的に書物で調べ、疑問点は専門家に問い、長い時間をかけて推敲して、近い場所ならその途中で取材をしていました。『ピラミッド』の場合は最後に確認として現地を訪れるということだったと思います。
それでは、「あとがき」をどうぞ。
あとがき
(引用はじめ)
すでに多くの類書がある中で、私はこの本に込めた願いは次の3つです。
1 )総合的に真実を描きたい。
同じものは存在しないといわれる複雑なピラミッドの解説に、従来簡潔のためと称して、重要な点を無視したり、巧みな想像物で代用した書が横行していました。しかし、いかに困難でも、その錯綜変貌の中に秘められた真実を、何よりも尊重したいと考えました。そのため土木・建築・地理・気象などを含めた総合的な、真正面からの接近と描写に努力したということです。
2)謎ではなく生きた歴史としてとらえたい。
例えば大ピラミッドのばあい、その記述は、外見や規模、配置等に終始して、完成までの記録や資料がないため、建造の目的や方法が「謎」とされているのが常でしたが、これは、とても残念でまずいことだと思います。
以前の資料が欠如しているなら、その後その地の人々は、どう考え、どう対処してきたか、保存や伝承や後輩の状況を検証すること、すなわち沈黙の考古学だけではなく、民族風習や閨閥関係、大衆心理など、生きた人間の視点を含めた歴史によって、五千年前の人たちがしっかり持っていた考えに、私たちが同じように、はっきりと思いいたるよう試みたいということです。
3)固い考えを排し、意味あるものとしたい。
ピラミッドというと今なお、世界最古とか七不思議、古代人がこんなこともしたとか、あるいは人民を苦役かりたてた暴虐の帝王の代表とか、逆に卓越した統一国家組織の模範というような、偏った浅薄な立脚点で論じられていました。
しかし、そうした読者に何の関係も持たない「教科書」ではなくて、日本では縄文時代のはるかな昔、私たちの人類の祖先が、ナイル川の流域で築き上げた文化と文明の中に、現在の私たちが汲みとり、未来に受けつぎ発展する要素を明示して、現在のわたしたち自身に意義のある本とするよう努めました。
おもえば1949年の夏、「ピラミッド建設譜」という影絵脚本を書いて以来、ひそかに遅々と重ねてきた古代エジプトへの思いが、今回東海大学鈴木八司、宮城女学院女子大学矢島文夫先生の監修と、早稲田大学吉村作治先生のご指導によって、皆様にお目にかけられるようになったことを御報告し、御礼といたします。
(引用おわり)
本文の漢字には全てふりがながあります。
上は、ピラミッドの歴史とナイル川流域の地図で、この本のまとめをしている場面です。
その最後には「求める人には、生きてきた先人の姿を見つけだし、これからすすみ人間の道しるべとなるすばらしい歴史だということです。」とあります。
日本では5月10日から愛鳥週間だそうです。
かつて霞網という方法でツグミなどの野鳥を捕獲して食用などにしていました。現在では霞網を持っていること自体が違法だそうですが、本作ではまだその法律がない時代、そのやり方に疑問をいだき書かれた作品で、こころのほんシリーズ9冊の最後の巻です。
霞網は無くなっても、木の伐採など、それと同根の問題は大小色々なところにあるように思えてなりません。
あとがき
(引用はじめ)
自然の素晴らしさに人はよく感動します。しかしその美しい景観や地域が、ひとたび「金もうけ」になるとわかるや、どんなに貴重なところでものこらずズタズタになってしまう例を、これまでたくさん見てきました。心ある人びとが熱心にその非を説明し、正しく考えてもらうよう求めても、法律の目をくぐり、監視の手をくぐって、ときにはおどしや暴力をふるって「金もうけ」につき進む例を、ツグミで知っていただきたいと思いました。
まだ自然の仕組みや動植物の生態がよく分かっていなかった昔より、科学や技術の発達した現在や、文明が進んだ国の方が、ひどくなっているのはどうしてでしょうか。こうした「金もうけ」に対しては「おかね」でしか対抗できないというのはどうしてなのでしょうか。
「金もうけ」のためなら、かえることができない大切なものも次々に壊していく状況が、もっとも大きく子どもの心を暗くし、教育を荒廃せてゆくことを、私たちは知っておかなければなりません。
(引用おわり)
本文は縦書きで、漢字にはふりがながあります。
春にサクラを語らずに過ごすことができないのが日本です。というわけで、サクラについて書かれている「あとがき」を『こどもの行事しぜんと生活 4がつのまき』からお届けします。
サクラは4月、4月はさくら月
(引用はじめ)
4月はサクラの季節です。南北に長い日本列島ですから、3月から5月にかけてサクラが咲きますが、中心はやはり4月です。
古代に「花」といえばウメでしたが、平安時代からサクラとなりました。また昔は、4月はウノハナのさく月と言う意味で「卯月」と言いましたが、それは旧暦のことで、いまの4月はサクラの季節です。
サクラは暖かい日が続くと、ニ、三日でいっせいに花が開き、10日ほどたつと、すべての花びらがちりおちてしまいます。そのため人びとはお花見に出かけてサクラの下で食事をしたり、詩歌をつくったりします。
人間は植物から食物や実用品などを得ていますが、サクラにみるように、美の感性や文化にも大きな恵みを得ているのです。
(引用おわり)
本文は縦書き、漢字にはすべてふりがながあります。
2022年3月、かこさとしの深い思いが込められた絵本『カッコーはくしのだいぼうけん』が復刊されます。かこがどんな気持ちで、この作品を生み出したのか、是非「あとがき」をお読みください。
あとがき
(引用はじめ)
人が好くって優しくて、知恵と正義のかたま りのようなカッコー博士を皆様に御紹介致します。
カッコー博士の絵本をごらんになって、ちょっと変わったことにお気づきでしょう。それというのも、カッコー博士は、日ごろ筋もストーリーもないムード画面の集録や、少しも読者を空想の世界へはばたかせないファンタジーや、大人のガンゼない郷愁の羅列、さては白々しい浪漫的ひとりよがりといった絵本の多くを苦々しくおもっているからでしょう。
絵本というものの根幹であり、基盤であり、本筋である、あのワクワクする物語のおもしろさ、起承転結の劇的興奮を何よりもだいじにしている先生です。そうした絵本の流れを支える「ことば」と「絵」にはなかなかやかましい人物です。「ことば」として生きていない空虚な文字の連なりや、冗長な文章、それにただ服従したような挿絵や作品と別な主張をもつ「芸術絵画」に対しては、もちろん鋭い批判をあびせかけます。ですからカッコー博士の登場する絵本は、こうした難関をへなければならないので皆様にお見せすることがとても大変です。
そのうえもうひとつ、カッコー博士は、作者や編集部や印刷の方々の努力だけで絵本ができあがるのではなく、作品をよく理解し、愛し、それに親しい息吹きを与えてくれる感受性豊かな読者があって、はじめて完成されるという主張をもっているのです。
さてよき読者の皆様によって、カッコー博士に新たな活力が与えられるでしょうか。
(引用おわり)
創作昔話「やまやしき はなざしき」(2022年1月29日 編集室より その2に掲載)を楽しんでいただけたでしょうか。このお話は『あそびの大星雲3 みごと はなやかなあそびーなぜ花や実がつくのかー』(1992年農文協)におさめらています。
この絵本は染料として使われてきた植物や面白い名前の植物、砂漠に咲く珍しい花から、果ては花札にまつわる話まで盛りだくさんの内容で、その前書きとして次のようなメッセージがあります。
かこさとしから、大人の人へ
花も実もある願いを込めて
(引用はじめ)
花にことよせて植物の謎や秘密をちりばめたこの本に、作者は密かに3つの願いを織り込みました。
一番目は、人間はもちろん地球上のすべての動物が、生命を植物に頼って生きている事実をしっかりしってほしいことです。二番はどんなによい種類でも、同じ単一の植物で一つの地域をおおい尽くすのは、極めて不自然異常な事態で、従来の農業や林業のもつ矛盾を、雑草が警告している視点を含めたと言うことです。第三はまずくて固くても重さやカロリーだけの重視や、栄養や残留毒性を無視してミバよくうれればよい虚飾技術ではなく、楽しくて為になり面白くて美しい「花も実もある」場面にするよう努力したことです。
この3つの願いを込めて未来のグレゴリー・メンデルやレイチェル・カーソンたちにこの本をおくります。
(引用おわり)
最後の場面は、各県の花を紹介する華やかな画面(下)に次のように書かれています。
「はなも みもある」ちきゅうをまもり たがやして たねまく ちから きみのもの
ねも みきも みらいのために しっかりと うるわし うちゅう はれやか はなやか」
広い宇宙の中で花咲くこの地球はかけがえのないものです。30年前に書かれたメッセージが、一層重みを増していていると感じられるのは筆者だけでしょうか。
それでは「あとがき」をどうぞ。
かこさとし あとがき
花は植物のかお
(引用はじめ)
花の役目は、花粉をはこぶ昆虫を誘うためといわれてきましたが、色感がにぶい虫にだけあんなきれいな色や形をみせるためとは思われません。もちろん人工的に改変育成されたものも多いのですが、野山に咲く自然の花にもすばらしいものがあります。無駄で無益なことをしているのでしょうか。
花は植物の顔、だから熱心に手入れするものも、てんで気にしないゴツイのもいるーーーなぜなら生きものだからーーーと鏡の前で入念に努力する男の子がふえている最近の事情と考え合わせながら、この「はなとそれをめぐるひみつとふしぎ」の巻」をつくりました。どうぞはなやかな花たちをみてやって下さい。
(引用おわり)
『かこさとしあそびの大星雲』は10巻からなるシリーズで、その8巻目『いまはむかし れきしのあそび』(1993年農文協)は、火を初めて使った人の歴史からこの本が書かれた1990年初頭までの歴史的出来事とその年代の覚え方など、歴史に親しめるよう工夫された27場面から構成されています。
前見返しには「じんけんせんげんのもとのぶん」が描かれるなど、全部ひらがなで書かれる本文でありながら、内容は大人もうならせる本格的なものです。「人権宣言」の絵の次には「かこさとしから、おとなのひとへ」として「れきしという活劇大作品の楽しさをーーー」と題する、以下のようなメッセージがあります。
(引用はじめ)
かつて歴史は暗記ものといわれ、ツマラナイ、キライ、イヤナ学科とされてきました。しかし、古今東西の英雄美女の活躍や、わくわくする事件など、ケンランで豪華、時に非常冷厳な社会を描いた比類のない大作品なのに、どうして楽しく学ぶことができなかったのか不思議です。どうか、この本の愛読者の中から、ヘロドトスやトインビーのような歴史家が出てきてほしいと願っています。
(引用おわり)
宗教、政治の出来事だけでなく、日本の平安時代の女流文学やルネサンスにも触れ、最後には「せんそうがなんどもおこった」と20世紀の戦争で戦った人の数や亡くなった人や怪我をした人の数、使った弾薬の量やお金もわかりやすくまとめられています。
最後の場面のタイトルは「きょうというひは あす れきしとなってゆく」で「きみもあたなも れきしをつくる ひとりのにんげん」とあります。
あとがきをご紹介しましょう。
かこさとし あとがき 「歴史年号ことば遊びについて」
(引用はじめ)
歴史とは大河のように、いろいろなものをとかし、うかべ、流してゆきます。すごいじけんやすばらしい人が、どうしてそうなったのかを知ることは、これからどう世の中が動いてゆくかを予知する大きな目安となります。そのためにはその時、まわりでは、他のところではどのような状況であったかを考える必要があります。そのため年号を知るのが大きな手がかりとなるので、いくつかの「年号のことば遊び」を記述しました。もっとよい「歴史年号ことば遊び」ができたら教えてくださいね。
(引用おわり)
かこさとしが自然に関してどんな思いを抱いていたかは、2021年秋冬号の雑誌「花椿」の特集:Living on This Beautiful Planet 「透明な力を糧に」で林綾野さんが引用しているように、かこの著書『私の子ども文化論』(1981年あすなろ書房)でふれている宮沢賢治の「狼森と笊森、盗森」の自然観に重なります。
賢治のこの作品について、かこは「人間が、その自然の構成の一員として、その制約と相互依存の状況下にあることをえがいたこの先覚者の含蓄を味わって」とし、(中略)次のように述べて「子どもたちの遊びと自然保護」と題する節を結んでいます。
(引用はじめ)
子どもたちは、自然と親しみながら、あそびながら、自然の尊さとそして人間も自然の中の生物の一つであるという自覚を肌で感じとって育っていくものではないだろうか。そして、おとなになって日本の自然をなつかしみ、大事にするひととなるのではないだろうか。それがひいては、将来の日本を背負ってたつ子どもたちに自然保護を呼びかける最善の方法のような気がする。
(引用おわり)
『こどもの文化論』の出版からさかのぼること10年前に刊行された『きんいろきつねのきんたちゃん』(1971年学研/2005年ブッキング)には次のような場面が描かれています。ゴルフ場や別荘地などの大規模開発が盛んに行われるようとしているのを察知して日本の自然が破壊されることを危惧していました。
残念ながらこの本は絶版ですが、かこの絵をいもとようこ氏の絵に替えて出版された『きつねのきんた』(金の星社)版にかこさとしのあとがきがあり、この問題について記していますのでここで全文ご紹介します。
(引用はじめ)
この絵本のもとになったのは、一九七一年にかいた、『きんいろきつねのきんたちゃん』(学習研究社・刊)というお話です。当時、それほど問題になっていませんでしたが、自然をこわしたり、ゆがめたりする人間のわがままな行いを、動物たちを通じて考えてもらおうとした作品です。
それから二十年もの間、たくさんの人たちによんでいただき、紙芝居になったり、時にはミュージカルやアニメ映画にしようというお話があったりしているのですが、もとになった自然と人間の関係は、まだまだよい方向に進んでいないようです。ですからきんたをはじめ、動物たちも、いまも苦労をしていることでしょう。
この本をきっかけに、なぜ二十年以上も、よくなって行かないのかという、本当のわけを、よく調べ、勉強し考えて、正しくするよう力をつくしてくださるのを、願っています。
作者 かこ・さとし
(引用おわり)
この文が書かれてから17年。取り戻すことができない自然破壊を続けてきた17年が過ぎてしまいました。今こそ、かこがこのあとがきに込めた願いを実現させなければならない時であると思いを新たにしています。
石、粘土版、木簡、皮など人間は様々のものに文字を書いてきました。電子機器に頼る現代の私たちですが、紙を手放すことはできません。紙を最初に作ったのは、中国の蔡倫と言われていますが、『新版 科学者の目』(2019年童心社)に紹介されているように「樹皮、麻布、ぼろきれ、魚網などを使って紙(蔡侯紙)をつくり、105年に和帝に献上した」そうです。
しかし、「考古学上の調査によると蔡倫よりもっと古く、紙らしいものがあるのに、紙の発明者として蔡倫の名が伝えられている」理由が重要なのだと続きます。是非、本文をお読みください。
今までゴミと思われていた玉ねぎやじゃがいも、みかんの皮や茶殻など様々な野菜を使った紙なども誕生しています。
以前ご紹介したバナナの茎の繊維を利用したバナナペーパーの本、『ミラクルバナナ』(2001年学研)もあります。
『ミラクルバナナ』は日本、ハイチの大学や企業など多くの協力で出版され、日本語の文をかこがお手伝いしました。あとがきのような最後の部分をご紹介します。
(引用はじめ)
「世界中のおともだちに バナナの紙をみてもらおう」
みんなでそうだんし、バナナのせんいをあつめて、船で日本におくることになりました。
日本の港についたバナナのせんいは、トラックで、紙をつくる工場にはこばれました。
そして、できあがったのが、この絵本につかわれているバナナの紙です。
国をこえて、みんがきょうりょくしてつくった、たいせつな、すばらしい紙です。
(引用おわり)
紙を通してSDGsを考えるきっかけにもなりそうです。
この本を通じ、ハイチのことを知ろうという小学校の呼びかけは以下をご覧ください。
ミラクルバナナ
尚、『新版 科学者の目』については2021年11月14日佐賀新聞「県立図書館のドンどん読書」コーナーで紹介。記事は以下でどうぞ。
科学者の目
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