あとがきから

四季それぞれ、小さい子が遊ぶヒントがつまった遊び図鑑。この4巻に込めた著者の思いを「まえがき」のような以下の言葉から知ることができます。

子どものあそびがもたらす実り かこさとし

(引用はじめ)
子どものあそびは、楽しみながら知恵や力を伸ばし、体や心を育てていく実りをもたらしてくれます。
しかし、いやいやながらおしつけでは、よい実りにはなりません。
小さい子が遊びのおもしろさを知ると、いろいろ考え、探し、工夫して自分に合ったあそびにしてゆきます。
この「あそびずかん」は書いてあることがわかって、すすんであそびができるよう、絵と言葉でやさしくつづった、子どものあそびの本です。
(引用おわり・漢字には全てふりがながあります)

この巻に登場するのは、草花遊び、虫の音の聞き分けを紹介する「むしのおんがくかい」、渡り鳥とそれにまつわるわらべうた、屋内・屋外での遊び、雲や星月についてなどです。

自然の中で、あるいは自分の身体や身近なものを使っての遊びを紹介する「あきのまき」のお子さん向けのまえがきは以下です。

あきのまき まえがき

この ほんには、ちいさい こが たのしめるよう やさしくて おもしろい あきの あそびを あつめました。

あきは きのはが きいろや あかに かわったり、おいしい くだものが みのる とても よいときです。

そうした なかで、ともだちや なかまと あそぶことで、ちえや ちからが のびてゆきます。

さあ、あきの あそびを たくさん たのしんでくださいね。

それではあとがきをどうぞ。

あきのまき あとがき

(引用はじめ)
秋は実りの季節。子どもたちの活動もいちだんと深まるときです。

植物や昆虫、光や風など自然の影響だけでなく、ともに遊ぶ子の言葉や声、表情や動きがたがいに働きかけてゆきます。発育途上にある子にとって、周囲の自然や人々との交流や接触が、ひとりひとりの子の総合的な糧となって、成長を支え、促し、実りをもたらしていくのです。

どうぞ、こうした実りある秋の遊びとなるよう、楽しんでいただければ幸いです。
(引用おわり)

これは『とびきりばっちりあそび 』の裏表紙の絵、いったいどんな本なのでしょうか。

クマの親子にかこの大好きなカエルやネズミ、小鳥に蝶々。親クマの足の下方には画面では耳の端が見えているだけですが、キツネが嬉しそうにクマちゃんたちを見ています。花束に蜂の巣のごちそうもあって「とびきりばっちり」楽しそうです。

表紙はこちら。
ゴリラ、オラウータン、それともチンパンジー? カニがいますから昔話の「さるかに合戦」を意識したユーモアでしょうか。だるまちゃんの妹、だるまこちゃんがよくおぶっているようなお人形をさるのこどもがおんぶしています。

どんな内容の本なのかというと、タイトルは上にある通りですが副題は「生物の力、動物のふしぎ」。
まえがきにあたる文章の一部をご紹介しましょう。

かこさとしからおとなのひとへ

同じ生物の仲間におくる動物のふしぎな本

(引用はじめ)
子どもたちの中には虫めずる姫やトリ博士など、大ぜいの動物好きがいます。はじめはただ、珍しくて、可愛いらしくて、面白かっただけでしょうが、図鑑で名を覚えたり、標本を集めたりするうち、普通のおとなや親の水準をぐんぐん通りこし、自力で調べ、たずね、考えて、動物という生命のすばらしさに心をうばわれてゆきます。そうした動物少年少女のため、動物のもつ力や特徴を、学問や研究の対象ではなく「遊び」の楽しさとしてまとめたのが、この本です。
(引用おわり)

前扉の絵には動物、生物の定義とともに「静物画」というダジャレもあります。
それではあとがきをどうぞ。

あとがき

(引用はじめ)
世界中の子供は、動物園が大好きです。その訳は、①さまざまな形・姿・種類の動物がいろいろな動きをする。②その表情や、仕草が人とよく似ていたり、全くちがったりする発見がある。③観ている人々の声や様子・反応が、これまた楽しいーー要するに動物も観ている人も、同じ生物としての共通性があるーーということです。こうした生物としての同じ仲間・動物の楽しみブックがこの巻ですが、その動物園の場面に、堀内誠一さんのすぐれた案を許しをえて使用させていただきました。記して御礼申し上げると共に、どうぞ、その深い楽しさをご賞味ください。
(引用おわり)

かこは、20代半ばからおよそ20年間川崎でセツルメント活動をいうボランティア活動をして子どもたちと毎日曜日を過ごしました。その折、川崎セツルメントのシンボルマークを作ったったのですが、それは黄緑色の地に白い1つの星で、「自ら輝く星になれ」の意味を込めていました。自ら輝く星、恒星について書いているのが『よあけ ゆうやけ にじやオーロラ』(2005年農文協)のあとがきです。

あとがき

(引用はじめ)
地球上のすべての生物は、太陽の光や熱などのめぐみをうけて生きていますが、この太陽のように自分でひかりかがやいている天体を恒星をよんでいます。上の図に示した北斗七星など、夜空の星もほとんど恒星で、太陽もその1つです。

幸いにも地球の近くに太陽があるので、その熱が伝わってきますが、とおくにある北斗七星からは熱が伝わってこないので「つめたく光っている」などど言われます。どうぞ太陽のさまざまなようすを知ることから、夜空にたくさん恒星があること、そして宇宙という大自然の美しさを、伝えていただきたいと思っています。
(引用おわり)
なお、本文の漢字には全てふりがながあります。

「秋は夕暮れ。」夕焼けの美しさを味わって、是非本書もお楽しみください

台風シーズンです。渦巻く風とは、台風や竜巻のことで、どうしてそのようなものになるのかをわかりやすく図を駆使して伝えます。

あとがきをご紹介しましょう。

あとがき

(引用はじめ)
空気は、地球上の大部分の生きものにとってとても大切なものなのに、無色透明で、形も重さも感じられないので、その存在を気にせずくらしています。その姿のない空気を気づかせてくれるのは、風の動きです。

かぜによって空気というものの存在を知り、その空気の大事なこと、植物が長い年月かけてようやくこの空気をためてきたことなど、地球や自然をよく知り、その空気を汚したりせぬよう、大切に守るよう願って、この巻を作りました。
(引用おわり)
漢字には全てふりがながあります。

植物によって地球にもたらされた空気です。森林火災や乱開発、異常気象による砂漠化など心配なニュースが後を絶ちません。もし植物がなくなってしまったら。。。?

本書が年齢に応じて、こういったことを考えるきっかけになることを著者は願っていたに違いありません。

尚、2022年9月に新装版が出版されます。

ニュースによると2022年6月29日の午前8時は1.59ミリ秒はやくやってきたそうです。それは人類が1960年代に原子時計で地球の自転速度を測定し始めて以来、もっとも短い1日だったことを意味するとのこと。

地球の自転、公転、銀河、宇宙のことを小さなお子さんにもわかるように、やさしく、全てひらがなで説明している科学絵本のあとがきをご紹介します。

あとがき

(引用はじめ)
朝、太陽が東から出て、夕方西に沈む。星は東から西へと夜空を回る。地球から見るとこうした様子から、大昔の人たちは、宇宙の姿を思い、地球のまわりを、天にある星が回っていると考えました。「天動説」はその当時のすすんだ考え方でした。

しかし、その後科学が発達し、動いているのは地球であることがわかってきた今でも、小学生の4割が「天動説」と思っているとのことです。

自分の立場だけでなく、他の場から自分の姿を見つめることは「自立」のために、とても大切なことで、大人の方はご自身はもちろん、ぜひ小さい読者にも、このことを教え、導いていただきたく、この巻をつくりました。
(引用おわり)
漢字には全てひらがながふってあります。


ただいま渋谷Bunkamuraで公開中の生命図譜作成の意図に通じる思いがこのあとがきからも伝わってきます。人間という生き物を地球そして宇宙というスケールで見ることの大切さを、空を見上げて、あるいはこの本をよみながら思っていただけたらと思います。

尚、本書は9月28日に農文協より新装版が刊行される予定です。

夏休み真っ只中。いつもとは違う遊びをしたいですね。
そんな時のヒントになる本といえば、お子さん向けの『あそびずかん なつのまき』(2014年小峰書店)が紹介されました。
以下でどうぞ。

あそびずかんなつのまき

この本のあとがきをご紹介します。

あとがき

夏は子どもにとって、窮屈な衣服から解放され、自由に行動できるときです。ちょうじかんの直射日光に注意しながら、全身の遊びができるよう配慮していただくとすばらしいせいちょうの季節となるでしょう。

また、海山や郷里などへの旅行の折、いつもの遊び仲間ではない、年齢や言葉や風習の違う出会いがあるかもしれません。こうした種々な交流や経験は、未来に生きる子どものすばらしい糧となります。そうした機会のため、夏の遊びをおおいに活用されるようおすすめいたします。

(本文の漢字には全てかながふってあります。)

コロナ禍で遠くまで出かけるのが難しいのですが、いつもの公園で、おうちキャンプで、新しい遊びに挑戦するのはいかがでしょうか。

この本の中に入って空想虫取りとか、空想バードウオッチングなんていうのは?絵描きじゃんけんも面白いですよ。存分にお楽しみください。

あとがき

この作の源は、山国に伝わる鳥獣婚姻話の一つを1955年、当時流布していた「鶴女房話」にあきたらなかった私が、当時かかわっていた子ども会で話したのが始まりです。鶴は往時から上品高な鳥の代表で、裏切りで別れる女性と金に目がくらんだ男の題材は子供には不適で、庶民的な山鳥と前向きに生きようとする男女の姿の方が、子供たちにふさわしいと思ったからです。

それまでの絵画指導や紙芝居の私の活動と異なり、素話の形で終えた時、2人のおてんばから「山鳥さん返して」と泣かれたことと、後に東大教育学部教授となった仲間のエス君が「お話もやるんですネ」とめずらしくおセジをいってくれたことが、印象として残っています。

その後1978年、偕成社から語り絵本シリーズの1冊として出版、さらに1994年、上障害児福祉財団から音楽CD付紙芝居として、全国の施設に送られました。

野人門外漢である私が、今日まで子ども関係のお手伝いを続けられたのは、前述の子どもたちや同じ志の友人同僚、そして出版、福祉の専門家の方々の励ましやご援助の賜物なので、老骨米寿の期に、報恩感謝の微意をこめ、前述紙芝居を基底にこの絵本を製作致しました。印刷出版の実務に関しては関しては偕成社の御許しと御力を得て、全国公共図書館に贈らせていただき、全国の皆様への挨拶とする次第です。
(本文は縦書きです)

上記にあるようにこの本は全国の公立図書館への寄贈を目的として、かこの米寿記念に出版されたものです。図書館でお読みいただければ幸いです。この紙芝居のあらすじや解説は『かこさとしと紙芝居 創作の原点』(2021年童心社)や『かこさとし 子どもたちに伝えたかったこと』(2022年平凡社 )にありますが、現在Bunkamuraに開催中の「かこさとし展」で原画を展示中です。1枚だけですが、「ヤ助」とばれる理由がわかる迫力のある絵を是非ご鑑賞ください。

(1999年福音館書店)

そして今度、そんなお前の誤りだらけの過去と思い迷った来歴をまとめてみないかと言う申し出をいただきました。若い頃私が夢見ていた絵本の世界を、最初に現実のものにしてくださった出版社が、再び老人の思いを叶えてやろうというのです。あまりに過分な申し出に恐縮、ご辞退申し上げたのに、原稿を書かなくても、テープでおこして「聞き書き」の内容をワープロで打ち出すのでそれを点検すれば良いからと退路を絶たれ、遠路茅屋までこられて、どうぞ気楽に思いつくまま話してくださいと上手に誘い、聞き手が少なくてはと数人連れ立ってこられたりすること十数回、三年の長きに及んだ結果、順序系統だった「絵本塾講義録」になったと言うわけです。せっかくお読みくださる参考にと、資料現物を極力揃えるようしましたが、一部紛失忘却でお目にかけることができなかったのが唯一の心残りです。
(本文は縦書きです)
願わくば、私のごとき誤りを繰り返すことなく、そして眠れぬ夜を何度も迎えても達してなかった真実といる彼岸を、どうぞ読者の清新な力と広い心で取得し凌駕していただきた祈念し、感謝を込めてあとがきとします。

一九九九年三月

(1999年福音館書店)

こうした中、私がよく受ける事は、何故お前はこうした(変わった、或いは余計な)仕事(というか活動)をするのか?と言うと質問です。不徳の至り、第一の誤りから発し、次々誤りを重ね余計なことをするに至ったいきさつは前記のごとくですが、もし最初の過ちを犯さなかったとしても、当然何故自分は生きているのか、生きようとするのか、裏返せば何を生きがいとし、何のために死を甘受するのかを、一人前の自立した人間となる関門、成人の通過儀礼として、青年期には求めたことでしょう。他の方々はそんなそぶりはを外にも少しも漏らさず、それぞれ自ら決めた道を着々進んでおられるのに、もはや老人というより化石人に近いのに、今なお青臭い迷いや追求にあけくれているのは、我ながら進歩のない限りです。しかもそんな私に対し、有り難い事に多くの方々、特に子どもさん達から、日々お便りや励ましを頂きます。私の目標の一つ「人間幼少期の綜合把握」のために伝承遊びを蒐集する間、子ども達から多くの示唆と教訓を得てきましたが、さらに私の作品を読まれた子どもさんから、かわいい絵や覚えたての大きな字で、直接いただく感想やご意見は、作者冥利につきる以上に、月にに何度も落ち込むユウウツ期の私を救ってくれる天使となっています。たとえば「やさいのおんなのひとがつれているばったが、こいぬのようでおもしろい。かってみたい」とか「ぞうのおかあさんがしぬところで、いつもなみだがでます。とてもかなしくて、だからすきで、なんどもよんでもらいます」「うみのことは、まだよくわかっていないとかいてありますが、このほんはずいぶんまえにかいたので、いまではけんきゅうがすすんで、みんなわかるようになりましたか」という率直な、私の子心底にひびくお便りはくじけそうになる私を支え、力を与えて下さる糧となってきました。

(本文は縦書き、その4に続きます)

(1999年福音館書店)

第三の過ちは、戦争で死ぬべかりし生命を残してもらい、親や妻子に人としてなすべき最小事をした残余の時間をおよそ四万時間と算定したことです。早い話が第一の誤りに二十年を使い、第二の間違った計画準備に二五年で、合計四五年間を費やしたものの、以後二十年生きることができれば一日八時間年二千時間だから四万と言う時間がこれまで受けた社会や人々への恩返しに使えるだろうと考えたのです。四万時間は相当雑な余裕のある計算であるし、私自身人並みに遊び、騒ぎ、楽しむのが好きなタチで、催しをやるとなれば徹夜してお手伝いしたり、美人に誘われれば喜んでお茶のお相手をするのが、前記四万時間に食いこんだ時は、必ずどこかで取り戻すようにしてきたはずなのに、とうに四万時間を使い果たし、しかもさらに10年近く延長して長生きさせてもらっているのに、微々たる事しかできていない体たらくです。これではこの先、何万時間生かしてもらっても到底ダメではないか。優れた才を惜しまれながら死んでいった友人や先人に比しベンベンと長らえ時間を空費している重大な誤りであるのは明白です。
(本文は縦書き、その3に続きます)