あとがきから
「あとがき」コーナーではありますが、前書きとしてのかこさとしの言葉「はじめに」をご紹介します。
はじめに
このたび出版となった『あそびの大事典 大宇宙編』は『あそびの大宇宙 全10巻』(1990〜1991年)を時代に対応するように再構成編集したものです。
私は戦後、川崎の戦災跡の工場労働者住宅街で、会社に勤めながら子ども会を25年していて、遊びの持つ野性的な楽しさと生きる意欲を、子供たちから教わりました。その後、会社を退職し、六つの大学で10年間、児童文化と行動論の講義を担当しました。
その折、「遊びの本」出版の依頼を受けたので、子どもたちから受けたあそびの多彩な楽しさと、大学講義の基軸である子どもの成長発達の推進力を込めて記述したのが『あそびの大宇宙』で思い出深い著書です。
今回、新装出版にあたり、嬉しい懐かしさとともに、新しい読者の方々に、当時の子どもたちのいきいきとした行動と生き抜こうとする力が伝わるなら、最高の幸いです。
かこさとし
上は、表紙カバー内側で、この下には【この本の特徴】として、以下のような著者による解説が続きます。
【この本の特徴】
○ 子供の遊びの主人公である子供の立場、総合的な成長と発達と、個性孤独の心理環境を主軸とし、大人の遊びへの介入、関与、干渉を排しました。
○ 子供の遊びは森羅万象にわたり、その素材は従来の類書のように狭い一方に偏したものではなく、多元、多様、総合の形を目指しました。
○ クイズ、なぞなぞ、笑い話、絵さがし、さては頁の一部を切ったり、折ったりし、楽しくなるよう工夫しました。
子供の遊びでは、森羅万象全てが題材対象となります。しかも「トンボのハネの迷路探し」や「三輪車による町内見回り」のようにその楽しさは当人にしか味わえぬ個人個別なのが本筋です。一部の教育者や親のすすめる「よい遊び」や集団行動による成果期待の「大人の立場」ではなく、失敗・錯誤・忘却・偶然といった不安定非効率の集積をのりこえる魅力の源泉を、「本での遊び」の中に集約した、40余年実践と調査の結晶ですので、お楽しみ下さい。著者
「水菓子」、果物の事をこう呼びますが、今のようにお菓子が簡単に手に入らなかった昔、果物の甘さとみずみずしさは格別だったに違いありません。そんな時代の水菓子の代表は桃でしょうか。梨、それとも柿?
こういった果物が登場する昔話が『こわやおとろし おにやかた』(1986年偕成社)です。
桃から生まれた桃太郎だけではなく、梨、柿から生まれた三人が大きくなり鬼退治をする展開は昔話を元にした加古の創作です。物語の筋とともにその語り口調が味わい深く、漢数字以外は全てひらがなの分かち書きで、こう始まります。
(引用はじめ)
「むかしむかしの そのむかし、ちいさな さみしい むらに 一けんやが あってな、としよったばあさまが さびしく ひとりで くらしていたそうな。」
(引用おわり)
あとがき かこさとし
あとがきをご紹介します。
(引用はじめ)
今から30年ほど前、私は日本の昔話を調べたことがあります。その中に、いろいろな果実やなりものから子どもが生まれてくる話がありました。不思議な面白い話が、なぜたくさんあるのだろうかと考えました。果物・木の実を大切にしたこと、貧しいけれど努力して生活していたこと、不意に来る災害や悪者に怯えていたこと、老人はしっかりした子どもや身寄りをほしいと思っていたことなどを知って、若かった私がまとめたのが、この「おとろしばなし」です。
(引用おわり)
ラグビーの熱戦が繰りひろげられていますが、『遊びの大宇宙 1おにごっこ じんとりのあそび』(1990年農文協)には、数多くのおにごっこや球技、綱引き、石蹴りなどが紹介されていて、その1つが上の「ラグビーごっこ」です。「ごっこ」ですから本物のボールではなく、ドッジボールや身近にある軽い素材で簡易に作ったボールを使って遊びます。
側で見ている猫のセリフがふるっています。子猫に向かって「いいかい そばへいくと まちがえられて あぶないヨ」
かこさとし考案「ラグビーあそび」も登場しますが、ルールの最後に「すこしくらいのことで、ないたり おこったり するようでは、ラグビーを たのしむことはできませんよ。」とあり、以下のようなメッセージもあります。(漢字にはふりがながあります)
(引用はじめ)
「おしくらまんじゅう」や、「ラグビーごっこ」の楽しさは、こども同士、からだを動かし、はだををたがいにくっつけあって、全身で遊ぶところです。仲のよいなかまであれば、たおされたり、さわられることで、ますますしたしみが増し、おもしろさがふえてくるものです。
(引用おわり)
現在ではこのシリーズ全10巻を合本にした『あそびの大事典 大宇宙編』の第1パートの最後に『おにごっこ じんとりのあそび』の「あとがき」が収められています。
外あそびの すばらしさ かこ さとし
(引用はじめ)
子どもは、大人とちがって成長するものです。細胞がふえ、体は大きく、骨は強く、筋肉がしなやかになっていきます。その伸びてゆくものを、適切につかい、きたえ、活動させることが、次の成長の力となります。だから子どもは、ほうびや無理なすすめがなくても、かけまわり、動きまわるものです。そのため戸外で体を大きく動かす子どもの遊びは、特に大事です。この伸びゆく者の、全身の楽しい遊びを集めたのがこのパートです。
(引用おわり)
「おしくらまんじゅう」を見かけることは、ほとんどなくなってしまいましたが、「ラグビーごっこ」に名をかえた「全身の楽しい遊び」が盛んになればと思う今日この頃です。
8月15日がめぐってきます。今からさかのぼること八十数年前、日本は戦争に向かってすすんでいました。かこさとしは、まだ幼少期ではありましたが、そんな世の中の空気をかんじる出来事もあり、生まれ故郷、現在の福井県越前市の自然の中で遊んでいました。豊かな描写で表現される当時の様子は、かこさとしを知る上でも、その時代の日本を知る意味でも、貴重なものでしょう。
この本は、1975年じゃこめてい出版より刊行され、同年第23回日本エッセイスト・クラブ賞と第15回久留島武彦賞を受賞。2018年に復刊ドットコムより復刊されたもので、それに際し書き加えられた「新あとがき」をご紹介します。
新あとがき
(引用はじめ)
敗戦後の翌年(1951年)法学部の大講堂でこれからの日本の進む途について著名な学者や政治家、実業人の討論会が開かれた。敗戦で生きる方途に昏迷していた私は、良き手がかりを得ようと、最前列で次々開陳される名論卓説に耳を傾けていた中、新しく大臣となった政治家は戦争に負けてよかった、新しい憲法ができて、これによって日本は再生できるものだと涙をながして未来を謳歌した。全員が一通り論じ終わった最後に米国から交換船で帰ってこられた中年の女性*が登壇、それまでの怪説迷論を鮮やかに切りすて、禍をのりこえてゆく新時代の女性の姿を示された。
私はその明快な論旨と麗姿にわずかであるが何とか生きていく光明を得て様々な彷徨の後、臨港地の工場勤務の傍ら、未来ある子供との交流と生活の機会を得た。それで得た野生的な生きる意欲に満ちた子どもたちの行動と真意を教育雑誌に投稿していたが、じゃこめてい出版と言う出版社から原稿依頼を受け、それで、子どもの頃の思い出を綴ったところ、第23回日本エッセイスト・クラブ賞**を得る光栄に浴した。しかも強力に推薦されたのが、あの時登壇された坂西先生だったことを知り二度も私の人生を励まし推挙いただいためぐり合わせに、この上ない感謝と幸いに包まれた。
今回復刊して頂く機会に先生から頂いたご恩を記し、私の心からの感謝をお知らせする次第です。2018年2月 かこさとし
*坂西志保
1896年生まれ。教職を経て、1922年に渡米。ミシガン大大学院修了。同大学院助教授、ポリス大学助教授、米議会図書館日本部長などを務め、1942年に日米開戦に伴い帰国。帰国後、外務省嘱託、太平洋協会アメリカ研究室主幹、NHK論説員などを歴任。戦後はGHQ顧問、参議院外務専門調査員、立教大学講師、憲法調査会、選挙制度審議会、中央教育審議会、放送番組向上委員会、国家公安委員など20近くの委員を務めた。かたわら広く文化の全域にわたってアメリカン・デモクラシーに貫かれた評論家活動を展開。著書に『狂言の研究』『地の塩』『生きて学ぶ』『時の足音』など多数。1976年没。
**同年(1975年)第15回久留島武彦文化賞も受賞
(引用おわり)
夏休みですから、思い切って世界旅行をしましょう。観光ではなく、探検ですが心配はいりません。しかも用意するのは一冊の本で大丈夫です。『せかいあちこち ちきゅうたんけん』、見返しには世界各地の生き物が描かれています。全部の名前がわかりますか。
次のような著者の言葉から始まります。本文は、分かち書きで漢字にはふりがながあります。
(引用はじめ)
この 地球には おおきな りくちが
いくつも ちらばって あります。
そこには けわしいやまや ひろい へいやが
あったり します。
その やまや のはらの ようすは
どのように なって いるのか
この ほんで しらべてみましょう。
そこから どのような ことが地球で おこって きたのか、
おこって いるのかを さぐって ゆきましょう。
*この ほんでは、たいりくの ようすを あらわすため
ひょうしに かいた ような ちずを つかいました。
3かん などで つかった ちずと すこし ちがって いるので
ごちゅうい ください。
*とくに ほうがくを しめしていないとき、
ちずはうえのほうが きた、したのほうがみなみ、
むかってみぎのほうが ひがし、
むかって ひだりのほうが にしとなります。
ちきゅうの おおきな りくちを たいりくと よびます。
これから みんなでたいりくのたんけんにさっそくでかけます。
(引用おわり)
こうして、地図の番号順に6大陸を巡り、あとがきには5000万年後の世界地図が描かれているのです。あとがきをご紹介します。
あとがき
世界には、美しい景色やめずらしいようすのところが、たくさんあります。こうした風景を訪ね、たのしむのは、とてもよいことです。
そこで、この本は、いろいろなところの山や平野のようすをさぐりながら、それらがバラバラではなく、ほんとうはたがいにつながって、動いたりぶつかりあってきた、長い地球の変化を知っていただきたいとねがってつくりました。
迫力ある表紙です。ドラマとあるように、お芝居仕立てのこの科学絵本は、黒子さんが幕をあける前扉の絵から始まります。幕に描かれているのは「いなずまの家紋いろいろ」(下)。これらはかこの創作ではなく、実際にある雷文の一部を描いています。いなずまは稲妻と書くことがあるように稲作をする上でも大切であったようです。
第一幕は、「さあ、雷の劇がはじまります」とものすごい稲光りの様子です。そして第二幕「夏の舞台にもくもく雲があらわれる」と続きます。ところが、冬にも雷が鳴ります。第四幕は「冬の舞台、台風の場面」。雲と電気の関係を丁寧に図解しながら説明が進みます。
火事や火山でも雷がおきること、雷の様々なことがわかりやすく描かれています。雷の観察のきまりや注意事項も大切な内容で、最新の研究成果も伝えられています。大人が読んでも、なるほどと納得できることでしょう。
ちょっとかわったエピソードのあとがきをご紹介します。
あとがき
(引用はじめ)
この雷の原稿をいそいでいる最中、アトリエのはなれに泊まった娘の友人親子が、深夜、天井の激しいもの音で寝られなかったとのこと。それからが大変で、手をつくして探索した末、ようやく突き止めたのが、下の写真の3匹のハクビシン。野生のものか、逃げたペットなのかは不明でしたが、その昔、樹上と雲間をかけめぐった雷獣の元がこのハクビシンといわれていて、六足ニ尾ではなかったけど、爪はきわめてするどいものでした。悪臭と汚染のため、はなれは取り壊し、原稿の遅れで数日徹夜となるなど、やはり「伝説の獣でも雷は恐るべし」と思い知りました。
そうした出来事や、私にとっての未知の気象、大気電気学の分野であったのに、この本を皆様に見ていただけるようになったのは、専門的な立場から、懇篤なご教示とご指導に加え、走り書きの原稿を細かに点検、校閲いただいた元埼玉大学教授・理学博士北川信一郎先生のあたたかいご配慮のたまものです。感謝をこめて皆様にご報告するとともに、改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
(引用おわり)
下は、裏表紙。雲に乗っているのは「かみなりちゃん」とおとうさん!
七夕の表紙も涼やかな『こどもの行事 しぜんと生活 7月のまき』(2012年 小峰書店) です。
七夕を「たなばた」と読む理由は、この行事には色々な伝説や言い伝え、習わしが関係していることによります。
8月にこの行事をする地域もありますので、「7月あとがき」ご紹介しましょう。
七夕は、晴れか雨か
(引用はじめ)
七夕の行事では、雨が降らないのをいのる地方と、反対に「三つぶでも雨がふる」ようにとねがう地方があります。このちがいはなぜなのでしょうか。
それは、6~7ページにも書きましたが、七夕の行事には、次の四つのことが混じり合っているからだと考えられます。
① 棚機女(たなばたつめ)が布を神さまにささげ、わざわいをのぞくならわし
② なくなった人の霊をむかえ、なぐさめるならわし
③織女星(しゅくじょせい)と牽牛星(けんぎゅうせい)のふたつの星がであう伝説
④技芸や書の上達をねがうならわし
①と②では、水で身をきよめるので雨をまち、③と④では、星がみえるよう、晴れをねがいます。
あなたのすんでいるところどちらですか。
(引用おわり)
原文は縦書きで、漢字には全てふりがながあります。
海の日といえば、『海』(福音館書店)を思い浮かぶ方が多いかもしれません。あるいは『かわ』の最後の場面でしょうか。
2歳のときに『海』を読んでもらい、現在、海洋学者として活躍されていらっしゃる方もおられます。この絵本は大人の方でも興味を持って読んでいただだける内容で、字が読めない小さなお子さんが眺めて楽しんでくださるのも大歓迎です。
小さなお子さん向けの海の本として出版されたのが、この『うみはおおきい うみはすごい』です。文は全部ひらがなで、しかも大きな活字で書かれています。海溝の代わりに、「うみのなかの ふかいたに」と表現するなど、難しい言葉を避けながらも、深さによる海水の流れの違いや大潮、小潮が起こる訳など海のことを宇宙との関連で説明する本格的な内容です。
海水に溶けている80以上の鉱物、つまり「ちきゅうにあるものすべてが とけていることがわかってきた。」ということも伝えるあたり、小さなお子さん向けの絵本とはいっても、内容に全く妥協がないところが、加古里子らしい科学絵本です。
まえがきにあたる文(漢字には、ふりがながあり)をご紹介します。
(引用はじめ)
地球の ことを もっと よく しろう。
にんげんは 地球に すんでいる。
にんげんが いきて ゆくのに
地球の やまや うみなど
すべてが だいじな もの なのだ。
じしんや たいふうなど
地球で おこる ことがらを
よく しっておく ことが たいせつ なのだ。
だから もっと よく もっと ふかく
地球の ことを しって おこう。
(引用おわり)
あとがき
(引用はじめ)
地球でおこり自然の変化や出来事、現象を、この「自然のしくみ 地球の力」シリーズでは、ちいさい読者にわかるよう、大事なことを、やさしくのべるようにしました。この巻は「海」に関係することですが、用いた数値最新理科年表を参考にしました。
なお、かぞくは年長の方は、学校図書小学3年国語教科書にかいた「ひらけてゆく海」」の拙文を参考にしていただければ幸いです。
(引用おわり)
漢字には全てふりがながあります。
いつもの「だるまちゃん」シリーズとは大きさや形が違うこの本が誕生した経緯があとがきに書かれています。ご紹介しましょう。
(引用はじめ)
長野県飯田市では市をあげて、毎年国内外専門劇団、アマチュア劇団による人形劇フェスタ(元人形劇カーニバル)が開かれています。
それは、今田・黒田人形劇という人形芝居の伝統と市民皆さん方の、熱心な努力のたまものです。2000年夏、お手伝いにいった私は、とても感激して、会場の小さなお友達と「えほんをつくる」やくそくをしました。それから2年、ようやくできたのがこのえほんです、りんごんちゃんは、飯田のりんごのことです。6、10場面の山は、町の西北にある風越山です。10~13場面の舞台の紋様は、竹田人形座のしるしをおかりしました。そして、えほんの中の会話を、飯田のことばに近くしていただくため、飯田市立図書館の方々に指導してもらいました。ですから、このえほんには飯田の皆さんの力と思いがこもっています。アメリカのハリウッドは映画の街として有名ですが、やがて日本の飯田は、世界でも珍しい人形劇の街とよばれるようになるでしょう。そうなることを祈って、このえほんを人形劇を愛する世界中の人におくります。 加古里子(かこさとし)
(引用おわり)
『ならの大仏さま』(2006年復刊ドットコム)のあとがきもこれで最終回です。長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。(上は、本書より東大寺南大門)
はっきり簡明に書く
(引用はじめ)
最後の第三の点は、「はっきり簡明に書こう」と努めたことです。そのきっかけは、偶然ある小学校を訪れた時、子供たちの「東大寺を作ったのは聖武天皇か、大工さんか」というクイズを耳にしたからです。前者といえば後者がいなければできるぬといい、後者といえば、歴史で習ったじゃないかと笑うイジ悪クイズですが、後でこれは有名な参考書にある「東大寺を建てたのは誰か(A)聖武天皇(B)百済からの帰化人」のモジリであることを知りました。
大仏の建立者が誰かを簡単に覚えさせようと、二者択一の方法で追い込めば、こうしたクイズまがいの知識となり、それが「学力」として横行することとなります。そうした単純化や簡易化ではなく、あいまいさや誤解を除き、確かなことをはっきりと明らかに記述したいと心掛けました。
従来どういうわけか子供向けの歴史の本や伝記は「はっきり」書くため、人物なり事件なりを善悪良否で画然と区分し、それを示す場合にも過剰な修飾や偏った独断が多かったように思います。大仏に関する本でも、英雄談と偉人伝が積み重なり、大仏が無事に残ったのはアメリカ軍の爆撃から古都をはずす進言をした某博士の尽力によるという「作られた美談」や「あやしげな奇談珍話」によって綴られていました。
そうした小話でなく、もっと私たちに関係する大事なことを、「はっきり」させたいと思いました。弱い一面を持った人間が強い意志と行動を示すに至ったことや、多くの功績に輝き、富や権力を持った人が滅んでいく様を「明らかに」のべ、私たちが今考えなければならぬことを学びたいと思いました。
しかし1000年以上にわたる長い経過と、主要記載人物が73人、画面(原画)登場3000人が入り乱れる様子を、繁雑で明快でないと思われる読者もおありのことでしょう。ほぼ最後の1年間を、原稿の圧縮と簡潔化に費やして描き及ばぬ私の非才を恥ずるところですが、p76〜77に示したごとく、実体はもっと複雑錯綜しており、その複雑な迷路の中に真実が存しているということです。
したがって前述のクイズのように、どうしても短い答えが必要なら「人間が造った、造ってきた」というのが、最もはっきりと、明快な、そして誤りのない返事となると言うことです。
(引用おわり)
上は、最終ページにある創建時、再建時、現在の大仏殿の大きさと修理を示す図。右下に描かれた小さな人により、その大きさがわかる。
お礼と報告
(引用はじめ)
以上の三項を旨としながら、5年間諸先達の著作・資料・ 論文を参考にさせていただき、関係の地を幾度か訪問彷徨したあげく、ようやくまとめることができたのがこの本です。
記述した内容は、私なりの検証を行ったものの、前記の諸先生方の学恩に負うところが多く、準拠した文献や出典出所を詳記すべきところですが、紙面の都合で略させていただきました。人物の風貌は、複数の資料より復元し、光明皇后(p11 )や広嗣(p14)のごとく全くないものは、口承口伝により再構成しました。
一方p77の大仏殿建築費は、単純な換算では経済生活基準の差が大きくひびいて実態とは合わぬ点を、昭和55年労働人件費を基準にして逐次算出し、その値が妥当か否かを復元建築図より各材料費・工賃を積算し、対比検証したもので、従来知られたものより実体に近い値でないかと考え提示いたしました。
狭い私の書斎と作業室を埋め尽くしていた資料の山を、ようやく整理できるようになった今、それらの筆者に感謝するとともに
青木和夫(お茶の水女子大学) 杉山二郎 (東京国立博物館)
故・前田泰次(東京芸術大学) 香取忠彦(東京国立博物館)
松山鉄夫(三重大学) 奥田英男(奈良国立文化財研究所)
馬場宏二(東京大学) 久保田穣(建設技術研究所)
上司永慶(東大寺) 山崎佳久(建設技術研究所)
堀池春峰(東大寺) 八木悠久夫(清水建設)
平岡昇(東大寺図書館) 吉田不二夫(鹿島建設)
新藤佐保里(東大寺図書館) 大沢弘(綜合設計社)
渓 逸郎(信楽法蔵寺)
の諸氏から専門的なご教示と、ご懇篤なお計らいを得たことを報告いたします。
本書は1985年の発刊以来、多くの読者特に小・中学生の方から、種々の質問や意見をいただきました。中でも教科書に載っている数字や建設法との違いについてのものが多かったのですが、訂正されないままの出版社の反省を求めたいところです。また大仏建立について、本書で述べた方法が、専門誌等で次第に認められてきている状況です。一方「大仏を爆撃から守ったアメリカの学者」という誤伝が、今なお横行していますが、その元となったのはねつ造新聞記事なので、そうした偽や誤に惑わされず、正しい事実による科学の知識を備えていただきたいと改めて念じます。
(引用おわり)
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