あとがきから

2022年3月、かこさとしの深い思いが込められた絵本『カッコーはくしのだいぼうけん』が復刊されます。かこがどんな気持ちで、この作品を生み出したのか、是非「あとがき」をお読みください。

あとがき

(引用はじめ)
人が好くって優しくて、知恵と正義のかたま りのようなカッコー博士を皆様に御紹介致します。

カッコー博士の絵本をごらんになって、ちょっと変わったことにお気づきでしょう。それというのも、カッコー博士は、日ごろ筋もストーリーもないムード画面の集録や、少しも読者を空想の世界へはばたかせないファンタジーや、大人のガンゼない郷愁の羅列、さては白々しい浪漫的ひとりよがりといった絵本の多くを苦々しくおもっているからでしょう。

絵本というものの根幹であり、基盤であり、本筋である、あのワクワクする物語のおもしろさ、起承転結の劇的興奮を何よりもだいじにしている先生です。そうした絵本の流れを支える「ことば」と「絵」にはなかなかやかましい人物です。「ことば」として生きていない空虚な文字の連なりや、冗長な文章、それにただ服従したような挿絵や作品と別な主張をもつ「芸術絵画」に対しては、もちろん鋭い批判をあびせかけます。ですからカッコー博士の登場する絵本は、こうした難関をへなければならないので皆様にお見せすることがとても大変です。

そのうえもうひとつ、カッコー博士は、作者や編集部や印刷の方々の努力だけで絵本ができあがるのではなく、作品をよく理解し、愛し、それに親しい息吹きを与えてくれる感受性豊かな読者があって、はじめて完成されるという主張をもっているのです。

さてよき読者の皆様によって、カッコー博士に新たな活力が与えられるでしょうか。
(引用おわり)

創作昔話「やまやしき はなざしき」(2022年1月29日 編集室より その2に掲載)を楽しんでいただけたでしょうか。このお話は『あそびの大星雲3 みごと はなやかなあそびーなぜ花や実がつくのかー』(1992年農文協)におさめらています。

この絵本は染料として使われてきた植物や面白い名前の植物、砂漠に咲く珍しい花から、果ては花札にまつわる話まで盛りだくさんの内容で、その前書きとして次のようなメッセージがあります。

かこさとしから、大人の人へ

花も実もある願いを込めて

(引用はじめ)
花にことよせて植物の謎や秘密をちりばめたこの本に、作者は密かに3つの願いを織り込みました。

一番目は、人間はもちろん地球上のすべての動物が、生命を植物に頼って生きている事実をしっかりしってほしいことです。二番はどんなによい種類でも、同じ単一の植物で一つの地域をおおい尽くすのは、極めて不自然異常な事態で、従来の農業や林業のもつ矛盾を、雑草が警告している視点を含めたと言うことです。第三はまずくて固くても重さやカロリーだけの重視や、栄養や残留毒性を無視してミバよくうれればよい虚飾技術ではなく、楽しくて為になり面白くて美しい「花も実もある」場面にするよう努力したことです。

この3つの願いを込めて未来のグレゴリー・メンデルやレイチェル・カーソンたちにこの本をおくります。
(引用おわり)

最後の場面は、各県の花を紹介する華やかな画面(下)に次のように書かれています。

「はなも みもある」ちきゅうをまもり たがやして たねまく ちから きみのもの
ねも みきも みらいのために しっかりと うるわし うちゅう はれやか はなやか」

広い宇宙の中で花咲くこの地球はかけがえのないものです。30年前に書かれたメッセージが、一層重みを増していていると感じられるのは筆者だけでしょうか。

それでは「あとがき」をどうぞ。

かこさとし あとがき

花は植物のかお

(引用はじめ)
花の役目は、花粉をはこぶ昆虫を誘うためといわれてきましたが、色感がにぶい虫にだけあんなきれいな色や形をみせるためとは思われません。もちろん人工的に改変育成されたものも多いのですが、野山に咲く自然の花にもすばらしいものがあります。無駄で無益なことをしているのでしょうか。

花は植物の顔、だから熱心に手入れするものも、てんで気にしないゴツイのもいるーーーなぜなら生きものだからーーーと鏡の前で入念に努力する男の子がふえている最近の事情と考え合わせながら、この「はなとそれをめぐるひみつとふしぎ」の巻」をつくりました。どうぞはなやかな花たちをみてやって下さい。
(引用おわり)

『かこさとしあそびの大星雲』は10巻からなるシリーズで、その8巻目『いまはむかし れきしのあそび』(1993年農文協)は、火を初めて使った人の歴史からこの本が書かれた1990年初頭までの歴史的出来事とその年代の覚え方など、歴史に親しめるよう工夫された27場面から構成されています。

前見返しには「じんけんせんげんのもとのぶん」が描かれるなど、全部ひらがなで書かれる本文でありながら、内容は大人もうならせる本格的なものです。「人権宣言」の絵の次には「かこさとしから、おとなのひとへ」として「れきしという活劇大作品の楽しさをーーー」と題する、以下のようなメッセージがあります。

(引用はじめ)
かつて歴史は暗記ものといわれ、ツマラナイ、キライ、イヤナ学科とされてきました。しかし、古今東西の英雄美女の活躍や、わくわくする事件など、ケンランで豪華、時に非常冷厳な社会を描いた比類のない大作品なのに、どうして楽しく学ぶことができなかったのか不思議です。どうか、この本の愛読者の中から、ヘロドトスやトインビーのような歴史家が出てきてほしいと願っています。
(引用おわり)

宗教、政治の出来事だけでなく、日本の平安時代の女流文学やルネサンスにも触れ、最後には「せんそうがなんどもおこった」と20世紀の戦争で戦った人の数や亡くなった人や怪我をした人の数、使った弾薬の量やお金もわかりやすくまとめられています。

最後の場面のタイトルは「きょうというひは あす れきしとなってゆく」で「きみもあたなも れきしをつくる ひとりのにんげん」とあります。

あとがきをご紹介しましょう。

かこさとし あとがき 「歴史年号ことば遊びについて」

(引用はじめ)
歴史とは大河のように、いろいろなものをとかし、うかべ、流してゆきます。すごいじけんやすばらしい人が、どうしてそうなったのかを知ることは、これからどう世の中が動いてゆくかを予知する大きな目安となります。そのためにはその時、まわりでは、他のところではどのような状況であったかを考える必要があります。そのため年号を知るのが大きな手がかりとなるので、いくつかの「年号のことば遊び」を記述しました。もっとよい「歴史年号ことば遊び」ができたら教えてくださいね。
(引用おわり)

かこさとしが自然に関してどんな思いを抱いていたかは、2021年秋冬号の雑誌「花椿」の特集:Living on This Beautiful Planet 「透明な力を糧に」で林綾野さんが引用しているように、かこの著書『私の子ども文化論』(1981年あすなろ書房)でふれている宮沢賢治の「狼森と笊森、盗森」の自然観に重なります。

賢治のこの作品について、かこは「人間が、その自然の構成の一員として、その制約と相互依存の状況下にあることをえがいたこの先覚者の含蓄を味わって」とし、(中略)次のように述べて「子どもたちの遊びと自然保護」と題する節を結んでいます。

(引用はじめ)
子どもたちは、自然と親しみながら、あそびながら、自然の尊さとそして人間も自然の中の生物の一つであるという自覚を肌で感じとって育っていくものではないだろうか。そして、おとなになって日本の自然をなつかしみ、大事にするひととなるのではないだろうか。それがひいては、将来の日本を背負ってたつ子どもたちに自然保護を呼びかける最善の方法のような気がする。
(引用おわり)

『こどもの文化論』の出版からさかのぼること10年前に刊行された『きんいろきつねのきんたちゃん』(1971年学研/2005年ブッキング)には次のような場面が描かれています。ゴルフ場や別荘地などの大規模開発が盛んに行われるようとしているのを察知して日本の自然が破壊されることを危惧していました。

残念ながらこの本は絶版ですが、かこの絵をいもとようこ氏の絵に替えて出版された『きつねのきんた』(金の星社)版にかこさとしのあとがきがあり、この問題について記していますのでここで全文ご紹介します。

(引用はじめ)
この絵本のもとになったのは、一九七一年にかいた、『きんいろきつねのきんたちゃん』(学習研究社・刊)というお話です。当時、それほど問題になっていませんでしたが、自然をこわしたり、ゆがめたりする人間のわがままな行いを、動物たちを通じて考えてもらおうとした作品です。

それから二十年もの間、たくさんの人たちによんでいただき、紙芝居になったり、時にはミュージカルやアニメ映画にしようというお話があったりしているのですが、もとになった自然と人間の関係は、まだまだよい方向に進んでいないようです。ですからきんたをはじめ、動物たちも、いまも苦労をしていることでしょう。

この本をきっかけに、なぜ二十年以上も、よくなって行かないのかという、本当のわけを、よく調べ、勉強し考えて、正しくするよう力をつくしてくださるのを、願っています。
作者 かこ・さとし

(引用おわり)

この文が書かれてから17年。取り戻すことができない自然破壊を続けてきた17年が過ぎてしまいました。今こそ、かこがこのあとがきに込めた願いを実現させなければならない時であると思いを新たにしています。

石、粘土版、木簡、皮など人間は様々のものに文字を書いてきました。電子機器に頼る現代の私たちですが、紙を手放すことはできません。紙を最初に作ったのは、中国の蔡倫と言われていますが、『新版 科学者の目』(2019年童心社)に紹介されているように「樹皮、麻布、ぼろきれ、魚網などを使って紙(蔡侯紙)をつくり、105年に和帝に献上した」そうです。

しかし、「考古学上の調査によると蔡倫よりもっと古く、紙らしいものがあるのに、紙の発明者として蔡倫の名が伝えられている」理由が重要なのだと続きます。是非、本文をお読みください。

今までゴミと思われていた玉ねぎやじゃがいも、みかんの皮や茶殻など様々な野菜を使った紙なども誕生しています。

以前ご紹介したバナナの茎の繊維を利用したバナナペーパーの本、『ミラクルバナナ』(2001年学研)もあります。

『ミラクルバナナ』は日本、ハイチの大学や企業など多くの協力で出版され、日本語の文をかこがお手伝いしました。あとがきのような最後の部分をご紹介します。

(引用はじめ)
「世界中のおともだちに バナナの紙をみてもらおう」
みんなでそうだんし、バナナのせんいをあつめて、船で日本におくることになりました。

日本の港についたバナナのせんいは、トラックで、紙をつくる工場にはこばれました。

そして、できあがったのが、この絵本につかわれているバナナの紙です。

国をこえて、みんがきょうりょくしてつくった、たいせつな、すばらしい紙です。
(引用おわり)

紙を通してSDGsを考えるきっかけにもなりそうです。

この本を通じ、ハイチのことを知ろうという小学校の呼びかけは以下をご覧ください。

ミラクルバナナ

尚、『新版 科学者の目』については2021年11月14日佐賀新聞「県立図書館のドンどん読書」コーナーで紹介。記事は以下でどうぞ。

科学者の目

ずいぶんセンセーショナルな題名ですが、内容もかなり、切り込んだものです。
この本が出版されたのは、1986(昭和61)年、まだテレビのアンテナが家々の屋根に立っていた時代です。

野球の試合や劇場でのコンサートを生中継していたある晩のこと、テレビの画像が突然消えてしまいます。事故でもテロでも、戦争でもなく、原因はスポンサーの故意によるものでした。「とつぜん みえなくなった」ことでかえって高視聴率、コマーシャル会社は大成功と大喜び。。。

現実にこのようなことが起きるはずはないのかもしれませんが、何故か、さもありなんと思ってしまいます。
当時と比べたら、2021年の私たちは視聴率やスポンサーのことなどをずいぶん知っているようですが、かこのあとがきをお読みください。

あとがき

(引用はじめ)
今、日本ではテレビを見ている人がとてもたくさんいます。そして、人気のある番組や評判の出演者については、人々の話題になりますが、そのテレビがどうやって作られ、組み立てられるのかは、あまり知られていません。特に、テレビ局や会社で働く人たちばかりでなく、視聴率とかスポンサーとか、背後にある大きな因子、経済的側面については、ほとんど関心がはらわれていないようです。テレビという華やかな目に映るものだけでなく、画面にうつらないけれど、テレビジョンというものの一番重要なことに注意を向けてほしいと思っているところです。
かこさとし
(引用おわり)

このあとがきが書かれた頃の日本では、カラーテレビが複数台ある家庭が半数以上ありました。
テレビを見ない世代も出現している現在、テレビジョンではなくスマホやパソコンの画面が突然消えたらどうなるのでしょうか。。。

秋はお月見があって夜空を見上げる機会がふえますが、星を見るには月のない晴れた夜が最適です。美しいアンドロメダ星雲の表紙のこの本は、前扉には秋の星図、本文では月の写真、カシオペア座の見つけ方、アンドロメダ座やペルセウス座にまつわる物語もあります。
あとがきをどうぞ。

(引用はじめ)
わたしは中学生のころ、ねっしんに星の位置や名まえをおぼえりょうとしましts。それは、いずれもうすこし年上になったら、みんなせんそうにいくので、そのときにこまらないためでした。富士山麓で夜、軍事教練がおこなわれ、斥候(せっこう)にでたわたしがみちにまよわなかったのでは、カシオペアのおかげだったことをおぼえています。

みなさんは、そんなことのためではなく、もっとたのしい、もっとおおきい、もっとうつくしいものを知ったり、さぐったり、きわめるために、星を眺めたらり、星をしらべたりしていただきたいと、すてきな写真をとってくださった藤井旭(あきら)さんといっしょに、ねがっています。
(引用おわり)
漢字には全てふりがながあります。

(引用はじめ)
「三本足のカラス」って何か知ってるかい?
「三本足のカラスのマーク」といったほうが、いいかもしれない。(中略)それは、日本しゅう球協会のマークなんだ。どうだい、あたったかい?下の図が協会のマークでテレビなどで時ときどき旗が移ることがあるから、気をつけてみるといいだろう。サッカー(しゅう球)は足でボールをけったり、ころがしたりするスポーツだから、3本も足のあるカラスが、マークとしてつかわれているというわけなんだ。
(引用おわり)
こんな書き出しで始まるこの本は、今から50年以上前に出版されたもので、いくらサッカー好きとはいえ、エネルギーの話をするのになぜカラスから始まるのでしょうか。

サッカーの試合で監督の先生に「もっとエネルギーを出せ!」と言われたことから、エネルギーとは何か、どんな形があるのか、形が変わってもエネルギーは無くならないこと、地球上のエネルギーのもとは太陽であることを、順を追って例をあげながら説明していく科学絵本で小学5年生の副教材として書かれたものなのです。

さて冒頭の答えですが、「金烏、玉兎」(きんうぎょくと)、つまり「 金色にかがやく烏ーーすなわち太陽と、玉のような兎ーーすなわち月」という表現から、太陽エネルギーについての連想だったというわけです。

それでは、あとがきをどうぞ。

あとがき

(引用はじめ)
子供たちは、もう4年生ぐらいになると、その子の好きなことにかけては、大人はもちろん、普通の専門家顔負けの水準に達します。例えて言うと、カブトムシの飼い方とか、電気機関車の制作だとか、魚の切手の収集とか、無線機通信の組み立てだとかーーです。それらはほとんど学校で教わったものではありません。親にやりなさいと勧められたものどころか、逆に、家事に隠れて調べたり、工夫をしたり、考えたりして、そんな水準に達したものが多いのが実情です。

教師や親を飛び越すこの力は、その子供が面白いと思い、興味に惹かれるままに行動し、考えてきた結果に他なりません。「おもしろい」「興味を持つ」ーーこのことがもつ、素晴らしいエネルギーを、ぜひ教育に活用していただきたいと念じております。
加古里子
(引用おわり)

左上は、1972年発行のハードカバー、右上が1970年の初版。絵はかこではありません。
尚、蹴球協会のマークについては、日本蹴球協会から提供と巻末に記されています。

2021年6月25日より、越前市ふるさと絵本館では夏のテーマ「太陽」にちなんだ展示を2021年8月30日までしています。

午前9:00〜9:29

『だるまちゃんとてんぐちゃん』(1967年福音館書店)の朗読が上記の予定で放送されます。お時間ありましたらどうぞお聞きください。

近年出版された本には「作者のことば」があとがきとして記されています。ご紹介いたします。

あとがき

(引用はじめ)
いわゆる無国籍の児童文化が多かった戦後の時代、そういう時だからこそ日本的な、民族性に富んだものを作りたいと思い、親しんでいた郷土玩具のキャラクターから題材を選ぶことにしました。

こうしてだるまちゃんの本は、古代南インド香至(こうじ)国の第三王子で、中国の嵩山岩窟で九年間座禅を組んだ高僧達磨ですが、日本に伝わると、その不屈黙思の精神が感動を呼び、親しみあるひげの顔と赤橙色の丸い僧衣の日本的な姿と心となって多くの玩具となりました。その幼児形で現今日本の子供たちの代表となってもらいました。

天狗はインドでは半人半鳥神人、中国では翼嘴の怪獣とされ、日本では深山の精霊と伝え、全国の高山の白髪長鼻赤顔の僧服の大天狗と従者の烏天狗として伝承されてきましたまた。この日本の天狗の幼児型を、いばりん坊でかわいいてんぐちゃんにして、だるまちゃんの友達になってもらった訳です。
(引用おわり)

『万里の長城』がようやく完成した2011年、中国の絵本賞のプレゼンターとして、また北京にある、日本で言えば芸大にあたる大学での講演依頼もあって、長年にわたりこの本の出版を支えてくださった福音館書店の松居直、編集の唐亜明両氏とそのご家族とご一緒に、北京旅行出かけました。

筆者にとっては初めての中国大陸、興味津々でホテルの部屋をチェックして見つけたのが「牙刷」。なるほど、たしかに牙、と思ったその瞬間が記憶に残っています。加古は、1991年、1995年にも中国で講演をしていますのでその時に、もう牙刷を目にしていたことでしょう。牙刷とは歯ブラシです。なーんだ、そうか、ですね

『ぼくのハは もう おとな 6さいきゅうしが はえてきた』(1980年フレーベル館)の「けんすけ」くんがキバヤマ先生に診てもらう理由は、ハの奥の歯がないところが白くなってきて変な感じがしたから。それは6歳臼歯が生える合図です。

6歳臼歯は大人の歯で一番力が強い、ということで、横綱牙の山まで登場。しかも磨きにくいこと、どうやったらきちんと磨くことができるかを教えてもらいます。

あとがきをどうぞ。
(引用はじめ)
だれひとり ムシバになりたいひとはいないのに 5さいごろまでにほとんどのこどもが たくさんのムシバをもつように なってしまいます。ちいさいので いうことをきかなかったり まわりのひとの きのつけかたが よくなかったこともあるのでしょう。
ムシバになったハを きちんと なおしてもらっておくと まもなく あたらしく おとなのハがでてきます。 このほんは そのとき もう まえのしっぱいを くりかえさないようにと おもってかきました。 こどもも まわりのおとなも がんばってくださいね。
(引用おわり)

この本が出版された1980年頃は、日本の子どもの多くがムシバを持っていました。現在ではずいぶん減っていますが、一方でひどいムシバの子どもがいるのも事実です。また、6歳臼歯といわれ、最初に生えてくる永久歯は大人にとっても磨きにくくムシバになりやすいようです。どうか大切になさってください。