編集室より

作品によせて

天狗(てんぐ)とてんぐちゃん

天狗という名前は、やはりもとは印度に発していて、ヒンズー教において、燃える隕石(いんせき)流星が化した、赤いくちばし・緑顔・腕・脚(あし)・青いつばさ・尾をもつ半人半鳥の姿とされ、それらが中国に渡り有翼長嘴(ゆうよくちょうし)の妖怪獣の名とされました。

しかし日本においては、民間伝承山霊・木霊・山鬼などとよぶ深山の精霊を、動物または人間の形をかりて象徴化したものを「てんぐ」とよび、本来は印度中国のものと同名異体であるとされています。

日本には信濃戸隠、遠江秋葉、上野榛名、出羽羽黒山などをねじろに全国各地に四十八天狗がおり、その代表的なものは山城愛宕山太郎坊、近江比良山次郎坊、信濃飯綱三郎坊、大和大峯善鬼坊、讃岐白峯相模坊、山城鞍馬僧正坊、相模大山伯耆坊、豊前彦山豊前坊の八天狗といわれていました。

しかし、「てんぐ」は日本の農民の杣人(そまびと)たちが、山霊に対する畏敬の念から発し、災厄・山なり・神かくし・神光・妖火など威術を行う者、そして神にたいしては眷属(けんぞく)、正に対しては邪の存在として考えていたにかかわらず、大天狗とよぶ頭目と家来の木葉(このは)天狗に分かれているとか、前者は白髪赤顔長鼻僧服で、後者は鳥頭短翼山伏姿で、白狼とか烏(からす)天狗という俗名があったり、一本歯をはいたり、すもうずきだったりきわめて人間くさい性格風体にしあげています。

このように「天狗」から「てんぐ」となると、充分民族化して、非常にしたしみのある、時にはひょうきんでにくめない妖怪(?)となっていることに気づきます。

私はそうした「てんぐ」の来歴、性格、そしてそこにこめられた民衆の考えをもとにして、群馬県沼田の迦葉山山椒天狗、福島久之浜天狗などを参考にして、いばりん坊でかわいい「てんぐ」ちゃんに登場してもらいました。

(下は「だるまちゃんとてんぐちゃん」後扉)

民話とだるまちゃんたち

さてこうして皆様におめにかかるようになった「だるまちゃんてんぐちゃん」を構成するにあたって私は前にのべたように「民話」に対する心構えを旨としました。

今日、民話に対するすぐれた論がすでにいくつか提出されていますが、それらの論考と実際の再話、あるいは作品との間に、きわめて大きなへだたりがあるようにおもえます。

その詳しい論述は別の機会にゆずることとして、私は次の二点を特に民話に対する態度の中で重要なことと考えます。

① 話が 古人から現代まで、一地方から他の所まで伝承伝播(でんぱ)されていったのは何なのか。話の真髄、主題、根幹は何であるのかを明確単的に把握(はあく)提示すること

② 話を包み、生命をあたえる表現、発想言いまわしのすみずみにまで、基本的態度の肉づけをもって花をさかせ、そうした細かな叙述技術結晶として、主題が貫かれているという相互交絡作用によって、作品を成立させることーーー

説話としての民話が、形として物として結晶したのが伝承郷土玩具ということがいえましょう。私は郷土玩具の主人公たちの活躍の場を求めたとき、基本的にはこの民話に対する基本姿勢をもって対処しました。

かつて私は「マトリョーシカちゃん」と題する絵物語を訳したことがあります。ベクトローワ文、ベロポリスキー画のこの作品は、ソ連というよりロシアに伝わる郷土玩具たちを主人公にしたたのしい美しい絵物語でした。私は作者の郷土玩具に対する愛情と態度、そしてその巧みで一分のすきのない構成を学ぶことができました。私は画面の色彩感覚と画面処理のみごとなこと、そしてたった十二場面の中に緩急の流れと、作品主題とで美しいおりものを仕上げる手法をしることができました。

前述した基本姿勢と、このとき学んだ示唆(しさ)が絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」をささえる力となったこと、そして「だるまちゃん」「てんぐちゃん」のほかにもたくさん皆様と仲よしになりたがっている主人公たちがいることをご報告し、この次「だるまちゃん」たちがどんな活躍をするか、皆様といっしょにたのしくまっていたいとおもいます。
(引用おわり)

1967年、 福音館書店の月刊絵本「こどものとも131号」として誕生した「だるまちゃんてんぐちゃん」は、2017年の今年50周年を迎えました。そして「こどものとも」は創刊60年を迎え、この間多くの名作を輩出しています。

「だるまちゃんとてんぐちゃん」が「こどものとも」として刊行された折には、「絵本のたのしみ」と題するB5サイズ16ページの小冊子(上の写真)が付いており、著者による作品解説が掲載されていました。ここでは2回に分けてご紹介します。

尚、本文は縦書き、著者によるふりがなのみ( )にいれて表記しておきます。また郷土玩具など内容に関わり添えられているモノクロ写真は省きます。

伝承郷土玩具(でんしょうきょうどがんぐ)

(引用はじめ)
日本全国には、その土地にふさわしいいわゆる伝承郷土玩具の数々が散在しています。

それらは、木の実が用いられたり、貝がらが組みあわされたり、石や土や紙や竹、ときにわらやまゆなど、その土地にふさわしい素材でつくられています。

また、朱や黄や墨などの色彩やあやどり、こけし(傍点アリ)や八幡駒にみられる形態の簡潔性と様式化、そして巧みに工夫された機構とカラクリなどの結晶体としての郷土玩具は、幼童の手あそびのみでなく、芸術品として風韻とかおりをそなえています。

その上内容は、祭礼の供物であったり、災厄(さいやく)の守りであったり、ふるい伝説・にぎやかな行事・ひなびた風俗を背景として、家運長寿・子孫繁栄・邪気病疫よけなど、働く農民のかなしいいのりがこめられています。

このような郷土玩具も、ちかごろ都会地ではいながら各地のものが手にはいるようになり物産展が催されて人気を集めているようですが、私はお座敷収集の対象や、観光ブームの変種として郷土玩具に興味をもつことをあまり好んでいません。

民話がそうであるように、私は郷土玩具の中から、民族心を知り、民族のねがいやくるしみをくみとり、民族のよろこびに昇華する道をこそみつけたいと、かれこれ十六年ほど前から郷土玩具や土俗玩具にしたしんできました。

その郷土玩具のなかの代表者たちーーーとら・きつね・きじ・うま・うさぎ・たか・たい・しか・さる・ふぐ・しし・うし・だいこく・でこ・えびす・天神・ぼっこ・あねさま・かっぱ・ねこ・おに・てんぐ・うずら・龍・ねずみ・だるま・くじら・なまず・へび・せみ・くま・ばけもの・ふくろう・入道などーーーの性格と活躍の場を求めて、いろいろな作品を試作し、組み立ててきました。こうしてできたもののひとつが、絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」です。

達磨(だるま)とだるまちゃん

郷土玩具の中で、とくにだるまは、種類と変化にとんでいます。それらは大きくわけて、「起き上がり小法師(こぼし)」系のもの(鳥取倉吉だるま、金沢八幡起き上がり、新潟水原三角だるまなど)、子宝きがんの「ひめだるま」系のもの(福島高野起き姫だるま、愛媛松山女だるまなど、)およびだるま市にみられる「眼(め)なしだるま系(群馬豊岡福だるま、神奈川川崎大師だるまなど)の三つに分類されます。

だるまはもちろん禅宗の始祖として知られていう高僧菩薩達磨に模し、ちなんでつくられたものです。達磨は南印度香至国王の第三子として生まれ、大乗禅宗をおさめ、梁代武帝の頃(520年ごろ)中国に渡りましたが、思うところあって 嵩山岩窟で九年間、座禅をくみ道を求めました。その間洛陽の僧神光が教えを求めて寒風大雪の中で立ちつくし、臂(ひじ)を断ち誠をあらわし、ついに弟子として慧可の名をもらったという有名な故事が残っています。

この面壁解脱の精進と不屈一徹の信念とに海を越えたわが国でも、語りつぎ伝えあう中で、多くの尊崇と敬慕が集められるとともに、民衆の間では、その達磨座禅黙思の様相を、より近い親しみと愛情をもって造形象徴化しできたのが「だるま」です。

ですから「だるま」は印度中国の「達磨」を祖として、日本風土の中で形づくられたといってもよいと考えます。ユーモラスな型や大きな目、ふといまゆ、こいひげ、そして時にはち巻や払子(ほっす)をもたす中に、達磨につぃする民族的敬愛がこめられています。

絵本にでてくる「だるまちゃん」は、こうした民族感情を底にして、本来あって、かくされている手足をあらわし、活躍させるとともに、山梨甲府子持だるま子だるまの顔のように、ちいさくてもひげのあるーーー甘えん坊でがんばりやのーーーいってみれば読者児童の変身をそこ求めました。
(引用おわり)

後編に続きます。上は「だるまちゃんとてんぐちゃん」前扉。

「じょうずになげられますか」

この本の最初の小見出しです。本文によれば「にんげんのように じょうずにものをなげることのできる どうぶつは、ほかにはいないのです。」

確かにそうです。そんな当たり前の事も改めて考えてみると、人間が手を自由に使えるようになったことの重大さを知るきっかけにもなります。
この本の小見出しの続きをあげてみます。
「あそびの なかの なげること」
「くらしの なかの なげること」
そして、「なげる どうさの はったつ」「なげることの じょうずへた」が図解され「なげる れんしゅう」「ボールのとりかた」「なげる ちから だめし」では年齢に応じた統計が示され「スポーツの なかの なげること」「なげるときのちゅうい」「おんなのこも なげてみよう」「とおくになげてみよう」という構成です。

下の写真は、「とおくになげてみよう」の挿絵(一部)です。

項目だけ見ただけでも役立ちそうな内容であることがわかりますが、さらに専門家からの興味深いアドバイスも巻末にあります。絵はかこさとしですから分かり易く、ユーモラスな細かい挿絵が豊富で絵を見ているだけでも楽しくなります。

投力が落ちているとの調査結果もあるようですが、人間だけに与えられた手の自在な動きを見直し「じょうずになろう なげること」を実践していただければと思います。

清明(せいめい)

投稿日時 2017/04/01

「こどもの行事 しぜんと生活 4月のまき」(2012年小峰書店)によると、清明(せいめい)とは二十四節気のひとつで春分から十五日目にあたることのことです。今年は4月4日だそうです。

「このころは、きよらか(清らか)でさわやか、そしてあかるい(明るい)気候となることから、この名がつきました。」(本文では漢字に全てふりがながあります)

元々は中国の野山に出かけたり先祖のお墓参りにゆく慣わしが、沖縄に伝わったと説明が続きます。

中国・宋代の清明祭を描いた名画「清明上河図(北京故宮博物館蔵)は2012年に日本でも公開されましたのでご記憶にある方もいらっしゃることでしょう。名画故に中国でも多くの模写作品があるそうですが、実は加古もこの絵を模写し本の中で紹介しています。下の写真をご覧ください。

「万里の長城」((2013年福音館書店)[18 五代十国と宋時代の文化と技術]の項で1ページ半の幅で描き、以下のような説明があります。
(引用はじめ)
首都・開封活気あふれる早春の様子をえがいた「清明上河図」(張択端画)は、名画とされ、多くの画家に影響をあたえた。
(引用おわり)
(本文の漢字には全てふりがながあります。また、人名漢字は日本で使われる漢字を使用しました)

往来の騒めきや船をこぐ音が聞こえてくるような絵、加古も影響を受けたに違いありません。「かわ」(1962年福音館書店)制作の下敷きになっているようにさえ思えてくるのは気のせいでしょうか。

さくら

投稿日時 2017/03/16

梅、桃、桜と花は主役を変えて季節がすすみ、さくら前線が話題になる候になりました。加古作品の中でさくらを巡ることにしましょう。

このサイトのトップページ写真で次々と出てくる絵の最後は、「こどものカレンダー4月のまき」(偕成社1975年・写真上)の表紙に使われたもので、背景の桜色に花びらは見返しです。さくらについては下のように、幸せ溢れる女の子とともに紹介しています。

「こどもの行事 しぜんと生活 4月のまき」(2012年小峰書店・写真上)では、ベニシダレサクラの下、幸せいっぱいの面々。サクラ前線については、この本(写真下)や「だるまちゃんしんぶん (春)」(2016年福音館書店)でもお花見のニュースと合わせて描かれています。

次の表紙のサクラですが、この意味はやや違います。

「ドイツ人に敬愛された医師 肥沼信次」(2003年 瑞雲舎 /文=舘沢貢次、絵=加古里子)は、医学研究のため渡ったドイツで世界大戦が勃発、伝染病医療センターで献身的な活動をし自らも病に倒れ1946年3月8日、35歳で帰らぬ人となりました。彼の最後の言葉は「桜をもう一度見たかった。みんなに桜を見せてあげたかった。」

1993年、肥沼の弟によってドイツの地に植えられた桜の苗木は成長し市庁舎の庭を飾っています。優れた医師であり人格者であり後世も忘れずにいてほしい「肥沼がもう一度見たいと願った日本の桜の花」と裏表紙には書き添えられています。

科学絵本にもサクラは欠かせません。季節の変化、時間の経過を示す格好のモチーフだからです。「地球」( 1975年福音館書店・下の写真)では満開のサクラの下で一休みしながら子どもと話す声が聞こえてくるような穏やかな光景。加古里子の科学絵本には、こういった要素も地中の根とともに描き込めれているのが特徴です。

「地球」では1冊の中で同じ季節が2回つまり2年経過する作りになっています。これは著者による解説の言葉を引用すれば、「地球にすむいきものたちを、仲間としてえがきたかったため、どうしても四季を一回めぐるだけではもり込めな」かったからです。

「出発進行!里山トロッコ列車」(2016年偕成社)では、小湊鉄道といえばここ、というくらい有名な菜の花と桜の共演場面が本にも登場します。(下の写真)

「地下鉄ができるまで」(1987年 福音館書店)では、桜の頃の地下鉄工事の起工式(下の写真)から始まり梅雨や入道雲の青い空、街路が黄色く色づき雪が舞い、やがて再び花咲く開通式と言葉ではなく場面に添えられた風景で時間の流れを示しています。

満開の桜ではなくあえて散りゆく花びらのみを描く場合もあります。

下の写真は「おおきいちょうちんちいさいちょうちん」(1976年福音館書店)の冒頭です。この絵本は、副題に、ゆかいな「反対」言葉とあるように、対比するものを提示することでその概念を子どもたちにわかってもらおうという科学絵本ですが、加古独特のユーモア満載で大人が見ても満足できる絵本です。

見たことがあるような大きい提灯に書かれている文字は科学絵本の科、劇画風の絵が多いのですが、長い・短い、重い・軽い、上・下、多い・少ない、開ける・閉める、中・外、のびる・ちぢむ、暗い・明るい(本文では全てひらがな)に提灯がでてきて、桜吹雪は日本的な味を出す小道具といったところでしょうか。

「ダムのおじさんたち」(1959年福音館書店)の最後の場面、ダムが完成しおじさんの笑顔に舞う桜の花びら。おじさんたちの晴れやかな気持ちが一層伝わってきます。

たくさんの桜を見てきましたが、最後に「まさかりどんがさあたいへん」(1996年小峰書店)の後ろ扉に描かれている絵をご覧下さい。このロボットのドレスの模様は桜の花びら・・・
著者のどんな気持ちが投影されていると皆さんはお考えになられるでしょうか。文と絵が同一人であるからこそできるこのような表現の妙を味わっていただけたらと思います。

かこさとし食べごと大発見の第2巻「ちり麺ラーメン そばうどん」(1994年農文協)をご紹介します。
第1巻「ご飯みそ汁 どんぶりめし」をご案内した際にも述べましたが、このシリーズは前見返しに〈この本のねらい〉と前書きに相当する著者のことば、前扉には逸話の紹介があり、本文に続く最後のページにはあとがきにあたる文、さらに後扉には〈作者からのお願い〉と著者の創作の意図がふんだん語られています。

それは、著者が食べごとという独自の視点からこのシリーズを構成しているからにほかなりません。
カバーにある著者のことばを記します。

心とからだ に役立つ うんまい、おいしい絵本

(引用はじめ)
総合的な人間発見食べごと絵本 ー かこさとし
食事のとき、私たちはたべものとだけ向き合うわけではありません食器や調味料、ナプキン、それに花瓶も食卓に並びます。買い物の失敗談や一日のできごとが、食膳の会話や談笑となります。「いただきます」の言葉から食後の片付けまで、食事とはその人の全生活と関係し、季節社会に呼応しています。この本は、そうした統合的で創造的な「食べごと」の再発見をめざして編集されました。読者がそれぞれ「食べごと」を見直す契機となれば幸いです。
(引用おわり)

この本が書かれたのは、20年以上前ですが、この20年の間に著者がめざしていた「食べごと」どころか満足に食事ができない子どもたちがいるという現実。その解決のための子ども食堂が、空腹だけではなく子どもたちの心も満たしているならば「食べごと」の悲しい実例なのかもしれません。

扉には次のように書かれています。

人生あるいは人世は、めん類

(引用はじめ)
江戸時代の謎に、そば、うどんの如く生くるに、細く長きに如かざるもの何ぞ。というものがあります。堅からず軟弱でなく真っ直ぐであるが、しなやかに曲がり、当たりよく飲み込み、よく生涯をすごすのが、人間の知恵だというので、答えは人生ということになります。しかし、同じ音読の人世すなわち実社会や渡る世間もなんどもこねたり、叩きつけられたあげく、のばしたり、切られたり、熱い煮え湯くぐらせられるものだとの教訓とも考えられます。
それでは、めんが人生であるのか、それとも人世がめんであるのか、その実際をみてみることにしましょう。
(引用おわり)

前書きにあたる上記の文は大人に向けてのメッセージですが、本文はいたって明るく楽しく、皿田家の面々が美味しそうな麺をすすりながら、材料となる小麦粉、そば粉、米粉の違いやつけ汁かけ汁、薬味、中華麺、パスタと「からすのそばやさん」顔負けの多種類の麺が描かれ、見ていると食べたくなることうけあいの本です。

表紙に登場する皿田家メンバーのフィギュアは紙粘土製でかこさとしの手つくりです。冒頭の写真では、はっさくじいさんとふきばあちゃん、小さななめこちゃんがいます。
最後にー作者からのお願いーをご紹介します。

めん類の体験と見学 ー作者からのお願いー

(引用はじめ)
変態といってもエッチなことではありません。卵/幼虫/蛹/成虫と昆虫が体つきを変えるのを変態といいますが、粒/粉/塊/麺と変貌する様子は、魔法の連続です。しかも、その間におこる混合/捏和/粘動/煮沸などの極めて高度の物理化学的操作と変化を、わくわく自分で確かめ、試してみることができるのです。
そして、その結果は、無粋な偏差値やグラフで示されるのではなく、よかったかどうかは、食べてみれば、内臓から全身によってはっきりわかります。この変身発見の機会を、家庭や園や学校でぜひ作っていただくご配慮を、お願いするところです。
(引用おわり)

大奮闘のせいごパパが、ちりめんラーメン作りに挑戦。出来上がったラーメンに大満足のようじくんの笑顔は本でご覧下さい。

ねこ

投稿日時 2017/02/25

上の写真は、「だいこんだんめん れんこんざんねん」(1984年福音館書店)の後扉です。

大根やレンコンなど身近なものの断面図からこうして最後には地球まで見せてしまう科学絵本ですが、たくさんいるのは猫の親子。どうしてここで猫が登場するかというと、お子さんにとっては難しい断面という見方の大切さを伝える楽しくわかりやすい一例として本文中にでてくる出来事に関係しているのです。

同じく福音館発行の「かがくのとも でんとうがつくまで」(1970年)では表紙に犬、裏表紙に黒猫がいます。(下の写真)

かこさとしの動物好きは読者の皆さんがお見通しですが、絵本に登場する猫をもっと探してみましょう。

デビュー作「ダムのおじさんたち」(1959年福音館書店)にいます。おじさんたちが飯場で昼休みのひと時を過ごす場面に白い可愛い仔猫。この一匹がいることでおじさんたちが休憩時間にねこをかわいがる様子が目に浮かんできます。科学絵本でありながら、このような場面に一匹のねこを描くことでさらに人間味が感じられ物語性の厚みが増すように思います。

「あそびずかん」(2015年小峰書店)でも黒猫が子どもたちのあそびの場面に一緒にいます。写真は「あそびずかん はるのまき」の表紙(一部)です。

家族が登場して絵本が展開する場合、家族の一員として名前のある猫が出てきます。「こどもの行事しぜんと生活」(2012年小峰書店)では家族全員が節句や季節などに関係ある名前で、2月生まれのねこはアル。(下の写真・4月のまき)2月22日はねこの日だそうですが、加古は中国語の数字の2の発音からこう名付けたようです。アルも黒くて赤いリボンで、元気いっぱいです。

「かぜのひのおはなし」(1998年小峰書店)で子供達と仲良しなのはトラ猫(下の写真)です。

この猫とそっくりなのが当サイト[作品によせて]で第1巻「ご飯 みそ汁 どんぶりめし」をご紹介した「かこさとしの食べごと大発見」10冊シリーズに登場する皿田家のねこで、その名はラムです。

上の写真は、「かこさとし 食べごと大発見4 うれしいフライ 天ぷら天下」で活躍するラムねこ。この「食べごと発見」シリーズの表紙は、食べ物と絵本に登場する皿田家のひとびとがミニフィギュアで写っているのですが、このフィギュアは紙粘土を着色したかこさとしによる制作です。ラムねこちゃん(下の写真)は高さ5センチほどの小さなものです。

まだまだたくさんのページに登場するねこ探し、一度にたくさん見つけたい方に耳よりな情報を一つ。動物が465匹描かれているとあとがきにある「わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん」(1973年 偕成社)をお忘れなく。

宝尽くし

投稿日時 2017/01/05

松竹梅や鶴亀、鯛などとともにに福だるまの連想につながるだるまちゃんは、縁起がいいとおっしゃってくださる方があります。年始にあたり繁栄や富貴など先人たちの願いがこめられた「宝尽くし」という吉祥文様と関係するものを加古作品の中で探して見ましょう。

お宝といえば、それを狙うのはどろぼうというわけで「どろぼうがっこう」(1973年偕成社)の裏表紙(上の写真)の左下に宝と記された壺(金嚢きんのうでしょうか)、そして表紙には宝鍵(ほうやく)があります。(下の写真、ひろげた手の右下)。字が示すように 大切なものをしまっておく倉庫の鍵で「鍵のてに曲がって」という表現に使われる鍵はこの鍵のことです。
どろぼうだったら、倉庫の中が気になるところです。顔の左上にあるのは、飾りのように見えますが、鍵穴隠しです。

だいこくちゃんの打出の小槌はご存知の通りですが、昔人たちが現代の私たちの生活を見たら打出の小槌で次々に欲しいものが目に前に現れるように思うかもしれません。手をかざせば水が出たり、そばに行けば灯りがついたり、画面に触れたら世界中のニュースが瞬時にわかったり。

下の写真は「だるまちゃんとだいこくちゃん」(1991年福音館書店) です。

逆に現在の私たちには理解しにくいお宝もあります。もうほとんど使うことがなくなってしまった隠れ蓑(みの)と隠れ笠(かさ)。身を守る、あるいは正体を隠す意味で大切なものとされたようです。
蓑笠を日常生活に使わなくなってしまい、若木の葉の形が蓑に似ている樹木のカクレミノなどは名前の由来がピンとこないかもしれません。
写真をご覧ください。若い頃は下にあるように葉が三つに分かれて蓑のようにみえます。

ミノムシ(蓑虫)といえば、木枯らし吹く木立にぶら下がり、まさに冬の図ですが、秋の季語だそうです。最近はすっかり見かけなくなってしまいました。みなさんのお住まいの所ではいかがでしょうか。下は、「かこさとし あそびずかん ふゆのまき」(2014年 小峰書店)の前扉の部分です。

筆者は小さい頃、毛糸や色紙を細かくして箱の中にいれ、蓑からだしたミノムシをその中にいれておくと毛糸や色紙の蓑をまとったカラフルなミノムシになるのを楽しみました。今では絶滅危惧種に上げられている種類もあるそうです。先人たちの意図とは全く異なりますが、生物多様性という視点から見ると隠れ蓑ならぬミノムシも大切な存在だと気づかされます。

(下の写真、ロウバイの幹にミノムシがついています)

投稿日時 2017/01/20

雪のことを思いきり書きたい。雪国育ちの加古の願いが実現したのが「ゆきのひ」(1966年福音館書店)でした。

その12ー13ページ(上の写真)に描かれている町の通りは、福井県越前市の方々によれば、駅前から伸びるあの道がモデルに違いない。新潟県長岡市の皆さんは、あれは雁木通りだ、と。半世紀前の面影を残す場面の数々は昭和をよく知る読者の皆さんには大変懐かしいものとなっています。

「だるまちゃんとうさぎちゃん」(1972年福音館書店)(上の写真)は次のような言葉で始まります。

「さむくなりました。
ゆきが こんこん ふりました。
そして どっさり つもりました。」

お子さん向けの雪の本といえば、「ゆきのひのおはなし」(1997年小峰書店)(上の写真)でしょう。辺り一面銀世界に遊ぶこどもたちの白い息が見えるような、けれども心が温かくなる作品です。

「あそびずかん ふゆのまき」(2014年小峰書店)には表紙(下の写真はその一部)のみならず、雪遊びのいろいろがのっていますし、「こどもの行事 しぜんと生活」の2月の巻(2012年小峰書店)には、様々な雪の呼び名が紹介されていてその数の多さに驚きます。

「地球」(1975年 福音館書店)では雪山と冬眠中の動物が描かれ(下の写真)、「ダムのおじさんたち」(1959年福音館書店)や「万里の長城」(2011年福音館書店)の吹雪の場面は科学絵本であっても効果的に印象深い場面を作りあげています。

「からたちばやしのてんとうむし」(1974年偕成社)の最後の場面(下の写真)、雪に埋もれた落ち葉の下でのてんとうむしたちの会話が聞こえてくるような、静けさに包まれつつ春を待ちわびる気持ちがにじむくだり、ここにも雪国の生活をしる著者らしい思いがこめられているようです。

凧、蛸、たこ

投稿日時 2016/12/30

加古は幼少期、現在の福井県越前市武生(たけふ)の地で身近な小さな自然の中、思う存分遊んだそうです。小川での小魚すくいや虫捕り。中でもトンボに魅せられ、やがて空を飛ぶものに興味をもつようになりました。凧あげは紙飛行機と並び小学校にあがってからもとことん追求した遊びです。

科学絵本「たこ」(1975年福音館)は「かがくのとも70号」として1月に発刊され、その後単行本としても出版されていました。この本は、凧の原理を風に舞う木の葉を例に説明し、凧を作るにはハガキ、画用紙、段ボールなどでも良く、ポリ袋を使っての作り方・揚げ方のコツを伝授しています。しかも型紙には蛸の絵まで描いて(下の写真)、かこ流の遊び心とともに画面のだるまちゃんだこ、かみなりちゃんだこ、うさぎちゃんだこは空高くまであがって行きます。

「さわやかな たのしいあそび」(1971年童心社、2013年復刊ドットコム) には、「たこ」というのは関東地方の呼び方で、関西では「いか」と呼ぶとあり、〈でんぽう〉や〈ひらき〉〈ちょうしっぽ〉などの仕掛けについても解説しています。冬の遊びと凧揚げは切っても切れないもので、この本の表紙にも、「子どもの行事 しぜんと生活 12がつのまき」(小峰書店)の表紙にも描かれていますし、「あそびずかん ふゆのまき」 (2014年小峰書店)では、小さいお子さんでも作れてとてもよくあがる、いろがみだこの作りかたを分かり易く図解しています。

下は、「かこさとしあそびずかん ふゆのまき」(2014年小峰書店)の表紙と前見開きです。

海にすむ生き物のタコも絵本には描かれています。「海」(1969年福音館)にはもちろんのこと、「ほねは おれますくだけます」(1977年童心社)では軟体動物の例として大きく描かれています。下の写真をご覧ください。

一方、「かいぞくがぼがぼまる」(復刊ドットコム)の前扉のユーモラスなタコ(下の写真)は、これから海上で始まる壮絶な展開とは対照的な、海中の静けさ、のどかな雰囲気をなんとも上手く醸し出しています。

「ことばのべんきょう②くまちゃんのいちねん」(1971年福音館)では、海の場面に登場するだけでなく表紙のくまちゃんが持っているのがタコです。(上の写真)

発売されたばかりの「だるまちゃんすごろく」(2016年福音館)の表紙でも、下の写真にあるように、だるまちゃんはタコを手にしていますし、青で縁取られている〈おくにめぐりすごろく〉の25みえ(三重県)には、いせのねりものとしておがくずを固めてつくる郷土玩具のタコが描いてあります。このおもちゃは数十年前にはよくあったそうで、「ことばのべんきょう」(1971年福音館)のおもちゃやさんの店先にもタコちゃんがいます。

絵描きあそびでもタコを描いていく多くのバリエーションがあったようです。「伝承あそび考1」(2008年小峰書店)第5章では、日本普遍生物〈タコ〉の調査、と題し全国の子どもたちが生み出し、伝承伝搬してきたものが記載されています。これらは1950年から1980年までに加古が収集した31673の資料を215種類に分類・考察した記録で20ページ余りにわたります。下は182〜183ページの一部です。

新刊「だるまちゃんと楽しむ 日本の子どものあそび読本」(2016年福音館書店)にも〈たこたこならび〉という、ゆげ絵遊びが紹介されています。

タコは多幸という当て字もあります。加古作品にでてくる〈たこ〉を見つけてにっこりしていただけたら嬉しく思います。どうぞ良い新年をお迎えください。