作品によせて

『にんじんばたけのパピプペポ』(1973年偕成社)には歌のマークがついている文章がたくさんあり、その続編『パピプペポーおんがくかい』(2013年偕成社)は音楽会の実況中継のような構成ですから、次々と舞台の上で歌や踊りに楽器の演奏が繰り広げられます。

そして最後のフィナーレには舞台の上と客席が一体となって「うみにうまれ いのちをつなぎ」の大合唱となります。といっても絵本の中でのことですが、実際にその曲を演奏していただくことがこの夏にありました。

この曲をつくって下さったのは、加古が学生時代、卒業前に大学で子どもたちにに見せた「夜の小人」という童話劇の中の曲を作り、上演の日に合唱を指揮してくださった大中恩先生です。

70年にわたる有り難いご縁で2023年5月にはその楽譜集「こころとからだ より たくましくあれ」が出来上がり、8月26日、北原聖子さんのリサイタル「大中恩を歌う」で歌っていただきました。
以下でどうぞお聴きください。


うみにうまれ いのちをつなぎ

2023/10/15

夕やけ

秋は夕暮れ。お天気の良かった秋の日の夕焼けは格別美しいものです。
そんな情景が描かれている場面を見てみましょう。

『あそびずかん あきのまき』(2014年小峰書店)には、長い影のできる秋の晴れた日の夕方に「かげふみおに」を楽しむことを紹介しています。影をオニに踏まれたらアウトですが、しゃがんで影を小さくしたり物陰に隠れたり、影を踏まれない方向に逃げる面白い鬼ごっこです。

『はれのひのおはなし』(1997年小峰書店)は太陽の位置が東から西に動く様子が描かれて、こどもたちが動物達とかくれんぼをしたり、バスごっこに電車ごっこを思い切り楽しみます。影が伸びて日が暮れかかると夕日を背に帰ります。

夕焼けがどうして見えるのかを説明しているのが『よあけゆうやけ にじや オーロラ』(2022年新版・農文協)です。朝焼けと同じメカニズムですが、「あさの くうきと ちがって ひるま あたたまったり、こまかい ごみが ういて いる くうきと なって いるので あかだけで なく きいろい ひかりが まじった」夕焼けを見ることになるそうです。

そういう訳だからでしょうか、『地球』(1975年福音館書店)の高層ビルが並び地下を利用する都市の様子では黄色がかった夕焼け空になっています。

つるべ落としの秋の夕暮れ。美しい夕焼けを楽しみたいものです。

加古里子と書いて、かこさとしと読むペンネームの「さとし」は本名の哲(さとし)からきています。
高校の国語の先生が俳人の中村草田男氏であったため、一層熱心に俳句を作るようになり、虚子や秋櫻子にならい、「三斗子」と書いていたそうですが、物不足の折、印刷の文字数も厳しくなり「三斗」と2文字しか印刷されなくなったので、「里子」に変えたのだそうです。

加古は物心ついた頃から文章のほかに、詩や俳句、短歌などもつくっていました。
中学の頃には自作の俳句や短歌、エッセイなどを載せた冊子を何冊も作っていたそうですが、空襲で家もろとも焼けてしまいました。

中学生の時の作品としては『かこさとし 子どもたちに伝えたかったこと』(2022年平凡社 )でご紹介している東京府立第九中学校4年生(当時の中学は5年制)の時に明治神宮献詠、「農家」という題での和歌が残っています。

戦争といえば『秋』(上/下・2021年講談社 )には、出征される医師におくったものがあります。盲腸の手術をしてくださった医師との病院での小さなお別れ会で詠んだものです。

「何がなんでもの 南瓜(かぼちゃ)も食はで 征くか君」

俳句や和歌は亡くなるまで作っていましたが、絵本でも俳句や川柳、短歌を取り上げています。

『こどものカレンダー9月のまき』(上・1975年偕成社)では、9月8日に「朝顔につるべ取られて もらい水」で有名な加賀千代女の「とんぼつり 今日はどこまで」いったやら」を紹介しています。

また、松尾芭蕉の弟子の向井去来が亡くなった9月10日には「うまのこが はまかけまわる つきのよる」などを情景画と共に掲載しています。

『こどもの行事 しぜんと生活9月のまき』(2012年小峰書店)では、「秋の夜長は本をよんだり、詩や俳句をつくったりするのに、とてもよい時間です」として、コオロギを読んだ兔径子(とけいし)などの俳句を4句紹介しています。

さらに驚くなかれ、『ちり麺ラーメン そばうどん』(下・1994年農文協)の[はったいこ・麦こがし][くず・かたくり粉]の項目では、さまざまな粉、でんぷんについての説明をして、これらにちなんだ俳句をのせています。

はったいに 座る板間や 母も子も かな女
麦こがし よその子どもに ははやさし 白文地(はくぶんじ)

はったいこや麦こがしというのは大麦の粉で「黒ざとうをまぜて、そのままたべたり、湯でねってたべたり、むかしの農家のこどものおやつ」でした。

山の湖(うみ) かたくりも 花濃(こい)かりけり 麦丘人(ばくきゅうじん)

昔は、かたくり粉はカタクリの花の球根からとったのですが、今ではジャガイモのでんぷんの粉なので「片栗粉」と書いてあると説明があります。

俳句を登場させるあたり、食べ物をその背景にある文化と共に紹介する「食べごと」の本ならでは、加古らしさが感じられます。

秋の夜長、みなさんも一句いかがですか。

絵本の表紙は、色々な手法で本文の内容を表現しています。

『人間』のように、その絵本で語られる様々な要素がちらばめられているものや、『海』や『地球』『宇宙』のように内容を示唆するようなものが控えめに登場していたり、『はははのはなし』のように最初の場面につながるものもあります。一方、テーマと関係するほんの小さな物語が表紙と裏表紙で展開しているものもあります。

例えば『あなたのいえ わたしのいえ』(福音館書店)の表紙では、女の子が窓を開けていて、空には鳥がとんでいます。女の子が窓を開けた時なのかその少し前なのか、女の子の視線は窓の前を走って通り過ぎた男の子の方向です。男の子は先を走る犬を追いかけていて、その様子を屋根の上から覗き込んでいる猫がいます。街並みでおきるそんなささやかな光景を私たちは見ているわけです。

ここに登場する子ども、小鳥や犬は本文で大切な役割を果たします。表紙裏表紙だけでは、物語と呼ぶにはあまりにも短く小さな場面ですが、一連の動きが本文への興味を醸成します。

『ささやくかぜ うずまくかぜ』は風の話ですから表紙の絵からもそれが伝わってきます。
飛ばされた帽子は誰のものでしょうか?

裏表紙を見るとどうやらこの男の子のもののようです。

その足元を見ると、ちょっと変わった形の帽子が転がっています。その持ち主は⋯

男の子の後にいるねこちゃんのものでした!

4コマ漫画のような小さな物語がある表紙と裏表紙全体を見ると、右上には春をおもわせるピンク、その下には夏の草花に虫、左には秋の植物に落ち葉が舞い、その上には雪。四季が表現され、いつでも身近にふく風についての絵本であることを絵で示し、一層親近感を持てるように工夫されています。

皆さんのお気に入りの表紙はどんなものでしょうか。

原爆を投下された広島、長崎、空襲を受けた日本各地、激戦地沖縄、多くの出征兵士が亡くなった海外の地のさまざまなことを一冊の本で知ることは難しいかもしれませんが、一冊から始めてみる、そのきっかけになればと思い加古作品からご紹介します。

平和を考える一冊

『秋』(2021年講談社)
かこさとしが高校2年生、勤労動員の工場で腹痛を起こし入院していた時に目撃した戦争の悲劇は敗戦の前年の秋のことでした。東京の空で攻撃を受けた日本の飛行士は落下傘で脱出したもののそれが開かず帰らぬ人となりました。病院でお世話になった医師や世話をしてくれた方も戦争に巻き込まれその生涯を閉じました。そんな苦しい秋が早く終わり平和な秋のお訪れを願う気持ちが絵からも切々と伝わってきます。

『わたしたちのまちです みんなのまちです』(1987年/2017年復刊ドットコム)
太古の昔から現在までの日本を通して見る絵本。全貌を見渡すことで気づきがあったり、さらに詳しいことを知るきっかけになっていくかもしれません。歴史を学ぶ前のお子さんたちにぜひご覧いただきたい絵本です。

戦争を知る一場面

一冊の本を読むのが難しいようでしたら、一場面はいかがでしょうか。

『こどもの行事しぜんと生活8月のまき』(2012年小峰書店)ではご覧のような絵で8月6日、9日の原爆忌を伝えています。

『いまはむかしれきしのあそび』(1993年農文協)は、初めて火を使った人の紹介から始まり、四大文明、十字軍の戦、無敵艦隊の戦い、フランス革命、南北戦争などを取り上げ、「せんそうがなんどもおこった」というみだでしで以下のような表があります。

「これだけの ひとと ものと おかねが よいことに つかわれたら よかったのに」著者のこの言葉が心にささります。

『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)は加古が小学校卒業にあたり学校で書いた作文と絵を合わせた画文集です。小学校に入学する前に満州事変勃発、小学1年生のときに日本が国際連盟脱退、5年生の時に226事件、6年生の7月に日中戦争開始、11月に南京占領。

この画文集には南京占領に沸き、旗行列をした様子が描かれていますが、こうして大学1年の夏まで、戦争が続くことになったのでした。小学生の加古が描いたこの1枚の絵、現在のお子さんたちが当時の社会を知るきっかけになれば幸いです。

2023/08/02

絵本で旅気分

夏休み、どこかに出かけたいけれど、こう暑いとためらってしまう方もいらっしゃることでしょう。そんな時には絵本で旅気分を味わってみてはいかがですか。

『出版進行!里山トロッコ列車』(2016年偕成社)は東京の近郊、千葉県の五井駅から房総半島を走る小湊鐵道、里見駅から養老渓谷駅までを特別なクリーンデイーゼルエンジンで運行しているトロッコ列車の旅です。里山の美しい景色を見ながらゆっくり進むので、鳥の鳴き声、今ならセミの鳴き声を風とともに存分に楽しめます。

この絵本では、トロッコ列車の全駅とその周辺の歴史や見どころ、自然や美味しいもの情報まで掲載しているので、本を読みながら、あっちへ寄り道、向こうにも寄り道と、気ままな旅ができます。あとがきの結びにあるように「機を見て里山トロッコ列車に乗車され房総半島の自然と文化を体験されるようおすすめ」します。東京のすぐそばにこんな場所があったのかときっと驚かれることでしょう。

帯にある言葉「千葉県南房総の魅力を伝える列車の旅 それは、全国各地にあるはずの日本の原風景をたずねる旅」に他ありません。

鉄道の始発駅から終着駅までの旅の次は、川の始まりから終わりまでです。『かわ』(1962年福音館書店)は高い山の清水や湧き水が、海に至るまでを追っていきます。山深い渓流、田畑を潤す川、そこに暮らす人々の生活やダム発電の電気が臨海地帯に届くまでもが描かれ、山も海の景色も味わえます。

全場面がつながっている『絵巻じたてひろがるえほん かわ』(2016年福音館書店)は、川の長さを感じられる迫力ある画面が旅気分をいっそう盛り上げてくれることでしょう。

普段行けないところを訪ねるのでしたら、『海』(1969年福音館書店)。潮干狩りをする浅瀬から、ついには大深海や南極まで訪ねることができます。

『地球』(1975年福音館書店)も同じように、地中の奥深く、果てはマントルのさらに中の地球の核にまで至り、太陽系の惑星を見ることになります。いずれの絵本にも、四季が描かれ、歴史的なものも織り込まれていますので、ページをめくたびに時空をかける旅となるのです。

そして『宇宙』(1978年福音館書店)。高層ビルを窓越しに見て、のみの大ジャンプを皮切りに、ついには地球を飛び出し「うちゅうせんの まどから つきが よくみえ」る宇宙旅行が始まります。
なんの訓練も準備も、荷造りもせずに、太陽系を遠くに見て銀河を見渡し、光の速度で1億年、そして最後には150億光年の宇宙のはてまで連れいってくれるのです。宇宙までふらっと一人旅、いかがでしょうか?

2023/07/08

2冊のダム絵本

加古はダムをテーマにした絵本を2冊かいています。1冊はデビュー作『だむのおじさんたち』(1959年福音館書店)で、電力供給のために水力発電が盛んに行われた昭和時代半ば、日本のダム建設をするおじさんたちが主人公です。

もう1冊は国際協力でインドネシアに作られたチラタダムの建設現場に取材に出向いて執筆した『ダムをつくったお父さんたち』(1988年偕成社)です。この本が出版された時、すでにデビュー作は絶版状態でした。それで、かこは『だむのおじさんたち』を彷彿とさせる場面をあえて織り込んでいます。

第1作『だむのおじさんたち』の表紙にはおじさんが男の子を肩車し、その上に動物、裏面にはサインかわりの◯に「さ」がついている黄色いヘルメットを女の子がかぶろうとしています。

このモチーフが第2作の『だむをつくったお父さんたち』の最終場面、ダムを見晴らす構図で再現されています。お父さんがダムを指差しているところも同じです。

いずれの絵でも、父さんの日焼けした手の色が子どもたちの足の肌より濃いところが工事の作業を物語っています。

ダムは川の上流につくられ、その測量の様子を動物たちが興味深げに見守る描写も共通しています。第一作(上)は日本ですので、ツキノワグマや野ウサギ、サルなどがいますが、インドネシア(下)ではテナガザル、トビトカゲ、アミメニシキエビ、サソリやオオトカゲなど、私たちには見慣れない動物が登場しています。

工事は70年前の日本でも30年前のインドネシアでも、24時間体制ですすめられます。山の動物たちが眠るあいだもおじさんたち、お父さんたちは働きます。その場面、眠っている動物にもお国柄が現れます。

『だむのおじさんたち』(上)では、月がでて、秋草がさく詩情溢れる第6場面でしたが、インドネシアでの方々は『ダムをつくったおとうさんたち』(下)のこの場面をどのように感じてくださるのでしょうか。

『だむのおじさんたち』が9場面、『ダムをつくったおとうさんたち』は23場面と倍以上もありますので、世界各地から飛行機でインドネシアに技術者が集まり、資材が船で運ばれてくる様子や工事の工程を検討する会議の模様、建設現場の写真や解説のための図を豊富に盛り込んでいます。

『だむのおじさんたち』ではかなわなかった現場での取材ができるとあって、インドネシアの山奥まで、喜んで出かけて行ったかこの熱意が伝わる画面が続く『ダムをつくったおとうさんたち』です。

デビュー作『だむのおじさんたち』はおかげ様で皆さまのリクエストにより2007年に復刊され、現在に至っています。ダムをテーマにした新旧2作品を見比べ読み比べてみてはいかがでしょうか。

2023/06/25

紫式部

最近咲き始めたこの小さな薄ピンク色の花は、やがて秋にはあざやかな紫色の実となり、たくさん連なります。この植物の名は「紫式部」。命名者の感性に感服します。

かこさとしのふるさと越前市にある絵本館の前の遊歩道を武生中央公園公園を背にして進むと紫式部の像がある式部公園に着きます。(当サイト絵本館情報に遊歩道のご案内を掲載しています)

その昔、紫式部の父が越前の国司となりこの地に赴任してきたのに伴い、式部は一年ほど越前で暮らしました。式部が京都以外で暮らしたのは越前以外にはないそうです。

それでは、紫式部についてかかれている作品を探してみましょう。

歴史上の人物ですので、『いまはむかしれきしのあそび』(1993年農文協)の前扉には、少女漫画の主人公 のようなタッチで描かれた式部がいます。
また本文には、「平安のすぐれたおんなのひとたち」として、清少納言、和泉式部たちとともに有名な和歌と合わせて紹介されています。

そして、京都で行われる時代祭にも登場します。その様子は『こどもの行事しぜんと生活10がつのまき』2012年小峰書店・下)でご覧ください。

もう1冊、紫式部の名がでてくる本は科学絵本『宇宙』(1978年福音館書店)です。いったいどうして?とおもわれることでしょう。

月や他の天体には、地球から観測していろいろな地形がわかってきていますが、地球の私たちがそれぞれの場所に地名をつけています。

月の表面には、ハーシェル、バスコダガマ、裏面にはアインシュタイン、ノーベルなど。また、火星(上)にも天体望遠鏡を開発したハーシェルの名や、ガリレオ、ダ・ヴィンチ、ニュートン、コペルニクスなどがあります。

そして水星(下)には、ベートーベン、ミケランジェロ、ルーベンス、シェークスピアなどとともに広重、人麻呂、世阿弥、芭蕉、そして紫式部もあるのです!

はるか平安時代の人の名前が水星にあるとは、意外であり、ロマンを感じます。

かこ作品のお話の展開には、静かな日常から始まり事件や出来事がおこって、大騒ぎのてんやわんやがようやく落ち着いて、また元の静けさが戻っておしまい、というものが多くみられます。

『おたまじゃくしの101ちゃん』や『とんぼのうんどうかい』(上・下)『さざんちゃんのおともだち』(いずれも1973年偕成社)などがその典型的なものです。

「だるまちゃん」シリーズもそういった筋が多く、小さいお子さんたちが、毎日、新しいことにであい、ちょっとびっくりしたりドキドキしながら少しづつ成長してゆくのと同様で、お子さんたちはこういったお話の結末に安心感を覚えることとなります。

最初から賑やかで、途中アクマの悪巧みで元気をなくした人々が最後にはまた、前以上に元気で明るく歌い踊る場面でおわるのが『わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん』。

最初より発展して、大きな成果が得られる結末となるのは、『にんじんばたけのパピプペポー』(いずれも1973年偕成社)やその続きのおはなし『パペプペポーおんがくかい』(2013年)です。

その逆にどんでん返しで終わるのが『どろぼうがっこう』(1973年偕成社)です。お気づきのように多くは50年前に出版されたロングセラー絵本です。

こういった筋を追うだけでなく、お子さんたちは主人公のそばに登場する小さな動物たちの様子や表情もしっかり見て絵を読んでいます。それで時々前のページの戻って確かめたいと思うことがあります。

それがどの本のどの場面なのかは、まちまちでしょう。例えば『ことばのべんきょうくまちゃんのかいもの』の最後の場面、こんなにたくさん買った?!と思いながら、ページを逆戻りして、確かに、と納得する方があるかもしれません。

『だるまちゃんとてんじんちゃん』で、てんじんちゃんたちの庭さきにいるウソドリのつがいはいつからでてくるのか、てんじんちゃんのお母さんが花入にさしている山ゆりや、だるまちゃんが持って帰ったホタルブクロはどこで取ったのかをたしかめてみたり。。。

『はれのひのおはなし』(小峰書店)をはじめ、くもり、あめ、ゆき、かぜの日にまつわる5つのお話は、大きな出来事というよりこどもたちが体験するような、遊んで面白かった一日を再現していますが、『あめのひのおはなし』の最後はこんな場面で終わります。

右奥には4本の傘が放置されています。黒い傘はつぼめられて枝にかかっていますが、茶色や黄色の傘は、藪や池のほとりに放りだされたまま、小川のわきには、緑色のかさもあります。

いったい誰が使っていた傘なのか?というわけで前のページを見て確認。小さいお子さんであっても、この色だけで、誰が使っていた傘なのかすぐに思い出せるのかもしれませんが、前のページに戻ってみと。。。

「かえるちゃんたちは、じぶんの うちへ かえって ゆきました。」

なるほど納得ですね。
傘の置いてある場所がそれぞれのお家の近くで、性格まで垣間見えてにっこりしてしまいます。

みなさんにとって、前のページに戻ってみたくなる場面は、どんなところでしょうか。行きつ戻りつ、どうぞ心ゆくまで絵本をお楽しみください。

『わっしょいわっしょいぶんぶんぶん』の最後の場面は、越前市武生中央公園の温水プールがある建物内の1階ホール壁面に大きな絵となって飾ってあります。お近くに行かれましたら是非ご覧ください

きみはタヌキモを知っているか ー食虫植物とぼくたちの関係ー

タヌキモ?
いったい何のことかと思われるかもしれません。

最近のニュースで絶滅危惧種の水草「ムジナモ」の国内唯一の野生が石川県で確認されたとありました。
ムジナ(上の絵の左)というのは、アナグマのことで、タヌキ(上の絵の右)とよく間違えられるそうですが、タヌキはキツネの仲間でムジナとは異なる種だそうです。

「ムジナモ」はムジナの尻尾の形に似ていて、牧野富太郎博士によって命名されました。この水草は根がなく、栄養を葉の先についている2枚貝のような葉で水中の虫を捕える食虫植物なのです。

そしてこれによく似ているけれど、虫のとらえかたが異なる食虫の水草「タヌキモ」もあります。

加古がこのタヌキモのことを初めて知ったのは小学3年生の時で、その時のことは『過去六年間を顧みて』2018年(偕成社)にもかかれています。

ある日曜の朝、父親の友人の息子さんでかこより一回り以上年上の英(エイ)さんが釣りに行かないかとやってきました。かこは翌日は遠足だからどうしようかと迷っていたものの沼にでかけ、沼の近くの田んぼでめだかを20ぴきほどつかまえて、金魚ばちで飼い始めます。

ところが翌日、こどものメダカがいなくなっていることに気づき、あれこれ尋ねたり調べた結果メダカと一緒に持ち帰ったタヌキモが原因だとわかります。『きみはタヌキモを知っているか』はこんな出来事から始まりますが、副題ー食虫植物とぼくたちの関係ーとあるように、タヌキモ、ムジナモの詳しい生態をはじめ、前後の見返しにも驚くほどたくさんの食虫植物が紹介されています。

しかしながら、かこの問いかけは、そこにとどまりません。

1930年代には東京のどこにでも自然に生息していたタヌキモですが、戦争で焦土と化し、現在は野生のものでなく、栽培されたものが流通しているようです。そして、タヌキモに似ているけれど虫(魚)のとらえかたが異なるムジナモは、ニュースで報じられたものが唯一になってしまったそうで絶滅危惧種です。

15場面で構成されるこの本の最後の3場面は、「植物と虫のほんとうの関係」「植物と動物の長い長い関係」「植物と虫とぼくたちの関係」について」で、晩年完成させたかった「生命図譜」に通じる思いが込められています。

この本の終わりには次のような一節があります。
(引用はじめ)
だから、人間だけがよければという考えや、やりかたをしていると、それはかならずめぐりめぐって 自然のつりあいをこわし、生きもののくらしをつぶす、わざわいとなってくる。
(引用おわり)

1999年にこの本を出版した時点でのかこの危惧がますます深刻になってきていることが、この1冊の本を通してわかります。

最後に、あとがきをご紹介しましょう。

あとがき

(引用はじめ)
ぼくが、タヌキモという名前を知ってから、もう60年以上もたちました。そのあいだ、たくさんのこん虫や動植物から、たくさんのこと、環境や公害や健康や生きることなどについて、教えてもらいました。そのきっかけとなったエイさんですが、戦争にいってなくなり、一人のこった奥さんの家もぼくの家も、戦災で焼けてしまい、そのあとのようすをお伝えできないのが、残念です。おゆるしください。
(引用おわり)