作品によせて

昨年出版50周年を迎えた『おたまじゃくしの101ちゃん』(1973年偕成社)ですが、その元になった手描き紙芝居の題名は「いちべえぬまのだいじけん」でした。

加古がその紙芝居を川崎セツルメントの子どもたちに見せているうちに「101ちゃんの紙芝居を見せて」と言われるようになり、いつの間にか「101ちゃん」とばれるようになったと絵本のあとがきに書かれています。

出版された絵本としては、「ことばのべんきょう」シリーズ『くまちゃんのいちにち』『くまちゃんのいちねん」』(いずれも1970年福音館書店)、『うさぎのパンやさんのいちにち』(2021年復刊ドットコム)や2023年にオンデマンド出版された*『こぶた四ひきちんちろりん』があります。

手描き紙芝居では、マザーグースを参考に日本版にした「一ぽんあし ニほんあし 三ぼんあし そして四ほんあし」(1951年)があり、これは数詞の言い方が異なる音になることにも注意を喚起しつつ、同じセリフが2回繰り返されるというユニークな作品で、詳しくは『こどものげんきなあそび』(2013年復刊ドットコム)に掲載されています。

同じく手描き紙芝居では1953年作の「二つの太陽」、1955年作成のアンデルセン童話から「5つのエンドウ豆」、1962年に加古の創作「4ひきのからす」があります。

出版された紙芝居では年代順に
「いにちにのさっちゃん」「ひよこのろくちゃん」(いずれも1975年童心社)
「6月6ちゃん はっはっは」(1978年童心社)
「みんなげんきピヨピヨ1・2」(1979年童心社)
「五にんめのぼく」(1987年心身障害児福祉財団)
*「さんびきちょんちょんはりねずみ」(1996年心身障害児福祉財団)

手描きのものも含めて全紙芝居ついては『かこさとしと紙芝居 ー創作の原点ー』(2021年童心社)に表紙絵、あらすじ、解説がありますので是非ご覧ください。

なお題名に*がついているものは『かこさとし童話集』全10巻(2023・2024年 偕成社)にお話として収録されています。

「五にんめのぼく」は一人っ子の男の子が将来なりたい「ぼく」を想像します。
最後の「五にんめのぼく」は現実の「ぼく」で「車椅子の運転手」としての生活が始まります。SDGsについて考えるのに大変適した作品です。

小さいお子さん向けの絵本や紙芝居なので大きな数が登場するのは珍しく、おたまじゃくしだからこそ10匹、20匹ではなく101匹が絵本の中でも泳ぐことになったのでしょう。
もう少しで、おたまじゃくしの季節がやってきます。

2024/02/20

忍者

忍者は日本のみならず海外でも人気ですが、忍者を主人公にした絵本といえば、『ぬればやまのちいさなにんじゃ』(1978年/2014年復刊ドットコム)です。昭和時代に黒い表紙のかこさとし・むかしばなし5冊シリーズの第4巻として出版されたものが復刊され現在に至っています。

ぬれば色というのは、カラスの羽のような黒のことで、題名から察せられるように主人公「あきち」は実はカラスなのです。父、母、妹の仇をうつために「たかのすやま」のてんぐに弟子入りし厳しく苦しい修行に励み、ついには大鬼に立ち向かうのが下の場面です。

鬼と闘う場面はおどろおどろしく、あとがきには次のようにあります。

(引用はじめ)
人であり生きているからには、やさしさと同様,時には強さやたくましさた厳しさが求められることがあり、そのため、黒いこのシリーズに忍者が登場したわけです。
(引用おわり)

童話集第5巻には忍者がテーマの2作品が収められています。そのひとつ「伊賀の黒丸のこと」は次のように始まります。

「伊賀、甲賀は忍者の里である。その伊賀のなかでも黒丸は、なかなかの忍者だった。」

しかし、その「なかなかの黒丸」も他の忍者との静かで熾烈な闘いを通し「忍者世界のきびしさを知っていったのである。」と結ばれています。先のあとがきの言葉がこのお話にも当てはまるようです。

もう一つのお話は「三人のさささ忍者」。父親から勧められてそれぞれ異なる忍術を習得した三兄弟が大活躍するお話で、その後この三人は滋賀、甲賀、伊賀の忍者の「師となって後進を育てたということである」とあります。

ちょと意外なところにも忍者が描かれています。

下の絵は科学絵本『おおきいちょうちん ちいさいちょうちん』(1976年福音館書店)の前扉です。この絵本は副題にあるように、ゆかいな「反対」ことばをユーモラスな絵で知ることができる大変ユニークな絵本で初版から50年近く経た現在でも大人気です。

この絵には御用提灯を持つ人を画面左上から鋭い目つきで見る小さい忍者はがいます。ここだけに登場する不思議な存在です。

かこさとし小学校卒業のときの絵日記『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)には,福井から東京に転校したばかりの二年生の時、二十人ほどの級友にいじめられ、けんかに勝つ方法をあれこれ考え試していたことが書かれ、次のように続きます。

(引用はじめ)
それからよく研究した。一つの術を考えた。
これは忍術をもちいた。(中略)先ず灰を用いた。これはごくこまかいのをとった。
(引用おわり)

この後に灰の作り方や作戦が続き、「二年生の時は、いじめられるのとけんかで終わった。学校の方はあんまり出来なかった。」とあります。

小学生時代のこんな経験を経た加古が作った忍者のお話をどうぞお読みください。

絵本の絵はほとんどが加古自身によりますが、稀に写真で構成されているものがあります。
『わたしのかわいいナミちゃん』(1987年ポプラ社)は、犬のナミちゃんだけでなく、飼い主の加古と一家が写真で登場しています。

個人情報満載(?!)のこの本は、1970年に加古が藤沢に転居したお祝いに同僚の方が持ってきてくださった生まれたばかりの柴犬ナミちゃんの成長物語です。そして長寿犬として最後を迎える時までを描く家族の歴史でもあります。

加古は自分が後に絵本を作ることができるようになるとは夢にもおもっていなかった20代の半ば、セツルメント活動を始めた頃、子どもたちが小学校に通う様子を見てそのような写真と絵を組み合わせた紙芝居を作ろうと考えていたようです。

童話集1巻にある「かえるのがっこう」の第1場面には、写真を使う予定だったということがメモによってわかります。

童話集6巻の「おとうさんのくつは おおきいね」は川崎に住んでいた頃の家族が写真で登場します。加古は30代、当時は大きな加古の足に合う靴が売っていなかったので、近くの靴屋さんであつらえていました。

絵ではなく写真を使った1962年の作品を童話集刊行でようやく皆様にご覧いただけるようになりました。小さなモノクロ写真の中ですが、若かりし頃の加古の笑顔をご覧ください。

2024/01/15

こども狂言

能と並んで古い伝統を持つ狂言ですが、面をつけずに演じ笑い話のような内容が多いので
親しみやすいともいえるでしょう。

加古は大学生時代に演劇研究会に属していたこともあり、演劇や舞台芸術に大変興味を持っていました。歌舞伎や文楽についても『子どものカレンダー』で取り上げたりしています。

そして狂言については『あそびの大惑星1 たいこドン ふえピッピのあそび』(1991年農文協)で、「こども きょうげん きつねばやし』を載せています。大名(だいみょう)が六人の冠者(かじゃ)を呼び寄せ、それぞれを白、黄、赤、青、ちゃ、黒のきつねにになって踊るうちに本物のきつねも混じってお囃子が続くという内容です。

繰り返しとにぎやかな歌とおどりが楽しい、子どもでもわかるものです。

そしてこの度刊行された『かこさとし童話集』第5巻にも子ども狂言「はるのおどり はなのまい」があり、言葉遊びのようなセリフが続きます。大きな声で舞台で演じているつもりで読むと楽しいものです。是非、試してみてください。

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

新年恒例の干支探しをはじめましょう。
辰年、龍といえば真っ先にこの絵が思い浮かびます。
中国では龍は皇帝のシンボル。子どもの日の鯉のぼりは、鯉が滝を登って龍になるという中国の故事からきています。

『えびすどん おばけどんのあそび』(1991年、現在は『あそびの大事典』2015年いずれも農文協)には下の絵に次のように説明があります。

「ちゅうごく インド にっぽんなどのりゅうは うみや あめの かみさまで てんにいて めでたい しるしと されています。」

一方、「ヨーロッパの ドラゴンは はねと どくの ある しっぽを もっている
あくまで じめんの したの ほらあなに すんでいると いわれています。」(下)

日本の昔話にも龍はたくさん登場します。
『あわびとりのおさとちゃん』(下・2014年復刊ドットコム)では、ゴズリュウを利用して民衆を苦しめる「なぬし」の悪意を知ったおさとちゃんが、一大決心をしてゴズリュウに挑みます。

『かこさとし童話集 第4巻日本のむかしばなし その1』には加古のふるさと福井県に伝わる「九頭竜の話」、同第5巻には、晩年四十数年暮らした地にまつわる龍のお話「腰越江島縁起伝」を、収めています。

そして裏表紙の絵は各巻共通でタツノオトシゴがいます!

タツノオトシゴといえば、もちろん『海』(1969年福音館書店)にも描かれていますし、

小学校卒業を記念して6年生の時に作成の画文集を出版した『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)を見ると、4年生の夏休みの作品展で特等をいただいた水の中の様子の工作にタツノオトシゴが描かれています。

かこ自身をモデルにしたカッコーはくしがヨーロッパ風のドラゴンをつかまえる『カッコーはくしのだいぼうけん』(下・2022年復刊ドットコム)は7つの首がある「ななくびりゅう」を相手にカッコーはくしの大活躍が楽しい物語です。この一場面は藤沢市本庁舎1階ロビーに展示中です。

辰年にちなんで、龍のお話をどうぞお楽しみください。
 

相撲は加古が子どもの頃、つまり昭和のはじめ男の子なら必ずした遊びでした。

『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)には小学校六年生の級友の60人余りの名前と「アダ名」に「スモウ名」が書かれた表があるほどです。
「僕」のあだ名は「ガンテツ」。頑固な哲(さとし=加古の本名)という意味ですが、級友はさとしとは言わずテッチャン、テツと呼んでいたそうです。そしてスモウ名は「大潮」。当時から身体が大きかったからでしょう。

駄菓子屋さんには「相撲カードや、お相撲さんの形をしためんこも売っていた」そうです。

絵本『だるまちゃんとにおうちゃん』には、指相撲や腕相撲、足相撲の他に「けんけんずもう」「てたたきずもう」(下)など、こんなにもたくさんの種類のお相撲があるのかと驚くほどが登場し、だるまちゃんたちが次々遊びます。

『あそびずかん ふゆのまき』(2014年小峰書店)にもたくさんの相撲遊びが紹介されています。
両手でする指相撲は難しそうですが、いつでもどこでも遊べていいですね。

『ぼくのハはもうおとな』(1980年フレーベル館)にでてくる横綱は「牙の山」というかわったしこなです。
これは、乳歯が生え変わる頃、おおむね6歳頃になると上下左右の奥にはえる「6さいきゅうし」を印象に残るように例えているのです。6さい臼歯は、はえそろうまでに時間がかかり虫歯になりやすいので、注意をしてほしいと願う加古の工夫から描かれたものです。

お相撲さんといえば思い出すのがちゃんこ鍋。
この名前の由来には諸説あるようですが、『そろって鍋ものにっこり煮もの』(1994年農文協)に登場する、このお相撲さんたちの見事な体つきとそれを支える大きな鍋に目を見張ります。

そして、鍋に入れる美味しい材料の番付!
しこなのような名前ひとつひとつに笑ってしまいます。加古のユーモアに脱帽です。

2023/10/22

遠足

小学校の秋の行事といえば、運動会に遠足。思い出しても不思議なくらい、どうしてあんなにワクワクしたのでしょうか。おやつが嬉しかったのか勉強をしない1日だからなのか⋯。
ずいぶん長距離を歩いて足が痛くなるほどだったこともありましたが、そんなことは翌年には忘れて楽しみにしていたものでした。

加古作品にも遠足の場面が登場します。
『ことばのべんきょう くまちゃんのいちねん』(1971年福音館書店)では秋の山を歩く遠足風景があります。イーゼルを立てて絵を描く人がいたり、色づいた楓に栗やどんぐり、えのころぐさ(ねこじゃらし)、あかまんま(いぬたで)に、松茸まであって、こんな山に行ってみたいですね。


秋の草花が登場するもう一冊の絵本は『あかいありのぼうけんえんそく』(2013年偕成社)。『あかいありとくろいあり』(1973年偕成社)が春の草花を描きいれていたので、その続編である本作では季節を秋に設定したと加古が話していました。

ぼうけん遠足なので、いろいろとスリルあふれることになるのですが、頼もしい PTAが同行して、困難を無事乗り越えることができるのです。いったいどんなことが起きるのでしょうか。足が痛くなったり飲み水が不足したり、遠足が終わる頃には想定外のことも起きますが、このお話では気分爽快な結末が待っています。

絵本の中の遠足をお楽しみください。

『にんじんばたけのパピプペポ』(1973年偕成社)には歌のマークがついている文章がたくさんあり、その続編『パピプペポーおんがくかい』(2013年偕成社)は音楽会の実況中継のような構成ですから、次々と舞台の上で歌や踊りに楽器の演奏が繰り広げられます。

そして最後のフィナーレには舞台の上と客席が一体となって「うみにうまれ いのちをつなぎ」の大合唱となります。といっても絵本の中でのことですが、実際にその曲を演奏していただくことがこの夏にありました。

この曲をつくって下さったのは、加古が学生時代、卒業前に大学で子どもたちにに見せた「夜の小人」という童話劇の中の曲を作り、上演の日に合唱を指揮してくださった大中恩先生です。

70年にわたる有り難いご縁で2023年5月にはその楽譜集「こころとからだ より たくましくあれ」が出来上がり、8月26日、北原聖子さんのリサイタル「大中恩を歌う」で歌っていただきました。
以下でどうぞお聴きください。


うみにうまれ いのちをつなぎ

2023/10/15

夕やけ

秋は夕暮れ。お天気の良かった秋の日の夕焼けは格別美しいものです。
そんな情景が描かれている場面を見てみましょう。

『あそびずかん あきのまき』(2014年小峰書店)には、長い影のできる秋の晴れた日の夕方に「かげふみおに」を楽しむことを紹介しています。影をオニに踏まれたらアウトですが、しゃがんで影を小さくしたり物陰に隠れたり、影を踏まれない方向に逃げる面白い鬼ごっこです。

『はれのひのおはなし』(1997年小峰書店)は太陽の位置が東から西に動く様子が描かれて、こどもたちが動物達とかくれんぼをしたり、バスごっこに電車ごっこを思い切り楽しみます。影が伸びて日が暮れかかると夕日を背に帰ります。

夕焼けがどうして見えるのかを説明しているのが『よあけゆうやけ にじや オーロラ』(2022年新版・農文協)です。朝焼けと同じメカニズムですが、「あさの くうきと ちがって ひるま あたたまったり、こまかい ごみが ういて いる くうきと なって いるので あかだけで なく きいろい ひかりが まじった」夕焼けを見ることになるそうです。

そういう訳だからでしょうか、『地球』(1975年福音館書店)の高層ビルが並び地下を利用する都市の様子では黄色がかった夕焼け空になっています。

つるべ落としの秋の夕暮れ。美しい夕焼けを楽しみたいものです。

加古里子と書いて、かこさとしと読むペンネームの「さとし」は本名の哲(さとし)からきています。
高校の国語の先生が俳人の中村草田男氏であったため、一層熱心に俳句を作るようになり、虚子や秋櫻子にならい、「三斗子」と書いていたそうですが、物不足の折、印刷の文字数も厳しくなり「三斗」と2文字しか印刷されなくなったので、「里子」に変えたのだそうです。

加古は物心ついた頃から文章のほかに、詩や俳句、短歌などもつくっていました。
中学の頃には自作の俳句や短歌、エッセイなどを載せた冊子を何冊も作っていたそうですが、空襲で家もろとも焼けてしまいました。

中学生の時の作品としては『かこさとし 子どもたちに伝えたかったこと』(2022年平凡社 )でご紹介している東京府立第九中学校4年生(当時の中学は5年制)の時に明治神宮献詠、「農家」という題での和歌が残っています。

戦争といえば『秋』(上/下・2021年講談社 )には、出征される医師におくったものがあります。盲腸の手術をしてくださった医師との病院での小さなお別れ会で詠んだものです。

「何がなんでもの 南瓜(かぼちゃ)も食はで 征くか君」

俳句や和歌は亡くなるまで作っていましたが、絵本でも俳句や川柳、短歌を取り上げています。

『こどものカレンダー9月のまき』(上・1975年偕成社)では、9月8日に「朝顔につるべ取られて もらい水」で有名な加賀千代女の「とんぼつり 今日はどこまで」いったやら」を紹介しています。

また、松尾芭蕉の弟子の向井去来が亡くなった9月10日には「うまのこが はまかけまわる つきのよる」などを情景画と共に掲載しています。

『こどもの行事 しぜんと生活9月のまき』(2012年小峰書店)では、「秋の夜長は本をよんだり、詩や俳句をつくったりするのに、とてもよい時間です」として、コオロギを読んだ兔径子(とけいし)などの俳句を4句紹介しています。

さらに驚くなかれ、『ちり麺ラーメン そばうどん』(下・1994年農文協)の[はったいこ・麦こがし][くず・かたくり粉]の項目では、さまざまな粉、でんぷんについての説明をして、これらにちなんだ俳句をのせています。

はったいに 座る板間や 母も子も かな女
麦こがし よその子どもに ははやさし 白文地(はくぶんじ)

はったいこや麦こがしというのは大麦の粉で「黒ざとうをまぜて、そのままたべたり、湯でねってたべたり、むかしの農家のこどものおやつ」でした。

山の湖(うみ) かたくりも 花濃(こい)かりけり 麦丘人(ばくきゅうじん)

昔は、かたくり粉はカタクリの花の球根からとったのですが、今ではジャガイモのでんぷんの粉なので「片栗粉」と書いてあると説明があります。

俳句を登場させるあたり、食べ物をその背景にある文化と共に紹介する「食べごと」の本ならでは、加古らしさが感じられます。

秋の夜長、みなさんも一句いかがですか。