作品によせて

2021/05/22

いちにち

陽がのぼり、陽が沈んで、いちにち。

それを描いている絵本といえば、『あさですよ よるですよ』(1986年福音館書店)があります。豆の子どもたちが朝起きてから夜、寝るまでの生活を通して時間という目に見えないものを知ることができるよう、各場面にはさりげなく時計があるのもそのためです。

歯磨き、洗顔、トイレに朝ホウキ、園に出かけ、たくさんいろいろなことをして、帰り道でお買い物のお手伝い、お風呂でっさっぱりしたら、お行儀よく夕食をして、ピアノの演奏で一家団欒、いちにちが終わります。ぐっすり眠る窓の外には星が瞬きます。う〜ん、ゆとりのある理想の生活。

働く大人の一日をお子さんが、楽しみながら知ることができるのが『うさぎのぱんやさんのいちにち』(2021年復刊ドットコム)です。

朝早く暗いうちからパンやさんのいちにちが始まります。パン作りの工程がすすみパンが焼き上がると店先にはいい香りが漂う中、お客さんがやってきます。次々に焼き上がる沢山の種類のパンの中には、可愛い動物パン、美味しそうなおかずパン、世界中のパンが集まってきたようで見ているだけで幸せになります。園のお昼もみんなニコニコでパンをいただきます。

陽が傾くと賑やかなお店も閉まり、パンを作る場所はすっかり掃除も終わり明日の朝までおやすみです。見上げれば外には月が出ています。おや? 月のうさぎさんはお餅つきではなく。。。

きっと美味しいパンが食べたくなります。だからお家で作れるパン焼き方法のページもあって、愛らしいうさぎさんたちにも会えるし、パンやさんの仕事もわかるいちにちの物語。

小さいお子さんと一緒に楽しむのに、そして忙しい大人が一日の終わりにリラックスするにも、ぴったりの2冊です。

実験用の安全メガネをつけ実験衣(白衣)を着た、こどもたちとワンちゃんネコちゃんが見つめる先は、何やら大喜びのヒゲの実験者。後ろには、これぞ物尽くし、とも呼びたいほど沢山のフラスコ、ガラス管などが複雑に入り組んだ実験設備が壁のようにそびえています。

一方、そんな光景を気に留める様子もなく、視線が目の前の器具、中の臭いを嗅いでいるメガネさんは、若き日のかこさとしのような雰囲気です。手にしているものの匂いに全神経を集中してその正体を考えているようです。

冒頭の場面が登場する『原子の探検 たのしい実験』(1981年偕成社)は、日本化学会のご依頼で執筆したシリーズの一冊で、分子や原子の発見や原子記号誕生の歴史を紹介しています。

また、基本的な実験方法や注意点も列挙されています。その中には、水に溶けないガス(気体)をとる方法としてキップの装置(上)も描かれています。

この本の前扉には同じ装置が描かれ、ワンちゃんがじっと見つめています。ところがこの絵には、一つだけ実験とは関係のないものが存在しています。

舌なめずりするネコちゃんの視線の先です。その視線を感じて、横目で警戒するこの金魚の表情、無機質な実験装置が3匹の動物の視線で、親しみのあるものになっています。かこさとしならではのユーモアです。

金魚がいる水は普通の水ですから金魚に害はないはずが、ネコちゃんには要注意?! 読者の皆さまのご心配を取り払うかのように、この本の最後にはご馳走に喜ぶ2匹がいて幕となります。

半世紀以上も前のことです。筆者の通っていた小学校では月曜日の朝には、雨でない限り、全校生徒が校庭に集まって朝礼、校長先生のお話がありました。その内容はほとんど忘れてしまいましたが、訓示のようなものが多かったように記憶しています。その中で今でもはっきり覚えているのは関東大震災が起きた時のお話でした。

1923年9月1日、2学期が始まるその日、校長先生はまだ小学生で始業式を終えてお母さんと兄弟とでちゃぶ台を囲みお昼を食べていた時に大きな揺れに襲われたそうです。当時の私にしてみれば関東大震災は遠い昔のことと思っていたので、その体験をした人から直接話を聞き大きな衝撃を受けました。

地震が起きた時「日本の近代的な物理の土台を築いた一人、長岡半太郎」博士は神奈川県の三浦半島に避暑にきていて、「はるか北方に見える東京の火煙の様子を、時間を追ってスケッチし、その色の変化をこまかく記録し、数日後には彩色した絵を仕上げ」たそうです。

「人びとは3日も燃える煙を見て悪魔の雲だとさわぎ、(中略)あやしげなことを言いふらしたのを、長岡博士は正確な煙の記録を示し、魔法や陰陽術のせいでないことを人びとに教えた」と『科学者の目』(2019年童心社・上)にあります。

今でも伝えられている井戸水に毒薬がいられたという流言飛語は「伝染病をおこさぬため、生水を飲まぬようという注意があやまって伝えられたり、一部の悪質な者の策動だった。長岡博士はこうした根も葉もないデマを、科学者の目をもって一つひとつつぶし、他の学者や学生とともに救援活動をおこなう間、観察したことを冷静に記録し(中略)のちに、この大地震のようすを調べ、対策を考える上に貴重な基礎資料となった」そうです。

こうした博士の逸話を紹介し、最後にかこは次のように結んでいます。
(引用はじめ)
大きな混乱の中では、私たちはともすれば真実を見失いがちである。そういう時こそ、この科学者の冷静な目にならって、私たちも何が正しいか、何が人々に不幸をもたらしているのか、どうすれば真の発展に向かうのかを見失わぬようにしたいものである。
(引用おわり)

コロナ禍の真っ只中、この言葉は筆者の心に強くつきささります。

下は『世界の化学者12か月』(2016年偕成社)の4月の項目で「日本のすばらしい三太郎」として紹介されている鈴木梅太郎、長岡半太郎、本多光太郎の三博士。

「だるまちゃん」が「てんぐちゃん」のうちわや頭巾(ときん)、下駄を真似したくて、色々なものを集めたり、『からすのパンやさん』でたくさんのパンが並ぶ場面が印象的で、かこ作品には物尽くしがあると言われます。

第1回の自動車部品もある意味、物尽くしですが、『あそびの大惑星2 のんきな いたずらっこのあそび』(1991年農文教・上)の表紙には動物の風船がいろいろ、副題が「あそびの健康元気館」というだけに身体を使った愉快な遊びが種類豊富に登場します。

「げんきな こどもは ねても うごく」「いたずら こどもは ゆめでも わんぱく」とあるように、左右のページに、ぐっすり寝ている子どもや動物、そして虫の寝姿と共に、こどもの寝相12種類が名前付きで描かれています。

かこがセツルメント活動を記録していたノートには、こどもたちの寝相を知ってようやくその子のことを知っていると言える、といったことが書かれています。その時に集めた寝相かどうかは定かではありませんが、かつての筆者の寝相と思われるものもあるような。。。

さてさて、皆さんの寝相は何型ですか。どうやら私は2種混合型のようです?!

「マイッタなぁ」は、かこがお子さんたちの思いがけない発想や行動力に感嘆して、しばしば使った言葉です。

お子さんが興味をもったら本の隅々まで見てくださることを心得ていた、かこはじっくり見てくださる読者の皆さんにありがとうの気持ちを込めて、ちょっとしたメッセージ代わりの絵を描き込んでいたりします。

また、科学絵本であれ遊びの本であれ、面白いと興味を持っていただけるようなユーモアあふれる工夫もしています。そんな中でも、これはマイッタ!と思わず口に出てしまうような傑作(?!)場面をシリーズでご紹介します。

ご覧いただいているのは『どうぐ』(1970年福音館書店/2001年瑞雲舎)の一場面です。動く道具で一番身近な自動車は、自動運転という話題もありますが、この本が発刊されたのは1970年ですから、まだオートマチックではなく、マニュアルギアが主流の頃でした。

当時実際に自動車に使われている全部品を自動車会社から教えていただき、余すことなく描いたそうで、かこが好き勝手に増やしたり減らしたりしていないと本人から聞きました。ただし、1つだけ、可愛いおまけともいうべきものがまぎれこんでいます。

ヒントはこの場面の前のページ。スパナを手にした子が、嬉しそうに乗っている車のフロントガラスにぶら下がっている小さなクマちゃん。この子のお気に入りでしょうか。

もう一度、もとの場面を見ると、油まみれになって、それにしても頑張りました。全部並べてこの通り。ナンバープレートの「さ」は、かこお得意のサインの代わりで、その下の方を見ていくと。。。
見つけました!
あのくまちゃんです。透明なプラスチックの吸盤でガラスにくっつけて下げるかわいいマスコット。かこは、きっとニヤニヤしながら描いたに違いありません。これぞまさに「マイッタなあ」です。

『こどものカレンダー4月のまき』(1975年偕成社)の4日のページは「4というすうじは よく みると ほら、しかくいかたちに なるでしょう。」と始まり四角の説明が続き、四角を元にして描いた、いつもとはちょっと違った感じがする、こどもや犬、猫、春の植物やカエルやオタマジャクシが載っています。

そして、今年の4月4日、日曜日はイースターでもあり、二十四節気の清明でもあります。

イースターは春分の日の後の最初の満月の後の日曜日、ということですから年によって3月のこともあれば4月のこともあり、『子どもの行事 しぜんと生活』(2013年小峰書店・上)で詳しくご紹介しています。

そして、二十四節気では、清明は春分の日から15日目ですので4月5日頃、今年は4日となります。この絵は、『万里の長城』(2011年福音館書店)にある清明上河図の模写です。多くの画家に影響を与えた、この名画には宋の首都、開封(かいほう)の活気あふれる様子が描かれていていて、それを加古が模写しました。

コロナ禍の中ではありますが、明るい光と緑にあふれ、自然の生命力のエネルギーを感じるこの時期を十分に味わいたいものです。

2021/03/20

ハチが飛ぶ

かこはハチを好んで作品に登場させています。それは日本の昔話で多く語れているからなのかもしれません。鬼や怖いものに逆襲する手段として、小さななりの一見弱そうなものが力を合わせるとき、ハチもその重要な役割を果たすのは「さるかに合戦」でご存知のとおりです。

『わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん』(1973年偕成社・上)のぶんぶんぶんはハチの羽音で古くは万葉集でも「ぶ」という音で表現されていたそうですが、表紙にもハチがいますし、次の部分にかこの気持ちが込められています。 

(引用はじめ)
ぼらの わたしの
おくにでは
うたをうたって
はたらいて
はちまで ゆかいに
ぶんぶんぶん
わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん
(引用おわり)

『あおいめくろいめちゃいろのめ』(1972年偕成社)でもハチが重要な役割をしていますので、裏表紙と見返しにズラリと並べています。

調べてみるとハチは驚くほどたくさん種類があることがわかります。その代表的なものが『あそびの大惑星 4いちぬけた にいにげたのあそび』(1991年偕成社)の中にでてきます。この本は数に関する数え歌やあそび、四季、各月の歳時記や自然、お祭りなど風土、生活と総合した遊びを紹介するもので、駄洒落好きのかこらしく8になぞらえています。

(引用はじめ)
【1】 いたいのは スズメバチ
【2】 にげるのは アシナガバチ
【3】 みつをせっせとミツバチ
【4】シシアブだってひとをさす
【5】 いんでゆくベッコウバチ
【6】むかってくるジガバチ
【7】なんども くるのは ハナバチ
【8】はっぱのうえに ハキリバチ
【9】くろい だんごの クマンバチ
【10】 とんだところに トックリバチ
(引用おわり)

シシアブは姿形がハチに似ていて刺すのですが、ハチの種類ではありません。

ジガバチは『ありちゃんあいうえお かこさとしの71音』(2019年講談社・下)にも登場しています。この本の前半は50音に濁音、半濁音の71文字の言葉遊びで、挿絵と言葉が面白く思わず笑ってしまいます。後半はかこさとし初めての詩集になっていて、孫にまごまごしつつ可愛くて仕方がない、じじばかぶりが露呈しています。

話をハチにもどしましょう。もちろん『地球』(1975年福音館書店)には、ミツバチ、ジガバチ、クロアナバチが飛んでいますし、クロアナバチの巣やクロスズメバチの巣なども描かれています。

そして2021年1月に刊行された童話集『くもとり山のイノシシびょういん』(2021年福音館書店)ではイノシシ先生が沢山のハチの針を抜いて治療する場面があります。

最近は都会のビルの上でハチを飼い蜂蜜を収穫する方があるそうですが、皆さんの周りにミツバチは飛んできますか。色々な花が咲き始め、植物の受粉のお手伝いをしてくれるミツバチたちが活発になるのはもうすぐでしょうか。

2021年2月26日〜4月11日福井県ふるさと文学館 加古里子特集展 宇宙とどうぐ

ナビや通信など人工衛星のお世話になっていることを忘れるほど現在では当たり前のことですが、世界初の人工衛星打ち上げは1957年、日本の国産衛星の成功は1970年でした。
半世紀を経た現在、宇宙にある衛星の数は8000以上とも言われ、各国が競って打ち上げをしていた頃を知っている筆者にとっては、その数の多さとその半数以上が機能を停止している宇宙ゴミの状態ということに驚かざるをえません。

最近は宇宙ゴミにならないよう、燃え尽きる木製の衛星打ち上げも計画されているとか。そしてこの3月には福井県が日本初の県民衛星を打ち上げます。それに因んだ展示「福井県民衛星打ち上げ記念 加古里子特集展 宇宙と道具」が福井県ふるさと文学館で始まりました。

その模様がNHK福井で放映されました。以下でどうぞ。

人工衛星

衛星といっても地球を周回するものから、探索のため他の星に向かうものなど様々ですが、かこ作品ではどんな本に登場するのか見てみましょう。

『できるまで とどくまで 通信衛星』(1979年みずうみ書房・上)よると 初期の衛星の寿命は2年もなく、アポロ11号の月面着陸を中継したインテレサット3号の寿命は5年間でした。この本の最後には次のように書かれています。
(引用はじめ)
これからも、通信衛星は世界をむすぶ”塔のないアンテナ”として、宇宙に浮かぶ電波の中継基地として、ますます活躍することでしょう。
(引用おわり)

この時代は、各家庭ではテレビのアンテナを屋根の上に立てて電波を受信していました。そして現在は通信衛星や気象衛星にとどまらず、軍事衛星や科学衛星も地球の周りを回っています。

球形である地球の裏側の人や物が落ちてしまわない理由は引力があるからで、その引力のおかげで地球の近くであれば宇宙でも地球の周りを回って落ちることがないのです。ユーモラスな絵(上)とともに説明しているのは『あさよる、「なつふゆ ちきゅうはまわる』(2005年農文協)です。

『遊びの大星雲 1ひみつのなぞときあそび』(1992年農文協・上)〈じんこうえいせいのひみつ〉には、
「どんな おもい ものでも 1びょうで7、8キロ すすむ はやさで なげだすといつまでも ちきゅうの まわりを まわりつづけます。(くうきや ほかの ほしの えいきょうが ないようにしないといけません。)」
とあります。

さらに詳しい説明があるのは『宇宙』(1978年福音館書店・下)のこの場面。左上に小さく見えるのは宇宙船回収グライダー(アメリカ・1964年)で、左下方が世界最初の人工衛星スプートニク1号です。

人工衛星が地球を回る速度をさらにあげると、「じゅうりょくの ひっぱるちからを ふりきって、ちきゅうを はなれ、もっととおくへ とんで」ゆき、他の星の周りをまわって観測することができるようになります。『宇宙』の話はまだまだ続きますが、人工衛星の追跡はこの辺でおわりといたします。
肉眼でも見ることができる人工衛星。宇宙からこの地球を見下ろしたらどんなことを感じるのでしょうか。

*福井県民衛星は2021年3月22日に無事打ち上げ成功したそうです。

2021/03/07

ノミのたとえ

ここで話題にするノミは、虫のノミのことです。ノミは体長1ー9ミリ、後ろ足の力が強く体長の60倍の高さ、100倍の距離を跳べるそうです。そんな場面から始まるのが『宇宙』(1978年福音館書店)です。この場面では5種類のノミが描かれ次のような文があります。
(引用はじめ)
「ノミはじぶんのからだの 100ばいも たかくとびあがり、 150ばいも とおくへ とぶことが できます。
もし ノミが にんげんほどの おおきさで おなじくらい とべるとしたら、たかくて おおきなビルも ひととびに できることに なります。」
(引用おわり)
何倍の距離を跳ぶのか倍数の数字に差がありますが、宇宙に行くには、地球の引力をふりきれる高さと速度が必要であるという説明の第一段階として、ノミの跳躍が登場する次第です。

ノミが使われているもう一つの例は『あそびの大星雲5 がくしゃもめをむくあそび』(1992年農文協)です。この本は丸ごと一冊各ページをご紹介したいほど内容の濃い項目が並びます。
〈げんぱつのもんだい〉、その前段では〈げんばくのもんだい〉〈すいばくのつくりかた〉、そしてその前には、〈核はんのうのもんだい〉が取り上げられています。

この核反応を説明するのに、陽子をヨウコちゃんというあだ名で、中性子をチューコちゃん、電子をデンコちゃんとわかりやすく言い換え、それぞれを赤いノミ、しろいノミ、カに例えています。

原子アトムの説明文は以下のようです。
(引用はじめ)
アトムを 100メートルしほうの やきゅうじょうだとすると まんなかにある ノミくらいのおもいかたまりが 核(かく)で やきゅうじょうの まわりを ものすごい はやさで とびまわっている ちいさなカが 電子(でんし)となります。
(引用おわり)

そして、核の中の陽子と中性子の組み合わせと数の違いがアトム、そして物質の違いとなること、自然界の物質で一番重いウランのアトムは92の陽子と146の中性子、92の電子からできていることが図とともに説明されます。

さらに、「かんたんな アトムの 核が くっついて、おおきな核のアトムになる はんのう」が核融合反応、「おおきな アトムの核が わかれてちいさな 核になる はんのうーーーたとえばウラン(235)から いろいろんな ものに かわる はんのうを 核(かく)ぶんれつはんのうといいます。」と説明が続き、「どちらの 核はんのうも、そのとき すごい ねつと ちからが でてきます。」

注意書きにはウランには、238,235,234の3種類があり、ふつう核分裂反応をするのは235とあります。

2011年3月11日、この反応を利用する原発をコントロールをすることができず、大きな事故につながってしまいました。

2021/02/14

10年目の311

あと一月で、10年となる東日本大震災。昨年も同じ時期に「編集室よりー作品によせてー」で、同じ絵を使って書きました。この出来事は決して風化させてはならず、毎年同じように思い出し、その歴史を未来へ語りつなぐ必要があるはずです。

記憶にとどめ伝えるべきと判断し、出版社にすでに渡してあった『こどもの行事しぜんと生活 3月のまき』(2012年小峰書店)の原稿を差し替え、急遽描いたのがこの絵です。その大切な役割を果たすことを念じて、今年もあえて同じ絵を掲載します。

本来なら昨年夏に開催のはずだったオリンピック誘致でも語られた、この震災からの復興はどうなっているのでしょうか。時間を経て忘れられる出来事は多くありますが、記憶からは消えても残り続ける事実があるのではないかと思います。

卒業式がたけなわで新たな希望をいだいた春のあの日。それに続く事故で不安に覆われた日々。その中でも光を受けて芽吹き花をつけ成長する植物にあの時ほど励まされたことはありませんでした。

東日本大震災被災地の支援拠点として重要な役割を果たした岩手県遠野市にこの夏[こども本の森 遠野]が開設されるのは明るいニュースです。10年目の311に向き合いたいと思います。

上の絵は『がくしゃもめをむくあそび』(1992年農文教・下)の一場面、「げんぱつのもんだい」