お知らせ
藤沢市に住んで47年になるかこさとしが描きおろした「だるまちゃんとだるまこちゃんのお正月」と題する絵が、鈴木藤沢市長の新年のご挨拶とともに年頭の広報紙第1面に登場しました。毎月10日と25日に配布される広報紙ですが、一年の最初の号のみ、全てカラーで4面の特別仕様。
第2面では、この絵をかかげている写真と、「新しき年とよき未来のために たくましく うつくしく すこやかであれ との思いを込めて描きました。」というメッセージも掲載されています。
無学な母と不憫な父のこと
PHP2017年2月号〈毎日が楽しい人、つまらない人〉のエッセイコーナー145回目に登場。これまでほとんど語ることがなかった両親のことを綴っています。(38〜39ページ)
商工中金千葉支店 市原の全42市立小へ
2016年4月の発売以来、全国的に大人気のかこさとしの絵本「出発進行!里山トロッコ列車」(2016年偕成社)は、2016年市原市十大ニュースにもあげられたほどで、この度、市原市の全小学校に寄贈されました。
「鉄道を中心に自然や人々が織り成す文化、歴史が描かれている」と、支店創立80周年に伴う地域貢献活動として贈ったもので、市原市役所での寄贈式の市長の言葉、写真と共に掲載。
http://www.chibanippo.co.jp/news/local/375413
2014年7月に「こどものとも」7月号として福音館書店より刊行された「だるまちゃんとにおうちゃん」がハードカバーになって単行本として出版されました。だるまちゃんシリーズ8番目のお友だちは力もちのにおうちゃんで、お寺の境内で力くらべをしたりして遊びます。
この本に込めた著者の思いが、あとがきにあたる〈作者のことば〉にありますのでここに記します。
(引用はじめ)
1945年(昭和20年)4月、東京板橋の自宅を戦災で失った私の一家は、それから練馬、埼玉県入間、三重伊賀と仮設小屋を作って転々さまよい、ようやく宇治の地の借家に辿りついた時、敗戦となりました。私はまだ学生だったので、夏冬の休みに東京の下宿から満員の鈍行夜汽車で帰るのですが、戦火を受けていない黄檗山萬福寺の静かな境内が唯一のなぐさめとなりました。その折、蝉や松かさと遊ぶ子ども達に、よき未来を託するには何をすべきなのか思いなやんでいた若者の迷走の思いを、今回の作にこめた次第です。従って、現在は整備されているようですが、寺院の状況は当時の記憶に残っている様子を描きました。
(引用おわり)
前見返し(上)には黄檗山萬福寺のシルエットが浮かびます。
著者が見た子供たちが遊ぶ大地の色は、戦争で一面焼け野原になった光景を見た著者の心にきっと深くしみたに違いないように、アスファルトに囲まれている現在の私たちには、違った意味でこの本の大地の色が心に染み入ってくるように思えます。
(下は、前扉です)
2016年12月3日に発売された「未来のだるまちゃんへ」の文庫には児童文学作家・中川李枝子さんによる解説があります。
加古が川崎セツルメントで活動していた1950年代の頃、実は中川さんもその場を訪れ感じられるところがあったそうで、その後のご活躍はご存知の通りです。以下のサイトで是非お読みください。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/5442