編集室より

2020/11/26

サンタの帽子

クリスマス気分を盛り上げるものを一つ身につけてください、といわれたら、何を選ばれますか。私は、サンタの赤い帽子でしょうか。かぶればそれだけで、周りのみんなもニコニコしそうです。
『こどもの行事しぜんと生活12がつのまき』(2012年小峰書店)の前扉には赤い帽子のミナ母さん。せいわ父さんは、義士の討ち入りの装束です。

帽子といえば、まず思い浮かぶのはあの場面。『だるまちゃんとてんぐちゃん』(1967年福音館書店)、だるまちゃんがてんぐちゃんの帽子(ときん)を見て、家中の帽子を出してもらい。。。ありますね、赤いトンガリ帽子。

かこが小さい頃、冬はボンボンが先についた毛糸の帽子をかぶっていました。それが影響したかどうかわかりませんが、生涯、頭を守る意味で帽子を愛用していました。

11月7日の編集室・作品によせて〈マスク〉の項でご紹介した『ゆきこんこん あめこんこん』(1987年偕成社)のサンタさんは、おやおや、なぜか帽子や服がびしょ濡れでほしています。(上)このあとがきには、加古の若い頃の写真が載せてありますので、ご覧ください。

世界中の子どもたちにプレゼントを届けるには大勢のサンタが活躍しているとか、クリスマスにまつわる「秘密」を教えてくれる絵本、『サン・サン・サンタ ひみつきち』(2019年白泉社)では、赤い帽子をかぶったサンタさんがずらりと並んで準備万端、夜空の星を背景に、いよいよ世界各地に向け出発です。

上の場面は11月27日(金)から12月27日までの1ヶ月間、越前市のふるさと絵本館でご覧いただけます。お近くの方はぜひお出かけください。

星空といえば『ふゆのほし』(1985年偕成社)の表紙にも、サンタの帽子の女の子が星空を見上げています。
今年はこんな風に夜空を見上げて過ごすクリスマスがいいかもしれません。

2020/12/04

紙テープ投げ

船が出航する場面のハイライトは、なんといっても汽笛が鳴る中、色とりどりの紙テープに縁取られ港を離れる時でしょう。航空路がなかった時代、海外に行くには船しかありませんでしたし、日数もかかるので別れを惜しむ気持ちを一筋の紙テープに込めるのもうなずけます。

コンサートや試合などでもこの紙テープ投げは、ずいぶん頻繁にされていたようですが、令和の時代はどうなのでしょうか。コロナ禍の今となってはテープ投げどころかコンサートもままならず、つながるのは電波によってのみですが、テープ投げの熱狂場面が加古作品の中にあります。

『まさかりどんがさあたいへん』(1996年小峰書店)。何が大変なのかといえば次から次へと道具たちが走り集まり大忙しで働き、出来上がったものでコンサートをするのです。その演奏の素晴らしさに拍手喝采、花やテープは投げられる、おまけに紙飛行機を飛ばすものや写真を散らす者も。その写真はどうやら丸めがねですから加古でないでしょうか!?

興奮のあまり、食べかけのミカンやゴミまで、手当たり次第投げてしまっています。〈良い子のみなさんは、まねしないで下さい〉とテレビならテロップが出てきそうですが、それほどの大変さが「さあたいへん」と繰り返される言葉とともに絵で伝わってきます。この独特のリズム感については福音館書店「こどものとも」12月号の折込付録「絵本のことば言葉のえほん」(下)で取り上げていただきました。

『まさかりどんが さあたいへん』まだご覧になったことがないですか?!
それは、たいへん。こんな道具、あんな道具も走っていて、あわただしい師走にぴったりの絵本です。

2020/11/20

将棋

将棋倒しは危険ですが、もともとは、こまを倒す遊びからできた言葉です。
本来の将棋ではなく、遊びとしての将棋を紹介しているのが『しらないふしぎなあそび』(2013年復刊ドットコム)、かこさとしあそびの本5巻シリーズの最終巻です。

あとがきによると、この本では156、シリーズ全体では573の遊びが紹介されていますが、しょうぎあそびとして、ぬすみしょうぎ、はさみしょうぎ、王ぜめなどがあります。

面白いのは「ふりしょうぎ」で金のコマ4枚をサイコロのように「ばん」のうえでふり、こまの立ち方で点数を決めるあそびです。斜めの小さい面が「ばん」に接して立つと最高得点、こまが重なるとマイナス点。この点数を使って「ばん」中央の王将にたどり着く遊び「おみやまいり」や、4人が角に自分の「こま」を置き進んでゆく「まわりしょうぎ」が紹介されています。

世界各地の不思議な遊びや将棋遊びのほかに碁石遊び、トランプやチェスの遊びもいろいろ掲載されています。お家時間が長くなる季節、こういった古くからある遊びも楽しいものです。

あそびの大星雲6ーお金と経済のからくりー(1992年 農文教)

前回、恐ろしいものをテーマにしましたが、世界大恐慌が起きておよそ100年。これなしでは現代生活が困難な、経済についての絵本『あそびの大星雲6 やすくておとくなあそび ーお金と経済のからくりー』(1922年農文教)のまえがきとあとがきをご紹介します。

この絵本では、[ねずみ講][ずるいかせぎかた][あくどいやりかた][つきみだんごのけいざい][もうかるかいしゃ][さかえるきぎょう]や[みっつのくにのけいざいせんそう][パンツのインフレーション][えんぴつのデフレーション](下)など、様々なテーマでわかりやすく説明しています。

かこさとしから、おとなのひとへ

経済という魔物に向かってーー

(引用はじめ)
時に魔物と呼ばれる金銭に、現代人間生活は深く依存し、子どもたちも共に暮らしています。金銭と経済を軸にしたこの巻をご覧いただく理由は、子どもたちを株のうりかいに引きずりこんだり、守銭奴やケチ人間にするためではありません。魔物として恐れ逃げるのではなく、積極的に正しく活用する知恵を持ち、もし経済の波や嵐が起こっても巧に立ち向い、その根源にメスを入れる力をもってほしいと念じての事に他なりません。どうぞお大事に。
(引用おわり)

かこさとしあとがき

お金の世の、荒波に対する知恵

(引用はじめ)
経済は魔物であるといわれます。かつて会社勤めをしていたおり、石油ショックと言う嵐が吹き荒れ、各社一斉に生産縮小・操業短縮を行い、そのアオリでプラスチックの原料チップが一時時品薄となり、関係者は必死で買い集めたことがありました。それまで倉庫にねていた品質不良品の山まで、あっという間に売り切れたことがあり、品質向上とか物性改良に取り組んでいた技術研究のむなしさと、経済の恐ろしさを痛感しましたが、大人はそうした魔性にただ揉まれ、泣き笑いするだけで、同時に生きている子供たちに何の示唆も説明も、まして積極的な教育などしてきませんでした。お年玉とおこづかいの額が増えても「ムダづかいしないよう」だけが最大の指導では困ります。人生にもっと役に立ち、意味のある経済法則を知ってほしいという願いを込めて、この本を未来のアダム・スミスやシュンペーターたちにおくります。
(引用おわり)

昭和時代にはチャンバラがテレビ番組に必ずありました。スポーツのチャンバラではなく、サムライが刀でチャンチャンバラバラと戦う場面から、こう言われる剣劇です。

幼い私には、主人公らしき人はわかっても、次々に現れる刀を持ったやからを見て、あれは「いいもん?悪いもん?」と確かめるので、加古は笑っていました。

子どもが見聞きする話ならば悪いのは鬼や意地悪な人だと決まっていましたから、すぐに幼い子でもわかるのですが、テレビのチャンバラで見極めるのは難しかったようです。

加古作品の中で登場する悪者は『かいぞくがぼがぼまる』(2014年復刊ドットコム・上)のような極悪非道の海賊だったり、『でんせつ でんがらでんえもん』(2014年 復刊ドットコム・下)のような強欲な人間だったり、『あわびとりのおさとちゃん』や『青いヌプキナの沼』にでてくる、権力を振りかざす人など色々な人間ですが、鬼も登場します。

『こわやおとろしおにやかた』(1986年偕成社)は、昔ながらの鬼退治の話で、退治するのは三人の若者、鬼もゾロゾロ出てきますから大立ち回りとなります。

『ぬればやまのちいさなにんじゃ』(2014年復刊ドットコム・下)では、鬼に殺された親の仇を討つために小さな男の子がテングの元で修行を重ね、ついには命をかけて鬼を倒します。

冒頭の絵は、加古が米寿の記念として全国の図書館に寄贈した『矢村のヤ助』(下)の一場面です。
ヤ助は鬼から村人を救うため、大きな犠牲を払うのですが、この絵のような壮絶な場面の裏にある、あまりにも辛い秘密に胸が締めつけられます。是非図書館でご覧ください。

紙芝居『長者やしきのおとろしばなし』(1984年全国心身障害児福祉財団)は、かつて長者屋敷だったものの今は廃屋になっている家に鬼が出るという噂が村中に広まっている中、何も知らない旅の僧が一夜の宿にとやって来ます。すると現れたのは鬼。しかしそれは本物の鬼ではなく、鬼に化けた長者屋敷に住んでいた、こどもだったのです。そこには悲しい身の上がありました。

『わっしょいわっしょいぶんぶんぶん』は加古自身が記念碑的作品というものですが、平和な世界で楽しく踊り音楽を楽しむ人々を羨んだアクマが、人々の楽器や動物を取り上げてしまいます。そのアクマをやっつけたのはこどもの柔軟な発想と人々の協力でした。

こどもの知恵で悪者を懲らしめるといえば、ドイツのお話から創作した『まほうのもりのブチブルベンベ』(1986年偕成社・下)です。大変可愛らしい、加古の絵にしては珍しいタッチで描かれています。子どもの機転で魔女をまんまとやっつけ、万事解決する結末は『わっしょいわっしょい ぶんぶんぶん』に共通する点です。

はてさて、現実の私たちの身の回りには、まだまだ悪鬼のようなもこわいものがあるのです。

『遊びの大星雲 10 ちえとちからわきでるあそび ー人のいきがい 子の願いー』(1993年農文協)には、こわいものがいろいろ紹介されています。

「ふえる にんげんのおそろしさ」では2050年に世界の人口が100億人となるという予想も示され、「おそろしい こわいものが ちきゅうをねらっている」では、「むかしのひとがおそれていたものではなく あたらしいこわいものがあらわれてきています」として、排気ガス、酸性雨、地球温暖化、放射性物質、ゴミなどの問題がおそろしげな絵で、表現され「こんなことが つづけばーーひとも せいぶつも しにたえおそろしい ちきゅうとなって しまいます。」とあります。

この本が出版されて30年近くになりますが、その時より状況は悪化していることは誰の目にもあきらかでしょう。

この本のこの場面の下には、次のような諺が合わせて紹介されています。その引用で、こわいものまつわる作品のご紹介を終わります。

(引用はじめ)
せんりの みちも いっぽより
どんなに むずかしいことでも みじかなことから すこしずつ かいけつしてゆけば ゆきつくことができる
(引用おわり)

2020/11/07

マスク

今年ほど「マスク」という言葉がニュースに登場したことは過去になかったのではないでしょうか。

この絵は『ゆきこんこん あめこんこん』(1987年偕成社)の最終場面です。うさぎさん、ゆきだるまさん、さんたのおじいさんもみんな風邪をひいてしまったというオチで、みんなマスクです。

これは筆者が5歳の時に描いたもので、かこ作・絵の「ひがさんさん あめざんざん」という作品と合わせて一冊の絵本『ゆきこんこん あめこんこん』(1987年偕成社・下)になっています。

かこ作品の中にマスクの絵はないのですが、「マスク」という言葉を思いがけないところに見つけました。『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)は、かこが小学校卒業時にかいた絵いりの文集で、その四年生(1935年・昭和10年)の最後に次のような文があります。

(引用はじめ)
「入学だ受験だ試験だ勉強だ。」(空襲だ水だマスクだスイッチだ)僕の机にこう書かれた紙がはってある。五年になると本式に勉強しなくては中学へ入れない。
(引用おわり)

この(空襲だ水だマスクだ。。。)というのは空襲予防の標語だそうです。

小学4年生の時からこういった標語とともに生活して1936年に二・二六事件、翌年に日中戦争、39年には第二次世界大戦となり41年太平洋戦争、45年の終戦まで約10年間を過ごしたのかと思うと、想像するだけで辛くなってきます。

しかも、かこは1945年春に兄が亡くなり空襲で家を失い、戦後は食料難の日々だったと語っていました。
コロナ禍だからこそ気にかかった「マスク」が、日本が戦争に向かっていた時代を振り返るきっかけとなったことに複雑な思いがしています。

2020/10/31

あやとり

木枯らしが吹く頃、誰ともなくあやとりを始めるのが筆者が小学校の頃の女の子たちでした。毛糸の輪を首から下げたりポケットに入れておき、お休み時間に遊ぶのです。

その指の感覚が今でも記憶にあって、いざ始めてみると。。。おやおや、思っていたほど指の動きがなめらかではありません。こんなはずじゃなかったのに、これが現実です。

指を動かすことは脳にも良いと聞きますので、気を取り直して再挑戦。そんな時に役立つのが『かわいいみんなのあそび』(2013年復刊ドットコム・上)です。それぞれの形に名前があって、橋や鼓、川、はしごもありました。

同じシリーズの『しらないふしぎなあそび』(2013年復刊ドットコム・下)ではニューギニアのあやとりも描かれています。

一人あやとりも紹介しているのが『日本の子どもの遊び読本』(2016年福音館書店)です。この本では7つの章に分け、草や木の実のあそび、紙をつかうあそび、工作、絵や形をかくあそび、野はらや広場でのあそびの他に手やゆびのあそび、そしてあやとりが登場。
だるまちゃんもやまんめちゃんと遊んでいます。

そこには次のような、かこの言葉があります。

(引用はじめ)
すべりのよいひもか、太めの毛糸をむすんで、両手を広げた長さのひもを輪にしたものを、指で取り合ったり、からげたりする「あやとり」は手から手へ伝えられてきた、すばらしいあそびの宝です。

図や文字で伝えようとすると、ふくざつでむずかしそうですが、いちど覚えてしまうと、3歳くらいの子でも1人でできるものもありますから、どうぞゆっくり楽しんでください。
(引用おわり)

冒頭の絵は『日本伝承遊び読本』(1967年福音館書店)の表紙です。こんな風に昔は手から手へ、人から人へ伝えて覚えたものです。

『てとてとゆびと』(1977年童心社・上)にも子どもがあやとりをする絵があります。この本は遊びを紹介するのではなく、体ついて小さなお子さんの理解を助ける科学絵本です。

その一場面には下のように、全部手偏のつく漢字が並んでいます。これだけ手でする動作がたくさんあるとは驚きです。人間にとって手指を動かすことは大脳の働きと対応し大切なものであることを知って欲しいというのが著者の意図するところです。

昭和時代の雪国の生活を描いた『ゆきのひ』(1966年福音館書店)に、あやとりをする子供、発見!
ゆきおろしのかたわらで、女の子があやとりをしています。皆さんもいかがですか?

あとがき かこさとし

10月最後の週となりました。2ヶ月後には、今年最後の週となりました、ということになりますが、今月は皆さんにとってどんな月だったでしょうか。

今から80年前の10月にかこが、感じたことを『こどものカレンダー10月のまき』(1975年偕成社)あとがきに書いていますのでご紹介します。

(引用はじめ)
秋は私のいちばん好きな季節です。空が澄みさわやかです。トンボのはねに白い光がきらめきます。おいしい果物がどっさりできます。その秋の最も秋らしい時期は10月と言えるでしょう。ですから、私は10月がとても好きです。

ところが、この素晴らしい秋が、10月が、とてもいやで、きらいになった時がありました。

昭和19年の秋、10月。そのころ私は高等学校の生徒でした。戦争が激しくなり、文科の生徒たちの中には、次つぎと戦場へ行くものがあらわれました。理科の生徒であった私たちは、その友人たちを、万歳と言って送りだしたのです。食べ物がなくなりました。食べられる野草はみんな利用しました。学校の授業は打ち切りになり、戦車工場へ行って、部品を作ることをしました。そして、毎日のように空襲があり真っ青に澄んだ空を、B29の編隊が銀色に光って通っていきました。秋は美しく、さわやかでも何の希望も持てない、いやな暗い毎日でした。

秋が来るたび、10月になるたび、そうしたいやな秋ではなく、素晴らしい10月であるように、二度とそんな秋が来ないよう願う私です。
(引用終わり)

本文は縦書き、漢字には全てふりがながあります。

2020/10/21

『どうぐ』

どうぐ、と言うと特別なものを連想しますが、『どうぐ』(1970年福音館書店/2001年瑞雲舎)によれば、スプーンも歯ブラシも定規も立派な道具です。

この場面にある道具には、見慣れないものもあるかもしれません。ざるや物差しは竹、カナヅチの柄は木でできているようですが、今ではすっかりステンレスやプラスチックなどにかわってしまいました。

かこの書斎に今でも置いてある道具です。木製の三角定規は珍しいかもしれませんが、これはかこの兄が使っていたものです。折尺も木製。

下は『ことばのべんきょう くまちゃんのいちにち』(1970年 福音館書店)の台所風景です。この本も今から50年前にかかれた本ですから、昭和時代そのものです。石がのった樽は、もう都会では見かけることがなくなりました。かこのサイン「さ」が入っています。

昭和時代には、物差しも、洗濯ばさみも、お風呂のおけも木でした。下は同じ本の掃除の場面。見えませんが掃除機に加えて、このようなものの名前が紹介されています。ちりとりに右にあるのはシュロのホウキ。ホウキといえば、今は観賞用として人気のコキアは、昔はほうき草と言われて乾燥してホウキを作ったそうです。

日本の伝統的な手仕事にはそれにふさわしい道具が数々必要で、かつては自分で作ったり、専門の作り手がいたのですが、伝統産業を担う人が減り、道具を作る技や人がいなくなったことで、伝統文化そのものが継承されなくなってしまったときいたことがあります。

せめて自分の身の回りの道具を大切に、なるべく天然素材を利用したいと思います。

秋の夜長、文学作品にまつわる話題です。

一つは夏目漱石。
漱石の小説は各社から文庫でも発行されていますが、金園社という出版社から1969年に刊行された『坊ちゃん・虞美人草』の挿絵をかこが描いています。絵本をかくようになる以前に、文学や美術雑誌などの挿絵を時折、描いていたことがありました。どのような経緯で、漱石の小説の挿絵をかくことになったか、分かりませんが、ご依頼をいただき、漱石を「もう一度読まなくちゃ」といっていた加古の言葉が私の記憶に残っています。

文庫ですから、線画で着色はありません。かこの「坊ちゃん」はこんなイメージです。右下にサインがあります。

もう一つは、ヒュー・ロフティング作、ドリトル先生シリーズ。その中の7番目『ドリトル先生と月からの使い』(井伏鱒二訳・岩波少年文庫)の2000年の新版以降に、かこさとしの解説が巻末にあります。

そこで述懐しているように加古自身もこの物語シリーズのとりこになった一人で、解説のタイトル「引力・魔力・四つの魅力」とあるように、ドリトル先生の物語が興味深く感じられる理由を分かりやすく分析しています。どうぞ、合わせてお読みください。