編集室より
相撲は加古が子どもの頃、つまり昭和のはじめ男の子なら必ずした遊びでした。
『過去六年間を顧みて』(2018年偕成社)には小学校六年生の級友の60人余りの名前と「アダ名」に「スモウ名」が書かれた表があるほどです。
「僕」のあだ名は「ガンテツ」。頑固な哲(さとし=加古の本名)という意味ですが、級友はさとしとは言わずテッチャン、テツと呼んでいたそうです。そしてスモウ名は「大潮」。当時から身体が大きかったからでしょう。
駄菓子屋さんには「相撲カードや、お相撲さんの形をしためんこも売っていた」そうです。
絵本『だるまちゃんとにおうちゃん』には、指相撲や腕相撲、足相撲の他に「けんけんずもう」「てたたきずもう」(下)など、こんなにもたくさんの種類のお相撲があるのかと驚くほどが登場し、だるまちゃんたちが次々遊びます。
『あそびずかん ふゆのまき』(2014年小峰書店)にもたくさんの相撲遊びが紹介されています。
両手でする指相撲は難しそうですが、いつでもどこでも遊べていいですね。
『ぼくのハはもうおとな』(1980年フレーベル館)にでてくる横綱は「牙の山」というかわったしこなです。
これは、乳歯が生え変わる頃、おおむね6歳頃になると上下左右の奥にはえる「6さいきゅうし」を印象に残るように例えているのです。6さい臼歯は、はえそろうまでに時間がかかり虫歯になりやすいので、注意をしてほしいと願う加古の工夫から描かれたものです。
お相撲さんといえば思い出すのがちゃんこ鍋。
この名前の由来には諸説あるようですが、『そろって鍋ものにっこり煮もの』(1994年農文協)に登場する、このお相撲さんたちの見事な体つきとそれを支える大きな鍋に目を見張ります。
そして、鍋に入れる美味しい材料の番付!
しこなのような名前ひとつひとつに笑ってしまいます。加古のユーモアに脱帽です。
「紫式部のまち 越前市」ルポ 下
国民的な文化の担い手を送り出す風土
かこさとしの生まれ故郷、福井県越前市にある「かこさとし ふるさと絵本館」の紹介です。
絵本館は2013年開館、今年の4月に10周年を迎えました。加古の絵本をお読みいただくことができ、常時作品の複製原画を展示しています。
2023年11月27日(月)までは「だるまちゃん大集合」をテーマにシリーズに登場するさまざまな「だるまちゃん」を展示。
毎週火曜日は休館、国民の祝日の翌平日は休館、11月29、30日は展示替えのため臨時休館です。
2023年12月1日(金)からは新展示「からすさん大集合」が始まります。ご期待ください。
美術展ナビ 越前市ふるさと絵本館
2023年10月末から刊行が続いている『かこさとし童話集』(偕成社)は12月7日には第5・6巻も出版されます。第5巻は〈日本のむかしばなしのおはなしその2〉、第6巻は〈生活のなかのおはなしその1〉です。
MOE12月号ニュースのコーナーで全10巻の表紙をずらりと並べてご紹介。これから出る巻の表紙の絵にどんなお話が収録されているのか想像がふくらみます。
大人にも小さなお子さんにも楽しんででいただけるお話が色々です。一話一話ゆっくりお読みください。
中央陳列ケースにかこさとし作品
藤沢市の4図書館で加古の複製原画を展示中ですが、2023年11月9日〜12月28日まで湘南台にある藤沢市民総合図書館1回中央の陳列台に加古作品が並べられています。
「かこさとしさんからの贈り物」と題し、『ほんはまっています のぞんでいます』(上)の場面、「だから本はすばらしい!」という手書きメッセージ、童話集第3巻の表紙にもなっている絵などを展示します。
『地下鉄のできるまで』の複製原画も展示中です。合わせて、まじかでじっくりご覧ください。
かこさとしさんからの贈り物
『お子さんと遊んでいますか』は加古が書いた文章を集め、1冊にまとめたもので1987年に婦人の友社から出版されました。ーお母さんとこどもの成長を考えるーという副題があるように、こどもの成長にとって大切なものは何であるかを加古の体験や随筆などから考える一冊です。
その中の「私の体験から」という章に収められえている「四季の豊かな北陸の町で」という見出しの部分をご紹介致します。
(引用はじめ)
私は、成長するにつれて、いろいろな本を読んだり、多くの先人から教えてもらったりしてきましたが、昆虫や魚や鳥のことや、草や木の実や、森や沼のことを、私が書いたり、語ったりする基本となっているのは、前にも記したように、生まれ育った、北国の小さなまちの経験がすべてといってよいほどです。
春、学校から帰った子どもたちは、先を争って戸外にとび出していきます。兄さんや姉さんの帰りを待ちかねていた小さな子たちも、一生懸命その後からついてきます。そして、セリをつんだり、タンポポを胸に飾ったり、レンゲの花の首飾りを作ったりします。夏になれば、土手にバッタが飛び、日暮にはホタルの乱舞です。
土手に上ると、鉄橋が赤く見え、その上を時折、貨車や客車が通って行きます。そして列車が通りさえすれば、子どもたちは声をかぎりに両手を振って万歳をさけんだものでした。
子供たちにとっては、当時、自分たちがつかまえた、カニやアユやキジの子がおもちゃであり、白いチガヤや赤いノイチゴがおやつなのでした。
遠い山の峰に白く雪が見えるようになると、もう冬です。やがて、雪が降り積もり、寒風がヒューヒューと吹きつのっていきます。
こうした、幼い頃にきざみつけられた印象を私から取り去ってしまうとしたら、山道とあぜを歩くときの感じの違いや、海と雲のささやきや怒りなど、移ろいゆく四季折々のすばらしさについて、何一つ語ることができなかったことでしょう。
(引用おわり)
この文章にあるようなふるさとの日々とそこから考えられる遊びの意義については『だるまちゃんの思い出 遊びの四季ーふるさとの伝承遊戯考ー』(文春文庫)に豊富な挿絵とともにまとめられています。是非お読みください。
10月27日からの読書週間にあわせて藤沢市内の4図書館で複製画の展示をしています。
以下の本からの1場面づつですが、お近くの方は是非ご覧ください
藤沢市民総合図書館(湘南台) 『地下鉄のできるまで』
同南図書館(藤沢駅南口)『出版進行!里山トロッコ列車』
同 辻堂図書館『あさですよ よるですよ』
同 湘南大庭図書館『こどもの行事しぜんと生活 11月のまき』
また、藤沢駅北口市役所本庁舎1階ホールでは『サン・サン・サンタ ひみつきち』からの絵をご覧いただけます。
藤沢市図書館でミニミニ展示
小学校の秋の行事といえば、運動会に遠足。思い出しても不思議なくらい、どうしてあんなにワクワクしたのでしょうか。おやつが嬉しかったのか勉強をしない1日だからなのか⋯。
ずいぶん長距離を歩いて足が痛くなるほどだったこともありましたが、そんなことは翌年には忘れて楽しみにしていたものでした。
加古作品にも遠足の場面が登場します。
『ことばのべんきょう くまちゃんのいちねん』(1971年福音館書店)では秋の山を歩く遠足風景があります。イーゼルを立てて絵を描く人がいたり、色づいた楓に栗やどんぐり、えのころぐさ(ねこじゃらし)、あかまんま(いぬたで)に、松茸まであって、こんな山に行ってみたいですね。
秋の草花が登場するもう一冊の絵本は『あかいありのぼうけんえんそく』(2013年偕成社)。『あかいありとくろいあり』(1973年偕成社)が春の草花を描きいれていたので、その続編である本作では季節を秋に設定したと加古が話していました。
ぼうけん遠足なので、いろいろとスリルあふれることになるのですが、頼もしい PTAが同行して、困難を無事乗り越えることができるのです。いったいどんなことが起きるのでしょうか。足が痛くなったり飲み水が不足したり、遠足が終わる頃には想定外のことも起きますが、このお話では気分爽快な結末が待っています。
絵本の中の遠足をお楽しみください。
『にんじんばたけのパピプペポ』(1973年偕成社)には歌のマークがついている文章がたくさんあり、その続編『パピプペポーおんがくかい』(2013年偕成社)は音楽会の実況中継のような構成ですから、次々と舞台の上で歌や踊りに楽器の演奏が繰り広げられます。
そして最後のフィナーレには舞台の上と客席が一体となって「うみにうまれ いのちをつなぎ」の大合唱となります。といっても絵本の中でのことですが、実際にその曲を演奏していただくことがこの夏にありました。
この曲をつくって下さったのは、加古が学生時代、卒業前に大学で子どもたちにに見せた「夜の小人」という童話劇の中の曲を作り、上演の日に合唱を指揮してくださった大中恩先生です。
70年にわたる有り難いご縁で2023年5月にはその楽譜集「こころとからだ より たくましくあれ」が出来上がり、8月26日、北原聖子さんのリサイタル「大中恩を歌う」で歌っていただきました。
以下でどうぞお聴きください。
うみにうまれ いのちをつなぎ
秋は夕暮れ。お天気の良かった秋の日の夕焼けは格別美しいものです。
そんな情景が描かれている場面を見てみましょう。
『あそびずかん あきのまき』(2014年小峰書店)には、長い影のできる秋の晴れた日の夕方に「かげふみおに」を楽しむことを紹介しています。影をオニに踏まれたらアウトですが、しゃがんで影を小さくしたり物陰に隠れたり、影を踏まれない方向に逃げる面白い鬼ごっこです。
『はれのひのおはなし』(1997年小峰書店)は太陽の位置が東から西に動く様子が描かれて、こどもたちが動物達とかくれんぼをしたり、バスごっこに電車ごっこを思い切り楽しみます。影が伸びて日が暮れかかると夕日を背に帰ります。
夕焼けがどうして見えるのかを説明しているのが『よあけゆうやけ にじや オーロラ』(2022年新版・農文協)です。朝焼けと同じメカニズムですが、「あさの くうきと ちがって ひるま あたたまったり、こまかい ごみが ういて いる くうきと なって いるので あかだけで なく きいろい ひかりが まじった」夕焼けを見ることになるそうです。
そういう訳だからでしょうか、『地球』(1975年福音館書店)の高層ビルが並び地下を利用する都市の様子では黄色がかった夕焼け空になっています。
つるべ落としの秋の夕暮れ。美しい夕焼けを楽しみたいものです。
『絵本作家のアトリエ』全3巻の第1巻の表紙の写真は加古の書斎机から見える風景です。
残念ながらこの本はもう絶版になってしまいましたが、絵本作家さん達の創作現場を拝見してお話を聴く贅沢な内容で、どんな思いで描いているのか、何を伝えたいのかなど興味深いお話が続きます。
加古の話は自作のライトテーブルのこと、小学生の時あんちゃんと慕った年長の子の絵の見事さに感服して弟子入りしたこと、絵本をかくようになった経緯や創作に込めた思いなどを語っています。
中学生時代の思い出の部分を本文よりご紹介いたします。
(引用はじめ)
小学校でも、熱心に絵を教えてくれる先生に恵まれ、幸せな時間を過ごした加古さんだっが、中学校に進む頃には、時代は戦争へと向かっていた。
「親が造兵廠(兵器・弾薬の工場)に努めていた関係で、軍人が家に来たりして感化された面もあるのですが⋯。僕は次男坊だったので、将来は親に迷惑をかけないで、自分でなんとかしようと。一番手っ取り早いのは、軍学校に行くこと。入ったとたんに給料がもらえて、卒業すれば任官して少尉になって。親にも孝行だし、国にも一番いいだろうと。それに向かって体もきたえ、勉強もする軍国少年でした。飛行機の乗りを目指していたんです。模型飛行機も好きでしたから。
ところが視力が悪くなってしまって。懸命に目を良くしようとしたんだけどダメで、受験もできなくなってしまった。
そしたらそれまでは校長はじめ担任も『がんばれ』なんて言ってたのがね、『軍の学校を受験もできないやつは⋯』とこうなってきた。軍人にならなくたって、別に国につくす方法があるんじゃないか。何をそんなに』と思っていたら、他の教師もみんなそうなんだ。それを見て、これまで尊敬していた先生たちにも、猛烈に反抗して。で、しょうがないから理科の方へ行くことにしたんです。
中学時代、一緒に勉強していた連中は、目が良かったせいで、みんな軍に行って。うらやましかったたけれど、それがちょうど昭和二十(一九四五 )年でしょう。特攻が始まっていたんですね。少尉に任官すると、みんな『希望』をとれてね。『随意なんだよ、断っていいんだよ』と言うんだけれど、断ることなんかできなくて。全部、特攻ですよね。二人ばかり残ってますけど、後は全部死んで。
今の時代を照らし合わせると、その時代とまあよく似ていて。『また繰り返しているんだね、懲りないんだね』とちょっとがっかり、だらしがない。なんとまあ、歴史を勉強しなかったか。勉強と言うのは自分を助けるし、周りの人も、国全体も誤りのないようにする、非常に大事なことなのに。」
(引用おわり)