編集室より
(1999年福音館書店)
この本は福音館書店の編集部のご質問にお答えする形で、かこが語ったものを基に構成されています。
月に1回か2回の頻度で編集部の方々が時に三人、ある時はもっと大勢で聞き役として、かこを訪ねてくださりその回数は、とても十回では収まらないものだったと記憶しています。
次回の質問はこんな内容でということをあらかじめ聞いて、かこは説明のための絵や図などを用意して熱く語っていたようです。1997年かこが70歳を迎える前後ではなかったかと思います。私が夕方帰宅するとそのインタビューが終わったばかりで声をからしたかこが、熱弁の余韻が残る雰囲気で話していたことを覚えています。
「大きな誤りと感謝」と題する長いあとがきには、かこ自らの言葉でその人生を振り返り本作りに込めた強い気持ちが語られていますので、4回にわけてご紹介致します。尚、本文は縦書きです。
作者あとがき「大きな誤りと感謝」
思い違い判断ミスは、それこそ日常数え切れないけれど、恥ずかしいことに私はこれまで重大な過誤を、三つしてきました。
その第一は少年時代、軍人を志し一途に心身を鍛え、勉学にはげんだと言う誤りです。家庭の状況や時代の流れに託するのは、卑怯暗愚の至りで、幸か不幸か近視が進み、受験もできず、軍人の学校に入学できず敗戦となったため、禍根を拡大しないですんだものの、世界を見る力のなさと勉強不足は、痛烈な反省と慚愧となって残りました。時折訪れるアジア各国でのご挨拶は、まず私のこのお詫びと反省で始まるのを常としています。
第二の誤りは、この第一の過ちを取り戻す滅罪の計画を探り、その実現には周囲への依存はもちろん、家族に困惑をかけぬこと、換言すれば個人的秘事として処理しようとしたことです。はじめ漠としていた悔悟の計画は、やはり自分の性格に合う、自分の力の及ぶものでなければと気づき、親をすてる勇気もないので、生存中は親孝行のまねをし、優良社員でなかったものの進んで楽しく勤務しながら、密かに計画の具体案をねり、やがて文化・教育・科学・社会の分野にまたがる約二百項目の目標にしぼってゆきました。そして対処するのに必要な基礎知識と総合判断力を身につける修行として、演劇をはじめとする実技実践と学習補強ができるよう生活姿勢を変え、集めた情報文献と実施装備の倉庫兼工場として自宅建設を目指し、資料分析と実験処理の工作企画場として床下から天井裏に至る改造改修を、前述した方針でゆっくり無理せず実行してきたと思っていたのに、幼少の子供たちからは「これまで一度も遊んでもらった事ないもん」と家事にうとかった点をまんまと見抜かれていた上、数年前に点検したら、目標項目の半分もまだ実現しない有り様でした。達成できぬ計画を立てた無知無謀無為の過ちとなって、再び悔悟に追いたてられている所です。
(その2に続きます)
6月1日は衣替え。かつてほど厳格ではなくなりましたが、『こどもの行事 しぜんと生活6月のまき』(2012年小峰書店)にはユーモラスな絵とともにその歴史や住まいのしつらえを変えたり、動物の脱皮などにも触れています。
変わるといえば、かこは変化する絵をよく描いています。『こどものカレンダー10月のまき』(1975年偕成社)の23日のテーマはこの日に生まれたピカソにちなみ「いろいろ かわる え」で、「えの かきかたや かたちの あらわしかたを いろいろ かえて かいた絵描きさんです。」と紹介し、ご覧のような絵を描いています。きのこが、「子どものカレンダー」シリーズに登場する「リボンちゃん」や「ぼうしちゃん」に変わっています。
ピカソどころかロダンもびっくりするのが、その名も『遊びの大惑星10 びっくりしゃっくりのあそび』(1992年農文協)にある「ミロのビーナスから⋯⋯ロダンのかんがえるひとへ」と題するこの絵です。ルーブル美術館に収蔵されている「ミロのビーナス」が上野の西洋美術館にあるロダン作「かんがえる人」、腰かけて顎に手をあて考える姿に変化しています。
この姿勢は実際にするのは難しいのですが、「かんがえごとの むつかしさや なやみの ふかさが、みる ひとに じっとつたわってきます。」「ひとの すがた そのままではなく、にんげんの ふかい なやみが わかるようにロダンが あたらしく あみだした かたち」なのだと『すばらしい彫刻』(1989年偕成社)に図いりで詳しく説明があります。
下の場面はドイツの民話をもとにした、『まほうのもりのブチブル・ベンベ』(1986年偕成社)で、魔法によって動物にされていた子どもたちが、魔法が解け、「みるみるかわって もとのこどもに」戻る嬉しい様子が描かれています。
『矢村のヤ助』にも同様な表現があります。ヤ助が冬の山で助けた山鳥が姿を変えてアカネとしてヤ助のお嫁さんになって幸せに暮らしていたのですが、村人に無理難題を突きつける鬼退治のためには特別な山鳥の尾羽が必要でした。それを持っているのはアカネ⋯。鬼退治のため、自らの姿を山鳥に変える場面がこちら、切ない変身です。
『こどもの行事 しぜんと生活6月のまき』衣替えの場面の下書き(コピー)を越前市ふるさと絵本館で2022年7月11日まで展示しています。また、同本の表紙、裏表紙と『矢村のヤ助』の別の場面は2022年7月16日からBunkamuraザ・ミュージアムで始まる「かこさとし展 子どもたちにに伝えたかったこと」で展示予定です。お楽しみに。
ある日夕食が終わろうという時に、かこが突然「エジプトに行きたいのだが」と話し始めました。その理由を聞かないうちに即座に家族全員が「是非行ったらいい!」その理由は「ピラミッドを自分の目で確認しておきたい」とのことで、それなら尚更急ぐべしと、あっというまに機上の人となりました。
こうして向かったギザのピラミッドの前で撮影した写真が「あとがき」に掲載されています。
かこの本の作り方は、インターネットを個人が現在のように日常に使う前の時代でもありますし、先ず徹底的に書物で調べ、疑問点は専門家に問い、長い時間をかけて推敲して、近い場所ならその途中で取材をしていました。『ピラミッド』の場合は最後に確認として現地を訪れるということだったと思います。
それでは、「あとがき」をどうぞ。
あとがき
(引用はじめ)
すでに多くの類書がある中で、私はこの本に込めた願いは次の3つです。
1 )総合的に真実を描きたい。
同じものは存在しないといわれる複雑なピラミッドの解説に、従来簡潔のためと称して、重要な点を無視したり、巧みな想像物で代用した書が横行していました。しかし、いかに困難でも、その錯綜変貌の中に秘められた真実を、何よりも尊重したいと考えました。そのため土木・建築・地理・気象などを含めた総合的な、真正面からの接近と描写に努力したということです。
2)謎ではなく生きた歴史としてとらえたい。
例えば大ピラミッドのばあい、その記述は、外見や規模、配置等に終始して、完成までの記録や資料がないため、建造の目的や方法が「謎」とされているのが常でしたが、これは、とても残念でまずいことだと思います。
以前の資料が欠如しているなら、その後その地の人々は、どう考え、どう対処してきたか、保存や伝承や後輩の状況を検証すること、すなわち沈黙の考古学だけではなく、民族風習や閨閥関係、大衆心理など、生きた人間の視点を含めた歴史によって、五千年前の人たちがしっかり持っていた考えに、私たちが同じように、はっきりと思いいたるよう試みたいということです。
3)固い考えを排し、意味あるものとしたい。
ピラミッドというと今なお、世界最古とか七不思議、古代人がこんなこともしたとか、あるいは人民を苦役かりたてた暴虐の帝王の代表とか、逆に卓越した統一国家組織の模範というような、偏った浅薄な立脚点で論じられていました。
しかし、そうした読者に何の関係も持たない「教科書」ではなくて、日本では縄文時代のはるかな昔、私たちの人類の祖先が、ナイル川の流域で築き上げた文化と文明の中に、現在の私たちが汲みとり、未来に受けつぎ発展する要素を明示して、現在のわたしたち自身に意義のある本とするよう努めました。
おもえば1949年の夏、「ピラミッド建設譜」という影絵脚本を書いて以来、ひそかに遅々と重ねてきた古代エジプトへの思いが、今回東海大学鈴木八司、宮城女学院女子大学矢島文夫先生の監修と、早稲田大学吉村作治先生のご指導によって、皆様にお目にかけられるようになったことを御報告し、御礼といたします。
(引用おわり)
本文の漢字には全てふりがながあります。
上は、ピラミッドの歴史とナイル川流域の地図で、この本のまとめをしている場面です。
その最後には「求める人には、生きてきた先人の姿を見つけだし、これからすすみ人間の道しるべとなるすばらしい歴史だということです。」とあります。
日本では5月10日から愛鳥週間だそうです。
かつて霞網という方法でツグミなどの野鳥を捕獲して食用などにしていました。現在では霞網を持っていること自体が違法だそうですが、本作ではまだその法律がない時代、そのやり方に疑問をいだき書かれた作品で、こころのほんシリーズ9冊の最後の巻です。
霞網は無くなっても、木の伐採など、それと同根の問題は大小色々なところにあるように思えてなりません。
あとがき
(引用はじめ)
自然の素晴らしさに人はよく感動します。しかしその美しい景観や地域が、ひとたび「金もうけ」になるとわかるや、どんなに貴重なところでものこらずズタズタになってしまう例を、これまでたくさん見てきました。心ある人びとが熱心にその非を説明し、正しく考えてもらうよう求めても、法律の目をくぐり、監視の手をくぐって、ときにはおどしや暴力をふるって「金もうけ」につき進む例を、ツグミで知っていただきたいと思いました。
まだ自然の仕組みや動植物の生態がよく分かっていなかった昔より、科学や技術の発達した現在や、文明が進んだ国の方が、ひどくなっているのはどうしてでしょうか。こうした「金もうけ」に対しては「おかね」でしか対抗できないというのはどうしてなのでしょうか。
「金もうけ」のためなら、かえることができない大切なものも次々に壊していく状況が、もっとも大きく子どもの心を暗くし、教育を荒廃せてゆくことを、私たちは知っておかなければなりません。
(引用おわり)
本文は縦書きで、漢字にはふりがながあります。
5月、薫風の季節ですがニュースに暗い気持ちになるこの頃です。
そんな中、元気な色の表紙に、満身の力を込めてジャンケンに集中しているだるまちゃん、残念ながら負けで。。。てんぐちゃんの笑顔とは対照的ですが、見ていると笑顔になってしまいます。
創業70年という記念の年を迎えた福音館書店の「母の友」5月号、絵本のひみつコーナーには『だるまちゃんとてんぐちゃん』(1967年)が登場、この絵本にまつわるかこのインタビュー記事が再録されています。「笑っている子は乗り越えようとする力を持っています」というかこの言葉に、世界中の子どもがそうであってほしいと願っています。
そして巻末には5月のカレンダー(下)付きです。5月がいい月でありますように。
上の写真、左側は、「こどものとも」の折り込み付録「絵本のたのしみ」で、4月と5月の配本にはこどものとも800号記念として『だるまちゃんとてんぐちゃん』が生まれた日、と題するこのインタビュー記事が2回にわたり掲載されています。
以下でお読みいただけます。
だるまちゃんが生まれた日
創作料理というのがありますが、『からすのそばやさん』(2013年偕成社)には名前も愉快な創作料理が目白押しです。
筆者は幼い頃、きつねうどんとかたぬきそばとか、不思議な名前だなあと思ってその由来を尋ねたものです。その延長でしょうか、「にゃんにゃんそば」「おおかみそば」。ここからは言葉遊びのようになって「さんぞくそば」「かいぞくそば」。「れんぞくそば」とは、ざるが重なっていますから、おかわり付きということでしょうか。
月見うどん、花見うどん、雪見うどんは、なるほどありそうですが、夕焼けうどん(!)や真夜中(?)うどんは、どうやらその色合いによる命名のようです。「みけねこ」うどんは3色のうどん、「わんわん」うどんは、犬の顔が具材で表現されているキャラうどんです。
ラーメンに至っては「ちゃんばらラーメン」「かみなりラーメン」など再現が難しそうですが、「スタミナスパゲッティ」なら作れるでしょうか。残念ながらレシピのご用意はありませんので、絵をじっくり観察してから腕をふるっていただくしかありません。
下は最後の場面です。そばやさんのそれぞれの名前がついた麺類を是非ご賞味ください。
『からすのそばやさん』の絵は、こども陶器博物館で開催中の「かこさとし おいしいもの展」(2022年6月5日まで)で展示しています。
奇想天外な名前といえば、大勢が登場する『にんんじんばたけのパピプペポ』(1973年偕成社)の主人公である20匹のこぶたのなまえです。パ行やバ行の音で始まる名前が20も並ぶ紹介は圧巻で表紙の絵にも何匹かのこぶたたちの顔と名前が書かれています。パパタ、ベベタ、ペペコ、ブコ、、、こどもたちの名前を呼ぶだけで、ずいぶん時間が過ぎてしまいそうです。
さらに大勢が登場するのは、おたまじゃくしたち。さすがに名前ではなく番号で認識、一番小さい子は、騒ぎを起こすことになる101ちゃん。ご存知『おたまじゃくしの101ちゃん』(偕成社)として出版されていますが、かこがセツルメントの子どもたちにお話をしていた当初は「市べえ沼の大事件」という題名でした。
あとがきにもあるように、子どもたちにとってはこの物語の舞台となる「市べえ沼」より、たくさんのおたまじゃくしの方が印象に残ったようで、いつのまにか、この物語は作者の思いをよそに「おたまじゃくし」の話と呼ばれるようになっていったそうです。
お話の舞台になる地名に凝るのも、かこ流で『からすのパンやさん』は、いずみがもりのくろもじ3丁目にありますし、その続編には、かえでどおり、ひいらぎむらなど、木に由来する、からすのまちらしい地名が出てきます。かしのきみちの『からすのやおやさん』(2013年偕成社)の店名の付け方は、お店に関わるからすたちの名前を織り込む、なかなかの凝りようです。
尚、『にんじんばたけのパピプペポ』の表紙などは2022年4月9日から、こども陶器博物館で開催中の「かこさとし おいしいもの展」で、また藤沢市役所本庁舎1階のホールでも1枚のみですが展示しています。お近くにお越しの際はどうぞご覧ください。
かこがセツルメントの子どもたちにお話をしたり紙芝居を見せていた昭和30年代から50年代、男の子は、たろうやいちろう、じろうくん、女の子は、はなこちゃんやよしこちゃん、かずこちゃんといった名前が物語に限らず、例えば算数の文章題などでも広く使われていました。ここでご紹介するのは、その頃創作された作品です。
『あおいめ くろいめ ちちゃいろのめ』(1972年偕成社・上)では、「くろいめのたろーちゃん」が「あおいめのめりーちゃん」と「ちゃいろのめのばぶちゃん」と一緒に遊びます。
『たろうがらす じろうがらす』(2021年復刊ドットコム・上)はいたずらっ子のこどもからす、たろう、じろう兄弟のお話です。
『からすのパンやさん』(1973年偕成社)の4羽の子どもたちはご存知のように、チョコちゃん、リンゴちゃん、レモンちゃん、オモチちゃん、と食べ物に因んだものばかりで、食いしん坊の著者とおいしいものに目がないこどもたちの趣向が合致している命名はなかなか優れていると言わざるを得ません。
からすのこどもたちのお友達の名前は、スミちゃん、ロクちゃん、ミヤちゃん、ドンタちゃん。からすのパンやさんが焼けたと勘違いして、集まってくるのは、サイチどん、ゴロベエどん、ヤマおばさん、チリチリばあさん、マゴマゴじいさん、ゴサクだんな、アカベエどん。。。名前を聞いただけでも著者が描きたかった、からす一羽一羽の個性が感じらます。
『あかいありとくろいあり』(1973年偕成社)に登場する、あかあり小学校の1年生は、ちみちゃん、ぽてちゃん、なっちゃん。6年生のお兄ちゃんはぺっちゃん。いずれも愛称のようです。行方不明になったぺっちゃんを探すのは、ジンキチじいさん、ベンベロさん、モコモコばあさんにキチキチじいさんです。
こころなしか、名前や愛称からも時代の空気感が伝わってくるように感じられます。
有名人にあやかって命名されているといえば、この人。『どろぼうがっこう』(1973年偕成社)の「よにも なだかい くまさか とらえもん」先生は熊坂長範という歌舞伎や謡曲にも登場する義賊からお名前を頂戴しています。
生徒は「ネズミこぞうの じろきち」「いしかわの ろくでなし」とどろぼうならではの命名に笑ってしまいます。しかも、続編『どろぼうがっこう だいうんどうかい』(2913年偕成社)では、「アレ・カッポレ」(下)という青年が登場、事件を起こしますが、校長先生に勧められて、「どろぼうがっこう」に来ることになります。
「かこさとし」本人の名前から命名されているのが『カッコーはくしのだいぼうけん』(2022年復刊ドットコム)の主人公です。髪型、ヒゲこそ少し違いますが、メガネで「よあけになるとおきだし」「そうじといぬのさんぽ」「それからしごとにかか」るという習慣もそっくりです。
ただし、犬の散歩は庭で犬を走り回らせることなので、犬をひく姿はご近所の方でも目にすることはなかったはずですが、朝夕に箒を持つ姿は時計がわりになるほど規則的でした。
あとがきにあるように「人が好くって優しくて、知恵と正義のかたまりのような」点も共通しているように思います。いずれの作品にも、かこの思いがたっぷり込められていますので、場面の隅々までお楽しみください。
(上は『カッコーはくしのだいぼうけん』冒頭の場面)
入園や入学前のこの季節、持ち物に名前を書いたり、自己紹介で名前の由来を話す機会が多いことでしょう。名前の由来を聞くと、一度で名前を覚えられるように思います。
小説であれドラマであれ、登場人物の名前は、作者の思いが反映され気になるところです。こども時代の筆者はサザエやカツオは貝や魚の名前だとは知らず、後になってその命名の妙に気付きました。
『こどもの行事しぜんと生活』に登場する大家族の名前は大変ふるっています。全部答えられたら、かこさとし検定(?!)1級レベルでしょうか。
暦に関連する名前としては、1月生まれのムツキにいさん、4月のセイワとうさん、5月のアオイじいさん、6月ミナかあさん、8月生まれのボンちゃん、12月生まれのトウジくん。10月生まれのカンナちゃんは夏の花のカンナではなく、神無月からとられたものです。
花の名前をもっているのは、きくばあさん(9月)、文化を反映し風情があるのは11月生まれのユキミねえさんです。
そしてネコのアル(2月うまれ)は中国語の2からです。
イヌのマルス(3月)はフランス語、カナリアのユーリ(7月)はその月のドイツ語名に由来しますが、各々「古代ローマ時代(紀元前8世紀)、3月にはマルティウス(軍神月)という名前がついていた」ことや「古代ローマの政治家ユリウス・カエサルが紀元前45年に暦をあたらしくしたとき、自分の生まれ月の7月のことを自分の名前「ユリウス」とよぶことにし」たことに由来すると説明があります。
登場人物が案内する各月に関わる行事や文化、自然の話題をお楽しみください。
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