編集室より

「うみにうまれ いのちをつなぎ」大中恩作曲 かこさとし作詞

『パピプペポーおんがくかい』(2014年偕成社)では、いろいろな動物たちが、次から次へと歌や踊りを披露する楽しい音楽会が繰り広げられます。その最後の演目「うみにうまれ いのちをつなぎ」の言葉に作曲家大中恩(めぐみ)先生が曲をつけて下さり、その楽譜がカワイ出版より刊行されました。

実は、大中先生とかこさとしには不思議なご縁がありました。長くなりますが、お読みいただけたら幸いです。

かこさとしが大学を卒業する直前、大学近くに住む小学生を招待して「夜の小人」という三幕の童話劇を上演しました。演劇研究会のメンバーだったかこが脚本を手がけた最初で最後のこの劇を大学一の大きな教室で演じたのは、もちろん演劇研究会の仲間でした。この劇には踊りあり合唱ありで、演出、踊りの振り付け、舞台装置、衣装デザインなどもかこが担当しました。ただ、劇中歌の作曲は、大中恩先生にお願いしました。

大中恩先生は当時、かこが住んでいた板橋区の高校で音楽を教えていらして、その学校の演劇部の舞台装置や衣装デザインのことで、かこがお手伝いをする機会があったのがご縁で知りあったそうです。恩先生のお父様は島崎藤村の歌詞で有名な「椰子の実」を作曲された大中寅二先生で、恩先生ご自身ものちに「犬のおまわりさん」や「サっちゃん」をはじめ多くの名曲を作られました。

話を「夜の小人」に戻します。大中先生はこの上演にあたり、合唱団を連れて来てくださり前日に大学近くのお寺で練習したそうです。このことは2016年秋、不思議なご縁で大中先生がかこを訪ねて来てくださった時に先生から直接伺いました。

2016年のこの訪問で、大中先生とかこは、70年近い時を経て再会することになったのですが、そのきっかけはこうでした。夏の終わりのある日、かこにNHK特報首都圏の番組スタッフから一本の電話がかかってきました。同世代の作曲家の方に歌詞を提供してもらえないか、という内容でその作曲家は。。。と説明が続きましたが、大中先生の名前が出るや、かこは「存じ上げているので喜んで」と即答。まさか過去にこの二人に接点があったとは、電話をかけてきた方も思いもよらない事でした。

程なくして、腰痛のあるかこのために2歳年上の大中先生が御奥様とともに会いに来てくださいました。かこはいつ用意したのか大中先生への色紙をしたためておりました。そして大中先生は、御奥様が見つけてくださった、かこの公式ウェブサイトの冒頭にあることば「こころとからだ よりたくましくあれ よりすこやかであれ よきみらいのためにー」に曲をつけてきてくださったのです。御奥様の歌声でご披露していただき、尚更大感激で、70年の空白があっという間に埋まり旧交が深まりました。

絵本『パピプペポーおんがくかい』(偕成社)の最後の場面(上)、いろいろな動物たちが次々にステージで歌った後、全員で歌う「うみにうまれ いのちをつなぎ」で始まる詞に大中先生は心ひかれるとおっしゃり、曲を作ってみましょうということになりました。このやりとりの一部が「特報首都圏」で放映され、その番組でこの曲の完成を知りました。番組スタッフは曲が放映直前に出来上がっていたことをサプライズにしようとかこにあえて連絡しなかったと後で聞きました。とにかく、テレビの前で曲を聴きかこは相好をくずしておりました。

『うみにうまれ』の曲はその後2017年9月30日、大中先生の指揮で先生の合唱団「メグめぐコール創設20周年記念演奏会」のフィナーレとして発表してくださいました。思うように動けないかこに代わり筆者がこのコンサートに伺い大中先生にご挨拶したのが、先生にお目にかかれた最後となってしまいました。翌年2018年5月にかこが、そして12月に大中先生がこの世を去りました。

再会を喜んでいた二人の不思議なご縁でうまれた2つの曲が、2019年9月1日に楽譜になって出版されました。歌曲集「アマリリスに寄せて」に「たくましく うつくしく すこやかに」と「うみにうまれ いのちをつなぎ」が収められ、また後者はピースも発売されています。90代の二人の「魂の交流」によって遺された音楽に親しんでいただけたら、と願っております。

『かこさとしの世界』(2019年平凡社)

読書の秋にふさわしい爽やかさがようやく感じられるようになってきました。様々な書評でかこさとし作品をご紹介頂いておりますが、「弁護士会の読書」コーナーで図録と絵本が紹介されました。以下、9月18日掲載分で、お読みいただけます。

弁護士会の読書

台風15号の進路にあった関東の地域では、9月9日の未明に暴風雨という言葉通りの猛烈な風雨にさらされました。

ガラスが破れるのではないかと思うほど激しく叩きつける風雨の音に恐怖を感じるほどでした。大きな木や鉄塔までなぎ倒すその自然の力の大きさとそれに耐えうる建物の有り難さを痛感しました。思いうかんだのが『あなたのいえ わたしのいえ』の風の場面でした。

台風一過、停電のニュースに家そのものに加え、そこに整っているライフラインの有り難さを再認識し、目にとまったのが、建設通信新聞のコラム「風波」です。たまたま、かこさとしの言葉を引用していました。「端折ってはいけない。一つひとつ積み重ねていかなければ子どもたちには伝わらない。」

かこのデビュー作『だむのおじさんたち』(1959年福音館/復刊ドットコム)や科学絵本のことを紹介し、「ものづくりの楽しさ、建設産業の重要性」を次世代に伝えるにあたり「かこさんの絵本から学ぶべきことは多い。」と結んでいました。

『だむのおじさんたち』は10月30日〜11月18日に京都・大丸ミュージアムで開催される巡回展で、全点展示致します。最後の場面とさらにその前の場面は、かこ自らがボツにして描きかえましたが、絵本に使わなかったその2場面もあわせてご覧頂けます。全場面を一目で見ることによって、かこが緻密に考えた色彩や構図などがおわかりいただけます。お楽しみに。

また、越前市ふるさと絵本館では、ものづくりの基本を楽しく味わえる『まさかりどんが さあたいへん』(1996年小峰書店)の全点を11月10日まで初公開しています。詳しくは当サイト絵本館情報・最新情報をご覧ください。
以下は有料サイトです。

建設通信新聞

来年のことを言うと鬼が笑うとは言いますが、鬼には笑ってもらい今秋と来年の全国巡回展の予定をお知らせいたします。

まもなく始まる「かこさとしの世界展」は
大丸ミュージアム(京都)2019年10月30日(水)から11月18日(月)まで会期中無休

2020年は、
八王子市夢美術館(東京)2020年2月1日(土)から4月5日(日)
松坂屋美術館(名古屋)2020年4月25日(土)から6月7日(日)

2020年夏は、この巡回展が続く一方、全国各地の文学館での展示会も開催されますのでご期待ください。

京都展示会については以下に詳しいご案内があります。

京都大丸

小峰書店ホームページでもご紹介しています

小峰書店「かこさとしの世界展」

巡回展

絵本作家・かこさとしさんを知る本

上記のようなコーナーで著作のご紹介があります。書店での販売ではなく、「年少版・こどものとも」129号として予約購読でお届けしたクリスマスツリーの絵本「きれいなかざりたのしいまつり」も展示されます。

都立多摩図書館

藤沢駅近くで、かこ作品の複製原画がご覧いただける場所があります。

1つは市庁舎1階のホールで、現在展示しているのは『とんぼのうんどうかい』(1972年)偕成社の一場面。

ODAKYU湘南ゲート6階にある南図書館には、海と畑に恵まれている藤沢から連想される4枚を展示中です。

綺麗な海を背景にしている『だるまちゃんとキジムナちゃん』(2018年福音館)、豊かな土地のバロメーターであるモグラについての『モグラのもんだい モグラのもんく』(2001年小峰書店)と畑の作物、にんじんをめぐる『にんじんばたけのパピプペポ』(1973年偕成社)、食欲の秋ということで『たべもののたび』(童心社)から、それぞれ1点ずつです。

いずれも10月末ごろまで展示の予定です。間近でゆっくりご覧ください。

八月尽、聞きなれない言葉かもしれません。八月最後の日のことで、かこさとしはこの日に特別な思い出を持っていました。

高校2年生になったかこは寮に入り軍需工場で奉仕労働をする日々で夏休みもなく、ようやく久しぶりに帰宅した夏の終わりに思いもかけないことが次々と起こります。富士登山で危うく遭難一歩手前で難を逃れたものの「夏休みの計画のすべてがむなしくきえたくやしさ」と「ただならぬ戦争状況のいりまじった、あつい夏のおわりの思いは」生涯消えなかったようです。

『こどもの行事 しぜんと生活 8月のまき』(2012年小峰書店)に描いています。(上)また、2013年『中央公論』9月号にも「人生最悪の夏休み1943~2013年」と題したイラスト入りのエッセイで語っていますが、これは『別冊太陽 かこさとし』(2017年 平凡社)に転載されています。(下)

当時の国語の先生は、尊敬していた、俳人中村草田男で、その句に次のようなものがあります。
「八月尽の赤い夕日と白い月」

かこのような強烈な思い出ではなくても、夏休みの最後には、ああすればよかった、こうしておけば、という反省や後悔が誰しも沸き起こってきます。そうならないように過ごせればそれに越したことはないのですが、反省をすることで、改善したり自らを戒めたりしてこれが助走となって前進できるのなら、それはそれで意味があるでしょう。

2019年8月21日、北海道新聞〈異聞風聞〉「後出しの夏、忘れない」では、かこさとしの『遊びの四季』(2018年復刊ドットコム・下)から、じゃんけんの優れた点と有効性を見抜いたこどもの力に触れ、「大人が子ども時代の心情と感覚を思い起こすことは、大人として大人がしなければならない真の道をみいだすことにつながる」と引用して、子どもたちの世界では仲間の尊敬や信頼を得られない、後出しじゃんけんのような夏を忘れない、とありました。

兎にも角にも、8月尽。今年も残すところ4分の1です。

福音館の月刊絵本「かがくのとも」から生まれた、初めての科学展

2019年は「かがくのとも」が創刊されて50周年。しぜん、からだ、たべもの、のりもの、の4つの切り口から「科学」の楽しさ伝える展示会が開催中です。
かこさとし関連では、『わたしもいれて!』と『あなたのいえ わたしのいえ』について、かこ自身の言葉がパネル展示されています。詳しくは、以下をご覧ください。

福音館

福岡伸一さんによる展示会の基調講演については以下をご覧下さい

基調講演

以下では、福音館書店編集部さんがインタビューでお話ししています。

加古里子さんの、やさしさ。

かこさとしの後半生は海の見える地で過ごしました。まだサラリーマンと絵本の仕事の両方をしていた頃には、夏になると会社の若者が海に遊びがてら来られたものでした。芋を洗うがごとく混み合った湘南の海の写真が夏の新聞紙面を飾った昭和40年代のことです。

今では、それほど混むことはないものの様々な国の方が海を満喫されています。楽しそうに過ごす様子は、『とこちゃんはどこ』(1970年福音館書店)の海の場面そのままです。この場面は、越前市にある、ふるさと絵本館に大きなパネルになって飾ってあります。

「とこちゃん」は好奇心いっぱいの男の子で、お母さんやお父さんと一緒に出かけては、いつの間にか人混みの中に消えてしまい、家族はとこちゃんを探しまわることになります。興味のある所に足が向いてしまうのは、子どもにとって自然なことなのですが、動物園、お祭り、デパート、、、。デパートの場面は、下絵とともに全国巡回展・京都会場(大丸ミュージアム)でもご覧いただけますのでお楽しみに。(2019年10月30日から11月18日、会期中無休)

絵本作家のなかやみわさんは、絵本作りを始めた頃、仕事で一緒になった、かこに『とこちゃんはどこ』の本にサインと似顔絵を描いてもらい、以来、仕事場の書棚に大事に保管されていると2019年8月12日の読売新聞の記事・たからもの「色あせない絵本の手本」にありました。「群衆を表現する時は、一人ひとりの表情や動きまで丁寧に描く」点もお手本にされたそうです。

『とこちゃんはどこ』の表紙は遊ぶ子どもたち。いくら暑いとはいえ、こんな風に外遊びをあまりしなくなってしまった子どもたちのことが気がかりです。

8月15日がめぐってきます。今からさかのぼること八十数年前、日本は戦争に向かってすすんでいました。かこさとしは、まだ幼少期ではありましたが、そんな世の中の空気をかんじる出来事もあり、生まれ故郷、現在の福井県越前市の自然の中で遊んでいました。豊かな描写で表現される当時の様子は、かこさとしを知る上でも、その時代の日本を知る意味でも、貴重なものでしょう。

この本は、1975年じゃこめてい出版より刊行され、同年第23回日本エッセイスト・クラブ賞と第15回久留島武彦賞を受賞。2018年に復刊ドットコムより復刊されたもので、それに際し書き加えられた「新あとがき」をご紹介します。

新あとがき

(引用はじめ)
敗戦後の翌年(1951年)法学部の大講堂でこれからの日本の進む途について著名な学者や政治家、実業人の討論会が開かれた。敗戦で生きる方途に昏迷していた私は、良き手がかりを得ようと、最前列で次々開陳される名論卓説に耳を傾けていた中、新しく大臣となった政治家は戦争に負けてよかった、新しい憲法ができて、これによって日本は再生できるものだと涙をながして未来を謳歌した。全員が一通り論じ終わった最後に米国から交換船で帰ってこられた中年の女性*が登壇、それまでの怪説迷論を鮮やかに切りすて、禍をのりこえてゆく新時代の女性の姿を示された。

私はその明快な論旨と麗姿にわずかであるが何とか生きていく光明を得て様々な彷徨の後、臨港地の工場勤務の傍ら、未来ある子供との交流と生活の機会を得た。それで得た野生的な生きる意欲に満ちた子どもたちの行動と真意を教育雑誌に投稿していたが、じゃこめてい出版と言う出版社から原稿依頼を受け、それで、子どもの頃の思い出を綴ったところ、第23回日本エッセイスト・クラブ賞**を得る光栄に浴した。しかも強力に推薦されたのが、あの時登壇された坂西先生だったことを知り二度も私の人生を励まし推挙いただいためぐり合わせに、この上ない感謝と幸いに包まれた。

今回復刊して頂く機会に先生から頂いたご恩を記し、私の心からの感謝をお知らせする次第です。2018年2月 かこさとし

*坂西志保
1896年生まれ。教職を経て、1922年に渡米。ミシガン大大学院修了。同大学院助教授、ポリス大学助教授、米議会図書館日本部長などを務め、1942年に日米開戦に伴い帰国。帰国後、外務省嘱託、太平洋協会アメリカ研究室主幹、NHK論説員などを歴任。戦後はGHQ顧問、参議院外務専門調査員、立教大学講師、憲法調査会、選挙制度審議会、中央教育審議会、放送番組向上委員会、国家公安委員など20近くの委員を務めた。かたわら広く文化の全域にわたってアメリカン・デモクラシーに貫かれた評論家活動を展開。著書に『狂言の研究』『地の塩』『生きて学ぶ』『時の足音』など多数。1976年没。

**同年(1975年)第15回久留島武彦文化賞も受賞
(引用おわり)