編集室より

1967年の『だるまちゃんとてんぐちゃん』、翌年の『だるまちゃんとかみなりちゃん』に続き『だるまちゃんとうさぎちゃん』が出版されたのは1972年、こどものとも2月号としてでした。その時の折り込みふろく「絵本のたのしみ」(下の写真)に掲載された著者による解説をご紹介します。

かこさとしによる解説

(引用はじめ)
私が「だるまちゃん」の絵本を書くに至った動機は、日本の子供たちにふさわしい、日本的な風土や香りを伴った筋と内容、主人公でつづってみたいと思ったのに発しています。外国の優れた絵本を見る度に、そこに出てくる登場者や脇役たちの服装やしぐさや背景や、ときには手にもつ小道具や刺繍の模様に、ちゃんと風土に培われた意味があり、民族性がいきづいていることに気がつきました。優れた翻訳家や解説の努力によっても、埋めつくせないよさがあることがうらやましかったのです。狭い偏った国粋主義などではなく、しかしやはり日本の風土に育ち、日本の言葉を語り、日本の歴史の中に生きていく子供たちには、バタ臭いものや無国籍的なストーリーより、はっきりと日本的であって、しかも現在の子どもにふさわしいものが一つぐらいあってよいだろうと模索しはじめました。

そんな折、たまたま目にしたソビエトの「ビショリーエ・カルチェンキ」と言う幼年雑誌の中に「マトリョーシカちゃん」と言う楽しい絵物語を見つけました。ソビエトの民族人形であるマトリョーシカのところへ、いろいろな玩具たちが遊びにきて、相手がいないと思ったら、マトリョーシカの体の中から、次々と人形があらわれ、皆と楽しく踊りをしたという話です。感心した私は、まずい訳で「紙芝居」と言う雑誌に紹介しましたがこのときの示唆から、日本の郷土玩具や民族説話に主人公を求め、「だるまちゃん」を選ぶようになりました。

こうしてできたのがだるまちゃんシリーズと呼ばれる絵物語や絵話です。まっ赤な衣とひげと大きな目を持つ「だるま」は、日本の子どもたちはもちろん、大人の方にも好まれ愛される素晴らしい典型だったので、興のおもむくまま、とらやかっぱや白ぎつねや三猿や龍やくじらや金時やらとの交流交絡する話を次次作ったのですがそのうち三つだけが絵本となり、読んでいただいているという訳です。

ところが求められるまま、前述した動機などをご紹介すると、中には「日本の代表といっても、だるまは元はインドじゃないか」と言われる方がおられました。さすが博識の方は世に多いもので、もとはといえばインド香至国第三皇子であることや慧可断臂(けいかだんぴ)の禅宗の祖であることは指摘の通りです。しかしあの眼光の鋭い菩薩達磨師の像は、中国文化が磨きあげ、それが日本に渡来したものということがいえましょうが、木彫りや張り子のだるま(傍点あり)にまで化して、敬愛し民族化したとき、それはインドや中国のものではなく、私たち日本のものといってよいでしょう。純粋な土着性だけを日本とするなら、騎馬民族や南方漂流民としてのわれわれの祖先を排除しなければならぬという妙なことに至ります。

さて、こうして誕生した「だるまちゃん」に遊びとしての要素をもりだくさんおりこんだのが「うさぎちゃん」との物語です。しかしその中に慧眼(けいがん)な方は一種場違いな人物が見えがくれするのにお気づきでしょう。丹下左膳と座頭市です。戦前チャンバラのすきな子どもたちは丹下左膳ごっこにあけくれていました。戦後はチャンバラどころか遊ばなくなってしまいました。そしてこの二人とも障害をもちながら悪に敢然とたちむかった人です。この二人を創作された林不忘さんや子母沢先生に感謝しながら、なぜ、こんな伏線をしたのかを、大人の方はその教養でちょっと考えていただければ幸いです。
(引用おわり)

上の写真は裏表紙、左端の雪だるまに注目。

『だるまちゃんとうさぎちゃん』は、11月8日から12月10日まで藤沢市民ギャラリーにて開催の「だるまちゃんとあそぼ! かこさとし作品展」にて2場面を展示。また11月16日より越前市ふるさと絵本館にてほぼ全場面を展示いたします。ぜひご覧下さい。

すっかり秋らしくなり『そろって鍋もの にっこり煮もの』が嬉しい季節になりました。

食いしん坊の誰かさんは、夜寝付けない時に、羊の数を数えるのではなく、おでんを食べるとしたら何からどんな順番で食べようかなあと想像するそうです。そんな事をしたら尚更目が覚めてしまいそうですが、この本の1ページは、おでん鍋を囲む笑顔の一家の会話(下の写真)から始まります。まずは前見返しにある〈この本のねらい〉をご紹介します。

〈この本のねらい〉

ゆっくり煮こんでほしい

(引用はじめ)
食べものを煮たりたいたりという事を物理化学的に味気なくいえば、食品を水とともに加熱する工程となるでしょう。しかし、その水の量や加熱処理の時間、温度によって「煮こんだり」「煮つめたり」「煮っころがしたり」といういろいろな料理となり、それにふさわしい大きさや深さや形や材質の加熱容器がさまざまな鍋となって登場します。

それでは、一体どんな煮たきの操作によってどんな料理に変わるのか?どんな処理を行うために、どんな鍋が用いられのかーーーどうぞこの巻でゆっくり煮こみ、とっくり煮つめてみてください。
(引用おわり)

さらに著者の言葉が続きます。

煮たきもののかくし味発見!

(引用はじめ)
煮たきすることは熱を加え食品をやわらかくするだけでなく、「ふるさと」とか「おふくろ」といった味がわきでる不思議な様子を4~5、6~7ページにのせてあります。

煮るものといえば、あなたの一番好きな、おでんのたねはなんでしょうか?20〜21ページの絵(下の写真・一部)の中にあれば幸いです。

こうした日本の煮込みものは、シチュー(10〜11ページ)とか、ポトフやボルシチ(12~13ページ)とかと、どうちがうのか、ぜひおたしかめください。

そして全国のなべものめぐり(24~31ページ)や見返しの煮もの、汁ものの日本地図によって、忘れていたなつかしい味を思い出していただきましょう。

このように、この煮もの、たきものの巻は各所にちりばめた、いろいろなかくし味をお楽しみいただく発見の絵本です。
(引用おわり)
尚、漢字には全てふりがながあります。

最後のページには、次のようにあります。

寒い季節の暖炉の魅力

(引用はじめ)
日本でも外国でも寒い地方では、冬一日中暖炉を燃やし続けます。その熱源を生活している人々は見逃しません。湯をわかし、薪や衣服を乾かし、なべをかけます。こうして暖炉を必要とする生活は、暖炉を使っての料理や、それを囲んで集う家族や隣人との接触親和の場をつくります。したがって暖炉という熱源は、単に料理づくりに役立つだつだでなく16〜17ページ(下の写真・一部)にご紹介したように、まわりをかこむ人々を結びつけ、心をあたため、会話や笑いをはずませていくという事です。この不思議な魅力、すばらしい威力を北国の冬の暖炉ばかりでなく、いろいろな煮もの、たきもの、なべものが秘めている様子をお知らせしたのが、この巻です。北国の冬生まれ一人として、この本をお読みいただいた事を感謝し、南国生まれ方にも、この食べごとを見つけられるよう祈ります。
(引用おわり)

さらに、後ろ見返しには著者から読者の皆さんへの言葉があります。

台所の代表は何か?

(引用はじめ)
簡単に台所を、絵であらわすにはどうしたらいいでしょうか?魚や野菜をかいても店屋さんと間違えますし、ガスレンジや冷蔵庫は、よほど上手でないと手提金庫が物入れになってしまいます。という訳で、一番早くてやさしいのは「なべやフライパンのある部屋」というあらわし方だと言うことになりました。やはりなべやフライパン(これも浅い片手鍋の1種です)は、台所を代表する道具であることがわかります。

この台所の代表は、その役目である煮たきのための、食品と水を収めておく容器としての機能と、熱を加え、伝える、種々の材質の壁を持っています。さらにフタのあるなし、持ち運びのための柄や取手、通気穴や中底のあるものなど、多くのなべが工夫され使われている様子を、どうぞあらためて見てください。
(引用おわり)

鍋ものだけあって著者の熱い思いが伝わってきます。それにしても、おでん好きの様子、さては、、、?!

地中に住む虫といったら何が思い浮かぶでしょうか。
アリ、ミミズ、セミの幼虫。。。オケラの姿は、見かけなくなりましたが、絵本館のある越前市は豊かな自然が残り、田んぼにはオケラもいるそうです。

地中に住む一番大きな動物、モグラについての本『モグラのもんだい モグラのもんく』のあとがきをご紹介しましょう。

(引用はじめ)
小川が庭の西と南に流れている北陸の小さな家で、私は生まれました。幼児時代、この庭にできる土の小山が、モグラくんを知った最初でした。

戦争中の中学生時代、学校農場で作業していた時、たい肥の中にモグラくんの巣をみつけました。はだかの子を生物好きの友人が、ポケットにおしこんで、ニコニコしていたのを覚えています。

それ以来、ずいぶんモグラくんとはご無沙汰していたわけですが、今回ゆっくり接することができ、とても懐かしい、そして少し悲しい気がしていることろです。

終わりに、富山大学教育学部の横畑泰志先生から専門的なご教示と懇厚なご示唆を得たことをご報告し、御礼といたします。
(引用おわり)

あとがきにある「少し悲しい気がしている」とはどういうことでしょうか。

モグラがいるということはかなり豊かな土壌があることの証拠だとこの本でわかりますが、田んぼの世話をしている方によると、モグラが畦に横穴を掘ると水が抜けてしまい困るので厄介もの扱いされ、モグラやミミズなどを活用する手間のかかる有機的な農業ではなく農薬や化学肥料に頼るようになってしまっています。

ユネスコは2015年を「国際土壌年」とし、人類にとって不可欠な土壌が失われている危機を訴えました。かつて土壌改良剤の研究に携わっていたかこさとしは、この土壌の問題に強い危機感を持って執筆にあたったようです。『大地のめぐみ 土の力大作戦』(2003年小峰書店)も同様の意図で作成されました。

ところで、小学校4年生の国語の教科書(光村図書)下では、「生き物のなぞにせまりましょう」という項目で、本作を紹介しています。

かこさとしの絵本に『パピプペポーおんがくかい』という作品があります。いろいろな動物たちが音楽会を開くというお話です。この作品の最後に出てくる「演目」が「うみにうまれ いのちをつなぎ」というもので、観客もいっしょになって全員で大合唱というフィナーレになるシーンです。「うみにうまれ いのちをつなぎ」に曲を付けて下さった方がいらっしゃいます。「サッちゃん」や「いぬのおまわりさん」の作曲で知られる大中恩(めぐみ)氏です。「特報首都圏」(2016年NHK)というテレビの番組がきっかけでした。

2017年9月30日、紀尾井ホールにて開催された「メグめぐコール創設20周年記念演奏会」のコンサート最後の曲にこの曲が、大中氏最新の曲としてお披露目されました。合唱としては初演、ピアノの伴奏と混声で奏でられるハーモニーに聴衆一同、至福のひとときを過ごすことができたのは言うまでもありません。

実は大中氏とかこさとしの出会いは70年前、かこが東京大学の演劇研究会に所属していた頃にまでさかのぼります。『別冊太陽 かこさとし』(2017年平凡社)や、『現代思想 かこさとし』(2017年青土社)にも記載がありますが、かこが大学を卒業する直前の1947年2月、近隣の子どもたちを招待し、かこ自らが脚本、演出、(踊りの)振付けなど、舞台美術の一切を取り仕切り上演した童話劇「夜の小人」(未発表)の作品の中で歌われる「サタンの合唱」「祈りのうた」を作曲したのも他ならぬ若き日の大中恩氏でした。

テレビ番組制作のスタッフはそのような経緯は全く知らず、大中氏と同年代のかこさとしの詞は大中氏の新曲創作のきっかけになるのではないかと考え、氏に相談する前にかこに詞の提供を依頼してこられました。数々の名曲を作られた大中氏との接点については、家族も詳しく聞いたことがなく、そんなご縁があったこと、また氏のお父上が「椰子(ヤシ)の実」の作曲者大中寅二氏であること(作詞は島崎藤村)、などもその時初めて知り、ただただ驚くばかりでした。

こうして偶然のご依頼により70年の時空を超えて2016年、番組の撮影で二人は再会をすることになったのです。番組のナレーションは大中氏が古い友人を訪ねた、と淡々と伝えるにとどまりましたが、その裏には事実は小説より奇なり、としか言いようのない、こうした事があったのです。

氏は「夜の小人」上演のことをよく覚えていらして、公演の前日に近くのお寺で合唱の練習をされたとエピソードをお話し下さいました。かこにとってはまさに夢のような再会でした。『パピプペポーおんがくかい』のあとがきは次のように始まります。

「私は柄にもなく若年のころ、演劇など、舞台芸術に関心をもっていました。」

こうして2017年9月30日は、若き日の情熱が通じたかのような邂逅により生まれた90代コンビによる合唱曲が発表された記念すべき日となりました。

武生中央公園は菊人形展の開催場所としても長い間親しまれています。本年からは入場料が無料になり、「だるまちゃん広場」はじめ公園全体が菊の庭になります。「パピプペポー広場」のメリーゴーランドやモノレール、「コウノトリ広場」の観覧車などをはじめ期間限定の遊具(有料)、飲食施設も増設され楽しみ盛り沢山です。

上の写真は『こどもの行事 しぜんと生活9月のまき』(2012年 小峰書店)の表紙と裏表紙。菊花鑑賞の場面には、かこさとし幼き日のふるさとの思い出がにじみ出ています。

2017年菊人形展については以下をご覧ください。

http://xn--08j1a5d044nforx33c.com/

運動会

投稿日時 2017/09/22

秋の学校行事といえば、かつては運動会が筆頭でした。一家揃ってお弁当を広げてというのが定番で、その形体が変わったとはいえ、普段見れられぬ一面を発揮する姿に声援を送るのも運動会ならではです。

1950年代、かこさとしが川崎でセツルメント活動・子ども会の世話をしていた頃、秋になると地域の運動会を催し500人近い子どもが集まってきてリレーや借り物競争などで大いに盛り上がったそうです。どんなにか賑やかだったことでしょう。

かこ作品の中でも、運動会はなくてはならない一大イベントです。

セツルメント活動で子どもたちに見せていた紙芝居から生まれたお話の一つで、秋晴れの空を背景に繰り広げられるのが、『とんぼのうんどうかい』(1972年偕成社)です。大群で飛ぶとんぼを見たことがあればその発想に頷けるのですが、そんな光景を近頃の都会では見かけられなくなってしまい本当に残念です。

典型的な種目といえば、綱引き、大玉ころがし、玉入れでしょうか。ご覧いただいているのは『こどものカレンダー10月のまき』(1975年偕成社)からです。2見開きが運動会に当てられています。動物たちの表情がそれぞれ面白く、右下、「スプーンきょうそう」のからすの表情は最高です。

二人三脚の、うさぎとカメ、オオカミとブタの組み合わせにも笑ってしまいます。

『ことばのべんきょう くまちゃんのいちねん』(1971年福音館)では11月に運動会となっていて、熱中症予防の現在を先取りでしょうか?! テントには「土等猫(ドラネコ)小学校PTA同窓会」とあります。

一方、『どろぼうがっこう だいうんどうかい』(2013年偕成社)はその競技種目が何ともアッパレ愉快で、いつかどこかで実践してみたいと密かに願っているのは筆者のみではないはずです。

「どろぼうがっこう」とはいえ学校ですから校長先生のちょっと気取ったお話から始まり応援歌という流れにもニンマリしてしまいますし、ハプニング発生でプログラム変更が余儀なくさせられるあたりは妙に現実味があり、後見返しにその表示があるのも、いやはや参ったなと言わざるを得ません。

木に囲まれて手に優しい木製遊具で思い思いに遊べる「かみなりちゃんのおうち」が2017年9月10日にオープンしました。その隣にあるのが飲食施設「はぐもぐ」(上の写真)で、育む+食べるの連想から名付けられたそうです。

4店舗がはいり、お寿司などお弁当専門店、丼ものをその場で調理し提供する店、焼きたてパンなどが釜から店頭に並ぶ店、アイスクリームや洋風ランチパックがある店と個性豊かです。

フードコート形式でそれぞれお好みのものを共通のテーブルで召し上がれます。もちろん公園に持って行くのも大丈夫。(ただし公園内にはゴミ箱がありませんのでよろしくお願い致します。)

この施設では、さらなるサービスを計画中ですので、ご期待下さい。

下の写真は「はぐもぐ」前にある「まちあるき散策マップ」(左)・公園の見取り図(右)と「はぐもぐ」から見える「コウノトリ広場」の観覧車。

『未来のだるまちゃんへ』

投稿日時 2017/09/17

読書の秋、夜長のお友に『未来のだるまちゃんへ』(2016年文藝春秋)はいかがでしょうか。文春文庫今年の100冊の中に選ばれました。著者書斎での写真や『どろぼうがっこう』の元になった紙芝居なども掲載。あとがきに加え、文庫には、ハードカバー表紙用に描き下ろした絵や、なんと中川李枝子さんによる解説もあるのです。

読書会・研究会の課題図書として取り上げてくださることもあるようですし、電子書籍でお読みくださった海外の方からの感想が届いたりもする昨今です。

この本のハードカバー発行は2014年。実はかこさとしの執筆ではなく、語り下ろしによるものでライターの瀧晴巳さんと編集の鳥嶋七実さんを前にかこさとしが語ること14回、ほぼ一年近くにわたりました。お二人は午後一番に来られ、かこは熱心な聴き手の問いかけに応え、笑いに勇気づけられ、次々とかこの口から飛び出す歴史的な事件とそれにかこさとしが様々な形で関わりあっていることに皆で驚きながら、いつもあっという間に時間が過ぎて気づくと夕暮れとなっていたものです。

米寿を迎えようというかこにとってはどうしても言い遺しておきたいこと、聴き手にとっては是が非でも聴いておきたいことがとめどなく続き、話は縦横無尽、時計の長針が一回りしてようやく話が元に戻るといったことも多々ありました。双方にとってそれはかなりのエネルギーがいることであったはずなのですが、いつも幸せな満足感でまた次回、といって笑顔で終わるのでした。

そんな雰囲気で語られたかこの言葉。皆さんに知っていただきたい思い。皆様の心に届くことを願ってやみません。

以下のような感想が寄せられましたのでご紹介します。

「加古里子はこの作品を(自分の)遺言というタイトルにしたいと言ったそうだが、それでは暗くなるから、という周囲の声があって現在のタイトルに変わったとのことらしい。それだけに、内容的にも、表現方法的にも、なんのてらいも、虚飾もなく、実にストレートに自分の体験と思いを語る内容になっている。読んでいて、むずかしいところは全くない。すっと心に入ってくる。しかし、扱われているテーマは決して軽くはない。時代の背景(とくに戦争の体験)や、人間としての生き方、考えさせられることの連続だった。現代という生きにくい時代にあって迷える大人にこそ是非読んでほしい本である。」(愛知県ASさん)

2017年9月10日武生中央公園に雨雪や寒さに関係なく遊べる屋内の施設「かみなりちゃんのおうち」が誕生しました。

木のぬくもりが心地よい空間には靴を脱いで入ります。室内は、床はもちろんのこと、ふんだんに木材が使われ積み木や木製の遊び道具が沢山。木の小さなボールが入っているボールプールや滑り台、かみなりちゃんのあの場面を見ながら壁を登ることもできます。

窓からはだるまちゃん広場が見渡せます。授乳室やお子さん用トイレもあり、小さなお子さん連れでもゆっくり過ごせる嬉しい場所です。こんな掲示もあります。『かこさとし 遊びの大星雲7 くしゃみやおへそのあそび-体と病気のなやみ問題-』(1992年農文協)からです。

どこにあるかというと、お子さん用トイレにです。(この施設の外、だるまちゃん広場側にもトイレがあります。)

みなりちゃん型のハンガー掛けやマット、時計もかわいいらしく、この施設のお隣には通路を挟んで飲食施設「はぐもぐ」がありますが、そのご紹介は次回にいたします。

武生中央公園は今回のリニューアル前は市民の公園として長い間愛されてきました。そういった越前市のセントラル公園として欠かせないものが園内にはいろいろあります。

越前市は1500年前に国府が設けられていた歴史ある町です。古くは6世紀初めに即位した継体天皇の出身の地とされ、紫式部や前田利家といった歴史上の人物、天皇昭和の料理を担当した秋山徳蔵やいわさきちひろさんなど越前市にゆかりのある14人を紹介するモニュメントが園内に設置されています。

下は、幕末に、地元の教育、文化、産業の発展に尽くした松井耕雪を紹介するもの。モニュメントの銀鼠色のタイルは越前瓦の色あいで、鉄結晶によるものだそうです。寒冷地でも凍らず割れにくく滑らない特徴があり、園内の案内板もこの色調に合わせています。

越前市の地形・地質を示すものも「地球生命の歴史」(下の写真)紹介の最後にご覧いただけます。こういった地勢・自然と歴史によって培われた伝統文化である越前和紙に欠かせない植物ミツマタやコウゾも植えてあります。

これは、おなじみコシヒカリ。イチベエ沼の脇に少しですが植えられています。本当の田んぼではないので実り具合は良くないのですが、福井県は美味しいお米として有名なコシヒカリ発祥の地なのです。